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大河ドラマで注目を集めている(はず)藤原道長やけど、そのひいじいちゃんで藤原山蔭て人が居るらしい。歴ヲタ会議で広がっていったんやけど、南禅寺で見つけた亀ちゃんをJETさんにラインしたら、「圓教寺にも居てるで。」て、返信が来たん。カメラ買うたばっかりのすてれんきょは早速圓教寺へ。改めて屋根の上見たら、鬼ちゃんわんさか居てるやんか。そやけど、今回は亀ちゃんテーマにググってみたら、道長のひいじいちゃんが助けた亀に助けられて命拾いしたらしい。ほんで、これは観音信仰のおかげや❗️
本項はいささかロマンに欠けるお話ですでので、そのつもりでお読み下さい。日本史上の霊的な能力者で、最も多くフィクション作品に取り上げられるのが、平安時代の陰陽師、安倍晴明ではないかと思います。映画、テレビドラマを初め、小説でもいくつもの作品名をあげることができます。では、安倍晴明の魅力とは何なのでしょうか?これは様々な見解があると思われますが、自分としては2つのことを取り上げてみたいと思います。一つ目は武の人ではないということ。晴明が刀を振り回して暴れるという話は珍しいですよね。夢
【光る君へ】第16回「華の影」回想苦しい運営を強いられた最古の福祉施設「悲田院」「貞観政要」とは真逆の道隆政治「香炉峰」に応じた清少納言の才覚前回終わり頃から疫病が流行り始めていましたが最初この時の疫病は疱瘡(天然痘)だったのでは?と思ったのですがあのドラマの病状は全然それらしくなく赤痘瘡(あかもがさ)=麻疹(はしか)なのかな?と思っておりました天然痘だったら悲惨さはあんなもんじゃ済まないしヴィジュアル的に耐えられない
本記事は、2017年11月に投稿した記事の補訂版です。源高明は醍醐天皇の第10皇子、母は更衣源周子(嵯峨源氏)で、「いと淫しくおはし」た(笑)藤原師輔の妻の勤子・雅子両内親王の同母弟にあたります。母の身分が低かったためか、7歳のときに源姓を与えられて臣籍に降下しました。師輔は、学問を好み有職故実にも通じたこの義弟に目をかけ、自らの三女を嫁がせます。また、師輔の娘で村上天皇の皇后安子に中宮大夫として仕えたことでその信任も得、安子が産んだ為平親王を女婿に迎えました。こうして師輔と安子の後
大河ドラマは、歴史好きの牙城だが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」を見てるとどうしても、源氏物語のなかのエピソードと重ねあわせてしまう。紫式部という人物が、ありもしない話だけであれだけの長編小説が書けるはずもないので、こういう日常生活からヒントを得て、源氏物語のストーリーを考えたのかなと・・・先日の大納言道綱が石山寺で夜這いして、人違いするところなんか、空蝉と軒端荻の話を彷彿とさせ、くすくすと笑ってしまった。このあたりが脚本家の狙いで、歴史好きからみても、源氏
(京都・吉田神社内にある末社「山蔭神社」藤原山蔭を神として祀る)庖丁式の始祖とされる藤原山蔭、本当のところ庖丁式を創始した記録はみつからない。前回までのこのテーマで記してきた通り、藤原山蔭は藤原北家とはいえ、本流から離れた傍流下級貴族三男としての生まれである。はなばなしく同時期に朝廷政治の中心で活躍し、後の五摂家となる本流の良房や基経に比べると、日本政治史で特筆される事績を残したという事もない。はっきりしている事は、清和天皇の立太子前、8歳の親王時代より近侍として支え続け、近衛
今回も前回と同じ年、永祚2年(990)の出来事でしたまひろが最近大人っぽく、色っぽくなったなあと感じた回でした着ている衣服が、若いころは比較的ペラペラに見えた(ごめんなさい)のに対し、最近は少ししっかりした生地の服を着ているように見えました若い時期のファストファッションから、それなりのファッションに変えたみたいな感じでしょうかBefore↓若いころ(逢引きも穴掘りもみんなこの衣装だった)After↓少しおしゃれ度が上がった気がするそれから
