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2022年12月に投稿した記事ですが、再投稿させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆2020年に発行された、森田洋之(もりたひろゆき)氏が書かれた『日本の医療の不都合な真実』の本の内容が、PRESIDENTOnlineに掲載されていました。3回の連載で、1つ目が『高知県民は静岡県民の2倍入院している…「医師を続ける気をなくす」ほど無駄な医療が行われている理由ほんとうは病床が空くのを喜ぶべき』高知県民は静岡県民の2倍入院してい
22、脳の老化(その1)AbramHoffer:OrthomolecularMedicineForEveryone、より様々な脳疾患を栄養とサプリメントで治療してきた。老衰、脳卒中、脳器質疾患、頭部外傷後遺症、アルツハイマー、てんかん、ハンチントン病、など。全ての患者が回復したわけではないが、多くの患者が回復し、QOLが改善した。これらの疾患を遺伝性だと決めつけるのは間違い。遺伝と細胞環境が相互に関与している。環境要因を改善させれば遺伝的な弱点を克服できる。細胞を取り巻く
朝早く、珍しく母から電話があった「九州の祖母が亡くなった」と…父が九州の人で、父方の祖母ってやつだずっと施設に入ってて、未だに独身の叔父が面倒をみていた92歳、もう老衰だろう母から、私達兄弟で、連名で花をしてくれと頼まれたが、私は拒否した「花」「果物」は何の役にも立たないこれは私が自分の経験から思った事だだから私は香典をする、と言ったしかし母は、「家族葬だから香典はしなくていいよ」と言った人が死んだ時、通夜や葬儀に対しては人によって、いろんな考え方があると思う以前
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母が誤嚥性肺炎から回復したものの全身が衰弱し、老衰と診断され特養で看取り期にはいりました。こんな時に不謹慎かもしれませんが特養でのだいたいの必要経費をまとめておきます。特養など介護施設で看取りをお願いすると看取り加算が加わります。仕組みについて詳しくはこちら☟看取り介護加算とは?単位数やターミナルケア加算との違いを解説看取り介護加算とは★看取り介護加算Ⅰ、看取り介護加算Ⅱの算定件数と単位数、看取りケア研修、2021年度(令和
母の部屋で眠れぬ夜を過ごす間少しづつ荷物を片付けている自分がいました。「今使わないものはまとめておこう」そう思って片付け始めると施設の部屋の中にあるものはもう使わないものばかりでした。母は退院してからずっとパジャマしか着ていなかったので洋服も全て「使わないもの」でしたが、夏服にはまだ手をつけず冬服はすべて畳んで、大きな紙袋につめていきました。私は洋服を一枚ずつ畳みながら母の最期に着る服を選んでいました。母が好きだった
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母誤嚥性肺炎で3ヶ月間の入院治療の結果肺炎は完治したものの身体がすっかり衰弱し、寝たきりに。認知度も高度認知症と判定され老衰として特養での看取り期に入りました。今回は誤嚥性肺炎の治療中に投与されていた中心静脈栄養について記録していきたいと思います。現状を客観視するためのほぼ思考整理のための記事になってしまいました。重複事項などありますがご容赦下さい。中心静脈栄養=延命ではない
宮島のお土産物屋さんやまむら商店店主の山村ゆう子です姑の看取りを忘備録として書いてきました。これが最後。看取り手続きから2ヶ月、悩みに悩んで、結局10月12日に水分の点滴を外しました。通常だと口からの摂取が無いと保って一週間といわれました。夫は介護休暇をとり母の側にできるだけいることに。亡くなるまでの一週間を書きます耳は聞こえていると、一般的に言われているので
