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※過去の記録を元に書いています。時々、記憶が曖昧な部分があるのはご了承ください2020.6.2023w3d長い長い、1日のはじまり。。。入院した日の夜中、お腹が何度も張るので、ナースコールをし看護師さんを呼び、リトドリンを一錠追加してもらった。翌朝、回診に来た院長先生が、ウテメリンの点滴をするようにと指示をしてくれて、点滴開始。1時間ほど経つと、少し張りがおさまったような気がしてきた。感染の数値も低くはないし、2〜3日の入院のはずだったが、少し長引くかもしれないと説明を受ける。
※過去の記録を元に書いています。時々、記憶が曖昧な部分があるのはご了承ください大学病院に搬送が決まり、まもなく救急車が到着した。旦那さんに部屋の荷物をまとめて来てもらった。看護師さんたちに「頑張れー!」と励まされながら見送られ、泣きながら担架に乗せられ、救急車に運ばれた。なんだか、とんでもなく大変なことが起こってしまった。自分の身に起きていることという実感がなく、夢を見ているみたいだった。高速を走行する車内がガタガタと予想以上に揺れる。この揺れで陣痛が来てしまったらどうしよう
療育手帳の申請をすることにした!…ってブログに書いてましたっけ?そう考えた経緯やらを記録しとかな!と思いつつ夏に息子の様子がおかしくなり秋から毎月入退院を繰り返してるのでバタバタしすぎてて何から書けばいいのやら…とりあえず療育手帳を申請しようと思ったのは3歳になった4月に発達検査を受け5月に主治医と面談6月に発達障害の専門医に診てもらい(初)そこで療育手帳について話を聞いたからです。その当時にブログにアップしようと思いつつ保留していた内容がコチラ↓K式発達検査をし
月曜日はK病院にて午前中は内分泌午後は側弯外来がありました。久しぶりに家族4人でK病院。ランチは【うまや】にしたいなぁと前日からワクワクしていた私です。11時からの内分泌の前に側弯外来用のレントゲン撮影へ。レントゲン撮影は、毎回トト父さんがレントゲン室に同行しトトさんのフォローをしていたのですが、なんと今回は1人でレントゲン室へ私は弟君と一緒に小児科外来へ受付しに行っていたので、トト父さんから事後報告で聞いたので驚きました最近は検査系で成長が見られるトトさん。採尿は紙コップで
先日、訪問看護師さんより区の療育センター(我が自治体では教育センターと呼ばれてますので、以降は教育センターと書きます)を勧められました。まぁ。遅かれ早かれトトさんは教育センターに行くだろうなぁと思っていたのですが。(保健師さんが事前にトトさんの話を教育センターの職員にしたところPTは受けられそうとの事)早速、教育センターの相談窓口に電話したところ、面談などの日程返事は10日前後待ってくださいとのことでした。想定内です。むしろ面談なんて1〜2ヶ月以上先だという事も知ってます(笑)そんで
今回は私の仕事の話です私は某所の保育園で働く保育士です。0歳→1歳→3歳→4歳→5歳→0歳異動して3歳の2月に産休に入る→3年育休→1歳の7月に病欠→0歳の8月に産休→2年半育休こんな感じの経歴です。同期はみんな昇給試験受けてクラスリーダーやってるけど、私は育休長すぎて昇給試験受けてない年齢だけは上の中堅保育士です一応来年の4月下旬に育休復帰の予定ですが。まっっったく、復帰したくない。むしろ、前回の復帰でパワハラにあって病欠した時から退職したいと思っていましたけれど、メンタル
2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。当時の記録を元にしてNICUでの入院記録を綴っています。2020.7.24生後1日修正28w2d24時間の壁を無事に越えてくれた我が子。状態は落ち着いているようで、早速チューブからミルクの注入が始まった黄疸の治療の青い光で照らされた保育器の中
