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みなさんこんにちは、西光寺住職です。インドがなにもかも強烈すぎて、すっかり更新が遅れてしまいました。住職はあれから無事に福間先生ご一行とコルカタで合流して、あっという間にブッダガヤー、王舎城、霊鷲山、ベナレス(Varanasi)とご一行との旅は終わってしまいました。その後私はデカン高原のアウランガーバードという街に来ました。この街を起点に、エローラ、アジャンターという石窟寺院を見学してきました。それはもう言葉にできないほど素晴らしいものでした。17年前にムンバイまで来たのに時間がなくて来られ
5番110620231時間遅れで無事にアウランガーバードに到着本来なら早朝4時15分着予定だったけどいやでもちゃんと乗れて、たどり着けてよかったよー早朝に到着することはホテルには伝えておいたので、そのままホテルへまぁ高級ホテルでもないので、あるあるだけど、もちろん到着することは伝わっていなかったHotelHolidayera駅目の前で一番安い所1,043円フロントには若いおにーちゃんがわりとガチで布団ひいて寝ていた悪いが(こっちは伝えたし・・・)起こして対応
<20日目>2012年3月14日(水)晴れ下のレストランで昼食。ミックスジュースぬるいけど美味しい♪サンドイッチはイマイチかな・・・歩いて日帰りツアーの集合場所へ。途中、日本人の女の子と遭遇。ネットカフェへ行く途中だったらしい。集合場所からバスに乗った。ツアー参加者は10人くらいだった。ガイドは英語でわかりやすい。バスの隣に座ってたおじいさんが不思議な人だった。一言も喋らない。全身白い服でグレーのベストを着て、革靴に革鞄。Ipod聞いてて帽子かぶってる。目が
<19日目>2012年3月13日(火)晴れ7:00にアウランガーバード着。歩いて列車の駅へ。遠すぎ!両替できないとホテルにチェックインできないから、ホーム内で時間を潰す。駅前のちょっと賑やかなところに両替所発見。200ドル分両替した。その同じ通りにレストラン併設している綺麗そうなホテルがあったから、そこに入って部屋を見せてもらった。このところいいホテルに泊まってないし、少し奮発してもOKかなと思って、1泊1100ルピーの部屋にした。ホテルのオーナーさんが、明日のエロ
いつもご覧頂きまして、ありがとうございます。オフィス典の坂本です。今更ながら、2019年のインド旅をアップしています。その理由はこちらから。2021年になりましたが、引き続き更新してまいります2019年のインド旅&ヨーガ旅エローラ石窟群のあるアウランガーバードには、もう一つの見どころがありまして、、エローラの翌日に向かったのは、アジャンタ石窟群です。アウランガーバードのバスターミナルから、エアコンバスに乗って行きましたよ~。ききすぎるエア
いつもご覧頂きまして、ありがとうございます。オフィス典の坂本です。今更ながら、2019年のインド旅をアップしています。その理由はこちらから。2021年になりましたが、引き続き更新してまいります2019年のインド旅&ヨーガ旅エローラ石窟群の、仏教窟、ヒンドゥー教窟、今回の記事のジャイナ教窟という順でブログを書いていますが、実際訪れる時は、ヒンドゥー教窟を最後に見るのがおススメと言われています。私は、そのヒンドゥー教窟第16窟カイラーサナータ寺
いつもご覧頂きまして、ありがとうございます。オフィス典の坂本です。今更ながら、2019年のインド旅をアップしています。その理由はこちらから。2021年になりましたが、引き続き更新してまいります2019年のインド旅&ヨーガ旅エローラ石窟群の見どころと言われているのがヒンドゥー教窟の第13から29窟。その中の第16窟カイラーサナータ寺院は見事でした第16窟カイラーサナータ寺院シヴァ神様とパールバティ様ラクシュミー様がお美しい
いつもご覧頂きまして、ありがとうございます。オフィス典の坂本です。今更ながら、2019年のインド旅をアップしています。その理由はこちらから。2021年になりましたが、引き続き更新してまいります2019年のインド旅&ヨーガ旅ムンバイ(Mumbai)で一泊し、次なる目的地のエローラ石窟群とアジャンター石窟群にいく為に、アウランガーバード(Aurangabad)へ列車で向かいました。始発なので余裕をかまして写真を。。インドの列車に乗るのは、けっこう大
クイズ次の2枚の写真のうち世界遺産タージ・マハルはどちらか正解は後半に!インド旅インドへ旅したのは2016年5月。友人と2人旅でした。アグラ、アウランガーバード、ジャイプール、デリーを1~2日ずつまわるという弾丸旅。空路とホテルは自分たちで手配し、陸路は現地の旅行会社に手配をお願いしました。ビザ申請の段階で躓き(ビザ申請のために有休を3回取得しました)、きちんとインドの洗礼(=お腹を壊す)も受け、いろんな意味で刺激的な国でした。「インドに比べたらマ