今日は義父の満中陰法要。義父が亡くなり。斎場(火葬場)の予約の関係で2日後夜に通夜3日後に葬儀それから二七日法要して。本来なら満中陰は5月9日でも、家族のスケジュールもあって今日に。七日ごとに法要がある。するしないかは別として。お坊さんにとってはやってほしいだろうね。二七日、三七日、四七日…やればやるほど『お布施』が入る。お布施って『お気持ちで』と言われるけど、本来の意味は自分の執着を捨てるという意味合いらしい。うまい言葉だね。お布施が少なかったら『お前はまだ執着し
お立ち寄りありがとうございます大河ドラマに触発されて本棚から源氏物語(田辺聖子訳)を引っ張り出して久々に読みました。まぁ光源氏って「さびしんぼうで責任感のあるやりち〇」かな。若い時に読んだ印象と今では全然違ったのも面白いね。そして藤原道長の事も知りたくなりました。恥ずかしながらこの時代や和歌、古典が苦手なんですが面白く読めました。上下巻あります。文字が割と大きくて読みやすいのが助かる。平安時代って面白い。1000年以上経ってるのに貴族たちのや
「光る君へ」は、今までの大河ドラマとは、違い現代の恋愛とお家騒動に照らしあわせても十分通じる話だ。なので、全然歴史物語、という感じはせず歴史など関係なし、史実はどこへいった、くらいの気持ちだ。今までの歴史物語を愛している視聴者特に男性には、きっと”こんなの大河と違う”と言う意見も多いだろうし楽しくない人も多いだろう。恋愛をからめるのはいいとしても、清明や藤原家、などの争いがちょっと中途半端で楽しめない感は否めないが”大河ドラマ=歴
うーーーんどうしても紫式部と藤原宣孝が結婚する雰囲気には見えん、と思っていたが。親子ほど年が違う2人がどうして通い婚に至ったのか??まひろ(後の紫式部)と藤原道長が体を重ね、道長がまひろに求婚するわけだが、正室でないなんて嫌、と拒否する為に別れたのが前回。いや…そもそもまひろの身分で堂上公卿の道長の正室には逆立ちしてもなれんて己が書いた源氏物語でも紫の上が宮家の血筋でも母方が落ちぶれてしまった大納言家の為、光源氏と住居を共にし、身の回りの細々を世話やきする北の方扱いされていたが正式な北
お散歩の時川の側でふきのとうを見つけた🍀春を感じる💓お買い物に行って🛒スタバでお昼を済ませた☕今はホント、大河ドラマ「光る君へ」にハマっています。毎週日曜日が楽しみです🩷源氏物語も大好き❤瀬戸内寂聴さんが訳したものを何度も読みました。女人源氏物語とか...でも、紫式部や藤原道長のことはほとんど知らなかったのでちょっと本を買ってみました~読むのが楽しみです✨
本記事は、2016年8月に投稿した記事の補訂版です。藤原公任は関白頼忠の子で、道長とは同い年の再従兄弟同士となります。幼時から優秀で、兼家が、息子の道隆・道兼・道長兄弟を前に「お前たちは公任には遠く及ばないな。これでは公任の影を踏むことすらできまい」と嘆息したところ、道隆と道兼はうつむいていたのに対し、道長は「影を踏むことはできないかもしれませんが、いずれ奴のツラを踏んづけてやりますよ」と昂然と言い放ったという有名なエピソード(『大鏡』による。ただし、後世になって創作されたものであって、史
本記事は、2016年7月に投稿した記事に補訂と追記を加えたものです。藤原道兼は兼家の三男で道長の同母兄です。寛和2年(986年)6月、父及び兄弟たちと謀って、寵妃藤原忯子を亡くして悲嘆に暮れていた花山天皇を騙して出家させ、兼家の外孫である一条天皇を皇位に就けるのに成功したというエピソードは有名ですが、史実であるかは疑わしいようです。それはともかく、天皇の外祖父たる地位を獲得した兼家は摂政(後に関白)となり、道兼も参議、権中納言を経て永延3年(989年)2月には早くも権大納言に累進します。
【京都】【東北院御朱印】法成寺殿(藤原道長)「この世をば我が世とぞおもふ望月のかけたることも無しと思へば」新たに道長が詠んだ和歌が御朱印としていただけるようになりました。【東北院御朱印】東北院①『【京都】京都時宗道場和泉式部ゆかりの「東北院」でいただいたステキな【見開き御朱印】』【京都】【東北院見開き御朱印】(書き置きのみ)和泉式部が詠んだ歌が書かれています「むめ(梅)の香を君によそへてみるからに花のを
平安時代の貴族の官職には、大臣の下に文官で大納言、中納言、参議、武官で大将、中将、少将などがありました。また、君主に代わり政治を摂る役を担う摂政(せっしょう)や関白を出す家で、「摂関家」とも呼ばれ、合わせて五家ありました。平安時代の身分は4つに分かれていて、最高位が公卿(くぎょう=一~三位)で、諸大夫(しょだゆう=四~五位)、侍(六位以下)、庶民(無位)と続きます。また、家柄ごとに就任できる役職が固定し、それぞれの専門分野であり序列でもあった「家格」(かかく)が確立しました。家格は序列の
