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この日の朝食は昨日と全く同じメニュー「日本人は愛してるって言わないって本当」などのイタリア・ドイツ・シンガポール在住中国などの人たちと濃厚な話題で始まった朝私の英語力では全く通じずちょっと悲しかったです今日は聖母マリアの家までの交通が不便だからということでのツアーの日私とアルゼンチン夫婦の3人だけの贅沢ツアーあ~やっぱ場違いだったかも・・・と思った私宿の人たちとタクシーシェアして来れば良かったと反省セルチュクエフェ
ドミトリーアリババズハウスの朝ごはん黒い方のオリーブが美味しかったです葡萄やチャイの似合う空間イタリア・ドイツの方々と一緒の優雅な朝食宿にこの旅最後の洗濯を頼んで50リラ≒500円(以下省略)一番来たかった町の観光です何故ならこの町はギリシャ神話の月の女神アルテミスの進化系と聖母マリアの住んでいた場所だからこのお城は後で行くことに・・・食べられるのかなって思う植物右のオリーブは道端に自生していましたサボテンや見たことない木やた
ギョレメからデニズリまでの夜行バスは休憩を取りながら4時半頃デニズリに到着降りるお客の中から日本人の私をいち早く見つけ誘導するちょい悪オヤジ的トルコ人男性バスターミナルの屋内の区切られた小さな会社の部屋に入らされこれから先のツアーや今から行くパムッカレに対する怒涛の説明働かない頭に糖分補給トルコチャイを2杯ごちそうになりなが
マリア・ヴァルトルタの『私に啓示された福音』の中で私が1番疑問に思っているのはマリアさまが晩年に過ごされた場所についてです知っておられる方も多いと思いますが福者アンナ・カタリナ・エンメリックの示現によるとマリアさまが聖ヨハネと共に晩年を過ごされたのはエフェソであり福者アンナ・カタリナ・エンメリックの受けた啓示に従って発掘された所に家(?住居?)が見つかりそれによってその家がマリアさまが住まれた家とされ今は巡礼地になっているそうですがマリア・ヴァルトルタの受けた啓示では
籠から出て向かう先その4〜青い水の温泉パムッカレからのつづき。パムッカレからの帰路は、イランからの帰りのカナダ人の女性と2人だけだった。3席ずつの向かい合うシートで横になって眠っていたら3時間ドライブはあっという間で、セルチュクの街についていた。途中オニキスの加工工場の土産物屋に寄ったけど、はじめから買う気もなかった。ツアーってこれがあった。「土産物屋立ち寄り」。昔ソウル3日間みたいなツアーに行った時、深夜の出発便に空港送迎が早い集合時間で土産物屋立ち
ベストショットを狙う少年撮影していたのはこちらの遺跡木のアーチ緑豊かなロケーションアヒル?の行列遺跡は見どころ満載▼『【世界遺産】エフェソス観光』エフェス遺跡(2010)プリタネイオンニケのレリーフ小劇場トラヤヌスの泉ハドリアヌス神殿セルスス図書館トルコ最大級の円形大劇場世界最大級の都市遺跡…ameblo.jp
カリフォルニアあらため奈良からこんにちは。ミーナです25年前に行ったトルコ旅行記の続きです。①がこちら↓『エンドゥさんの考察で驚いた事(トルコ)』カリフォルニアあらため奈良からこんにちは。ミーナですマッドフラッド説(200年ぐらい前に、実は地球規模で大洪水があったのではないか、という説)でお馴染みの…ameblo.jpカッパドキア、という変わった岩のエリア。こんな凄い所に来てしまうと単なる「景色」とだけ判断するのが勿体なくて「何か秘密があるん
昨晩は大きな地震がありましたが、皆さんは大丈夫だったでしょうか。日本は災害大国。火山の上に国があるようなものですから、これからもこういった危険と隣り合わせなんだなーということを改めて感じました。前回の時のように、津波の被害や原発の問題が起きなくて本当によかったです。さて、トルコ旅行記の続きをば…エフェソスの遺跡は、今回夫が一番行きたかったところ。聖書には「エペソ」という名前で登場するこの栄華を極めた町は、もともと女性戦士として名高いアマゾネスが開いた都市という言い伝えがあり、
LOSUNGEN2022日本語版より2022年1月14日の聖句主は、私たちに大きな業を成し遂げてくださった。私たちは喜んだ。詩編126篇3節私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神はキリストを通して、天上で、あらゆる霊の祝福をもって私たちを祝福してくださいました。エフェソの信徒への手紙1章3節今週の聖句神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。ローマの信徒への手紙8章14節1月の聖句イエス・キリストは言う:来てごらんなさ
文明の十字路と世界が認めるイスタンブールは、本当に魅力的な都市に違いない。何と言っもキリスト教とイスラム教文化が融合して今も残っている。その象徴がアヤソフィア大聖堂です。かってコンスタンチノープルと呼ばれた頃は、東ローマ帝国のキリスト教信者の聖地として建造されたものだった。オスマン帝国になっても、イスラム教のモスクとして利用されている。内部のキリスト教の絵などを取り払い、尖塔ミナレットを建てる事により、イスラム教寺院に変貌させている。空路、トルコ第3の都市イズミールへ到着。ここは、リゾートでも
最近ほめられて嬉しかったことだいぶ昔に掲載していたトルコ版スーパーマンドヌヨルの日記記事について、トルコの方からコメントを頂いたことが嬉しかったです。コメントでトルコ版スタートレックを紹介して頂きました。さっそく物見見物に行って参りました。https://youtu.be/B7iXNLUaaSkTurkishStarTrek1of9"TuristÖmerUzayYolunda",1of9.youtu.beロケ地はトルコの観光地エフェソスのようです。さすがトルコ
行ってよかった国、行ってみたい国はある?行ってみたい国はトルコ🇹🇷。エフェソス遺跡、見てみたいです。Wikipediaから写真お借りしました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%BD%E3%82%B9エフェソス-Wikipediaja.wikipedia.orgあと、ポンペイの遺跡も絶対に行きたい所です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3
トルコにある世界遺産古代遺跡エフェソスに川島塾仲間と行ってきました。エフェソスは古代から人が住み栄えた場所でローマ帝国時代に最盛期を迎えた巨大都市であります。上下水道や温泉施設数万人入る巨大スタジアムもありその繁栄ぶりが今にも伝わってきます。ワイナリーで酒を飲むのも海でワイワイ騒ぐのだけではなく遺跡を歩いて遠い過去に思いを馳せるのも良いものですね!
