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朝起きて朝食を取りに談話室に行ったら、新しく入院したのか、パジャマ姿の女性がいた。双極性障害のWさんと一緒に座っていて、「新しくママが加入よ!」とちょっと興奮気味に声をかけてきた。彼女の暗さとは対照的なテンションだった。彼女は、とてもやつれていた。そしてとても物静かな女性だ。ポツリ、ポツリと小さな声で話した。「私、Aと言います。きのうの夜、ここに救急車で運ばれてきて。別の病院から。あるのは、このパジャマ1枚だけで。何もありません。恥ずかしいのですが・
〈死に至る病―産後うつー〉妊娠し、胎児の心拍が確認できる妊娠約8週以降、各市町村で申請すれば交付される「母子手帳」。その後ろの方にこうある。「『産後うつ』は、産後のお母さんの10~15%に起こるとされています。(略)産後うつかもしれない、と思ったときは、迷わず医師、助産師、保健師に相談しましょう」どの育児本にも、産後うつの人に向けた本にも書いてあるのはたいてい、最寄りの医師や保健所などに相談しましょう、とだけだ。では、相談したらどうなるのか。先のことを書い
2017年8月30日抗うつ薬ジェイゾロフトのアクチベーションで、変になってしまい、自殺未遂までしてしまった私は、医療保護入院という形で精神病院の閉鎖病棟に強制的に入院となってしまいました。当時日記をつけていたので、振り返りながら、自分の記録として残していこうと思います。春頃に、この入院時代の日記を読んだ時はトラウマが蘇ってきたのでしょう、辛くて泣いてしまい、数日間精神的に不安定になりました。子供に、入院はともかく拘束されるような必要性はなかった。あの入院
それは、はたちを少し過ぎた頃の記憶。私は、病院のベッドで、全身拘束されていた。「あ、気が付いた?」叔母が私を覗き込んだ。「苦しい、これ、外して」「もう暴れなければ、取ってくれるよ。怪我すると危ないからだよ」「暴れるって、何?」私は、暴れたの?ここは、どこなの?何故こんな事になってるの?「精神病院に運ばれたんだよ」「え、何で?」「何でって、運ばれたから、来てくださいって連絡があって、叔父ちゃんと叔母ちゃんとママと駆けつけたんだよ」「気が付いた?あぁ良かった...」母の声
26日の訪問看護の日、看護師さんとお話ししてて、あと10分くらいってなり、ダイエットの話をしている時、段々体が動かなくなってきた。訪看の人の話では、段々口数が少なくなってきて、あれ?と思った頃には、すっかり体が固まって、反応がなくなっていたとのことだった。母を呼んできて、ベッドまで誘導してくれて、「休んだほうがいいよ」と言われ、寝ている間に母と訪看の人が話をしていた。私は、それからずっと喋れなくなってしまって、主に母が私のそばに付き添ってくれていたんだけど、硬直したり、けいれん
こんばんは今日は息子君が児童精神科に入院した時の事を書きたいと思います。入院したのは一年生の7月。4月から小学一年生のだった息子君。環境の変化に馴染めず他害行動が酷くて大変でした。元々手に負えない子だったのが、ヒートアップする程に手が付けれない状態にまでなっていました。毎日お友達にケガをさせて帰ってくる息子君、注意してもいくら言い聞かせても治りません。それ
夫がオーバードーズをしているスマホの動画を、夫の上司のクリスさんに見せました。するとクリスさんは…最初の10秒ほど見て…「ちょ、ちょ、ちょっと待って…!」「はい?」「この動画がどこからきたものかわからないから、僕は観ることはできない。」…は?…どこからきたものか、わからない?「妻の私が見せているんですよ?夫がオーバードーズをしている姿を。」「…でも彼は、米軍の薬物検査に引っかかってない。だから…。」「だからクリスさんもお分かりですよね?米軍の薬物検査は、覚醒剤の違法ド
