ブログ記事2,538件
しばらく雑記をお休みします。「雑記をやめたら、どう変化するんだろう」と実験してみたくなったのです。昨秋あたりから雑記を休む日を設けてきました。しかし、プラットホームは変わっても、20年近く、毎朝、雑記を書くことが習慣になっていたせいか気持ち悪い。結局、1日休んだら、なんとなく昼過ぎあたりにスマホを開いて綴ってしまいます。挙句には、「書筋(書く筋力)を鍛えるため、緊張感をもって綴るためにSNSなどを利用して今年も綴ります」などと、「SNSへの長文なんて誰も読まないよ」と
世界の超富裕層高級ホテル、いや、超高級ホテルが、どんどん建っています。1泊数十万円は当たり前、1泊数百万円の部屋も珍しくありません。「ただ、働く人がいないんですよ。どうなっていくんだろう」昨日、久しぶりにお目にかかったたえさんは、おっしゃいました。彼女は高級ホテル向けにスパや化粧品をプロデュースする会社を経営され、国内外で活躍されています。現在、ホテルラッシュでホテルマンやホテルウーマンの取り合いらしい。某不動産会社が経営する東京の高級ホテルでは、3年間の家賃が無料という特典
日本庭園など小宇宙を楽しむ日本らしい梅園。狭い敷地に様々な種類の梅を集めた場所がある「安八百梅園」が大好きです。母が要介護になってからは特に。平地、広さ、梅との近さなど、車椅子で周るには優しい梅園なのです。その「優しさ」は、この梅園ができた理由にも通じます。敷地内には下水処理場があります。嫌われがちな施設に人が集うように、志のある方々が梅の樹を持ち寄ったらしい。こうして生まれた梅園は、いつしか数百種類の梅が咲き誇るようになり、一時期、梅の種類で全国2位を誇っていたこともあります
映画プロデューサーでコラムニストの叶井俊太郎さんが亡くなられたことをネットニュースで拝見しました。すっかり、ご無沙汰してしまっているけれど、今朝は想い出を綴りながら、ご冥福をお祈りします。叶井さんはラジオのADから洋画配給会社に転職され、B級映画の買い付け、宣伝を担当します。買い付けたフランス映画「アメリ」を大ヒットさせ、その後、独立。「俺、「アメリ」はホラー映画だと思って買ってさぁ……買ってから観てびっくりしだんよ」と笑ってらっしゃったなぁ。ひょっとしたら、照れ隠しだったのか
「使った物は元の場所に戻し、後は気づいた時、こまめに掃除をするだけ。そうすれば大掃除はいらないですよ」20年ほど前、フィラデルフィア(当時)に住んでいた家具作家がおっしゃいました。当時、僕は雑誌の編集長と子どもショーと活動を全て辞め、渡米、渡英しながら、次にやることを模索し、その一つの選択肢として英語留学も考えていて、家具作家にホームステイ先を相談していたのです。といっても彼所有の一軒家に一週間ほど居候してゴロゴロしていただけですけどね。彼の豪邸は心地よかったのです。一人
国公立大学の2次試験中のニュースを見ながら、母に37年前には言えなかったことを話しました。以前、話したような気もするけれど、母曰く「聞いてない」らしい。2次試験で大阪府立大学を受験した日のこと。1つ目の試験は英語。ここまでは順調でした。2つ目の数学が始まったところで、お腹に異変を感じます。当時の僕は朝に排便の習慣はありませんでした。便秘がひどかったこともあります。気づくと3日ほど便通がないことも普通で、試験の日もホテルで排便することはありませんした。しかし、便秘から
「寒の戻り」で寒い日が続いていますが、植物たちは3月が見えているのでしょうか。かなり遅くに土へ入れたチューリップの球根から芽が、ぐんぐん伸びています。そして一面の枯草の隙間から雑草も出てきました。あいかわらず、雑草の名前はタンポポとイヌノフグリ以外はわらかりません。いや、イヌノフグリでさえ、オオイヌノフグリとの区別がつかないなぁ。今年、初めて、ヤギに雑草を食べさせるために移動させました。10年ほど前まで蔵が建っていた我が家の敷地では一番の高台へ。僕が子どもの頃、この蔵は、冬に