1996年9月2日インドアマダバード13時頃アマダバードに到着。バススタンドに着くなりリキシャーの運転手がワラワラと寄ってくる。予め、歩き方で調べていた安宿ApurdorGuestHouseに宿を決めていたので「そこへ行ってちょうだい」とリキシャーの運転手に言う。最初は「OK!」と言って出発するも途中で「名前が変わった」とか「もう潰れた」とかあからさまなウソを言い自分にマージンの入る宿へ勝手に方向転換しようと
1996年9月1日インドアウランガーバード↓アマダバードとりあえずアウランガーバードの宿に帰り着く。またいつものクセでもう別の町へ移動したくなり駅へ向かう。…が、今日、日曜日は列車の予約が出来ない。それならばと、バスでアマダバードへ移動することにした。今日16時30分発の夜行バスに乗り込む。料金は220Rs(約660円)結局バスは19時頃に出発。エアコンは付いてないが一応はデラックスバスに属するらしい。
1996年8月31日インドアウランガーバード16時頃バスがやって来てアウランガーバードへ向けて出発。20時頃アウランガーバードのセントラルバススタンドに着くが辺りは真っ暗で、自分のいる場所が把握出来ない。地図を見てもラチがあかないのでバススタンドにたむろしていたオートリキシャーの運転手にお任せで近くの宿へ行ってもらう。着いた宿はグリーンパークホテルダブルルーム100Rs(約300円)24時間チェックアウト制
1996年8月31日インドマンマード・ジャンクション↓ジャルガオン↓アジャンター朝6時頃コンパートメントの全員が起き出し仕方なく、おれも起きてBerth(寝台)を折りたたむ。マンマード・ジャンクション駅にしばらく停車。その間、ホームに降りて路上オムレツ屋で、出来たてのオムレツを朝食にする。マンマードを出て約2時間後11時頃ジャルガオン駅に到着。駅から2㎞くらい歩いてバススタンドへ向かいアジャン
■3日目昨日からの雨が降り続いている。今日は午前中に世界遺産『エローラ』の観光を終え、14:35発のムンバイ行きの電車に乗り一泊、翌朝にはコロンボへ飛ぶというハードスケジュールが待っている。8:30にパッキングを済ませ、バックパックをフロントに預け、昨日と同様オートリクシャーでバスターミナルに向かう(Rs.50≒80円)。エローラはアジャンタ―に比べればアウランガバードからは近く、バスで40~50分ということで、オートリクシャーをチャーターして回る手もあったが、ここはバックパッカーらし
■2日目(アウランガバード~アジャンタ日帰り)昔、インドを旅していた頃は当然貧乏バックパッカーだったので、寝台列車はAC無しの3段ベッドの3等車がいいところで、下手すれば無座乗車で地元民に混じって床に座って何時間も耐え忍んでいたのが懐かしい。今や、快適なAC付き2人コンパートメントの1等車両(A1)の中である。面倒くさい物売り来ないし、チケットも持っていない地元民が平然と乗り込んでくるよなこともなく、ゆっくりと寝れる。車内は少し肌寒かったが、Dadar駅でカレーを食べていたのですぐに眠気
ANAのマイレージの有効期間が迫っていたので、どこか夏休み一週間ぐらいで飛べそうな場所を探していたところ、ムンバイまでならチケットが取れそうなことが分かった。ムンバイ経由でトランジットできる都市を検索して、レ―(ラダック)、ナイロビ(ケニア)と悩んだ結果、スリランカに決定!一週間ちょっとしか時間とれないし、近場にすればムンバイのトランジットで念願のアジャンタ、エローラの遺跡が見れるということと、カレー好き兼激辛マニアの私にとっては、インド南部やスリランカのカレーが毎日食べられるというのは幸
アウランガーバードから、明けましておめでとうございます🎍ホテルの外で&中から大騒ぎしてます一日中エローラで過ごしてガラディナー&持ち込みの日本酒で宴会酔っ払いは寝てたけど、しっかり「新年」に起こしていただきましたー人間ってすごいねーでも寝かせて。あ、終わった。
アウランガーバードから「エローラ遺跡」へのオススメの行き方を紹介します!http://fitness-engineer.tokyo/2018/12/14/%E3%80%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%91%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%A1%8C%E3%81%8D%E6%96%B9%EF%BC%81%EF%BC%81%E5%BF%8
ムンバイのCST駅で長距離電車のチケットを買い、ムンバイから350Km離れた「アウランガーバード駅」まで7時間かけて移動しました!CST駅の日本人専用窓口がどこか迷った人はぜひ参考にしてください!http://fitness-engineer.tokyo/2018/12/09/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E9%89%84%E9%81%93%e3%80%80%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%80%8C%E3%82%A8
