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『仁義なき戦い代理戦争』映画トーキー102分カラー公開日昭和四十八年(1973年)九月二十五日制作東映京都企画日下部五朗手記美能幸三原作飯干晃一脚本笠原和夫撮影吉田貞次照明中山治雄録音野津裕男美術雨森義允音楽津島利章編集堀池幸三助監督土橋亨記録田中美佐江装置稲田源兵衛装飾清水悦夫美粧結髪東和美粧スチール藤本武演技事務森村英次衣装豊中健擬斗三
舟木一夫さ/す/ら/い1986年この曲の原曲は、フリオ・イグレシアスの「Quijote」(フリオ・イグレシアスJulioIglesias/さすらいQuijote)フリオが来日した後、この曲に載せて舟木さんが作詞した作品です。50周年記念コンサートの冒頭でも歌われました。40代の舟木さんの気持ちが込められている作詞です。「さすらい」と言う曲は、実は舟木さんは3曲歌われています。最初は遠藤実先生の作曲した「流離(さすらい)」で1972年10月に発売されています。耳
コミカルソングと言えば、昭和39年にリリースされた小林旭の「恋の山手線」ですね💿くわえタバコが、当時のイカした男性ですね🚬恋の山手線/小林旭小林旭さんの「恋の山手線」をベースに作ってみました。歌詞上野オフィスのかわいい娘声は鴬谷渡り日暮里笑ったあのえくぼ田端ないなぁ好きだなぁ駒込したことぬきにしてグッと巣鴨がイカすなぁ始め大塚びっくりにデート誘いに池袋ところが男が目白押しそこをなんとか連れ出して高田のバーで酔ったとき胸の新宿うちあけたああ...youtu.be『上野オフィス
『仁義なき戦い』映画トーキー99分カラー白黒静止映像有り昭和四十八年(1973年)一月十三日封切『仁義なき戦い広島死闘篇』映画トーキー100分カラー白黒静止画像有り昭和四十八年(1973年)四月二十八日封切『仁義なき戦い代理戦争』映画トーキー102分フジカラー白黒静止映像有り昭和四十八年(1973年)九月二十五日封切『仁義なき戦い頂上作戦』映画トーキー101分カラー白黒静止映像有り昭和四十九年(1974年
銀幕のスターそういう言葉も今では死語!?今はSNSなどで火がついたり一般人やらYouTuberやナンヤラカンヤラとかが突然ユ~メ~人になったりスターになったりとワケワカメな時代昔は…(…というZ/B世代の悪い口癖?)昔はスタート言えば『銀幕のスター』そう…映画に出てくるスター達は浮き世離れした手が届かないような輝く美男美女ばかり石原裕次郎・小林旭・高倉健浅丘ルリ子・吉永小百合・南田洋子etcそんな『銀幕のスター』達が輝いていました。
絶唱1958年日活主演/浅丘ルリ子・小林旭監督/滝沢英輔脚本/八住利雄音楽/牧野由多可絶唱|映画|日活香り高く、豊かな抒情性とヒューマニティをおりまぜて、美しくも哀しい悲恋物語を描く芸術祭参加の文芸珠玉篇。www.nikkatsu.com
浅丘ルリ子といえば、マイトガイ小林旭や石原裕次郎の恋人役で日活アクション映画に華を添えるという印象。あとは観たことないが、渥美二郎の「男はつらいよ」のマドンナ役かな。そんな処だわ、1940年生まれってこの世代ってワイの前の職場の上長も同年代でしたけれど大陸生まれが結構多いのよね。満州生まれだそうで東京育ち。へいちゃんこと石坂浩二と長年、仮面夫婦していていつの間にか離婚していたってのと、結構姉御肌で加賀まりこやら大原麗子と仲が良かったらしい、彼女らは原宿とかでブ
川端康成が原作の『伊豆の踊子』は、1957(昭和32)年に光本幸子が舞台で、1960(昭和35)年に鰐淵晴子が映画で、1961(昭和36)年に小林千登勢がNHKのテレビドラマで、それぞれ主役の「踊子」を演じ、いずれも大評判となった。『伊豆の踊子』は、日本文学史上に残る名作にして、映画やテレビドラマや舞台でも、多くの人達に愛される作品となっていた。そして、1963(昭和38)年、『伊豆の踊子』の4度目の映画化で、当時18歳で、人気絶頂の青春スター女優・吉永小百合が、満を持して「踊子」
1960年代後半に、唐草模様の風呂敷包を背負った田舎者スタイルでテレビに登場し、「夢もチボーもない」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気のあったコメディアンに東京ぼん太がいます。小林旭が東京ぼん太を相棒役にシリーズ化したのが“あいつ”シリーズです。『不敵なあいつ』(1966年・日活/監督:西村昭吾郎)式場組幹部が殺し屋・龍(中谷一郎)に殺され、式場(内田朝雄)は都築浩介(小林旭)の弟分・清二(藤竜也)に復讐を命じます。清二は足を洗おうとして殺され、浩介は組の無惨な仕打ちに
