ブログ記事264件
今回は香港の鉄道に関する話題をお届けします。香港MTR(港鐵)が運営し、香港の郊外(新界エリア)を走る輕鐵(軽鉄・ライトレール)で活躍する「第二期電車」ですが、導入から30年が経過し廃車が進められていましたが、近日中に全ての車両が引退することになりました。香港島を走る二階建てトラム(香港電車)とは違い、屯門や元朗地区などを運行する輕鐵の車両ということで観光客などが触れる機会は少なかった車両かと思いますが、日本の川崎重工で製造され、香港の英国領時代から中国返還の両方の時代を経験し、今も昔も
昨日知ったのですが、銀河ラストシーズンはランボード、キャブ下、テンダーの縁に白線の入った4年前の出で立ちになると言うことらしい。車体の飾りは現役時代はさよなら運転の時くらいにしか使わなかったので、本当にさよならなんですね。仕方ないことです。私もいつかこの世を去るときが来るのですが、それにそなえて執着をなくそうと思ってすごしています。もう頑張れないかもしれないと思う日々です・・・SL銀河です土沢発車、大雨の日の試運転でした。
22年前の1月27日、東京は朝から一面の雪景色でした。この日は東急世田谷線で80形「さよなら運転」があり、雪が止むことを願いつつ沿線に向かいました。(2001.1.27松陰神社前〜若林)しかし雪は降り続き世田谷線のダイヤは乱れ始め、80形も大幅に遅延しつつ走行。かじかんだ手でシャッターを押しました。(2001.1.27松陰神社前〜若林)折り返し電車の前サボは「上町」を掲出しており、どうやら運転打ち切りとなったようでした。(まぁ、寒さに耐えられず、いずれにせよ退散を決め込んでいま
直流区間の至るところで見られた165系列も次第に活躍の場を狭め、急行「赤倉」が165系最後の定期運用の急行でした。(1997.3新潟駅)急行といえど僅か3両編成の都落ち車両でしたが、この頃になると湘南色の大目玉ライトは稀少でした。急行「赤倉」は、1997年10月の北陸新幹線長野暫定開業を機に廃止、併せて上沼垂運転区の165系も消えました。(1997.3新潟駅)JRで最後に湘南色の165系を見たのが2003年6月です。新前橋電車区の165系を使い関東各地でイベント運転を実施し、最後
車内です。さよなら運転当時の面影が残っていました。懐かしい谷津遊園の広告が。車両は、1980年にローレル賞を受賞した名誉ある電車でした。
記事としては2日遅れですが、10/23にキハ281系がラストランで札幌~函館間を走ったそうで写真は2014年撮影の再掲載ですが備忘録として撮影は2014-09-13-14「スーパー北斗」ととして28年間にわたり函館~札幌間を走り22日、23日にさよなら運転を行ったようです。
そんなわけで、習近平の発言を読むと中国はやっぱりどこかのXデーで台湾軍事侵入するんだろうと思ってる召使1です。あるとすれば、5年後の共産党大会までの間なんじゃないのかと思いますが、ロシアのウクライナ侵略もそうですが、最近よく思うのですが、こんな銀河系の中のたった1つの星の中で、なんで人類はこんなに歴史も学んできたのに、いつまで争い続けるんだろうと。もっと人類が抱える問題にそのエネルギーを向けないと、そう遠くない未来に、この星で人類は生きていけない時が来るような気がするんですけど、ま、その未来が
(博多への特急は残り2本)これまでの旅路『【目次】2022/9/22〜9/24いい旅!西九州きっぷ』(ついに開業!)西九州新幹線の旅は,佐賀以西(唐津線・筑肥線除く)のJR線が2日間,特急も含めて乗り放題となる「いい旅!西九州きっぷ」を軸として行いました.…ameblo.jp『2022/9/22第1章その1長崎への長い道かもめ37号』(西九州の盛り上がりは九州全体の盛り上がり)大変お待たせいたしました.それでは長ケープ長崎への旅を始めることとします.記事一覧は以下にまと
(西九州の盛り上がりは九州全体の盛り上がり)大変お待たせいたしました.それでは長ケープ長崎への旅を始めることとします.記事一覧は以下にまとめておきます.『【目次】2022/9/22〜9/24いい旅!西九州きっぷ』(ついに開業!)西九州新幹線の旅は,佐賀以西(唐津線・筑肥線除く)のJR線が2日間,特急も含めて乗り放題となる「いい旅!西九州きっぷ」を軸として行いました.…ameblo.jp長崎への行き方西九州新幹線と引き換えに,長崎本線を経由する特急「かもめ」は9/
1970年の平和島駅です。停車中の1000形は、非冷房、手巻方向幕、保護棒など時代を感じます。1985年の弘明寺駅です。マリンパーク号のヘッドマークを付けた快速特急、油壺のマリンパークへは何度か行きましたが、あまり記憶に無いんです(^^)2010年6月、いよいよ1000形が終焉を迎え、大師線に「ThankYou1959-20101000」の文字入りの種別板が付きました。(2010.6.13京急川崎〜港町)まあ、最盛期はよく揺れる車両だったので、さほど思い入れは強く無かったです