大型自動二輪教習3日目終了。第1段階、かろうじてクリアできた。初日の浮き浮きから打って変わり真剣勝負の連続が続きます。(不思議な写真)以前訪れたインドアウランガーバード駅(ムンバイから北東へ350km)樹齢600年の菩提樹(BanyardTree)白い丸い玉(妖精?)が写ったかも。(中央右側の高さ2mぐらいのところに)(1)大型自動二輪第1段階苦戦中。第1日、第2日、第3日。本日、第1段階のみきわめ試験を迎えた。
自力でどうにかインドの世界遺産<エローラ遺跡><アジャンタ遺跡>に行ってみたいと思い、電車で行ってみました!チケットを買うためにまずはCST(チャトラバティ・シヴァジー・ターミナス)駅2階の外国人ツーリスト向けのチケット販売所に行きました!明日はこの駅CSTからは電車が満席で、Dadarという駅から2等席でよければ空いてるからそれでいい?と言われ、2等席だいじょうぶjかな。。。という不安もあったが購入!帰りは寝台列車をオーダー!しかし、エア
2018年2月24日~3月3日の日程でムンバイ@インドに行ってきました。空港を降りてまずやることと言ったら☆ATMで現地通貨を引き出す☆現地SIMを購入するだと思いますが、ムンバイ空港にはちゃんとATMとSIMの買えるお店がちゃんとありました。しかし、、、30日で3000ルピー!!!!高い!!ほかにも他社のSIMが手に入らないか調べましたが、少なくとも空港内にはありそうもありません。保険だと思って買いましたAirTelのSIM!自分のSIMフリーiPhoneで問題なく動
マインドブロックバスターによるブロック解除とは、掘り下げをせずに、片手に軽く触れるだけで、潜在意識にある、あなたの悩みや問題を引き起こすブロックのイメージを読み取り、解除のイメージに入れ替えていく、セラピーです!お申込はこちらどもあらゆる世代の美と心のブロックを解除する京都マインドブロックバスター永井和美(ずうずう)デス。昨日見たアジャンタは仏教の石窟院しかありませんでした。今日のエローラは、5世紀から7世紀が仏教、8世紀から9世紀がヒンズー教、10世紀以降はジ
マインドブロックバスターによるブロック解除とは、掘り下げをせずに、片手に軽く触れるだけで、潜在意識にある、あなたの悩みや問題を引き起こすブロックのイメージを読み取り、解除のイメージに入れ替えていく、セラピーです!お申込はこちらどもあらゆる世代の美と心のブロックを解除する京都マインドブロックバスター永井和美(ずうずう)デス。オウランガバードにはミニタージ・マハルと呼ばれるビー・ビー・カ・マクバラーがありマス。ん?確かにタージ・マハルにそっくり。アグラにある
ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブ(1618年-1707年)の質素なお墓があり、イスラム・スーフィーたちのお墓が多く立つ、静かにして夢幻に微睡む様なマハーラーシュトラ州、アウランガーバード県の邑(むら)フルダーバード。アウラングゼーブの質素な墓は、綻び始めたムガル帝国の基盤を、一気に崩れないよう贅沢を諫めた範であるかの様にも思われます。権勢誇示はやがて勢いをなくし、また、新たな権勢を追求するものが、古き衣服来た権勢者をうわばみの様に、徐々に飲み込んで行くものの様に感じられます。これが、現代と言
デリーからアウランガーバードまでは1000km以上、現在ならジェット機で1時間強。その昔、遷都の際、この道程(みちのり)を、多くのデリー住民は歩いて移動させられた後に、遷都終了後また、デリーへ歩いて戻り、戻って来た頃、デリーの町は荒廃していた、と聞いております。絶対的と言って良い権力者への権力集中の一つの極限であったのかと思います。ダウラターバード要塞と手前にあるのはモスクの塀に囲まれたヒンドゥー寺院Bharatmata。ダウラターバードはデカン高原にありデリーから約1000km離れています。
独楽遊びの少年2014年7月5日にインドのマハーラーシュトラ州、アウランガーバード県フルダーバード(Khuldabad)で撮影。有名な石窟寺院群アジャンタ・エローラはこの町の少し北にあります。フルダバードで一人独楽遊びの少年。中世のスフィーたちとムガール帝国第6代皇帝アウラングゼーブ(1618-1709)が眠る静かな町で、遊びに興じていた少年が、掌(たなごころ)の上で独楽遊びをして見せてくれました。栄枯盛衰のムガール帝国歴史上の分岐点を感じます。Aboyshowingmethet
ムンバイから南東へ200km文教都市プネー1000年以上の歴史を持つ町ですが17世紀までは交易路上の小さなバザールの町に過ぎませんでしたムンバイから4時間かけて250ルピーで州営バスに乗せてもらって到着✨(=゚ω゚)ノイギリスがインド侵略を図った時にはインドで最も強力な相手となるほど勢力を拡大していました( ̄(工) ̄)1819年にイギリスに滅ぼされた後意識の高いプネーの人々はイギリス文化を貪欲に摂取しインドの社会的指導者達を排出していきますインドのオックスフォードと言われ