寒いですね…雨も続きますね…衣替えしようと思ったのですが…冬物を宅配クリーニングの保管サービスに入れていて11月配送にしてしまっているので、冬物(特にアウター)が家にありません今年初めて利用したのに、失敗した…仕方ないので、ヒートテックでしのいでます。トトさんはお下がりのアウターがたくさんあるので暖かそうです今までトトさんのベビーカー(bugaboodonkeymono)を雨仕様にするにはbugaboo専用のレインカバーを使っていました。bugaboo専用レインカバーは
ご訪問ありがとうございます2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。今までの出産と、今回の出産の経緯についてはコチラから『今までの出産&経緯について』私の今までの出産や、今回の早産の経緯について、簡単に書かせていただきます(^^)2006年に結婚し、12月に、第一子を原因不明子宮内胎児死亡にて死産
やーーーっと今更ながらトトさんのランドセルを購入しました昨年から、ちょくちょくランドセルの試着をしていたのですが側弯のあるトトさんには、重いランドセルは絶対嫌だし…と悩んでました。こっちはニトリのランドセルこちらは、ふわりぃ障がい児用ランドセルこちらも、ふわりぃのランドセル。「この配色良いね」とトト父さんと意見一致。ネイビー✖︎キャメルです。でもランドセルって最低でも1.2kgくらいあるので、それだけでもトトさんには負担大なので、ランドセルにするのは早々に諦めました。ランリュ
2月末に誕生日を迎え、8歳になりましたー!!!7歳の1年間は体調不良ばかりでしたが2年生の担任教諭のおかげで、自立への成長もあり8歳の1年間はどうなるのか楽しみです。昨年の前期個別面談にて、担任から「車椅子を作って欲しい」という話がありました。トトさんは独歩できるのですが、歩くスピードにムラがあったり、すぐに息切れするようになったため学校内では移動の際に車椅子を借りているそうです。できる限り、独歩で学校生活を送ってほしいと思っていたのですが昨年は体調不良の時期が多く、側弯の手術後のコ
※2023年8月、最新の視力のみ更新しました。※内容は2021年9月22日投稿したものです。2016年12月。チビ助の未熟児網膜症の進行は早く、今すぐに手を打たなければならない状態でした。従来のレーザー治療法ではリスクが大きすぎるとのことで、ちょうどそのタイミングにやっていた新薬の治験に参加しました。『治験に参加=我が子が実験台になる』ようで躊躇いはありましたが、従来の治療法だとリスクが大きすぎるとのことで、視界が遮られることない未来にかけることにしました。2019年11月。
(2018年4月21日追記しました)未熟児との毎日は、障害物競走です初めのハードルは肺に穴が空いたこと、2番目のハードルはウンチが出なかったこと、3番目のハードルは溶連菌感染、4番目のハードルが目の問題でした難しい選択にどうするパン吉一家30週を過ぎて、眼底検査を行うことになりました赤ちゃんの網膜の血管は36週頃完成するので、それより早く産まれた赤ちゃんの血管は途中までしか伸びていないそうです。産まれた後で血管が伸びてくれれば良いのですが、血管の伸びが止まったり枝分かれし
それでも、私には聞きたいことがありました。泣きながら必死にした質問。「赤ちゃんの肺も心臓も脳も限界だって言いましたよね。でもそんな状態だって分かっていても、無理やり生かし続けるのが正解なのでしょうか?先生たちの仕事は、NICUにいる赤ちゃんたちを助けることだと思いますが、こういった状態で、明らかに苦しんでる赤ちゃんも助けるだけが選択肢なんでしょうか…。」「先生は、私の赤ちゃんは脳に何度もダメージを受けていてそれが将来脳
2021.1.26生後187d修正104d修正3m12dりょーちんに、風邪をひかせてしまいました2日前くらいから、少し咳をしていて、、だんだん鼻水も出てきて、なんだかミルクの飲みが悪くなってきて。。(母乳と混合なので、いまいちどのくらい飲めてるのかわからない)サチュレーションは安定しているし、熱もないし、本人はご機嫌でとっても元気ちょうど、週一でお願いしている訪問看護の日だったので、看護師さんに相談してみました。泣くとヒューヒュー音がするのが気になるので、電話して早いうちに