7月21日の○○紀元前356年のこの日、ヘロストラトスが神殿に放火しました。ヘロストラトス事件紀元前356年7月21日、古代ギリシアのイオニアに住む羊飼いのヘロストラトスが歴史に名を残したいとの理由で、エフェソスにあったアルテミス神殿に放火しました。彼に関するすべての記録を末梢する記録末梢剤になるものの、その名は歴史に残りました。
昨日は、癒し系ターシャチューダー(長岡京市の)の、オープンガーデンに寄せていただきました。そこには、花子系列アンティーク商の方も同席されていました。その方の普段からのSNS発信の写真、文章が、家庭画報、和樂等ハイソなマガジン級。また、それなりのクラスをお持ちなのにも関わらず、腰の低さに、感動し、心ほぐしていただくとは、こういう事なのか。見習おう、見習うべき。まさに、人格者です。品格というか、格調というか、ほんまにオーラに憧れ、習おう、と思た。列席者。長岡京市の物凄いグリーンサムな
エフェソスはたくさんの見所があります。今回で3回目のエフェソスですが、ヨハネとマリアなど遺跡以外の場所にスポットを当てた案内です。キリスト教の伝承では、十字架上のイエス様が、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。(ヨハネ19:26-27)とあり、十字架後、使徒ヨハネは聖母マリアと行動をともにしていた、とされて
2019トルコ共和国6エフェソス10/26(土)②昼食でドライブインのような店に寄った後、今度は革製品の店に案内された。「FIRSTPORT」という、壁で囲まれたちょっとゴージャスな感じのお店だが、車内で聞いたアルペルさんの話では、皮を薄くなめす技術は世界一級の生産者で、これにヨーロッパの有名ブランドのタグがつくと(OEMということか?)値段は数倍に跳ね上がるから、トルコで購入すると大変お買い得、ということだった。はじめに通されたのはランウェイのあるミニシアター。甘いお茶が
2019トルコ共和国3トロイ10/26(土)①朝食のブッフェで、隣にいた東南アジアからの夫婦にザクロの片割れを頂いた。この人たちは食べ慣れているようで、おいしいから食べてみて、という感じで勧められたように記憶している。コリンホテルのロビーこの日、まずバスで向かったのはトロイの遺跡。ハインリッヒ・シュリーマンが生涯をかけて発掘した物語はどこかで読んだこともあって、実際に目の当たりに出来ると考えれば胸が躍った。バスでホテル
トルコツアーの添乗で行ったエフェソスの遺跡です。この遺跡はトルコツアーで毎回必ず組み込まれていました。野良ネコが多かったです。すごく広いので迷子が出ないよう気をつけていました。これは遺跡に残る勝利の女神ミケーラ像スポーツ用品ナイキの語源はこのミケーラです。ミケーラがギリシャでニケNikeになり英語読みされてナイキに大好きな像なのでポストカードを買ってきて階段の壁に貼っていました。昨日起きたらなぜか枕元に。???なぜ?なんで枕元にあったかわからん。まぁいいやなにかいいこ
聖書に見るトルコシリーズも残りわずかになってきました、今回は、引き続きエフェソスを旅したいと思いますが、前回はヨハネ黙示録編でしたので、パウロの伝道の足跡を訪ねます。エフェソスの遺跡は非常に広く、見どころが多いので、通常の見学では2時間以上になることも多々あります。歴史や遺跡の詳細は、ガイドブックなどに任せるとして、聖書の観点からエフェソスをご案内しましょう。聖書には「エフェソ」と登場しますが、ここでは「エフェソス」としてご案内していきます。聖書でエフェソスが登場するのは、使徒
2か月ぶりになりますが、聖書に見るトルコをご案内します。今回は今まで書いてきた黙示録7つの教会の最後として、スミルナとエフェソスです。スミルナは現在のイズミール、エーゲ海に面した港町で人口は400万人を数える大都市です。紀元前1000年ころから栄えた町で、イーリアスやオデュッセイオスを書いたギリシャの吟遊詩人・ホメロスの出身地と言われています。紀元前1世紀にはローマ帝国の支配下に入り、聖書には、ヨハネの黙示録(2:8~11)の七つの教会の一つとして登場します。使徒言行録(使徒行
