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このブログは中学3年生で拒食症になった娘のことを振り返りながら書いています。娘は高1の5月に体重は回復し、一時は高校生活を送っていましたが、高1の12月から再び拒食症の渦に飲み込まれ、さらにさらに体重減少。高2の5月、体重減少から意識障害で救急搬送され、3か月入院し、8月に退院しました。高2の8月退院後、体重は増減しながらあまり変わらず高校3年を過ごしました。退院後の高2の秋にコーチ史子さんに出会い、私は拒食症のこと克服手法を学びました。娘は大学生になり、拒食症をどんどん手放しはじめま
9月5日、体重27.3kgでついに入院。退院基準の体重は35kg。まだまだ低体重だけど今の体重から約8kg増やすと考えるとそこそこ。今の体を手放すのは少し惜しいけど、入院して手に入る体でできることは今よりもずっとずっとたくさんある。美味しいものを好きに食べて、行きたいところへ好きに行く。今食べたいけど食べられないものや行きたいけど行けないところへ行ける自由を手に入れられるなら、私は治療したいと思う。体重が増えるのは怖いでも怖さよりこの先の自由を楽しみに思いたい少なくとも2ヶ月
はじめての方へ♪はじめにこちらをお読みください♪はじめての方へ。はじめにこちらもお読みください2。こんにちは。拒食症克服応援カウンセラー赤松史子(コーチ・アヤコ)です。あなたは、拒食症の克服って本当はどういう事なのか、自分の言葉で言えますか?私が、娘の拒食症を半年で克服に導いた2008年ごろは、拒食症はまだ、食べれば治る病気、とされていました。体重が少ないから脳が委縮し、まともな考えができないとか、この子は頑固だから
早朝3時に空腹で目覚める。ザバスリッチショコラ(アマゾンで定期購入)スプーン3杯を500mlの冷水(ペットボトルに水道水を冷やしてある)でシェイク、一気飲み。アマ~い!(≧▽≦)生クルミ5粒とアーモンド3粒←数えてないけど、おおむね(缶に入れていつもテーブルに置いてある)、100均ローソンの味付けゆで卵1個。よーく噛む。噛むって、楽しい。朝食終了。二度寝。7時起床。1時間かけてヘアメイク、お出かけ。メルカリでゲットのプラダのタイトなシャツ。カフェでブラックコーヒー✖️2。オンオフ共に、
夕食(今の鉄板メニュー)。まず前菜、キュウリ3本。(3本とも丸かじり)トマト1個。小さく切って。いずれも味付けはなし。次、蛋白質はいりま~す。魚肉ソーセージ(業スーで買いだめ)1本ちょびちょび丸かじり。超加工食品だけど、経済事情&カルシウムとVD狙い。これを生クルミ一掴みと共に、韓流ドラマを見ながら、ゆっくり噛んで食べる。クルミの歯応えが、ソーセージのふにゃふにゃをカバーして、美味しい。生クルミは、オメガ3脂肪酸狙い。次が、「すごい納豆」1パック。シールド菌入りのタレに穀物酢を混ぜ
5度目の入院の時、私はもう18歳だった。本当なら大人の扱いで、精神科に入院になるところ。でも長い間その小児科で診てもらっていたのと、当時の病状が病状なだけに特例でまた小児科への入院となった。入院中に年越しを迎え、28kg程度まで体重が回復したところで退院になった。そしてすぐ、別の大学病院の精神科に入院することになった。私はビクビクしていた。当時の私は、精神科は怖いイメージがあった。身体拘束は必ずされるものと思っていた。部屋に鍵をかけられるのが当たり前と思っていた。しかし実際
