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常位胎盤早期剥離既往がある場合の妊娠。再発の可能性は、既往歴がない場合の10倍だと聞きます。あっという間に赤ちゃんの生命を奪う。母体も一気に状態が悪化。亡くなるケースもある。やっぱり、こんなに残酷な経験をした後の妊娠はいろいろと覚悟が必要だった。妊娠してからは毎日、毎日。1分、1秒たりとも気が抜けなくてずっと苦しかった。前回、死産をして直ぐに当時の担当医から「次の妊娠では管理入院」との説明を受けていたから、きっと、それなら大丈夫だと思うことができた。でも、結局、私の場合は管
妊娠9ヶ月沖縄から帰ってきて、少し心配だった検診。結果は問題なく、順調でした。この検診が結局最後の検診となりました。ひかたんが生まれる11日前でした。今思えばなのですが…ひかたん妊娠中のお腹はこの時フワフワしたようなお腹ではなく、硬めで突き出るような形のお腹でした。一人目の妊娠の時、+14kg二人目ひかたんの妊娠は初期の頃から体重管理をしっかりしようと、食事は腹8分目にして毎日食べ過ぎないように心掛けていました。そのため体重はこの検診の時で+8.8kg。体重増加を抑えている
こんにちは。2人目不妊で不妊治療中の32歳りりりです。休職中の看護師です。長女を出産後、2021年に次女を死産。38週常位胎盤早期剥離でした。その後帝王切開瘢痕症候群と診断され手術。体外受精で2人目の不妊治療をしています。2023年11月体外受精で妊娠も初期流産。心拍ありましたエコーが荒すぎてあまりわからんかった卵黄嚢も見えんかったとりあえずよかった軽いつわりと軽い胸の張りと脚がめっちゃだるいです妊娠したら帝王切開瘢痕症候群の手術した病院に連絡してって言われてます
お久しぶりですどうも最近バタバタしていたゆんゆです無事に子どもたちの入園式が終わりました!我が子の新しい園は2時間の預かりを10日間ほどしてから通常の園生活になるようです息子は前もって養育へ行ってる事を伝えていたので先生たちのはからいで慣れるまでは発達系の子達が専用で遊べるお部屋で遊ばせつつ入れそうならクラスに入る!という園生活を送っております感謝!新しい園は降園時間は10分しかないので帰りはバタバタ送迎の車の渋滞や駐車場も少ないとあってすぐお迎えしてさっさと帰る!という感じの園
月明かりの眩しい夜でした。便意に似た腹痛で目を覚ましました。時計を見ると3時ちょっと前でした。4度目の出産。帝王切開の予定日から10数日前でした。なんとなく、今回は先に陣痛がきてしまう予感はありました。幼い子ども3人の相手でゆっくりする間などなかったからです。今までより、張ることも多かったです。でも、安静にすれば治まる、その程度の張りでした。検診時に先生にも診てもらったこともありましたが、子宮口もしっかりしまっていて問題ありませんでした。その他のエコーや検査も問題ありませんで
慢性早剥羊水過少症候群(CAOS)chronicabruption-oligohydramniossequence;CAOS四国がんセンターにおけるCAOSの6例31.pdf(tyuushi-obgyn.jp)参考CAOSとは(1)分娩7日以上前から持続する原因不明の性器出血(2)当初は羊水量が正常(3)破水の所見なく羊水過少に至るこの3項目を満たすものと定義されます。早産の原因となったり、出生後の慢性肺疾患、肺低形成、drylungに関連するために
手術が終わっても、私はずっと眠くてたまりませんでした。気づけば眠りについてしまう。遠くから、自分のいびきも聞こえてしまう。代わる代わる、看護師もやって来ます。「めち子さん、お名前と生年月日を教えてください。」私は乾いた声でようやく答える。「めち子、センキュウヒャク…」何度も何度も、このやり取りを繰り返しました。その度に看護師さんが液体を取り替え、私の身体に異常が無いかを聞いてきます。よく見ると、右腕には点滴、左腕には輸血がされていました。しばらくして、先生が来てくださいました
