山下和彦は柳ヶ浦高では3年次の1980年に夏の大分大会で決勝に進むが、大分商に敗れて甲子園出場を逸し、高校卒業後は1981年に新日本製鐵大分へ入社し、1984年の都市対抗に控え捕手として出場し、日本通運との1回戦では代打で適時打を放つなど活躍し、準々決勝に進出するが、この大会に優勝した日産自動車に惜敗し、同年ドラフト4位で近鉄バッファローズに入団し、1987年は116試合に出場し、1988年は自己最多の117試合に出場し、1989年には規定打席未満ながら自己最高の打率2割6分2厘、自己最多の20