僕の席から、右斜め前で視界が入るテーブルにスーツ姿の男性4人組が座っていました。全員20代後半くらいでしょうか。4人それぞれの目の前にはノートパソコンが並び、僕の視界に入る2人の画面上には、チャット、メール、ファイルが同時に浮かび上がっていて、3つの作業を同時進行しているようでした。叩くスピードの早いこと、切り替え画面の早いことと言ったらありません。頭の中はどうなっているんだろう。僕はパートナーとコーヒーを飲んでいました。彼女が化粧室に立った際、ぼーっとしながら、何気なく彼
タグをつけるなら、#戦争、#ジェンダー、#古代ギリシア、#寺山修司などが入るのかな。大好きな音楽劇とはいえ、このワードが続いたら興味を持たなかったかもしれません。「不思議の国のエロス」@新国立劇場。セカイサンポで大変、お世話になった方や、旧知の女優が関わっていたこともあり、どうしても拝見しておきたく……と恩義せがましく綴ったのですが、予想以上の面白さに大興奮でした。積み上がったパイプ椅子が崩れるところから物語は始まります。ギリシア統一をめぐり、アテナイとスパルタとの戦争が長期に渡り
岐阜新聞の神保さんのことを「給食ソムリエ」と呼び、からかうことがあります。岐阜県内の学校を巡り、給食を食べる連載していたことがあるから。その彼女が、「安八町」の給食はレベルが高いと言っていました。先ほど学校給食センター運営審議会にて「喫食」の際、ふと思い出したのです。ちなみに「試食」ではなく「喫食」。なかなか馴染みがない単語ですが、「楽しく食べる」という意味らしい。ということは「喫茶店」は「楽しくお茶を飲む店」というとになるのでしょう。校長先生から給食の時間の話をうかがうと、ま
母の介護がライフスタイルに入り込んで長い年月が経ちました。あいかわらず母子戦争は激しく、振り回されることだらけですが、母から教わることも多い。たとえば、誰に対しても「ありがとうございます」を言うこと。施設や訪問入浴など介護してもらうスタッフには、もちろんですが、家族に対しても必ず言います。トイレの介助を手伝ってもらって「ありがとう」、ご飯を出してもらって「ありがとう」など、「ありがとう」と言われると悪い気はしないんですよね。激しい喧嘩の途中でも、「ありがとう」と言われると、「ま
東海道新幹線はE席、グリーンならD席、つまり、山側の窓際席を選びます。車窓から富士山を楽しみたいから。今週のように天気が悪いと見られないけれど。飛行機の場合はサイトで調べてから。JALのサイトでは路線を打ち込めば、富士山が見える側を教えてくれ、ANAのサイトでは路線で見える景色まで教えてくれます。上空から見る富士山は、様々な表情を見せてくれ、近くを飛ぶ際は、凹凸が感じられ、立体地図を見ているようで、少し離れた場所の際は、敷き詰められた雲から顔を出し、死後の世界を想像させ
「身体が丈夫ですね」と言われることがあります。「おかげさまで」と答えますが、身体の弱い両親から生まれた僕は、子どもの頃、病弱でした。特にアレルギー性疾患と小児喘息がひどく、高校1年生の夏、喘息は、さらにひどくなり、その時、病院で検査したら、スギやダニなど20種類以上の強いアレルギー反応が出たのです。高校卒業するまで、毎週、病院に通い、原因となる抗原を注射する減感作療法(免疫療法)を試しました。この治療法が僕には、あっていたのでしょう。それに加え、温暖な静岡で過ごした大学生
マクロビオティック(以降マクロビと記します)という食事法もしくは思想があります。日本人の研究者が考え、リッツカールトンホテルが採用し、ジョンレノン夫妻やトム・クルーズ、マドンナなどが実践したことで世界中に知られるようになりました。このマクロビを、ブログ企画で1ヶ月間、挑戦したことがあります。陰陽の原理を取り入れた食事、たとえば肉や魚、卵など身体を温める食べ物は陽、トマトやナス、牛乳など身体を冷やす物は陰とわけ、マクロビでは陰でも陽でもない中庸に当たる玄米、雑穀、豆類、海藻類などを