ふぅ、金曜日終わり。。。やっと週末だ。でも、いろいろと野暮用を終わらせないと。。。でも、あんまり気張らないようしないとね。某劇場シーン1-2曲目。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーレキシについては、2023/9/16のこちらの記事をご参照ください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「Let'sFUJIWARA」は、アルバム「Rekishichi」(2007)の8曲目に収録。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー──「Let'
実は今やっている朝ドラ「虎に翼」見てなくて・・・でも評判めっちゃいいじゃないですかなのでNHK+で初回から15回分、今なら見れるんです、見ました、一気に15話確かになんかスカッとする!ヒロインの伊藤沙莉がいい!この子、「ひよっこ」の米屋の娘の時からなんかサバサバしてよかったのよね!他にも気になる共演者がいっぱいで面白かった~うん、毎日は大変なのでNHK+で追っかけながら見ることにしますそれと「光る君へ」毎週終わりの次回予告が上手いんだわ、気になって今週の内容吹っ飛ぶ
あらすじ4年が過ぎ、道隆(井浦新)の娘・定子(高畑充希)が、元服してわずか20日後の一条天皇(柊木陽太)に入内する。道隆たち中関白家が絶頂期を迎え、兼家(段田安則)の後継争いが始まろうとしていた。一方、為時(岸谷五朗)は官職を得られず、貧しい暮らしが続くまひろ(吉高由里子)。ある日、さわ(野村麻純)と出かけた市で揉め事に巻き込まれる。文字が読めずに騙された親子を助けようとするまひろだったが・・あらすじ更新が遅れ気味になってきてしまったのでサクサクともう今回はな
帰宅後どうしてもしないといけないことだけ済ませて「光る君へ」を。今日もオバサンはええトシして胸キュンでしたが、定子の後宮はほんとにあんなだったのでしょうか。香炉峰や雪山の話を入れたりしてたけど。来週の予告で、斉信が清少納言にちょっかい出していたのも大いに気に入りません。あの人たちはああいう関係ではないと私は思いますし、授業でも長年そう話してきました。ともあれ、定子の栄華もまもなく終わるので、清少納言の出番もそう長くなさそうではあります。道隆は視力が低下した様子、お水を
永祚2年(990)正月今回ようやく4年の月日が流れました永観、寛和年間の長かったこと…初めにしっかり人物のキャラ設定をする狙いがあったんでしょうか…「藤原氏多すぎ」モンダイと、「女子の名、訓読み」モンダイキャラ設定といえば、先日、鎌倉彫教室の友人がこんなことを言っていましたそれは、彼女の旦那様が「光る君へ」の「藤原氏多すぎ」モンダイに苦しみ、彼女に毎回「この人は誰」としつこく聞いてくるという話です彼女は、「私に聞くな」とそのたびに答える
今回は、この時代の身分差をヒシヒシと感じる回だった…というか。花山天皇の出家→退位により、朝廷の役職は一新、またも無職になってしまった為時パッパ。まひろはなんとかパッパに職をもらう(?もとに戻してもらう)為にとまずは、親しくさせていただいている倫子様を頼るのですが、そこは政治の、頂にいる一人、左大臣の、娘・倫子様。『摂政様がお決めになったことは、帝がお決めになったこと』と、他のものが口出しはできない、と断られます。ならば、自分が直接摂政様に…とまひろは言ったのですが『摂政様は、あなたが
源倫子という女性がいた。あまり知られていないが、実は彼女、かの有名な藤原道長の奥さんである。ちなみに今と違って結婚しても姓が変わるわけではないので、名前は「源」のままね。お父さんは:源雅信お母さんは:藤原穆子でね、この2人に間に生まれた倫子さんがそれはそれは長生きしたの。何と87歳よ!平安時代の平均寿命はというと男性:33歳女性:27歳男女の平均値をとっても30歳。そ、そんな中での87歳!今の感覚で言えば300歳近いぞ!