そして、約30分くらい経ったころでしょうか。先生が戻ってきました。先生は、「ではお父さん、お母さん少しミーティング出来ますか?」と言って、私たちはミーティング室へと案内されました。このいつも担当してくれていた先生のほかに、このNICUの責任者である医者もいました。それと担当してくれているナース&ソーシャルワーカーもいます。このどう考えても簡単な説明では終わらなそうな空気に私の心臓は張り裂けそうでした。
きーくんは在胎25週0日794gで産まれた超未熟児くん出産時に脳室内出血を起こしていましたが脳室の状態も落ち着いていたので約7か月の入院生活から卒業して無事に退院することができました!が!結果、水頭症の手術をすることになったのですがその2週間ほど前から徐々にゆっくりと症状が現れていたな~と今振り返ると写真などでも、少しづつ顔つきが変わっていたことに後になって気づきました・・・もっと早くに気づいていれば後遺症も少なくですんだのでは・・・悔やんでも仕方ないです
(むすこのNICU時代の記事です。前回までの記事はコチラ。妊娠中のあれこれは、テーマ1回目の入院、及び、2回目の入院~出産、をたどっていただけたらと思います。)久々のNICU時代の記事です。搾乳の件で、産後4日目にして、朝から産後ブルー全開。メソメソ、わんわん泣いてしまった私。そして結局、面会に来ない予定だった主人に来てもらった4日目の昼……。主人が来てからNICUに一緒に面会にいきました。むすこが入院していたNICUは午後からしか面会できないため、この日は私も
その日は、静かにやって来ました。34週を迎えた2016年の末、GCU見学を提案されました。GCUへ移る候補者にチビ助が入っていて、年末年始はNICU/GCUどちらで過ごすか分からないから見に行って来てくださいとのことでした。この頃のチビ助の体重は1,200g位。こんな小さな体でGCUでやって行けるのか不安でしたが、その後すぐにお引越しすることもなく、慣れ親しんだNICUスタッフの方と一緒に新しい年を迎えました。2017年1月、36週を迎えました。もしお腹の中にいたら臨月と言われる時
※過去の記録を元に書いています。時々、記憶が曖昧な部分があるのはご了承ください2020.6.421w1d出血がおさまらないので、父に病院へ連れて行ってもらう。担当の先生に診てもらった。前置胎盤気味だったのも良くなっているし、赤ちゃんも問題ない、出血の原因がわからないとのこと。とりあえず張り止めリトドリンを1日3回飲んで、自宅安静。特に現状と変わりなければ、来週水曜日の健診時に受診すれば良いとのことで、少し安心して帰宅。2020.6.1022w相変わらず出血は続いているが
予定日2か月前に960gで産まれ重度喉頭軟化症で3年間、医療ケアをしていた娘(現在4歳)のまとめ記事です。同じような方への情報提供になればと思い「我が家の場合」としてご紹介します。はじめに◆誕生2016年12月12日(予定日2か月前の31週1日)8か月検診日に入院→その日に緊急帝王切開で960gの娘(第二子)が誕生しました妊娠8か月(31週1日)誕生早産の原因は、単一臍帯動脈、だけじゃなかったありがたい未熟児養育医療みんなお腹の中で◆
2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。当時の記録を元にしてNICUでの入院記録を綴っています。2020.7.27生後4日修正28w5d72時間の壁を無事に越えてくれた我が子。心配だった動脈管も、自然に閉じたとのこと。本当に生命力の強い子。姓名判断やったり、色々画数を調べて、名
入院生活が突然スタート点滴をして1週間で羊水が増えなければ助かる可能性は・・・と言われて過ごす日々。朝が来るたびに、これが夢ならいいのに・・・とぼんやり思いました。その一方で主治医やナースさんに優しくしてもらい、おいしい病院食(パンケーキやラーメン、パスタ、焼き立てパンの日もありました)を食べ、夫がお見舞いに来るのを楽しみに待つノーテンキな私もいました明るく過ごした方が得だと思ったし、まだどこかで、「羊水はきっと増える!」と信じていたのかもしれません。入院して4日経った日、