今年初めてトラクターに乗り、田んぼを起こし始めました。どこからともなく鳥がやってきます。大好きな光景の一つ。あいかわらず鳥の名前が憶えられません。「あれ?あの鳥は、なんて名前だっけ」トラクターを止め、スマホで「冬の鳥」、「田んぼに来る鳥冬」などで検索して、鳥の名前を調べています。一旦、トラクターから降りて、近くで確認しようとします。しかし、寄っていくと逃げてしまうので、結局、何でもいいので写真を撮ります。いざ写真を撮っても、稲の切り株が混ざった田んぼと色が、ごちゃ
今年は「龍」の甲骨文字。一昨年、日展にも入選された安八町在住の書家「春煌」さんの作品です。毎年、彼女はカレンダーにしていて、今までは中国の故事でしたが、今年は干支でした。我が家の場合、トイレの壁に貼らせてもらっています。「トイレ?」と顔をしかめられそうですが、一番眺められる場所なんですよね。一日1分としても、一年で6時間、眺めていることになるのですから。座って用を足しながら、春煌さんの文字を眺めている時間は至福。書に縁がない僕は、細かい部分はわからないけれど、筆さばきなどに
「この郵便局、24時間やと」母がテレビ番組を観ながら、つぶやきます。10年ほど前の「ドキュメント72時間」(NHK)の再放送で西新宿の郵便局が取り上げられていました。現在は24時間ではありませんが、その頃までは人生で最も利用している郵便局の一つです。上京してから西新宿に近い地域に住んでいることもあるのでしょう。映像制作のスタッフ集合場所が西新宿(通称「スバル前」)のことも多く、制作スタッフから郵便物を命じられると、この郵便局へ走ったこと、参加していた劇団のスタジオが2駅先
人生で初めて持った名刺に書かれていた肩書は「宣伝担当」でした。昨日、母がネットフリックスで選んだ映画「破戒」を観ながら、ふと想い出したのです。被差別部落出身を隠して教員として働く青年を描いた島崎藤村の作品。どうでもいいけれど、島崎藤村は岐阜県は馬籠の生まれなんですよね。そして、もう一つどうでもいい僕の「宣伝担当」の記憶。1993年の日本映画「愛について、東京」の宣伝でした。上京して間もない20代半ばの頃の話です。丁稚奉公のように出入りしていた映画製作事務所がなくなり、映画
春節休みの人気旅行先で、1位東京、2位大阪、3位北海道、4位京都……そして5位が岐阜と教えていただき、「えっ?」と思わず声が大きくなりました。岐阜県は、毎年、国内の魅力度ランキングが低い(昨年は39位)ので、そのギャップに驚いたのです。高山市はじめ近隣自治体の功績が大きいことは言うまでもありません。1986年の「国際観光都市宣言」以降、多言語やバリアフリーに力を入れ、合掌造り、スキー、温泉など、飛騨が持っている可能性を大切に守り育て、積極的に広めてきたことが大きな要因なのでしょう
お気に入りの台湾料理屋で、壁に向かって座るカウンターで台湾ビールをいただいていると、後ろのテーブル席から女性2人の声が聞こえました。「そうそう、あの地下道に占いの小さな店がいっぱいあってね……」台湾の風水や占いの話で盛り上がっています。おそらく「占い横丁」のことなのでしょう。「まだ、あるんだ…」思わずつぶやき、スマホで調べました。20年以上前、パートナーと彼女の親友たちと台北に行った際、伺ったことがあります。日本人観光客向けなのでしょう。日本のタレントが来店した際の写真が表に
パートナーは「プロ級」、僕は「中級」。渋谷パルコにて行われている「キボリノコンノクイズ型展覧会」にて受けた認定です。木彫り作家「キボリノコンノ」さん。生卵、アーモンド、ヨックモックなど、なじみ深い日常の食べ物を木工でリアルに創ることで知られています。展覧会では彼の木彫り作品と本物が一緒に並べられ、それぞれに番号がふられ、木彫りの作品だと思った番号を紙に書き記しながら進んでいきます。柿の種とピーナッツのかけらが並び、どちらが作品かを選ぶところからスタート。「どっちだ?