「本当に危なくなったら母の部屋に泊まってもいいですか?」この質問を何回しただろう最初は前の施設長に母が退院した時に聞いたと思います。(前施設長)「泊まり、、ですか?前例がなくて、、お貸しできるもののご用意もないんです。検討します」母の住む住居型有料老人ホームは2019年4月にできた新しい施設でその大半がコロナ禍、看取り自体もそうなく当然の返事でした。その後、サ責さん新施設長、、に機会あるごとに尋ねてたら、
6月半ば。特養にいるばあちゃんが傾眠傾向にあり「食事の機会を逃すことが多くなりました」と、ケアマネから連絡がありました3日くらい、食べられない日があったとのこと。それでも差し入れのデザートなら入る時もあるので「ぜひ持ってきて下さい」と。いよいよやってきたその時に、緊張しつつアレコレ買い、せっせと運び…。ババの特養では、コロナ対策が続いており、今できるのは月1回の窓越し面会のみ。しかし看取り期に入った場合は別だそうで、毎日でもロビーで面会させてくれるらしい。…というわけで、主治医
インスタで繋がって方はご存知かもしれませんが先週日曜にめめが19歳3ヶ月で虹の橋へ渡りました。2004年生まれのめめちゃん。今年20歳まで生きるのだと勝手に思ってただけに残念で残念で仕方ありません…気がつけば人生の半分は一緒に過ごしていつでもどこでも一緒にいるのが当たり前で毎日一緒に寝てて私のどんな寝相に負けずに居座り続けた子。こうやってブログなどをPCで書いてる時も必ず膝の上に居てずっとそばにいるのが当たり前でした。波乱万丈すぎる飼い主だけに19年の間に引っ越しも1
中国で『マイコプラズマ肺炎』が猛威、小児科病院が崩壊寸前診察まで24時間待つケースもhttps://x.com/Rapt_plusalpha/status/1728376071568109796?s=20中国で急速に蔓延しているこの病気は、ワクチンの副作用、反応によるものです。中国で蔓延している肺炎はマイコプラズマ肺炎と呼ばれ、文書には副反応として記載されています。https://x.com/HermitGray/status/1730391663921799504?s=
◆連休中、仕事が休みだった義弟が妹と一緒に母と面会してくれました。そこで「医師が言うようによくなるように思えない」と。う、うん。渡しも薄々そう思ってたんだけどねorz一年前、義弟母は老衰の為亡くなっています。食べられなくなって一度は入院したものの、それ以上よくなる事なく亡くなったのです。その時に似ている、と。お、おお。そうか。そうですか。確かに凄ーく痩せましたからねー食べられない。体が受け付けないだと老衰だよなー(遠い目)妹夫婦からオットにも言った方がいいと言
姑が亡くなった。半ばわかっていたことだった。前々から決めていた私の台湾旅行の直前に、義母が危篤状態に陥っていた。義母がひとり暮らしになってからサ高住で亡くなるまで、6年ほどお世話をさせていただいた。「mocoさんもういいから後はまかせて。台湾行ってきて」と言ってくれた亡夫の親族達に感謝しつつ台湾に出発し、その翌日に訃報を聞いた。もう私にやれることはなかった。日用品やおやつを届けて世間話をし、まーるく掃除して帰るのが私の役目。姑が最期のときに会いたいのは私じゃないし、葬儀を仕切
祖母が亡くなり1年が過ぎました。気持ちの整理がついてきたので、書き残せたらと思います。以前ブログにも書きましたが、祖母は認知症を6年前に発症し、最後は老衰で亡くなりました。自閉症とは違う!っと思われるかもしれませんが認知症と自閉症…脳の機能障害。共通する部分も多くあるように感じるのです。認知症は何かの病気によって起こる症状や状態の総称です。老化によるもの忘れと認知症はちがいます。誰でも年齢とともに、もの覚えがわるくなったり、人の名前が思い出せなくなったりします。こうし
老衰の父を老健で看取ることになり戸惑いと葛藤の記録を綴ります。父は79歳(昭和18年生まれ)介護度58/2に食事を食べなくなりました。点滴をしていましたが、8/22でやめました。点滴をやめるに至った経緯は後程書きたいと思っています。飲まず食わずで10日目前日8/3022時のバイタルは大きな変化なく23時半過ぎの巡視に行ったら息が止まっていました。深夜に看護師さんからの電話8/310:56死亡確認父は、飲まず食わずで10日間生きました。私の気持ちがまだ逝かないで