꒰ঌ⚠️閲覧注意⚠️໒꒱腸と脳、カラダも心も全てどん底期。。。しかし、今☆。.:*・゜人間ここまで落ちても強い意志で取り組めば必ず回復する私の経験は財産であり、誰かを勇気づけて救う為にあると痛々しい画像ですが投稿させて頂きます💫身長157cm体重27kg診察中に意識を失い強制入院拘束されての入院24時間点滴、監視、ICU【死】を宣告された私診察中のイスから意識を失い崩れ落ち、私はそこから記憶がなく、目を覚ました時には全身拘束帯でベッドにくくり付けられて
※数値記載あります。身長156㎝←去年他病院で手術の時に測ったのはやっぱり間違ってたのね…。体重25.5kg←服の分引いてくれなかった。当たり前???血圧下は忘れたけど上は72朝抜いてたせいか1回目は68だった視力右1.0左0.8←あれ?この間眼鏡作ったときより上がってる??血液検査貧血。これはいつもこのくらいの数字。この辺は正常低カリウム。最近は3.0になることもあったけど、い
会話が無い。必要最低限のやり取りはしても、目も合わせない。食事の時間はまるでお通夜。私の食行動が原因で怒られてばかり。家族との、そんな日々。私さえいなければ。私はこの家のただの穀潰しで、要らない人間。何をしても怒られる、生きるのがツラい。この家にいたくない、いられない。ある日私は、家出をした。家を出たはいいものの行き先の宛もなく、でもとりあえず人の多い所へ行こうと思った。大量の荷物を持って、電車で東京へ。初めての街を、とにかく歩いた。気づけば辺りは暗くなり始め、初冬の
朝食の後、何だか気分が悪かった。「なんか…気持ち悪い…」そう母に言うと、母は私の様子がいつもと違うと感じたようで、すぐ病院に電話をした。既に出勤していた父親を呼び戻し、私は両親に連れられて病院へ。車椅子で診察室へ運ばれたけど、座っていられなくて横にさせてもらった。その日のうちに入院が決まり、3度目の入院となった。私が病室に運ばれてから、両親は先生に叱られたらしい。なぜあんな状態になるまで連れてこなかったんですか、と。私は自力で起き上がるどころか、寝返りもうてなくなっていた。
カロリーが怖いでも拒食症は治したい!と思っている人は知りたいことですよね!“治すために”どれくらいカロリーを食べればいいのか。まず結論から言いますね。それは・・・・・・・・・あなたの体だけが知ってます!!「〇〇カロリー」の答えを期待してた人はイラッとしますよね、こういう回答😅ガッカリさせてしまったらごめんなさい。でもね…本当に摂食障害を治したいのなら「カロリー」の概念を手放さないとだめなんです。数字に頼らずに「体を信頼すること」を覚えない
4度の入院生活を経て、当時の私としてはかなり安定した時期に入った。入院中から少しずつ勉強していた高卒認定試験は、退院してから試験を受けて合格した。更に原付バイクの免許も取った。実は3度目の入院中にうつ病の診断も受けていたのだけど、この時期は精神的にも安定していた。どんどん意欲的になった私は、アルバイトをしたいと思うようになった。1、2回目は不採用。どちらも担当の方に「ウチは力仕事もあるんだよね。けっこう痩せてるけど、大丈夫?」と訊かれて、もちろん大丈夫と答えたけど採用はし
今日は娘と妻と手芸屋に行ってきました。俺はよくわからないんですが……興味があるものがたくさんあったみたいで喜んでました。ああいうとこ、好きなんだよね、2人とも。シルバニアファミリーとか目を輝かせてみてました。小さい頃はあんまり興味がなかった?気を使って欲しがらなかった?娘が2、3歳のときたまたま地デジに切り替わる時期でしばらくテレビがなかった我が家。アンパンマンが喋ることも知らずはじめて声を聞いたとき「なんか思ってたのとちがう…」って言われたことを思い出した。