皆さまごきげんよう、エシュルンです(^-^)♪私は心の病気で過去に何度か精神科の入院施設にお世話になったことがありました。今回は酷いうつ病のため療養させていただいた病院での思い出話です。その頃の私は週に1回精神分析的心理療法という治療を受けていました←ご興味がありましたらGoogle検索してください( ̄▽ ̄)トータルで7年程受けましたが、その途中でだいぶ心身が弱ってしまったので一時的に休息することになり、担当医が以前バイト(?)されていた病院を紹介していただいたので
また0からになりそうです。すみません。生きるための最善を尽くします。家族や親族が協力してくれると思います。たったこれだけ、たかが仕事1つ辞めるのが命懸けになるとは思いませんでした。おそらく過去のフラッシュバックでしょう。いつもここで関わってくれる方々、ありがとうございます。
11月。本来、8月あたりに転勤で日本に帰れるはずが、夏は終わり、ハロウィンも終わり、ハーヴェスト(収穫祭)の秋になりました。アメリカでは、11月に感謝祭、12月にクリスマス、1月にお正月、一年で一番盛り上がるホリデーシーズン。しかし私は苦しくて仕方がありませんでした。不安で不安で、夜は眠れなくなり、昼間は子供たちが起きているので私も起きていないといけませんが、いつもリビングのソファで横になり、子供たちを”見ている”ことが精一杯になりました。年が近い3人だったので、
●壁に挟まりたい前回、保育園のことでイキマキしましたが、そんな私ですが、2人の子どもは怖いは、食欲は全くなくて、親にかってきてもらうスタバのデカフェのソイラテだけ、な1日。頓服も何度も飲み、家族にも「このままでは落ちていくだけだ」という絶望が漂っていた。夫からは、寝つき悪くなるから、自殺だけはしないでと言われていた。ある朝、私は、ベッドと壁の間に、挟まりたくなった。ベッドの上にいるのがもう辛くて、何か密閉したところに自分を追い込めたかった。転がって、そこに落ち
1月24日仕事中に突然精神科の看護師から電話が来た左の手のひらが火傷みたいにただれて広がってるから皮膚科でみてもらう今から保険証持ってきてくれますか?えっと…仕事で自宅に戻れないので今日はちょっと難しいですいやーすぐにでも診てもらった方がいいと思うんです…そんなこと言われてもすぐには無理だよぉぉぉでは預り金から一旦10割負担で支払いますこれから大きい病院に行きますと。詳しい状態を聞くと左手だけただれて、水膨れになって腫れてると。その日
未熟児で産まれて、斜視で産まれて(欠陥品)、癇癪ばかりの幼少期、口を開けば嘘ばかり、(嘘つき玲瑠のレッテル)3歳から、始めたヴァイオリンは身に付かずキラキラ星さえまともに弾けない。幼稚園から塾に通うも成果はなく、入塾テストに落ちて塾に入れず、入塾出来ても偏差値35、塾、掛け持ちしても成果はなく、中学受験は失敗し、勉強の為にバレーボールは退部させられて、でも、成績は後ろから数えた方が早くて、高校も下のクラス。勉強の為に英語劇部を諦めさせられて、6年続けた茶道部。副部
おはようございます*昨晩も徹夜で読書でした。実は、寝ていない理由は、入眠時しているときに、心臓を鷲掴みされたみたいになり、苦しくなるからです。それになると、起きたくても起きれなくて、ひたすら、鷲掴みと解放を繰り返すのです。症状が治まり、起きられたとき、全身の震えと冷や汗になります。昼夜問わず、眠ろうとするとなります。この1週間殆ど寝ていません。疲労が蓄積されていて、とても辛いです。兎に角眠りたいです。でも、またなったらどうしようって恐怖が有り、眠れないのです。だ
夫の精神科の受診日。「パパ、精神科へ行こう!」「行かないよ、精神科には絶対行かない。」「なんで!」「精神科医に依存症は治せない。まんまと精神科に行けば精神科医に、『君は鬱病だ、双極性障害だ、不眠症だ』と病名をでっち上げられて、向精神薬を処方される。僕は薬物依存症だから、とにかく薬を一切やめなければならない。向精神薬なんか処方されたら、そっちを依存してオーバードーズしてしまう。向精神薬の依存性は本当に恐ろしいんだよ。違法ドラッグの末路は、『運が良ければ刑務所行き、