(元は鉄道の要衝)これまでの旅路『【目次】2022/3/19〜20みんなの九州きっぷ』(旅の出発地新山口駅で待機する227系)2022年春季には多くの旅に出てきました.が,実はもう1個あり,その第1弾が「みんなの九州きっぷ」を使用したこの…ameblo.jp『2022/3/20その1415系から見る桜島・吉松への道』(日豊本線から見る桜島)これまでの旅路『【目次】2022/3/19〜20みんなの九州きっぷ』(旅の出発地新山口駅で待機する227系)2022年春季には多…
(いよいよ最終章へ)これまでの旅路『2022/5/5第2章その1富山の路面電車』(行き交う路面電車)当ブログでは「【旅行記】2022/5あいの風413系」の連載を続けてきましたが,いよいよ最終章となりました.当然ですが富山にいるという…ameblo.jp旅行実行から約2ヶ月弱,長らく連載しておりました「【旅行記】2022/5あいの風413系」もいよいよ最終記事となりました.最後は富山駅で「ありがとう413系新北陸色ラストランツアー」列車を追いかけるだけです.まずは通過シ
五能線の広戸~深浦です。五能線のSLさよなら運転の時の8620です。混合列車でした。SL銀河過去景2015年よりやはりこの年2015年はライトに違和感を感じた年でした。写楽
1978年4月、京急で山深い場所での撮影地を探しました。とりあえず京浜田浦駅で降り、トンネルを抜け横須賀線がアンダークロスする地点でカメラを構えました。浦賀行きはノーシルノーヘッダーの420形更新車でした。末期に川崎〜逗子間の急行に何度も乗りましたが、廃車は1981年と早かったです。本日の主役登場です。230形の全廃に伴う「さよなら運転」で、品川から久里浜工場までの往復運転を追いかけました。この撮影地点へは久しく訪れていませんが、Googleで沿線画像を見ると大変貌しています。本当に
(まさかの光景に)これまでの旅路『【目次】2022/5/4あいの風とやま鉄道413系「新北陸色」引退記念列車乗車』(さよなら運転であることを考えなくても良企画)当ブログで最近「413系」がプチ特集化している状態となっていますが,西日本の西端の山口県在住の筆者がついに「西…ameblo.jp『2022/5/4第2章その2さよなら運転当日の413系車両内外の様子』(老朽化は隠せない)これまでの旅路『【目次】2022/5/4あいの風とやま鉄道413系「新北陸色」引退記念列車乗車
(老朽化は隠せない)これまでの旅路『【目次】2022/5/4あいの風とやま鉄道413系「新北陸色」引退記念列車乗車』(さよなら運転であることを考えなくても良企画)当ブログで最近「413系」がプチ特集化している状態となっていますが,西日本の西端の山口県在住の筆者がついに「西…ameblo.jp『2022/5/4第2章その1富山貨物駅を車窓で見学』(いよいよ出発)これまでの旅路『【目次】2022/5/4あいの風とやま鉄道413系「新北陸色」引退記念列車乗車』(さよなら運転で
『えちごトキめき鉄道』のまずは「妙高はねうまライン」へ。455系のカンメインで狙いますのでこちらから……2022.5.4ET127系(ET127-5)2022.5.4ET127系(クモハET127-1)2022.5.4ET127系(ET127-5)2022.5.4クハ455-701「赤倉」すぐに折り返して来ますので、少し立ち位置を変えて2022.5.4クハ455-701「赤倉」次はこちらの列車も「日本
あらためまして、おはようございます。35年前の今日は680系さよなら運転がありました。ピンボケ写真の上にトリミングしたので、たいへん見づらくはなっておりますがm(__)m下のリブログの写真は鳥羽駅ホーム上の跨線橋から撮影したものです。鉄道ピクトリアル「近鉄特急」特集の車両解説にもありますように、晩年は志摩線用の普通列車として活躍しましたが、もう一編成は旧塗色でありましたマルーン色のままでした。
(さよなら運転であることを考えなくても良企画)当ブログで最近「413系」がプチ特集化している状態となっていますが,西日本の西端の山口県在住の筆者がついに「西日本の東端の富山県に最繁忙期に向かう」このような行動をとることになりました.筆者は,5/3の「一万三千尺物語2号」5/4の「あいの風とやま鉄道ありがとう413系【新北陸色】ラストランツアー」に乗車しました.5/5にもえちごトキめき鉄道の413系に乗車しているほか,「とやま絵巻」にも乗車できましたので,1つの旅程で当時現役の413