当局がリスペクトする俳優を語るシリーズ!今回は、俳優としてのみならず歌手としても一時代を築いた大物でしょうね。俳優としては、日活を代表するスターとして映画「渡り鳥シリーズ」('59~'62年)、「銀座旋風児シリーズ」('59~'63年)、「流れ者シリーズ」('60~'61年)等に出演し、石原裕次郎さんらと共に日活黄金時代を築きました。日活はその後、ロマンポルノ路線に鞍替えしたことからテレビ界に進出。自ら立ち上げたアロー・エンタープライズも制作に関与したハードアクションドラマ「ターゲットメン
舟木一夫~2024年コンサート曲⑮「初恋」―「歌の手帖」5月号に舟木一夫&神野美伽が特別対談―本題に入る前に―。3月下旬から4月上旬にかけ、菜の花が咲く時期に降り続く暖かい長雨のことを「菜種梅雨(なたねづゆ)」と言います。「春の長雨」とも「春雨(はるさめ)」とも呼ばれています。長く続くと言っても梅雨ほど長くはなく、4~6日程度が多く、地域も西日本や東日本の太平洋側にだけ見られます。植物にとっては恵みの雨となって、菜の花や桜の開花を促すことから「催花雨(さいかう)」とも呼ば
おつかれさまです。光が丘公園ののハワリンバヤル(モンゴル春祭り)2024ハワリンバヤル–モンゴル春祭りharumatsuri.net開幕!暑いし、また人が多いです。ステージメニューキツキツでいろんな人がきます。モンゴルの観光大臣やらいろんな芸能人。小林旭【小林旭】モンゴル出身の力士は“「旭」という言葉を大事にしている”歌手の小林旭さんが、「日本モンゴル文化交流取極締結50周年モンゴル春祭りハワリンバヤル」に登壇し、モンゴル観光大使
このところの当ブログで、ペギー葉山さんが歌い大ヒットした「南国土佐を後にして」のことを取り上げていました。この曲をフィーチャーした映画『南国土佐を後にして』(1959斎藤武市監督)の予想を上回るヒット作となり、『渡り鳥』シリーズ(1959~1962斎藤武市監督ほか)の原型となり、小林旭さんは一気にスターの座に駆け上がりました。ずっと時代が下がって、この「南国土佐を後にして」の歌が印象的に使われた映画に『狂った野獣』(1976中島貞夫監督)があります。銀行強盗に失敗したドジなチンピラが
週刊文春に「小林旭告白90分恩人との2億円紛争と妻のいない2年」という記事が載りました。文春の記者が世田谷にある小林旭さんの家に行って取材されてます。小林さんは一昨年の11月に82歳になられて、その時に2年かけて全国100か所を回るコンサートツアーを計画されていたのですが、コロナ禍で延期になっております。その小林さんが所属している事務所が夢グループだそうです。あのBSのサスペンス番組なんかのCMによく出てくる夢グループ。芸能事務所もやってたんだ。通販になるのかな?社長ともう
「爆弾男といわれるあいつ」(1967)小林旭主演の「あいつ」シリーズ4作目で最終作をAmazonプライムビデオで観ました。(1960年代に活躍した)東京ぼん太が弟分で共演しているのがフォーマットのようです。冒頭、長岡の山奥で五人組ギャングが現金輸送車を襲撃、山奥を歩いていた一般市民が巻き込まれて殺害されるという事件が起きます。犠牲者が相棒の熊五郎(東京ぼん太)の学生時代の恩師だと聞いた浩介(小林旭)は長岡へ向かいます。最初は葬儀に顔を出すだけのつもりが、警察が解決困難だとボ
長岡ロケなび映画祭2024の上映会に、3/24(日)米百俵プレイスミライエ長岡(新潟県長岡市・中心街)へ。観た映画は日活アクションもの。長谷部安春監督小林旭さん主演あいつシリーズ「爆弾男といわれるあいつ」(1967(昭和42年))。ハチャメチャらけろオモロイ。こん辺の映画好っきらなあ~(1960年代後半=昭和30年代後半~40年代)以前にも長岡ロケ(新潟県長岡市)をテーマに上映(長岡ロケなび等)さいた舟木一夫さん主演「青春の鐘」(1969)、目黒祐樹さん、森田健作さんダブル主演
大滝詠一NOVELTYSONGBOOK解説その1第1章それは、とんねるずから始まった1-1急遽収録されたとんねるず版1-2きっかけは『みなさんのおかげでした』第2章作曲の秘密2-1メロディ分析2-2興味深い楽譜2-3銀幕の小林旭第3章作詞について解析第4章つながる縁第1章それは、とんねるずから始まった1-1急遽収録されたとんねるず版「大滝詠一NOVELTYSONGBOOK」の「NIAGARAONDOBOOK
【今回観た映画】海から来た流れ者(1960日)こんにちは赤ちゃん(1964日(日活))渡り鳥故郷へ帰る(1962日)地平線から来た男(1971米)ピンクの豹(1964米)ピンクパンサー(2006米)ピンクパンサー2(2009米・仏)ピンクパンサーが再び襲う(1976英・米)ピンクパンサー4(1978英・米)劇場版シグナル長期未解決事件捜査班(2021日)海から来た流れ者★★★☆☆1960日。84分。山崎徳次郎監督。小林旭。浅丘ルリ子。宍戸錠。流れ者の野村浩次は、奪