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朝起きたら喉がとっても痛くて、声がガラガラに熱は36,8度私の平熱は36度前後なので若干高めです。解熱鎮痛剤を飲んでの出発です。もともとの予定ではレオンからサリアへは高速で行く予定でした。でもレオナルドさんが「俺は下道を行くぜ!」とわざわざ道を変えて寄り道をしてくれました。見てください。鳥が巣を作ってるでしょう?コウノトリなんです。ヨーロッパではコウノトリは珍しくないんですって雛の鳴き声が聞こえてました。そしてチョコレートで有名なアストルガに実はここにガウディ
『JETSTREAM』作家が描く世界への旅。今週は、俳人・黛まどかの旅行記『星の旅人-スペイン奥の細道-』より、一部編集してお送りします。今夜はその第1夜。作家パウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』に触発され、キリスト教三大聖地の一つと言われるスペイン北西部の町、サンチャゴ・デ・コンポステーラを目指す黛。フランス国境の町サン・ジャン・ピエ・ド・ポーを出発し、800キロ近い行程の中で、残り3分の1の距離まで足を進めていた。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜夏草に道分かれては
レオン⇒アーセボ(ElAcebo)94.7km1998年9月18日(金)快晴、ほぼ無風ビールで失態を喫すアーセボは高山酪農の小さい村。狭い村道は傾斜がきつく、且つ石畳舗道。村のど真ん中でも牛糞で覆われ、石畳はたまに顔を出している程度。千からびたものはいいとして、生々しいものだけは避けるようにして歩くが、自分の両足と自転車の前後輪と計四点に気を付けながら蝿を手で追い払いつつレフジオを探す。レフジオは村の小さい食堂の主人が経営しており、少し離れた畑地に寝室専用
レオン⇒アーセボ(ElAcebo)94.7km1998年9月18日(金)快晴、ほぼ無風標高1507メートルの山越えアストルガの町で巡礼博物館を見学、その後ラバナル村からすぐに登坂路に入る。村の出口で登坂に備え休んでいると、農家の老人が、ポワール(洋梨)を2ケ接待してくれる。ありがたい事だ。四国遍路を思い出す。南無大師遍照金剛。この山越えはやはりすごい。これまでの小生の登山歴は昨夏(1997年)の北海道バイク旅行時に、日本百名山の第一座利尻富士(1719メートル
アストルガ司教館の地下の階は石碑でした❣️20時閉館時の司教館朝の司教館朝の大聖堂
長くいたくなるとこでした❣️
カミーノ24日目。SanMartindelCamino~Astorga朝7時に出発。清らかな夜明けの時間。歩き始めて2時間を過ぎた頃、PuentedeOrbigoという長く美しい橋を渡った。この橋は13世紀に作られたもので、この橋の有名な話を読んだことがあることに私はずっと後で気がついた。1434年。レオン出身の貴族。ドン・スエロ・デ・キニョーネスがこの橋の上で挑戦者たちと次々に戦ったという話だ。きっかけはある美しい女性への失恋だった。その女性の
周囲を広大な小麦畑で囲まれたスペイン・アストルガにあるガウディの作品。とはいえ最上階と屋根は別の建築家が作ったのでガウディが構想してた当初のデザインよりも数メートル低く簡素なファザード。それでも10年ほど前にこの建物のある丘の下を高速バスに乗りながら通過してた時はほんの一部しか見えなかったのにその存在感に魅了された。フランスから初めてバターが伝わり使い始めたのもこの地域で焼き菓子が美味しい。小さな小さな町だけど巡礼の道になってるから日本人にも遭遇
ご訪問ありがとうございます。2019年に、結婚10周年を記念して2週間のスペイン旅行に行きました。昨年綴った思い出話を、今年もまたしばしお付き合いいただけたら嬉しいです◇羽田~バルセロナ『再アップ❣【思い出話~スペイン旅レポ2019】羽田からバルセロナへ』ご訪問ありがとうございます。2019年に、結婚10周年を記念して2週間のスペイン旅行に行きました。昨年綴った思い出話を、今年もまたしばしお付き合い…ameblo.jp
ご訪問ありがとうございます。2019年に、結婚10周年を記念して2週間のスペイン旅行に行きました。昨年綴った思い出話を、今年もまたしばしお付き合いいただけたら嬉しいです◇羽田~バルセロナ『再アップ❣【思い出話~スペイン旅レポ2019】羽田からバルセロナへ』ご訪問ありがとうございます。2019年に、結婚10周年を記念して2週間のスペイン旅行に行きました。昨年綴った思い出話を、今年もまたしばしお付き合い…ameblo.jp◇