中学3年生、修学旅行。修学旅行の時くらいは好きなように食べようって思ってた。だから自由行動の時間になって、たまたま入ったお店で試食の生八ツ橋を1口。物っ凄〜く美味しかった!久しぶりの甘いもの!そしたら私はなにかのスイッチが入ったみたいに、お菓子を試食しては買って…を繰り返した。移動のバスの車内では寝てる友達の横でずっとお菓子を食べて、旅館に着いてからの休憩時間も人目を気にせず食べ続けてた。気づいたら食べすぎて気持ち悪くなって、同時に強い罪悪感が込み上げてきた。やばい、
こんばんは〜✨(ॢ•ᴗ•ॢ)*:・゚✧✨なんとなんと!今日は2000カロリー摂れちゃいました❤しかもほぼ罪悪感やそわそわ、嘔吐したい感もないです₊˚‧(๑σ̴̶̷̥́σ̴̶̷̀ू)·˚₊💕心身が求めたのかなぁ…?まだ身体、こんな醜いものだもん(ᐡ̥_̫_̥ᐡ)ガリガリ…🥺ただ実質的にほぼラコールさんでのカロリー摂取(なんとラコール1日で8本『200ml×200calorie×8pack』飲んじゃった〜(´ฅωฅ`)エヘ💓)←もともとラコール、大好きなんです🥰なので、
もうすぐ40代後半。独身で実家暮らし。中学生のころ摂食障害になりました。その後は少々食べ物や食べ方にこだわりがあったものの、ほぼ普通の人並みに食べれていましたし、治っていました。それが最近になり又拒食症が悪化してしまい、今現在はかなりの低体重。動かないせいもあるのかもしれませんが、階段は上がるのが大変だし、しゃがんだら手をつかないと立ち上がれないような状況。毎日無職なので読書したりして過ごしています。※この記事から少し経ち、今では、かなり体重増え、体はほぼ普通の人並みに階段上がったり楽に
あれは約9年前、中学2年生の夏だった。好きだった国語の先生、私にとって彼の話は全てが正しかった。細かい内容は忘れてしまったけど確かにあの時、先生は「ダイエット」について話してた。その話を聞いて私は、「よし今日からストイックに生きるぞー!」って思ったの。毎日たくさん走って、食事制限もしよう。って。この時はまだ、痩せたいとは思ってなかった。自分をストイックに追い込んで生きることがカッコイイと思ってて…つまり「カッコイイ女」になりたかったんだよね。激しい運動・食事制限=自
別の病院に移っての2度目の入院生活。最初の身体測定では153cm28kg。食事は800kcal/日から始まって、だんだんと増えていく。完食できないことが続くと鼻からチューブ栄養だと言われて、それは嫌だったけど完食も無理だった。だから先生に頼んで、栄養剤(ラコール)を経口摂取させてもらうことに。入院生活の最後の食事は2800kcal/日で、そのうち600kcalくらいはラコールで補ってた。そんなラコールだけど、入院生活の前半は隠れて洗面所に捨ててしまうことがほとんど。食事も
久しぶりに書きます。娘が大学を卒業してから4年もたちました。途中、こっぴどい振られ方をして、又過食、拒食に、、という思いもよぎりましたが、ちゃんと立ち直る事ができました。娘は就職し、そんなこんなで、最初のうちは色々ありましたが、仕事に行けなくなったりする事もなく、ずっと同じ仕事を続けています。その間に1人でドイツにいってみたり(沢山のハプニングあり)、アメリカにいってみたり、色々な人に触れ合い、世界をみたりしています。今の接客の仕事で、沢山お客様の様々な人生、考え方を聞く事で、視野が広
母親の関わりで子供の摂食障害を完治に導くカウンセリング子供の未来が幸せに広がる親子のコミュニケーションメソッド子供の摂食障害克服の専門家心理カウンセラーAiです。関東は先週末、一気に桜が満開になり最高のお花見日和になりました🌸私も早起きをして近所の桜並木までお散歩に出かけて来ました。見事に満開でした。鳥のさえずりを聴きながら桜の樹の下をゆっくり歩く時間が大好きです。一年にほんの数日だけの素敵な時間を心に刻み大切に感じて来ました。あなたは日頃、美しいものを見てご自分の心