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婆藪仙人(ばすせんにん)です。単に婆藪仙とも呼ばれます。他にも【ばそせん】とか、【ばすうせん】とか、【ばそうせん】とも読まれます。仏教における護法善神で、千手観音の眷属である二十八部衆の一人に数えられます。インド神話では伝説の聖者...【ヴェーダ聖典】を感得した賢者の一人と言う位置付けですね。漢訳された時に【仙】の字を与えられました。インド学では【聖賢】と訳されます。梵名はヴァスで、インド神話のヴァシシュタが仏教に取り入れられて定着した神様になります。ヨーガの修行を積んだ苦
4/9は町田市で武相卯歳観音霊場巡りをしました。最初に向かったのは高ヶ坂にある龍澤山祥雲寺。山門。山門前の金剛力士像。御本堂前の摩尼車。御本堂前の狛犬。御本堂。観音堂。五百羅漢さま。仏足石。十二支御守り御本尊さま。元気地蔵さま。六地蔵さま。小僧さんと十二支像。卯年。十王像。十王像の並びに奪衣婆像も。境内の池のまわりの七福神さま。あれ?福禄寿さま撮り忘れちゃた💧境内の美しい池。鯉がいっぱい泳いでいました。御朱印。
笈摺(おいずる)の語源は、笈(背に負う物)から着物を守るために着用していた白衣です。昔は今と違い、巡礼中に命を落とす事もありましたから、もしもの時はそのまま埋めて貰えるよう...死装束も兼ねていたと言う事です。観音巡礼の笈摺は、基本的には【南無観世音菩薩】や【南無大慈大悲観世音菩薩】と記されている物を羽織る事になります。観世音菩薩の霊場巡礼ですからね。四国遍路と兼用されてらっしゃる方なら【南無大師遍照金剛】、他には【南無阿弥陀仏】の笈摺を着ておられる方もいます。厳密には違うのですが、個
いやはや...しんどかった(笑)...。この三連休は後半雨でしたからね...ちょっと強引にスケジュールを組み直し...初日の土曜日に滋賀方面に出撃して参りました...。実家の川西(兵庫県)に帰宅してから、車での札所三連ちゃん(笑)。流石に強行軍でした...。宇治〜大津に広がる広大な山岳エリア...醍醐寺〜岩間寺〜石山寺に至るこの山岳地域は、古来修験の聖地として崇められて参りました。強大な経済力と軍事力を誇る北方・比叡山の脅威に晒されながら、ここは一味違う修験の世界を守り抜いて来た
こんにちは。ご訪問くださり、ありがとうございます。こちらのブログでは、主として腎不全で透析をなさっている方や、そのご家族向けに、何かのお役にたちそうな内容についてご紹介しておりますが、病気平癒祈願との関連で、何回かに分けて、お寺で病気平癒などの願掛けをするとき、知っていると、よりお参りが丁寧になるポイントと、西国三十三所や四国八十八か所の札所巡礼をするときのお作法について順番にご紹介しております。第1回は山門に入ってから手水をして自己紹介するまでについてです。↓『お寺で願掛け
おつかれさまでした~【奥州三十三観音霊場について(wikiより)】奥州三十三観音霊場は、旧陸奥国内(現在の岩手県・宮城県・福島県)にある33ヶ所の観音霊場である。「奥州」は陸奥国の別称。平安時代初期に始まった「奥州古札所」とは別に平安時代後期に設けられ、江戸時代中期に再興された。平安時代初期の延暦13年(794年)から貞観6年(864年)に生きた円仁(慈覚大師)によって、のちに「奥州古札所」とも呼ばれる三十三観音霊場が開基されたと言う。保安4年(1123年)には既に、
遠江三十三観音霊場(後編)~霊場巡りの記録~(33/33霊場)遠江三十三観音霊場前編『遠江三十三観音霊場(静岡)前編』遠江三十三観音霊場(前編)~霊場巡りの記録~(28/33霊場)第一番札所『一澤山結縁寺(静岡)』一澤山結縁寺(静岡県掛川市)『いったくさんけちえんじ』…ameblo.jp第十七番札所以前は、こちらをクリック第十八番札所『新福寺観音堂(静岡)』新福寺観音堂(静岡県掛川市)『しんぷくじかんのんどう』と読む新福寺は、1453年に創建されたと伝えられる曹洞
最終日は雨でしたね。朝からザーザー(笑)。まあ...雨降って地固まる...と、言いますからね。観音様は水の属性。故に雨が降っても、それはそれで喜ばしいのです♪さて、このGWは前々から念願であった【新西国三十三所】の結願を達成致しましたので、簡単にご報告しておきましょう。同巡礼で残されていた霊場は...三十番の金剛城寺さんと、三十三番の瑠璃寺さんの二ヶ寺でした。ようやくこれで、三十三の札所と客番五ヶ寺を全てコンプリートでございます♪いやはや...長かった(笑)。発願から、足掛