バルセロナにいると市内中心地部に言えれば大概ガウディ建築のひとつは目にしてた。彼の作品はモデルニスモ建築日本で馴染みがある呼び名はアールヌーボー建築10年ほど前高速バスで移動していたときふと目にした建築物。あとからそれがガウディ建築だと知った。そのいつもの様相と違い冷たくて凛としたその姿はガウディもこういうデザインするのかと少し驚いた。今回そのガウディ建築を訪れる機会があった。アストルガ大司教巡礼の道に
ご訪問ありがとうございます。去年の今頃は、スペインを旅していました。『思い出話~スペイン旅レポ羽田からバルセロナへ』『【旅の思い出~スペイン2019】羽田からバルセロナへ』ご訪問ありがとうございます。去年の今頃は、スペインを旅していました。結婚10周年記念で思い出の地スペインへ行きたいと思っていたところ、運よく旦那さ…ameblo.jpバルセロナのお次は、私的にリベンジの意味もあった、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ『思い出話~スペイ
ご訪問ありがとうございます。去年の今頃は、スペインを旅していました。『思い出話~スペイン旅レポ羽田からバルセロナへ』『【思い出話~スペイン旅レポ2019】羽田からバルセロナへ』ご訪問ありがとうございます。去年の今頃は、スペインを旅していました。結婚10周年記念で思い出の地スペインへ行きたいと思っていたところ、運よく旦那さ…ameblo.jpバルセロナのお次は、私的にリベンジの意味もあった、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ『思い出話~スペイ
ご訪問ありがとうございます。お盆休み明けの月曜日、初上陸の鶴見で『かさこおもしろお話会~人気占い師ほしみんがかさこを公開鑑定』に参加してきました。かさこ塾に参加する2年ほど前には、既に静岡では名の知れた占い師になっていたという星見さんですが、かさこさんに出会ってから1年足らずで占いで47都道府県を制覇し、その人気は全国区にそして現在までに延べ4000人を鑑定し、今でも全国を飛び回って鑑定をされています。もともと旅好きだったわけではないそうですが、その原動力は、
ご訪問ありがとうございます。細切れスペインレポの続きです今回のスペイン旅では、レオンからアストルガへ行く際と、マドリードからセゴビアへ行く際の2回、長距離バスを利用しました。参考:『レオンからアストルガへ1日観光』マドリードからは、ローマ時代の水道橋が有名なセゴビアへそのセゴビアへ行く際に利用した長距離バスのバスターミナルで、チケット売り場が分かりづらくて困ったので、同じように困る人がいらっしゃるかも?と思って書きました。マドリードには長距
ご訪問ありがとうございます。細切れスペインレポの続きです7月18日にバルセロナからサンティアゴ・デ・コンポステーラへ行った後、20日にレオンへ移動してここでも2泊しました。『Vueling航空でバルセロナ出発~自動化されていたチェックインカウンター』『レオンからアストルガ1日観光』レオン2日目は、ガウディ建築のあるアストルガへバスで向かいました。大通りから少し入ったところ、川沿いにバスステーションがあります。Renfeの駅から向かうと、
レオンま5月23日(水)サアグーンからで世界遺産レオンの大聖堂昨日は、タルダボスからサアグーンまで走った。道路を横断する9センチ大のナメクジ今朝は地下室の保管庫から自転車を担ぎ上げ、いつもより早く宿を出発した。曇天の空から小雨が舞い降り、西の空のみがわずかに茜色に輝いていた。早出したからであろう。徒歩の巡礼者の姿を多く見かけた。彼らは赤や黄色のポンチョを頭からすっぽりとかぶり黙々と歩く。彼らは道路の左側あるいは右側に設けられた巡礼者用の細い砂利道を進む。並行して
2018.6.17朝6時半に宿を出て、アストルガへ向かう。アストルガはレオン程大きくはないが、ガウディ建築やミュージアムなどがあり、結構見どころがあるらしい。昨晩の宿はとても、静かでゆっくりできたが、ほとんどのペリグリーノはこの1つ先のSanMartindelcaminoか、もう1つ先のHospitaldeOrbigoandPuentedeOrbigoに泊まるらしい。今朝は、そのPuentedeOrbigoのレスト
雨が降らなくなったら、今度は灼熱の太陽に焙(あぶ)られることになった。頭から頰に垂らした手拭いを、サンバイザーで押さえ、サングラスという奇妙な格好で走行する姿は、故郷(くに)の人達には見せられない。巡礼者が、急に増えてきた。調子の悪いブレーキをいじっていたら、マジョルカ島から来たという、高校生のグループが、自転車を止めて直してくれた。巡礼道の本を作る旅だと言うと、次はマジョルカ島にも来てくださいと言って走り去った。巡礼道では、老いも若きも、み