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母地方の田舎住まい特養で看取り期に入り2週間になります。介護のキーパーソン:兄母と同県住まい介護者その2:私実家から半日かかる首都圏住まい今回は特養の看取り対応についてと母が特養の嘱託医から受けている医療行為をお話しいたします。私たち介護者への対応特養での面会は看取り期と言うことで、9時から17時ころならいつでもOK。始めの1週間私は、ホテルから毎日面会しました。特に急変
退院後の1ヶ月、父の容態は坂道を転がるようだった。一週間後には食事をまったくとらなくなった。二週間後には飲み物もほとんど飲まなくなった。日ごとに出来ることがなくなっていき、自分でベッドから立ち上がることが出来なくなった。にもかかわらず、トイレに行こうとしてベッドから何度も落ちた。次第に眠っている時間が増え、起きている時間が短くなった。退院後に本人が望んだ皮下点滴だけで命を繋いでいた。それでも、姪っ子が来てフルートとバイオリンで父の好きな歌を演奏したときは、楽しいなぁ、嬉しいなぁ、と
知り合いから相談がありました30年ほど前に通っていたお店のご家族でわたしの新聞記事を見て相談に来ましたご自分が手術を受けることになり自宅で一緒に住んでいる母親をどうすればいいかという相談ですレスパイト入院ができないか探したそうですが稀にピクピクとひきつけのような発作をおこすことがありそれが理由で断られました精密検査を受けてピクピクの原因をはっきりさせてから再度相談して欲しいと言われたそうですお母さんを預けなければ手術が受けられないケアマネが施設も探したそうですが同じ
こんにちは。今日は1月に亡くなった義母の四十九日と納骨式でした。行年101歳、老衰で苦しむ事無く大往生だったそうです。一昨年の秋の誕生日にはピンピンしてたんですが、わずか半年程で一気に弱ってしまったよう。法要は先祖代々お祀りしてもらってるお寺さんの本堂で執り行いました。私はこのお墓には入らずに樹木葬で永代供養にしてもらうつもりで近い内にお手頃な所を探して見学に行こうと思ってます。最初は海洋散骨も考えてたんですが息子がお参りする的が無いと寂しいと言うので樹木葬にたどり着きました。
特養でお世話になっている母カメコと面会してきました。今日の母は穏やかでした。長女と次女も来てくれましたが、面会はふたりだけという特養さんのルールがあるので、はじめに娘達が面会して次に次女と私が交代しました。母は、もう長女と次女の名前も忘れたようで反応はうすかったらしいです。知ってる人らしい程度の認識娘に「どこの山から来たん?」と聞いたらしいです山って???山岳動物じゃないよ次女と交代して私が行ったら母カメコはちょっとニコリとして「おかあさん…」と呼びました。私が娘で
31歳のまたりです7歳の息子が居ます一昨年2月に1歳年上の夫と再婚。去年1月に23週で死産を経験しました。次は元気な我が子を産みたいと3月から妊活を再開し、6月の終わりに授かりました予定日は今年の3月そんな私の妊娠記録ですよろしくお願いしますこんばんは、またりです予定日(誘発分娩)まで残り2日夜になると張りは少し出てくるのですが、朝は全く無く、しかもずっと出ていたおしるしも止まり、全然産まれてくる感じはありませんそして今日明日と、土日ということで、もし陣痛が来て入院!と
「もう仕事はしなくていい」神田正輝老衰状態で意気消沈…入院生活も“面会謝絶”状態神田正輝(73)が出演している唯一の番組である『朝だ!生です旅サラダ』を’23年11月18日から8週連続で欠席しており、12月2日の放送では「体のメンテナンスのためしばらくお休み」と説明があった。最近の神田は激ヤセが心配され、現在は都内の大学病院で入院中。筋肉の衰えにより日常生活が難しく、体力の低下が著しく、感染症の恐れから「面会謝絶」の状態だとされている。精神的にも沈んでおり、“老衰状態”とも言われて
