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お盆とは思えない涼しさ、と言うよりも「寒さ」が続いております。ついこの間まで「体温並みの暑さ」などと言っていたのが、あれはいったい幻だったのでしょうか(笑)。でも再び暑さは戻るみたいです。体調管理にはくれぐれもご注意ください。さて、今日のテーマは「隔離・解離」となっています。ものの本によってはこの両者、同じものとして扱われているものもあるようですが、微妙な違いがありますので、ここでは「別物」として説明いたしますね。まずは「隔離」です。コロナの感染者は隔離しましょう。などと言っていまし
今日は終戦記念日ここっとさんはWEBでニュースを読むんですがここのところ、原爆や空襲被害者、外地から戻られた方々が戦争を語る記事が多く、今年は何故か特に心に染み入ります。ずっと語ってこなかったけれどもう最後だから、話すことに決めた。という方の体験談には本当に心揺さぶられますね。平和な日本に生まれ、育ち、今こうして生活できていることが如何にありがたいことか感じます。もっともっと感謝しなければと思います。ここっと家にも当然ながら家族の戦争体験談があります
2024年5月13日今日は雨と風で外出は禁止である。家の中をウロウロ歩いているが、憤死の言葉を思い出す。何時もの散歩道に墓場がある。槍の形をした軍人の墓も多い。暇な時には墓石の墓標を読みながら、「あんたはどこで死んだのか。悔しかっただろう。」と語りかけながら見て回る。墓石を見ているだけで年代がわかる。戦争始めの頃は上等兵でもすごく大きい。終わりでは少尉でもその半分もない。兵隊も、志願兵でも最初は日本の為だとか天皇の為だとか思っていたようだが、何年も苦労が続くと敵のアメリカ
お久しぶりです。2024年6月28〜30日、中野ザ・ポケットにて上演されます。プラチナネクスト第29回公演のご案内です。加藤道夫の小品3作品を上演します。メインは「思い出を売る男」劇団四季にて上演を重ねて来ました。残る2作品は「街の子」「誰も知らない歴史」こちらは本邦初演になるのではないかと。どちらもラジオ劇の小品です。ワシは「誰も知らない歴史」で六蔵爺やとして出演します。演出の的早孝起さんは文学座の若手演出家の一人。若手と言ってももう40歳になられるとか
1991年2月、海部俊樹(第76-77代)内閣総理大臣より、シベリア抑留に対する慰藉の念として「銀杯」が授与されました。その後も2007年に福田康夫首相、2010年に菅直人首相から賞状が授与されました。戦争体験語り部・與田治郎右衛門(襲名前:純次)の3時間に及ぶ戦争証言インタビュー映像(みんなの戦争証言アーカイブス)
1953年にアメリカで公開された映画「ローマの休日」について考察してみます。観てすぐにはこの作品の芯に触れることができず、途中もずっと「ああ、アメリカで作られた映画なんだなあ」と感じていました。物語の舞台はローマ。オードリー・ヘプバーン演じるアーニャ女王もヨーロッパのとある国から来た人物。これだけ聞くともっとヨーロッパの要素が強くてもいいのでは?と思っていました。本編中ではあまりそういった要素を感じません。ローマの至る所を巡るのですが。そもそもヨーロッパ要素って何のこと?という話です
昭和20(1945)年7月28日に発生した山陰空襲の証言を集め、小学校用の教材を作成中です。これまで8つの場所での証言をまとめ、このブログにも紹介してきました。今回、松江市玉湯町布志名で発生した列車が機銃掃射を受けた際、その列車の乗客であった2名の証言をまとめました。当初は、石見地方での発生や証言がないか文献調査を進めていましたが、発見することができていません。今回の証言は、・『新聞に見る山陰の世相百年』に収められている「空襲体験記」・『いしずえ』に収められている「湯町空襲」山
「大社宮島鉄道」という路線が、昭和7年から昭和39年まで出雲今市と須佐間に開通していたことをご存じでしょうか?出雲今市と広島県三次をつなぐ全長89kmの私設鉄道として構想、山陰と山陽とを結び出雲大社と厳島神社の参拝を容易にする目的があったようです。昭和5年12月に出雲今市と須佐間18kmが着工、昭和7年12月12日に営業開始となりました。この鉄道開設により、須佐駅周辺は活気を帯び、佐田町の中心地となりました。この時須佐は飯石郡須佐村でしたが、鉄道開通により、人やモノの流れが次第に出
タイトルだけ見て我が家の嘘つき少年に読ませようと意気込んで借りてきましたしかし内容が想定外!主人公が嘘を付く場面で私は泣きましたぼくはうそをついた(ノベルズ・エクスプレス55)[西村すぐり]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}今年の夏の課題図書です【中古】ぼくがバイオリンを弾く理由ノベルズ・エクスプレス2/西村すぐり【作】,スカイエマ【絵】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}↑これは同じ登場人物が出てくるそう
学童集団疎開生活の実態を解明する上で、当時の疎開生活の実際を記録した児童・引率訓導による手記・絵は貴重な資料になっています。この本には、東京女子高等師範学校附属国民学校〔現・お茶の水女子大学附属小学校〕の昭和19年8月21日から昭和21年3月までの1年7カ月にわたる疎開生活〔東京・久米川と再疎開先の富山県福光〕の様子が描かれています。〇防空演習で防空壕に入る各自の場所を決めた後、先生からの言葉は…「ここがみんなの死に場所だ。ここを墓場だと思っていなさい。」〔1944.10.20〕〇家