ADHD、適応障害でワーママですが、現在は2023年7月より休職中です。夫と一緒に小1、年中(両方男児)を育ててます。ドタバタな毎日を記録してます私の病状について詳しく説明します!今回は精神科受診している疾患について書きます思ったより長くなってしまいました診断名について私は今、ADHD(多動性障害)と適応障害と診断されてます。適応障害は当初「産後うつ状態」との診断でした。治療内容現在は、眠剤(デイビゴ)と抗うつ剤(エビリファイ)と、頓服で安定剤(クエチアピン)を服用中です。精
●入院したくない!精神病棟が怖い入院が決まってから、ものすごく怖くなってきた。精神病棟に入院なんて、いったいどんな人たちがいるんだろうか。芥川賞候補にもなった「クワイエットルームへようこそ」という小説(のちに映画化)ご存じだろうか。松尾スズキ原作・監督・脚本なのだが、私の中では、精神病棟といえば、このイメージが強烈に残っている。映画は、内田由紀演じるフリーライターが、確か恋人と喧嘩した衝動で睡眠薬の過剰摂取(オーバードーズ)で救急で運ばれて、目を覚ますと真っ白な部屋に
家の中が一気に寂しくなりました。入院前日、泣きながらでしたが暴れはしなかったので、シャワーを浴びて、長かった髪を切り、薄汚れたパジャマを着替えることができました。飲食で精一杯で、シャワーどころじゃなかったので、息子の体を見るのは12日ぶりでした。自慢のプリプリだったお尻に膨らみはなく、あばらや腰骨は浮き出ているし、手首もとっても細くって、こんなにも痩せてしまったことに悲しくなりました。冗談を言ったり笑顔があったのでここまでとは思いませんでしたこんなにつらかったのに、時には笑うことができ
6/14うつ薬を飲んでいてハイリスク妊婦ということで、長崎大学病院の方へ産婦人科紹介され受診。13日までは今までかかってた産婦人科に入院(悪阻という名目で)してたんだけど13日に、辛すぎてその病院の屋上に登ってしまったんです。死のうと思って。でも屋上には内から鍵がかかってて、行けませんでした。行けてたら本当に飛び降りてただろう自分が怖くて。でもその産婦人科には大学病院に受診するにはなんか保険の関係?医者同士のことで分からないけど、一旦退院してからじゃないと大学には行けないそうで、、、
2日連続の一時外出、午前10時~午後8時をこなせた。やった!私は、自信がついた。次は外泊できる。そう思っていた。きのうに引き続き、S医師がドアを「ドドン」と叩いた。「面会室で」問診では、この2日、料理・育児ともにできることは全部できた、と報告した。S医師「では、次の外出と問診はいつにしましょうか」えっ・・・「外出」なの??私「先生、わたし、あすあさってと外泊したいです。今ならできると思うんです」S医師は即答した。
入院も2週間くらい経つと慣れてきて、毎日の生活の基本スケジュールみたいなものがわかってきました。この精神科病院は、患者は3色に分かれた手帳なる物を渡されます。皆はそれをパスポートと呼んでました。パスポートは3色ありました(3種類)最初に入院した時は皆ピンク色のパスポート。そして病状や状態が良くなるにつれ、黄色パスポート、緑パスポートと出世していきます。上の階級のパスポートになるにつれ、できること、許可されることが増えていきます。私はピンクパスポートから始まり
精神科の緊急保護施設でのお医者様は、インド系アメリカ人の40代くらいの男性でした。「看護師から聞きました。あなたはどう見てもstableだからここで保護する必要がないと。」「はい、その通りです。」私はお医者様に全てを説明し、「今日はハロウィンだから帰らせてください。子供たちには私がいないといけません。」「しかしこの緊急保護施設は最低3日間は保護する必要があります。その規則は変えられません。」「その規則は自殺の恐れがある患者さんに対してですよね。お医者様も見てわかるでしょう、