子ども達4人を乗せた賑やかな車が、我が家に到着しました。よんちゃんのお骨が眠る、我が家に。夫が、赤ちゃんを連れて自宅に入りました。その周りを3人の子ども達がまとわりついていました。私は、少しの荷物を抱えてゆっくりと自宅に入りました。久しぶりの自宅。10日前に、大きなお腹で自宅を出た。あの時、お腹の中にいた赤ちゃんは、今、私たち家族に抱かれている。よんちゃんの時は、妊娠37週でお別れしたから。最後の最後まで、不安で不安でたまらなかった。だから、本当に、良かった。そう思い、久し
常位胎盤早期剥離での死産を経験して、しばらくはその事で頭がいっぱいでした。私は医療従事者ではないので、詳しいことは分かりませんが、自分なりにいろいろと、この病気について調べたりしました。その中で、よんちゃん妊娠期間の私の症状として気になったのが、妊娠高血圧症候群でした。私は元々、血圧は低めの体質で、上100台/下60台くらいを推移しています。(特に低い時は上が80台)よんちゃん妊娠期間も、高い時でも上が110くらいでした。なので、血圧自体は高くありませんでした。尿検査の
ご訪問ありがとうございますCHOCOです元手取り15万OL→今は専業主婦です2021年5月に息子を出産しました自己紹介▶☆マイホームについて▶☆前回からの続き、ラストですその日一日のあまりの急展開に私も現実味が無くて、夫とふたりになってようやくほっとしました。夫は性格がどっしりしていないので相当怖かったと思います。「CHOCOちゃんに何かあったらどうしようかと思った…」と言っていました。先生が来てくれて話を伺いました。常位胎盤早期剝離の疑い、ということで緊急帝王
大量出血を乗り越えて、順調に育っていくピヨちゃん。12週の壁を越え、流産の心配はもうないと思っていました。最後の検診から3週間後の出来事です。振り返り記録、前回の記事⑪12週の壁、超えたはずだった死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆安定期に入ったらしようと思っていたことがたくさんあった。3Dエコーの予約をしよう!マタニティウェアを買いに行こう!断捨離をして、赤ちゃんのためのスペースを作ろう!赤ちゃん本舗に行
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます※今回の記事はMRIの結果を載せています。長くなりますが、ご興味のある方はお読みいただけたら幸いです。12.12『退院前MRIの結果』いただいたプリントの文章をそのまま載せます在胎30週2日体重1228gAp0/0/0常位胎盤早期剥離のため帝王切開出生生後32分で自己心拍再開基底核、視床型の重症低酸素性虚血性脳症修正3ヶ月の再評価前回MRI検査(2019/09/18)と比較しました。
朝になりました。まだまだ、うとうとしていました。夜間だったか朝だったか、どこかの部屋から赤ちゃんの泣き声が聞こえました。一瞬、隣の部屋にいるよんちゃんが生き返ったんじゃないかと思いました。そんなはず、絶対にありえないのに。看護師から、朝ごはんが食べれると言われました。ちょっとだけ喜びました。以前は、術後2日目からしか食べれなかったからです。悲しみは続いていましたが、ずっとベッドで寝たきりよりマシです。朝には輸血も終わり、先生の回診を経て久しぶりの食事でした。食事を終えたらよう
はじめまして。はるのぶと申します。妻と、長男あきのぶ、次男ときのぶの4人家族です。2022年5月17日早朝、お腹に違和感があるから病院に行ってくる、と妻はタクシーで向かいました。30分後には「緊急の手術になるからすぐに来てくれ」との電話。寝ていた長男あきのぶを小脇にかかえて近くのばーばの家にぶち込んで病院へ。状況としては「常位胎盤早期剥離」そこから4時間、地獄の待ち時間を経て、妻は無事一命を取り留めましたが、次男ときのぶは酸素が回らない時間が8分ほどあり、脳に障害がでる可能性があ
よんちゃんが亡くなってから、2年8ヶ月あまり。妊娠37週1日のこの日。ついに、私の人生4度目の帝王切開が始まりました。ずっとずっと、この時を目標に頑張ってきた。本当に、良く頑張ったと思う。私も、家族も、周りで支えてくれた方々も。みんなで手に入れたこの時だと思う。ようやく、ようやく、生きた我が子に会える。手術中は、オペ室の看護師さんと家族の話等をしていました。きっと、私が不安にならないように気遣ってくれていたのだと思います。看護師さんは、ずっと私の手をぎゅっと握り締め、話しかけ