担当者会議が終わり母の部屋へ行くと、母はスースー気持ちよさそうに眠っているように見えました。20分ほど過ぎると、目がうっすら開いたので、「お母ちゃん、起きた、、?」と声をかけるも言い終わる前にまた激しい痙攣(ケイレン)が始まりました。私は水色の自由ノートに母の痙攣が起こる度にその様子と時刻を記入しました。口が引っっぱられるように引きつり口をモゴモゴさせる目はカッと見開くも焦点合わず顔は歪み苦しそう
23日(火)の朝。高齢の北海道犬・ゆゆんが老衰で永眠した。(以前、ブログに載せた写真を再度載せてみた)文章がまとまらないけど。何か書きたいという欲、というか。アタシは文章を書いていると落ち着くのでブログ更新。ただいま、別ブログで書いた文章で精一杯の状態。しばらくブログ更新など休むかも。。。
みなさま、おはようございます最近はレビュー記事が続いていたので、ちょっとブレイク。が、内容は明るい物ではないので朝から暗い気分になりたくない方はここでお引き返しを。義父が約3年前に自宅で熱中症で倒れている所を発見救急搬送し、命は取り留めた物の認知症を発症しており1人での生活は無理と判断。。。それからしばらく病院に入院していてその間に介護施設を探し無事に入所決定🏠それが約2年前。そして先月の下旬に差し掛か
老衰の父を老健で看取ることになり戸惑いと葛藤の記録を綴ります。父は79歳(昭和18年生まれ)介護度58/2に食事を食べなくなりました。点滴をしていましたが、8/22でやめました。点滴をやめるに至った経緯は後程書きたいと思っています。飲まず食わずで9日目出勤しながら、最新の父のバイタルを聞くのが日課になりました。血圧が前日よりも下がりました。4時半血圧80代/40代呼吸は努力呼吸いよいよですか?母と昨日会ったので、父も満足したのかな?色々な事が頭をよぎります。仕事を
こんにちは。ちょびです。昨年末のクリスマスの日認知症の母(87歳)は誤嚥性肺炎で急性期病院に搬送されました。今回は病院を退院するときに受け取ったリハビリテーション総合実施計画書から分かった母の入院前後の様子や入院中の医療措置を記録をかねて残しておきたいと思います。心身機能・構造特養〇〇園入所中発熱当院にて肺炎と診断元々は11/c介助移乗レベル11/cの意味は、調べたのですが分かりませんでした。介助移乗レベルとは、ベッドから車椅子へ、車
EVEです。色々溜まったネタを放出中でありまして実際の時間軸と多少タイムラグがありますのでご了承ください。本日は医師会の先生方や医療従事者、介護従事者と一緒に北村山医師会主催の「看取りシンポジウム」に参加してきました。今回のテーマは「老衰死~今、その実態に迫る~」会場はもう既に満員であり、今回はリモートでの参加も有りのハイブリッド開催であります。なんとか空いている席を見つけ受付で渡された袋を開けてみるとおやおや、次第や資料などが鮮
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母誤嚥性肺炎で3ヶ月間の入院治療の結果肺炎は完治したものの身体がすっかり衰弱し、寝たきりに。認知度も高度認知症と判定され老衰として特養での看取り期に入りました。中心静脈栄養を外した後の母ですが・・一番驚いているのが目やにがなくなったことなのです。カテーテルを付けている1週間は目やにが固まって目を開けることもなく母の意思表示であるまばたきすら出来なくなっていました
最近、父がだんだん弱ってきている。母が他界してから今年で2年。3回忌。昨年夏にコロナになってしまった父。コロナが治ってから、元気になったけど、その頃からどんどん痩せてきてしまった。昨年末に父が着替えてるのを見た時、あまりにも痩せた身体にびっくりした。大工だった父は筋肉質のガッチリした体つきだったのだが、歳とともに衰えてはいたものの痩せた身体ではなかった。しかし洋服を脱いだ父は鎖骨が見え、筋肉質だった腕や脚はだいぶ細くなってしまっていた。私はびっくりして、父の体重を測った。46kg