「PrayNOTO」から生まれた芽の上に「HOPE」穏やかな太陽光がテーブルに陰を創ってくれます。ガラス造形作家のタクミさん(本阿彌匠さん)から届いたチャリティグラスが美しい。「あっ、タクミさん!」テレビで、お見かけした際、まるで友人かのように母に自慢したことがあるけれど、お目にかかったのは数えるほど。房総半島のガラス工房へ、お邪魔したこと(ガラスが膨らむ光景は今も忘れられません)、銀座の個展に一度、伺ったこと(今もガラスのお猪口を愛用し、今年の1月1日の昼食時もこの
白椿を挿した時は蕾でしたが、1週間ほどの間に花が開きました。この白椿が、我が家の庭に植えられたのは20年ほど前。母が60代半ばの頃です。当時、リウマチがひどくなり、一年ほど施設で療養し、出てきた時、それまで習っていた華道仲間からいただいた樹らしい。30㎝ほどの苗木も、今では僕の背丈以上の高さになりました。南高梅は、昨朝、挿した時は、一つだけ花が咲いていたのに、夜には他の蕾も開いたのです。部屋を暖かくしていたこともあるのでしょう。南高梅は、3年ほど前、お世話になっている先輩の
管理している田んぼの一区画は水はけが悪い。昨秋、稲刈り機械が埋まり、動かなくなってしまった場所は、タイヤが抜け出そうと格闘した後に、大きな穴が残ってしまいました。そこが池のようになってしまったのです。晴れが続き、他の田んぼは乾いているのに、この田んぼの一部だけは大きな水たまり状態のまま。本来、稲刈りが終わった直後にトラクターでおこして、少しでもならしておけばよかったと後悔しています。どちらにせよ水はけが悪い田んぼであることには変わりないので、一度、ユンボを入れて田んぼに縦
趣味に「寝ること」と書いたこともあるくらい、睡眠の時間が好きです。基本的に目覚まし時計は使いません。それでも21時に床に入れば、自然と5時には目が覚めます。それが、このところ6時になっていることが度々。9時間眠っていることになります。母が滞在中は、夜中のオムツ交換もあること、僕も歳を経て眠りが浅くなり、ダラダラ眠っている気もするんですけどね。徐々に増えているので末恐ろしい。そのうち冬眠してしまうんじゃないのかなぁと思うことも。それも、まんざら冗談ではなく、マダガスカル島の
「今の若い奴らは……」という声を聞き、Z世代のことかと思ったら、「新人類」、「バブル世代」と呼ばれた僕も含めた世代に対する批判でした。70代、80代から見れば、確かに「若い奴ら」になるのかもしれませんね。町内のボランティアグループや地域コミュニティなどに参加してくれないとおっしゃっていました。確かに休部、休会の話もちらほら耳にします。一方で新たなグループも生まれています。たとえば、母の顔剃りなどで、お世話になる理容室の店主大野さんが発足した地域の清掃活動グループ「レレレの会」。
あるIT企業の2年ほど前のデータによれば、日本人のスマホの利用平均時間136.4分らしく、そのほとんどがSNSの時間なのだとか。「アップするだけで他人のSNSを全く見ていないでしょ?それじゃ、やっている意味ないよ!」など、あいかわらずSNSに関して叱られることがあります。以前、SNSを開き、「いいね」を押しながらスクロールしていたら、2時間なんてあっという間でした。136.4分のデータも納得です。この計算でいくと一年のうち1ヶ月以上がSNSの利用時間なんだよなぁ。睡眠時間を考慮
久しぶりに自動販売機で缶コーヒーを買いました。前回、購入したのがいつか思いだせないほど。ましてやポッカコーヒーなんて何十年ぶりかもしれません。普段はブラックコーヒーなのですが、時折、缶コーヒーの甘いコーヒーを飲みたくなることがあります。寒い冬の日に温かい甘さが沁みわたっていく幸福感はたまりません。缶のパッケージの顔をじっくり眺め、CMに出ていた柴田恭兵さんの顔を思い浮かべます。あれ?彼の顔をイメージして描かれたんだっけ。いや、缶にsince1972と書かれているから、そんな
母の足となる一日。理容室で髪を切って顔を剃り、回転寿司でデザートまでしっかり食べ、食後にお気に入りのスタバで抹茶ラテを飲み、翌日からのショートステイに備え、漬物と佃煮を買い、最後は本屋へ。本が嫌いだった僕と正反対の母は、子どもの頃から本が好きだったようです。7年ほど前、要介護になった後も、眼鏡をかけないで文字を読むことができると喜んでいました。その後、眼科で調べたら、ほぼ片目は見えなかったんですけどね。しかし、手足が不自由なので本をめくることができません。リハビリでボタ
我が家では亡き父を「パパ」と呼び、母を「母ちゃん」と呼びます。アメリカは「マミー」、「マム」を使うことが一般だけれど、スペイン語も中国語もロシア語も「ママ(マーマ)」だと聞き、日本は、「ママ」と「母さん」が主流と、どこかのアンケートで見かけた気がします。10年ほど前のドラマ「woman」。普段、「お母さん」と呼ぶ子どもが「母ちゃん」と呼び、笑い合うシーンがあります。親しい間柄の人に普段、呼び慣れていない呼び方は照れくさい。我が家でも似たことがありました。小学生の頃、「お母ち