妊娠37週。よんちゃんの命が絶えました。その4日後には、姿かたちも消えてしまいました。今は、ポツリと骨壺の中です。よんちゃんが亡くなってから梅雨に入りました。私の心を映すかのように、毎日、毎日、雨が振り続けます。ザーザーと降り続く雨。それを見て、なんだか癒やされていました。今は、ずっと雨でいい。悲しみにくれる私。私の身体は、37週間かけて赤ちゃんを育てる為に少しずつ変化していました。母乳も出るようになっていました。身体も骨盤が開いたり、下半身にたくさんのお肉がついていまし
よんちゃんを常位胎盤早期剥離で死産してから約2年。いつか、また、妊娠したいと、ずっと思っていました。そして、無事に妊娠。今回の妊娠は、過去4回の妊娠と全然違う。妊娠経過もだけど。それ以上に、私自身の出産への覚悟が、全然違う。なんとしても、無事に産みたくて。なんとしても、二度とあんなにツラい思いはしたくなくて。なんとしても、赤ちゃんの誕生を楽しみに待つ子ども達の笑顔が見たくて。赤ちゃんを産むため、自分に出来ることは何だってしたいと。心から思って過ごしてきました。たくさんの壁は
年内に書いてしまいたい。気持ちの整理なんてできないけれど、なんとなくそうしておきたい。あの日の事、の続き。再び、大学病院への搬送が決まった(後から思う事、やっぱり田舎って嫌だわ、都内の病院すぐだったら助かったのかな、という正直な気持ち)お昼にお腹の痛みを感じ始めて、2時間後に産院へ到着し、更に1時間後にこの病院へついて1時間苦しんでそして、さぁオペだ切ってくれという寸前に「ここでは、できません」と。・・・・再びの救急車。県をまたいでる。驚いたのは、2回目大学病院行きの救
ご訪問ありがとうございますCHOCOです妊娠中の専業主婦です自己紹介▶☆マイホームについて▶☆前回の続きです思いがけず入院・もしかしたら出産・別の病院へ搬送と告げられた私。ずっと、なんとか入院は避けたいと思ってましたが先生に言われるともうそうするしかないだろうと思い腹をくくりました…寝たままガラガラと運ばれて、ひとまず陣痛室に。で、早く来れそうな母親に電話。繋がったらすぐ先生が「私が説明するから貸してー」と言ってくれたのでそのまま話してもらいました。その後、職場
午前5時過ぎ、救急病院に到着しました。バタバタと担架で担ぎ込まれます。担架で運ばれる最中、看護師から「PCRしますね」と言われました。私は、運ばれながら鼻に綿棒を差し込まれました。私の周りを医師や看護師が走り回ります。口々に「緊急です。急いで!」と言っています。こんなにも緊急なのか。ただただ、呆然と見ていました。緊急です、緊急です…看護師がバタバタと手術の準備を進めます。一緒に来てくれたかかりつけの先生と救急病院の先生が「エコー!」と言いました。看護師からエコーを受け取り、
おはようございます今日は、私が2人目不妊になった理由を綴りたいと思います。もしかすると、同じような悩みにぶつかる方もいるかもしれないので。もしくは、妊娠や出産を控えている方にはぜひ知っていただきたいです。私は娘(1人目)を自然妊娠しました。それも妊活をしていたわけではなく、子供できたら良いねなんて、ゆる〜く夫と話していた頃です。なので、正直、不妊とは全く無縁の人間でした。娘妊娠中の39週目。いつ陣痛くるのかな〜とドキドキしていましたそんなある日、夕
私は、頭の中で何度も思いました。まだ生まれてなかったし、夫と、上の子3人の生活に変わりはない。ただ、元の生活に戻っただけなのだ。何度も何度も、そう考えました。そう考えないと、心がおかしくなってしまいそうでした。真正面から、受け入れられなかったのだと思います。よんちゃんの命が絶えたと分かってから、少しだけ、医療スタッフの動きも緩やかになったように感じました。たぶん、もう緊急に取り出す必要がなくなったからなのだろうと悟りました。夫は、かかりつけ医から車で駆けつけました。夫は、ポロポ
