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私事ですが、この度夫婦で西国三十三所公認先達になりました。西国巡礼中、最後の2日間一人で周られている先達の方と随所で会いました。やたらと目に付き、何かの導きを知らせる時に酷似していました。私だけが気になっているのかなぁと思っていましたが、その日の夜主人に言ったら、主人も気になっていたそうです。改めて西国三十三所のオフィシャルサイト↓を見ると、先達会のページがありました。先達会のご案内saikoku33.gr.jp(以下「」内は↑サイトより)
西会津町の鳥追観音如法寺は、仏都会津の祖・徳一大師が、千二百年前の平安初期大同2年(807)に、会津の西方浄土として開創した観音霊場です。会津ころり三観音の一つとしても有名です。ちなみにほかの二つは、会津美里町根岸の弘安寺(中田観音)、河沼郡会津坂下町塔寺の恵隆寺(立木観音)です。入り口の山門の中には、迫力満点の仁王像が睨みをきかせていました。本堂入り口のひさしの内部には見事な彫刻があります。東照宮の三猿や眠りネコなどでお馴染みの名工左甚五郎の作と伝わっています。
第24番·大戸観音堂おおとかんのんどう第24番大戸観音堂です祐照庵大戸観音堂町田市で最古の馬頭観音と六地蔵があるようです町田市保護樹木のイチョウ横から見たところですが山門の上が鐘楼になっていますお堂は小さいです観音堂正面側面の出入り口からお堂の中に入りましたお堂の中は撮影禁止なので写真はありませんでしたが…中は暗くなっていて、かろうじて豆電球レベルの光を感じられるほど参拝を終えてお堂から外に出ると中が暗かったのでまぶしいくらいでした敷地は広くなかったの
最終日は雨でしたね。朝からザーザー(笑)。まあ...雨降って地固まる...と、言いますからね。観音様は水の属性。故に雨が降っても、それはそれで喜ばしいのです♪さて、このGWは前々から念願であった【新西国三十三所】の結願を達成致しましたので、簡単にご報告しておきましょう。同巡礼で残されていた霊場は...三十番の金剛城寺さんと、三十三番の瑠璃寺さんの二ヶ寺でした。ようやくこれで、三十三の札所と客番五ヶ寺を全てコンプリートでございます♪いやはや...長かった(笑)。発願から、足掛
令和5年6月25日(日曜日)午前10時より済渡寺子安観音霊場にて子安観音大祭を修行致します。通称花祭りは、済渡寺の場合アジサイや花ショウブなどのお花がきれいな時期に実施しております。ただ今年は黄色い花ショウブは、例年より一月早く五月中旬より咲いており、花の見ごろに子安観音大祭が実施できるか心配です。多くの方がお参りされるときに、アジサイなどのお花がきれいに咲くことを祈念しております。安産祈祷願開(お礼参り)家内安全商売繁盛病気平癒厄除けなど各
3月6日(月)久しぶりの京都真宗本廟東本願寺40年ぶりの公開大寝殿・白書院特別公開大寝殿拝観白書院七条通りを歩き旧富士ラビットビル本山興正寺ランチは、祇園のイタリアンエスト次は、この日の目的地②北野天満宮北野天満具の帰りに参道横に寺院を見つけましたちょっと気になったので参拝に!参道からはほんの20㍍の所真言宗泉涌寺派の準別格本山【朝日山東向観音寺】延暦25年(806年)・大納言藤原小黒麻呂・賢憬
おはようございます(´・ω・`)暑い日が続いています☀雨男のはずなんですが、雨が降りません皆様、水分補給はしっかり取ってくださいね🙇先日より和歌山市内にある観音霊場を再訪しています前回散策したのが5年前ですね随分前に一巡しているのですが、あの時は御朱印にあまり興味を示さず、ただただ本堂へ拝礼だけを済ませていましたあれから、つい最近まで見向きもしなかったのですが、中学からの腐れ縁が御朱印集めに目覚めて、九州へ旅行した時に見たら御朱印帳の半分ぐらい埋まってたのかな。じゃあ、それを抜いて
こんにちは。ご訪問くださり、ありがとうございます。こちらのブログでは、主として腎不全で透析をなさっている方や、そのご家族向けに、何かのお役にたちそうな内容についてご紹介しておりますが、病気平癒祈願との関連で、何回かに分けて、お寺で病気平癒などの願掛けをするとき、知っていると、よりお参りが丁寧になるポイントと、西国三十三所や四国八十八か所の札所巡礼をするときのお作法について順番にご紹介しております。第1回は山門に入ってから手水をして自己紹介するまでについてです。↓『お寺で願掛け
