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"息子の死"という、破壊的な出来事によってこれまでの日常が激変したでもこれがこれからの日常だということを受け入れなきゃいけない時間が経っても癒えることはない立ち直るとか、乗り越えるということではなく、死を同化して生きていく息子がいないこの世界に適応するそういうことらしい息子は形が変わってしまったけど一緒に生きているんだ息子のことを想うだけでいつも側に感じることができる魂に話しかければ魂でいつでも答えが返ってくるそうだったら…勿論、顔がみたいし、触りたいし、今ま
こんばんわ。沢山のコメントを頂き有り難うございます。この場ですが、お礼と感謝を致します。有り難うございました。不思議なことが有りました。日曜日に息子が亡くなり旦那さんと、家に帰って来たら猫がエサを食べなくなりました。次の日も次の日も食べずたまに出てきては、息子の寝てる周りをヨロヨロと歩いては自分の位置に戻りました。夜寝る前に猫の様子を見ると亡くなっていました。息子の帰りを待ってネコも亡くなりました。本当にビックリしました。日曜日の朝までは変わりなく食べて
息子が中2の体育祭は、ほんと、びっくりした。カテーテル処置後の息子は見違えた。クラス代表のリレー選手に選ばれたからだ。小学校入ってからずっと、ただ、足が遅いのかと思ってた。そんなところもかわいい極まりないけどね。中2の体育祭の時は、私は中学校の広報部でまさかの部長だったから、ゆっくり見れなかった。私の母と見に行ってたが、母は技術的にビデオを撮る事が出来なかった。だから役員で待機中の時、自分のスマホで走る愛する息子を追った。ほんと、惚れ惚れしたよ。ゆっくり見れなかったけど、また来
私の愛する息子は、保育所の年長の運動会の時、メインである飛箱のトリを飾った。運動神経は、良いと認識していた。だが、小学校に入ってからよく、疲れるって言う様になった。いつもゴロゴロしていた。息子の友人のお母さんにもよく疲れるって言うねって言われた程だ。小学校の運動会のかけっこは、最後の方にゴールしていた。小4の時、本人の希望でサッカークラブに通わせた。うまく走れず、どうやったら早く走れるか一緒に考えた事もあった。リフティングもYouTube見ながら練習したね。小6の2月の駅伝の時、
息子は実家に帰って産んだ。実家には独身で、私の3つ上の兄も住んでいた。息子が保育所年中の1月。兄は睡眠中、自室のベッドの上で他界した。睡眠中、心臓発作で突然の事だった。息子は小さいながらも、命の重きの経験をした。母は兄の死を、これは、あの子の運命だった、と、言った。私は、この、愛する息子との現実を、私のせいで息子の運命は早まった、と、思った。兄の時、私の愛する息子はまだ保育所通いだったから、母にはその時、孫の為に生きろ、、と言ってしまった。だから、今、母に対しては大変申し