2020.7.23我が家の末っ子『りょーちん』は、798グラムで生まれました。23週で破水してしまい、管理入院の末、28週での早産でした。約4ヶ月半のNICUでの入院生活を経て、今は、毎日一緒にいられる幸せをかみしめています。当時の記録を元にしてNICUでの入院記録を綴っています。2020.7.23生後0d修正28w1d798グラムの男の子を出産。小さく小さく産んでしまったけれど、生きて生まれてきてくれたことが、ただただ、嬉しかった。破水してから今日まで、献
こんばんは!みちこです次の搾乳が2:30〜なので、その待ち時間にブログ書きます。早速余談ですが娘のあだ名について。これからは『ちゃか』と呼ぶことにします。名前とは全然関係ないのですが、胎児ネームでもあり、今もまだちゃかちゃーーーーんと呼ぶことも多いので、ブログでもそう呼ばせてください!さてさて、今日は週に1度1時間の面会の日でした。んもう、ごめんなさい。超超超かわいい!!!なんで自分の子供はこんなに何もかも可愛く思えるのか!笑最初はぐっすりおねんねタイムだったけど、最後の方はお
※過去の記録を元に書いています。時々、記憶が曖昧な部分があるのはご了承ください2020.6.2123w4d転院した最初の夜は、ステロイドの注射の副作用なのか、心臓が飛び出そうなほどバクバク高鳴って、1時間ほどしか眠れなかった。Kindleでコウノドリの漫画を読みながら朝を迎えた。私と同じ前期破水で早産した人のエピソードを読んで涙が止まらなかった。24時間ウテメリン4a10mlの点滴と、1日4回の抗生剤の点滴、そして、毎朝の採血と膣洗浄、モニターで張りをチェックする、歩いて4歩ほどの
誕生から1週間が経過していました。7日目のその夜、いつものNICU訪問へ。この日は、旦那のお母さんが来てくれていたので子供達はお義母さんに預けて旦那さんと2人でNICUに同時に行けました!久しぶりに旦那さんと同時に入室し、同時に先生から説明を聞くことが出来ました。今日の先生からの報告では、今日は安定していて、比較的特に危険な状態もなかった。と言われ安心していました。しかし。
また期間が空いてしまいました2ヶ月もこの2ヶ月の間にまたまた胃腸炎になり胃腸炎後のウイルス性中毒疹になったりコンタクト治療が始まったりしましたが特に大きな問題はなくスクスクと過ごしていましたそしてやっとやっと迎えられた一歳の誕生日一年前の今日緊急帝王切開になり麻酔から覚めてもその日は我が子に会う事もできず今の状況を知る事もできないこれからどうなってしまうのか不安で不安で祈るしかなかったこんな元気に一歳を迎えられるなんてそんな事すら想像もできないくらい毎日何が
6月10日✨✨無事に1歳になりました✨✨飾りがヘボすぎたので加工で誤魔化してます😅561g→6850gになりました。こんな日が迎えられるとは…😭✨あの手のひらサイズだった頃は想像がつきませんでした。転院したときから「赤ちゃんの命は覚悟してください」と言われていて分娩になったときも助からないだろうと思われてた命蘇生したあとも長くは無理だろうと諦められてたらしい23週生まれは予後が悪い重い障害、後遺症が残ると何度も言われて…でも無事1歳❤ここまで大きくなった😆❗❗脳内出血
NICUに入院していた頃のことです。チビ助はしばらくの間、「B病院一小さい男」と言われていました周りの赤ちゃんを見ないように言われていたけど、チラッと見える限りチビ助は断トツ小さく見えました。「周りの赤ちゃんは、きっとすぐにGCUに行ってすぐに退院するんだろうなー」周りの方のご事情も分からず、ただ羨ましく思っていました。周りのママさんに小さなチビ助を見られるのは「かわいそう」と思われそうで嫌でした目立たないように過ごしていましたが、周りのママさんと話す機会が出来てきました。そ