病院に帰って2日後、夫から電話📞「離婚してもいいよ」と「今まで沢山迷惑かけたし、離婚しかないよね」と。かなり落ち込んでる感じでしたので、1人にするの可哀想かな、不安だなと少し心揺らぎましたがこれ以上夫の尻拭いも出来ないし裏切られるのも嫌子供達にも苦しい思いさせたくない離婚に向けて準備を進めました
『拒食症入院娘の場合』『摂食障害入院について』ここのところ、LINEやメッセージで娘が摂食障害で入院した時のことを聞かれることが多いです。⭕️お子さんが入院したら良いか…ameblo.jp『拒食症入院娘の場合②』『拒食症入院娘の場合』『摂食障害入院について』ここのところ、LINEやメッセージで娘が摂食障害で入院した時のことを聞かれることが多いです。⭕️お子さん…ameblo.jp拒食症入院入院してもしばらくは800カロリーも完食出来なかった娘。完食出来なけ
恐れていた。環境が変わることを。恐れていた。私の入院は、そろそろ3か月にかかろうとしていた。3か月、それが何を意味するのか。「急性期病棟にいられるリミット」が近づいてきている、ということだ。他の患者さんからも、「そろそろ転棟?」と言われることが増えてきた。行き先は、慢性期病棟だ。急性期から慢性期など、病棟が変わることをこの病院では「転棟(テントウ)」と言った。だから、「●●のおばあちゃんが、テントウだって」と患者同士で話していると、転んだの?病棟移ったの?とど
ラミクタールを寝る前の薬に25㎎追加してからレボトミンの調整が上手くいかない。せっかく慣れて、数日あけて追加しながら、毎日追加するようになり、足りない?となっていました。このまえの診察でラミクタールが夜に追加だった為、レボトミンを減らすことにしました。追加なし眠れたが数日続き、夜中に起きてた日がきたので、一昨日は追加、副作用が強いなった。昨日、訪看さんと相談して、追加せずに0時30まで寝れなかったみたいです。追加しました。でも4時ぐらいまで、眠れなかった、
こんばんは*レントゲンの結果はヒビや骨折はありませんでした。ただ見た目が凄いだけ。正直、折れるくらい痛みがほしいのだけどね。。今日は3食とエンシュア2本摂取しました。食後の吐き気は酷くて、自然嘔吐しそうでした。吐き気止め頓服してやり過ごしました。明日からは毎食処方してもらう事にしました。主治医に、仮にグルホに行くことが決まったら退院まで、どれくらいかかるか聞いたら、かなり長期だと言われました。。まぁ、ポンポン話が進む事じゃないのは分かってたし、祖母の施設探し
皆さん、コメント、いいね有難うございます返事をする前にごめんなさい。体調、気持ちは全く変わらず毎日このままなのか不安でソワソワです(;;)でも、皆さんからもらった前向きなコメント、必ず治るという言葉をずっと繰り返し見てます!さっき、総回診がありました。70代くらいの教授?が入ってきて、主治医「妊婦で鬱です」教授「妊娠して赤ちゃんもいるのに何で死にたいと思うの?」私「あの時はソワソワがひどくて衝動的に飛び降りたくなりました」教授「あなたが死んだら赤ちゃんどうする
1月26日精神科の主治医から電話が来る2日前のやけどの件かと思ったら肺炎になって熱があるこの1年で3回ほど肺炎になってる飲み込む力が年々弱まって誤嚥性の肺炎が度々ある胃瘻の検討をした方がいいかもしれない。胃瘻をつけても唾で誤嚥することもあるんだけど肺炎のリスクは減らせそうとのこと。胃瘻か…13年前を思い出す…『PEG2日目』傷口体調ともに順調。鼻の管が取れたので、非常にすっきりしたし、何より本人が楽になったに違いない。消化器内科の先生が往診に来てくれた
精神科にて肺炎の治療をしつつ2月下旬精神科主治医から胃ろうの件で電話が来ました。今は胃ろうを増設することは【考えていない】旨を伝えると肺炎とか窒息とかの危険性を抱えながら生きていくことになるって言われたけど……胃ろうについてたくさん調べたし考えたし子供らとも話し合って義母とも話して出した決断。なにより旦那だったら何を望んでるか…そして考える度に半べそになりぶれまくってる私に娘が言うパパの想いを代弁できるのはママしか居ないんだよ。急変とか