助産師さんに連れられ、私は個室に移動しました。助産師さんは歩きながら「ずっと皆で心配してたんだよ。めち子さん、どうやって過ごしてるんだろうって話てたの。」と言い、スタッフのみなさんがずっと心配していてくれたことを教えてくれました。助産師さんは「他のみんなも呼んでくるから、外来には私と一緒にいるって伝えとくね。」と言って一旦離れました。そしてその助産師さんが戻ってくると、ひとり、またひとりと助産師さんがやってきてくれました。別の助産師さんが現れる度にまた泣き出す私。嬉しくて、暖かくて、ず
こんにちは。2人目不妊で不妊治療中の32歳りりりです。休職中の看護師です。長女を出産後、2021年に次女を死産。38週常位胎盤早期剥離でした。その後帝王切開瘢痕症候群と診断され手術。体外受精で2人目の不妊治療をしています。2023年11月体外受精で妊娠も初期流産。5w4dです胎嚢ありましたでも、また小さめ8.0mmで卵黄嚢もなしあと2日で6週やのになーHCGはちゃんと数値あるらしい自覚症状も胸の張りくらいで妊娠してる感じもなく…次は2週間後ですどうにでもなれ
※死産後の妊娠についての内容です。結果からいうと大事には至りませんでしたが、今朝、自宅で転倒しましたベランダから洗濯物を取り込んでいて、足をひねって後ろ向きに転倒。↑こんな感じで窓と床がフラットではないので、その段差を超えるときに足首がぐねっとなったのだと思います(一瞬だったのでどこがどうなったのかは記憶が曖昧)。そして倒れた先にローテーブルがあり、その角で脇腹を打ってしまったのですとっさにお腹は庇ったので主に痛みを感じたのは脇腹と肋骨でしたが、もう心臓はバクバク。「お腹がぶつ
4歳の息子がいる都内勤務のアラフォーワーママです。フルタイムで働き、育児も仕事も常に追われてますが、旅行とお得なことが大好きです豊かな生活とはほど遠く、庶民街道を突き進んでます我が家は1人っ子。息子は周りの兄弟のいる家庭を見て、時に羨ましいようで、僕も兄弟が欲しいと言うこともありました。1人でも元気に産まれたら御の字だったのに、人間は欲深いもので、息子に兄弟がいたら。。。とつい最近まで思ってました。私が20代で健康だったら2人目を積極的に考えるけど、残念ながら既に4
火葬場には予約時間の30分前に着く必要がありました。火葬場に着くと、私達の親族が待っていました。静かな火葬場に、見慣れた顔が並びます。皆、喪服を着て、悲しそうな顔をしています。よんちゃん。あなたのお父さんお母さん、お兄ちゃんにお姉ちゃん。ひいおばあちゃんにおじいちゃんおばあちゃん、おじさんもおばさんも、みんな生きてるんだよ?なんで、最初に逝ってしまったのですか?また涙が溢れてきました。たまらなく、つらくて苦しかった。よんちゃんをみんなに抱っこしてもらい、手続きに入ります。中
診察室に戻り、先生から今後の流れについて説明を受けました。とりあえず、2週間後、もう一度赤ちゃんを見てみて、成長が確認できたら、妊娠届を提出。それ以降、妊婦健診に入ることとなりました。私は、今回の妊娠確認に際し、電子問診表の備考欄に前回の死産後、総合病院の先生には次回妊娠が可能か相談しています。妊娠した場合は、妊娠後期から総合病院で管理入院をする必要があるとの説明も受けています。と、入力していました。(これは、無計画に妊娠したわけではないとわかって欲しかったという意図もありました。)
あの日のこと~赤ちゃんを見送った原因は胎盤剥離健康な妊婦でも数パーセントに起こるそう発生年齢の傾向もなく予測が不可能という恐ろしい病気数年ぶりのフルタイムで復職して、日々を生きるのが精いっぱいな今日この頃仕事をしてるのは、保活の為がメインだけれど、特別な趣味も無い自分は、忙しくしていたいから。ぼーっとしていると、あの日の事を思い出して、また色々したくなるから。赤ちゃんベッドをようやく人様に譲れた今月、それでもまだ未練はある。そんな心境。でも進まねば。進めねば。以
私たち夫婦は、入院バックを部屋に運んでから、再び、子ども達の待つ駐車場へと戻りました。子ども達とはあと数日、お別れです。とはいえ、赤ちゃんと会えた嬉しさや、総合病院と違ってちょこっと会えるようにもなったので、子ども達も以前ほどの寂しさを感じなくなっているようでした。3人共、ニコニコしながら自宅へと帰っていきました。病室に戻り、ひとりでソワソワと過ごしていると、看護師さんが赤ちゃんを連れて帰ってきました。看護師さんは笑顔でお帰りー!本当に良かったね。みんなでめち子さんが帰って来るのを