エフェス遺跡から向かった聖母マリア最後の家はこじんまりした石造りです。隣の郵便局から手紙を出すと聖母マリアのスタンプを押してくれるので、私は両親にはがきをだしました。郵便局の前に深く大きく掘られた逆鍵十字の跡がとても印象的でした。エフェス遺跡から山を登って、参道のような道を歩いて登っていくと聖母マリアが晩年を過ごされたといわれている場所にたどり着きます。最後の時、キリストは弟子の聖ヨハネに、聖母マリアを託します。聖母マリアは最終的にエフェソスに逃れ、この地で64歳で終焉を迎えたと言
エフェソスは“人間臭の漂う”遺跡である。図書館と地下道で繋がる娼婦宿。公衆便所の石のベンチには約1メートル間隔の尻穴と、下には落とし物が流れる側溝があり、更に尻穴には一物が納まりやすいように窪みがある。さて、この遺跡は全盛時、世界三大図書館に数えられた名建築なのだが、残念ながら残っているのは正面のみだ。しかし、典雅で気品に満ちた建物であることに違いはない。彩色ペン画・文千原昭彦
「神の母」のお祝いのメセージ「神の母」の称号は、新約聖書の執筆書には見当たりません。最初に使われているのは、ローマで、230年頃です。四三一年、エフェソスの議会では、「キリストの神聖と人間性の統一性」について講義し、聖シリルの手紙を承認し、この承認を通じて正式に「神の母」の名称を聖母マリアとされました。エフェソスで行われた規範的決定は、四五一年のカルケドン評議会によっても認められました。マリアは、「神の母」です。神の御子イエスをお産みになったからです。ロジェ神父
特に身体も心も病んでないんだけど、どうしても自分の目で確認したい!と思って受けてみました。https://ameblo.jp/eribow711/私の前世療法eribow@前世療法さんのブログです。最近の記事は「命がけで尽くした前世(画像あり)」です。ameblo.jp前世療法PADOMAの根本恵理子さん。今まで配信動画で宇宙船ワークや未来世ワークをやって、ビジョンや単語が浮かぶことはあったので、何かしら見えるはずとは思ってました。ただ、分析癖と考えて答え合わせしてしまう癖が邪魔をする
エーゲ海に面したイズミルの街の沖合を震源とするM7.0の大地震が10月30日に発生した。トルコへは10年前に観光旅行で訪れている。トルコという国は、とても親日的な国…こちらが日本人だと知ると、トルコの人たちはさらにフレンドリーな接し方で応じてくれる。その理由に、トルコの学校の教科書にも載っている、突発的なある事件に対する当時の日本人の親身溢れる対応…がある。トルコ人ならだれでもそのエピソードを学んで知っている。その事件とは…和歌山県串本沖にて台風によるオスマントルコ
サハラ砂漠・・・・・アフリカ大陸北部にある砂漠で、世界最大の砂漠で南北1,700キロメートルにわたる。面積は約1,000万平方キロメートルであり、アフリカ大陸の3分の1近くを占め、アメリカ合衆国とほぼ同じ面積である。出典:HowhumanscreatedtheSaharadesert:Farmingtransformedthegrassyplainintoanaridwasteland8,000yearsagoサハラは緑が生い茂っていた
午後からはエフェソス遺跡へトルコの古代遺跡と言えばローマ時代のものが多い中このエフェソス遺跡はそれ以前のヘレニズム(ギリシャ文化)時代の影響が強く感じられる遺跡です紀元前334年にマケドニアのアレキサンダー大王がこの地を征服しギリシャ文化が栄えローマ帝国の支配が始まったのが紀元前133年そしてローマ帝国支配のもと2世紀頃に黄金期を迎えます今残っている遺跡の多くはこの時代に作られましたギリシャ文字の書かれた石碑が多く残っています
ザ・リッツ・カールトンヨットコレクションで行くエーゲ海クルーズをご紹介します。7泊8日の航海のスタートはギリシャの首都アテネの外港ピレウスから始まります。エーゲ海をクルージングしてエフェソスの遺跡を巡るためにクサダシに寄港し、イスタンブールに向かい停泊します。魅惑的なブルーモスクを訪問する前に,ボズカーダ島でのビーチで英気を養えます。アテネは西洋の民主主義の伝統のゆりかごであり、文明の本拠地であり、かつてと同じかそれ以上に輝いています。アテネの街で最も有名な古