山頂部へ巻き上がるように、山を半周した所に、山小屋風の教会がある。横手にケルンを積んだ上に、ひょろりと背の高い鉄のクロスが立っている。長い間、対面したいと思い続けていた巡礼の標(しるし)だ。これまで、何度もサンティアゴ街道を歩きながら、この地点に立ったことはなかった。今回のような苦しい旅をして来た後だけに、感無量である。今まで、何千何万の巡礼が、ケルンを積んで祈ったことだろう。何十何百の命の重みや生の深さが、漢方薬のようにじわりと、胸に染みてくる。
標高1504mにあるフォンセバドンの村は、廃野が並ぶ中で、2軒のBarが営業していた。宿泊も出来るらしい。急に空白を覚えて、土産物などを置いている方へ入る。食事が出来るかと聞くと、「自転車なら、1時間もかからないから、20km先のモリナセカまで行った方がいい」とオスタル(民宿)を紹介してくれた。旧道の裏手は、車道の増幅工事が始められている。間もなくここも観光名所になるのだろうか。打ち捨てられた鉄のクルスに心が残る。
ラバナル峠(1970m)を越す頃は、もう瀕死の状態。カラカラに乾いた空気が、アスファルトを弛めて車輪が回る毎に、引き剥がす力を余分に消費しなければならない。荷物を自転車ごと、放り出したい衝動にかられるが、何から順に?水、非常食、着換え、持病薬、貴重品、辞書、携帯電話、手帳、地図、雨具、ナイフ、笛、磁石、裁縫セット、化粧品、ライト、洗剤、ロープ、ピンチ、セロテープ、風呂敷、手拭、ティッシュ、ルーペ、折り紙、小さな贈り物…どれ1つ、捨てられないものばかりだ。
車道に沿っていた道が、畑道になり、次第に、標高が上がっているのがわかる。難所のイラゴ山越えに差し掛かったようだ。ラバナルの手前の巡礼教会の庭で休憩し、オレンジを食べていると、警官が数人来て何かを待っている様子。恐る恐る坂を上ると広場があって、村人が集まり、テレビ車などもいる。何事かと聞くと「チャンピオンが来る」と言う。「SIMANO」と書いた車が、3台の自転車を乗せて通り過ぎた。間もなく先頭集団が走ってきて、最後の選手が走り抜けるのに30分以上かかった
朝食を取りに行くと、日本人の先客がいた。この旅手で出会った初めての日本人で、横浜から来たというOさん夫妻。数ヶ月かけて巡礼道を、気まゝに歩いているという。このホテルは安い宿だが、女主が気持ちのよい人だった。現在は、巡礼博物館になっている旧司教館は、ガウディ建築の1つだ。当時はあまりにも奇抜なデザインを恥ずかしがって司教さんが、すぐ隣りに、もう1つのカテドラルを建てて、引っ越してしまったのだと聞くが、外観も内部もとても美しい。ローマ時代に栄えた町は
帆立貝を杖に付けて歩いている巡礼者がうようよ巡礼者が観光の為に立ち寄る場所がカテドラルだ11世紀から建て始められ、15世紀に立て直し、18世紀まで増改築が繰り返し行われてきたカテドラルは、ルネッサンス、バロック、などの様々な様式がみられる建物だ石の色が違うのは、リスボン大地震の影響で崩れてしまったため別な石で再建した為なんだそうだ尖塔のてっぺんに帽子を被った男性の像があるのに気が付く独立戦争の時にフランス軍に包囲されている
アストルガの手前オスピタルデオルビゴには、ロマネスクの長い石橋がある。15世紀騎士キニョーネスが、この橋の上で、道行く人に決闘を挑み続けたという伝説があり、“ドン・キホーテ”の元になったとも聞く。エルクルセロ「トリビノのクルス」まで走ると、そこからアストリアの町が、眺望できる。目標がはっきり姿を現すと、現金なもので身体の方が先に反応する。駆け下りてホテルガウディに直行したら、満員で断られた。次のホテルも満員で、慌てたが、やっと一軒のホテルを見つけた。
アストルガにはガウディが手掛けた司教館があるとは言っても、最後までガウディが手掛けた建物ではないのだがガウディらしい建物に仕上ってしまっている当初のガウディのデザインは斬新的なものだったから保守的な司教様方のお好みには合わなかったのだろう衝突の挙句、ガウディは製作を止めてしまい、その後は他の建築家が後を引き継いで完成させたのだが・・・ガウディっぽい(笑)結果、司教様方はお住まいになることはなかった現在は、巡礼博物館として
レオンを出る前、銀行に両替に行き、ちょっとしたアクシデントがあった。入店する時、出て来た男性と肩が触れ、カード類を入れた財布を落とし、そのまゝ行ってしまった。とっさに声が出ず、スペイン語も達者でない私は、窓口で、両替のお金と一緒に差し出して「男がボンッと当って、落したまま行ってしまった」と身振り手振りで伝えると、警戒した表情が緩んだ。私もそのまゝ出てきたが、持ち主に返っただろうか?町を出て、3km程で坂の上のトラバホデルカミノに着く。ワイン