身長ネタ第3弾!もはやシリーズ化か?すいませんこれで終わります。今回も篠田達明センセイの著書から引用させていただくと藤原道長身長172.7cm体形腹囲1メートルを超え、アンコ力士と見まごうばかりのメタボな巨体持病飲水病(糖尿病)死因黄色ブドウ球菌による敗血症ひゃ、172.7cmって「てん7cm」って…ミリ単位まで分かるの〜⁉️センセイすごいパワーアップしてるわ。しかも今回は持病、更に死因まで特定してるし当時の男性の平均身長は159〜1
我が家には中3、高校受検生世の中には、そう呼ばれる生物がおる本人、やる気がないよいつまで入らないのか??そんなもんなのか何が正解かわからん日々を送っておるそんな中学生と本屋に行った取り置きの漫画の本を買いに。行っただけこれ買って欲しい。っと持ってきたのは、、、教科書ガイド英語そして、歴史好きなんでね藤原道長この学習マンガシリーズが好きなんだってノートは、オカンが選んだ謳い文句にいつもやられる息子の時からやられておる使っているだけで入れるわけでもなく上も下
みなさんは、NHK大河ドラマを観てますか?私は、時代劇が好きなので、幼い頃から観ています今回は、紫式部を主人公にした光る君へ源氏物語の作者ですよねあとは、枕草子を書いた清少納言や藤原道長などが織り成す物語先々週、先週と出てきた藤原道綱の母が書いた※蜻蛉日記のエピソードが描かれていた藤原道綱の母は、恋してはならない人と恋に墜ちたハレンチな出来事を綴った普通ならそういう出来事は隠すだろうがなぜ、あえて書いたのか藤原道綱の母は言うそういう辛い思いだったからこそ記したと記し、人
本記事は、2016年10月に投稿した記事の補訂版です藤原伊周は道隆の嫡男で隆家の兄。道長にとっては甥にして最大(唯一?)のライバルというべき存在でした。正暦2年(991年)に参議に任ぜられて公卿に列せられると、以後父道隆の強引な引き立てにより権中納言、権大納言を経て正暦5年(994年)には道長ら3人を超越して早くも内大臣に昇ります。しかし、この強引な人事は他の公卿たちの反感を買ったばかりか、時の一条天皇の生母藤原詮子(道隆の妹・道長の姉)の不興も買うこととなりました。長徳元年(995
婚活アプリでマッチングしたネコオ君。結婚?いまのところ、金輪際ないっですね。と、言われたのがクリスマス。↓『【ネコオくん物語】聖なる夜の晩餐は悲劇の始まり』あたしゃ〜結婚したいんじゃ!クリスマスに謎の願掛け。今年の私を振り返ると婚活!恋活!ネコオ君と駆け抜けた2023年!みたいな感じになっとりますが波乱…ameblo.jp何度と奈落の底に突き落とされ続け耐性ができてしまったのかマリコのスルー力はレベルアップした。否『【ネコ
今回は。色んなことが起こりすぎちゃって、ちょっと脳内がドキドキ&ぐわぁん、ぐわぁんしちゃってます。ドキドキは、もちろん(←?)道長とまひろ。美しくて悲しい、恋愛の終わりと、愛の始まり。仮名で、これでもか、これでもかと激しい恋心を伝えてくる道長に対して、漢詩で、冷静に志を伝えるまひろ。六条(だよね?)で、初めて抱き締められた際も、月明かりが降り注ぐ中で肌を重ねた際も、それは同じで。『藤原を捨てて。まひろと共に都をでて生きていく』と、夢にうかされた様に切々と愛を語る道長に対し、まひろは『あ
「光る君へ」第十五回「おごれる者たち」の回の、ラストの予告編にこのシーンが来る、というのは、なんというか、皮肉ですね。宮廷じゅうがこぞって「この親にして、この子あり」と囁いている様子が、ドラマで明示されました。親というのは道隆と貴子、子というのは、伊周と定子。つまり、この一家(のちに中関白家、と言われる)は、いま宮廷で、親子まるごと嫌われているんです。大きな声では言えませんが。ききょうさんは、「漢詩の会」「和歌の会」で目立った活躍を見せ、高階貴子さまの目にとまり、中宮定子の御相手の女房に