遠江三十三観音霊場(前編)~霊場巡りの記録~(33/33霊場)第一番札所『一澤山結縁寺(静岡)』一澤山結縁寺(静岡県掛川市)『いったくさんけちえんじ』と読む結縁寺は、創建不詳ながら弘法大師が開基したと伝えられる曹洞宗、無住の寺院であり、御本尊は『聖観…ameblo.jp令和6年3月2日参拝第二番札所『保福山常楽寺(静岡)』保福山常楽寺(静岡県掛川市)『ほふくさんじょうらくじ』と読む常楽寺は、1619年に創建された曹洞宗の寺院であり、御本尊は『聖観世音菩薩』のようです
いやはや...しんどかった(笑)...。この三連休は後半雨でしたからね...ちょっと強引にスケジュールを組み直し...初日の土曜日に滋賀方面に出撃して参りました...。実家の川西(兵庫県)に帰宅してから、車での札所三連ちゃん(笑)。流石に強行軍でした...。宇治〜大津に広がる広大な山岳エリア...醍醐寺〜岩間寺〜石山寺に至るこの山岳地域は、古来修験の聖地として崇められて参りました。強大な経済力と軍事力を誇る北方・比叡山の脅威に晒されながら、ここは一味違う修験の世界を守り抜いて来た
先週訪れた春の京都、御朱印を求めて・・初めて出かけた「六波羅蜜寺」は、建仁寺の近くでした空也上人が開いた西光寺を始めに西国33か所観音霊場の17番札所、人気のお寺です~若い女性が目立ちます、お目当ての「御朱印」を頂きましたこちらが6体の阿弥陀が現れたという「空也上人」、像は宝物館に安置してます・・このお寺には、「平清盛公の塚」もありましたよ期待以上に見どころのあるお寺さんでした~
笈摺(おいずる)の語源は、笈(背に負う物)から着物を守るために着用していた白衣です。昔は今と違い、巡礼中に命を落とす事もありましたから、もしもの時はそのまま埋めて貰えるよう...死装束も兼ねていたと言う事です。観音巡礼の笈摺は、基本的には【南無観世音菩薩】や【南無大慈大悲観世音菩薩】と記されている物を羽織る事になります。観世音菩薩の霊場巡礼ですからね。四国遍路と兼用されてらっしゃる方なら【南無大師遍照金剛】、他には【南無阿弥陀仏】の笈摺を着ておられる方もいます。厳密には違うのですが、個
婆藪仙人(ばすせんにん)です。単に婆藪仙とも呼ばれます。他にも【ばそせん】とか、【ばすうせん】とか、【ばそうせん】とも読まれます。仏教における護法善神で、千手観音の眷属である二十八部衆の一人に数えられます。インド神話では伝説の聖者...【ヴェーダ聖典】を感得した賢者の一人と言う位置付けですね。漢訳された時に【仙】の字を与えられました。インド学では【聖賢】と訳されます。梵名はヴァスで、インド神話のヴァシシュタが仏教に取り入れられて定着した神様になります。ヨーガの修行を積んだ苦
中山寺の石棺中山寺(宝塚市)には、仲哀天皇の先后大仲姫が埋葬されたと伝えられる石棺「石の櫃(からと)」があります。伝説によると・・・718年(養老2年)、大和国長谷寺を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺なのだとか。それから270年後、宝印を探し出した花山法皇は三十三所を巡礼。そのため、花山法皇は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれるようになったのだといいます。元慶寺986年(寛和2年)6月23日、花山天皇(花山法皇)は藤原兼家・道兼父子の
4/27土曜日前回からちょっとあけて観音霊場巡り行ってきました。今回は豊田東から関広見ICへ地図で言うと緑のラインの所に行ってきました。他の方は二回で回ったとか聞いてうちはなんて遅いんだろうと思いましたがまあ、ゆっくりもいいよね今回はインター近くだったりホテルからの移動がスムーズだったので良かったです。27日はインター近く四ヶ所だけ5番永昌寺インターから3.5キロくらいで到着遠目からでもわかるくらい大きなお寺さんでした。美濃観音はわりと本堂などで自分で御