2006年、東武最後の吊り掛け駆動車となった、新栃木区の5050系「さよなら運転」がありました。当日の運用は新栃木から東武日光までの1往復で、往路は乗車し東武日光駅で撮影しました。いつもの煤けた車体でなく、入念な洗浄が伺えました。(2006.12.16東武日光駅)6050系と並ぶ5162編成、今度は6050系が終焉を迎える番になりました。(2006.12.16東武日光駅)復路の走行を板荷周辺で狙いました。板荷には78型、57型と何度訪れたことか・・・(2006.12.1
2004年、小田急初の20m車として登場した2600形の廃車が進み、最後の1編成が旧塗装化されました。6月に「さよなら運転」が新宿〜小田原間で運転され、参宮橋駅でお手軽撮影をしました。(2004.6.5参宮橋駅)正直なところ、この旧塗装の時代は記憶がありません。(幼少期に家族旅行で箱根に行った時に見ているはずですが・・・)(2004.6.5参宮橋駅)こちらは2600形とほぼ同一車体の5000形です。2012年の全廃までいわゆる「小田急顔」を引き続き見ることができました。(2
紀勢本線でのサヨナラ運転のEF15とEF58になります。この高台に最寄り駅から歩いて登りましたが撮影機材も重く登山してる感覚になりました。次位機がこのサヨナラ運転の際に原型のヘッドライトに戻された竜華機関区で最も人気の高かったであろうEF5866号機になります。撮影地失念61.3月の紀勢本線にて
今回は、久しぶりに「○年前の今日」シリーズです。6年前の今日(2016年2月28日)、京成電鉄AE100形が引退、さよなら運転が行われました。さよならAE100形skyliner1990.6.19~2016.2.28」と書かれたヘッドマークを掲出したAE100形を見送りました。京成電鉄AE100AE形スカイライナーさよなら運転ラストラン撮り鉄鉄道
まな急の12系客車は、全て中古で単品を買い集めたものですので、メーカーもロットも混在しています😅この時からはKATOが2両増えて7両、TOMIXが2両で計9両が在籍していました☺️以前はさほど、というかほとんど気にならなかったのですが、ある日突然KATOとTOMIXの色味の違いが気になり始め、少数派のTOMIXについてはとりあえず手放すことにして、10日ほど前にメルカリとPayPayフリマに出品しておりました😅すると昨日PayPayフリマの方で無事買い手さんが決まりまして、先程軽くさよなら
六郷土手という京急らしい垢抜けしない駅名が良いですね。昔も今も京急の車両撮影には欠かすことのできない駅です。1978年4月、230形「さよなら運転」も六郷川橋梁で撮っています。当日、ここでの撮影者は私だけ、今なら大混雑でしょうね。2003年、本線から数を減らした1000形も撮っていました。2008年、「ありがとうギャラリー号」も六郷土手で記録しています。70系新潟色に似た旧塗装のラッピングですが、この色は旧型車にこそ似合う気がしましたが・・・2018年に旧塗装に戻った800形片開き
福井鉄道で最後まで残った吊り掛け駆動(141編成)の運行終了に伴う、さよなら運転がありました。先ずは日野川に架かる橋梁で撮影です。(2006.10.14家久〜サンドーム西)当日、武生新から神明までの2往復のうち片道は乗車とし、重たい吊り掛け音を堪能しました。(2006.10.14神明駅)全く形態の異なる車両同士(名鉄・長電)の編成が、いかにも福井鉄道らしいです。最後に走行を撮って終了。今の福井鉄道は200形も淘汰され、全くつまらない車両ばかりとなってしまいました。(2006
今日はニューヨーク地下鉄のR32型電車のラストラン。1964年から使用され、58年の運用に幕を閉じるとのこと。こどもにまたもや叩き起こされ、乗ってきました。マンハッタンの96StとブルックリンのBrightonBeach間を、Q線急行運転で4往復。流石に最後の最後に乗るのはこどももいたので、朝の便に乗車(そもそも、予約いるのかどうか確認もしていないのと、アメリカの鉄道好きの人がどのくらいいるのか全くわからず、乗れなかったら諦めよう・・・と思っていましたが、混んではいたものの、普通にいけま
流鉄2000形(旧西武701系)の「さよなら運転」に出かけました。長らく健全経営で、老舗個人商店のようでしたが、つくばエクスプレス開業で様変わりしました。(2009.4.29鰭ヶ崎〜平和台)つくばエクスプレス開業の影響は甚大で、3両編成は輸送力過剰といえます。2000系も3両編成から廃車が始まりました。(2009.4.29鰭ヶ崎〜平和台)こちらの2両編成も2000形でしたが、2012年で運行を終えました。(2009.4.29鰭ヶ崎〜平和台)
国鉄最後のさよならSL旅客列車(室蘭>岩見沢)自動車で追っかけましたよく事故が起きなかったのが不思議でした。