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小林旭のこのシリーズは、一般的に“暴れん坊”シリーズと呼ばれていますが、2作目は『でかんしょ風来坊』で、4作目以降は“銀座の次郎長”です。“暴れん坊”とついていても、『歌う暴れん坊』はシリーズとは関係ないアキラ映画だし、アキラの“流れ者”シリーズの中に『大暴れ風来坊』というのがあったりして、ややこしくて仕方ありません。私は主人公の名前をとって、“銀座の次郎長”シリーズと呼んでいます。銀座が舞台ですが、ロケをしているわけでなく、スタジオ内にセットで造られた日活銀座です。『東京の暴れん坊』(196
2月18日13時公演「ベルサイユのばら45」観劇1974年に初演されると瞬く間にタカラヅカの人気に火をつけた「ベルサイユのばら」今やタカラヅカの古典とも言うべき代表作であるこの「ベルサイユのばら」上演45周年を記念して、昭和・平成のベルばらレジェンドの皆様による、歌やトーク、名場面の数々を楽しんできましたいや、もうめっちゃ面白かったです楽しかったぁー映像をまじえながら、初演ベルばらの生き残り(ご本人談)汝鳥伶様の解説付きで進行します汝鳥さんはメルシー伯爵の扮装ですブイエ将軍もか
小林旭さんが歌う知る人ぞ知る名曲♪自動車ショー歌(作詞・星野哲郎/作曲・叶弦大)流石に昭和30年台の歌詞なので、今となってはもう既に存在しない車・ブランドが多そうな印象ですが、どれだけの"無くなってしまった"名車・ブランドが歌詞に入っていたのか?(1番)あの娘をペット(トヨペット×)にしたくってニッサン(○)するのはパッカード(×)骨の髄までシボレー(○)であとで肘鉄クラウン(○)さ~ジャガジャガ(ジャガー○)飲むのもフォドフォド(フォード○)にここらでやめてもいいコロナ(×)
川端康成が原作の『伊豆の踊子』は、1957(昭和32)年に光本幸子が舞台で、1960(昭和35)年に鰐淵晴子が映画で、1961(昭和36)年に小林千登勢がNHKのテレビドラマで、それぞれ主役の「踊子」を演じ、いずれも大評判となった。『伊豆の踊子』は、日本文学史上に残る名作にして、映画やテレビドラマや舞台でも、多くの人達に愛される作品となっていた。そして、1963(昭和38)年、『伊豆の踊子』の4度目の映画化で、当時18歳で、人気絶頂の青春スター女優・吉永小百合が、満を持して「踊子」
ひとつ前の当ブログで、小林旭さんと美空ひばりさんの世紀の結婚に触れました。きっかけは「月刊明星」で対談したことだったといいます。そのとき、ひばりさんが「恋人はいるの?」と聞いたのに対し、旭さんが「いませんよ」と答えたことから「親しくしましょうよ」とひばりさん主導で交際が始まります。ふと気づいたら、人気歌手が集まるパーティの席に呼ばれ、ひばりさんに「私のダーリンよ」と紹介されるようになっていたそうです。旭さんはちょっと不自由に感じたり、仕事ももっとがむしゃらにやりたいと思っていたので複雑な気持
おつかれさまです。光が丘公園ののハワリンバヤル(モンゴル春祭り)2024ハワリンバヤル–モンゴル春祭りharumatsuri.net開幕!暑いし、また人が多いです。ステージメニューキツキツでいろんな人がきます。モンゴルの観光大臣やらいろんな芸能人。小林旭【小林旭】モンゴル出身の力士は“「旭」という言葉を大事にしている”歌手の小林旭さんが、「日本モンゴル文化交流取極締結50周年モンゴル春祭りハワリンバヤル」に登壇し、モンゴル観光大使
舟木一夫~2024年コンサート曲⑮「初恋」―「歌の手帖」5月号に舟木一夫&神野美伽が特別対談―本題に入る前に―。3月下旬から4月上旬にかけ、菜の花が咲く時期に降り続く暖かい長雨のことを「菜種梅雨(なたねづゆ)」と言います。「春の長雨」とも「春雨(はるさめ)」とも呼ばれています。長く続くと言っても梅雨ほど長くはなく、4~6日程度が多く、地域も西日本や東日本の太平洋側にだけ見られます。植物にとっては恵みの雨となって、菜の花や桜の開花を促すことから「催花雨(さいかう)」とも呼ば
絶唱1958年日活主演/浅丘ルリ子・小林旭監督/滝沢英輔脚本/八住利雄音楽/牧野由多可絶唱|映画|日活香り高く、豊かな抒情性とヒューマニティをおりまぜて、美しくも哀しい悲恋物語を描く芸術祭参加の文芸珠玉篇。www.nikkatsu.com
舟木一夫さ/す/ら/い1986年この曲の原曲は、フリオ・イグレシアスの「Quijote」(フリオ・イグレシアスJulioIglesias/さすらいQuijote)フリオが来日した後、この曲に載せて舟木さんが作詞した作品です。50周年記念コンサートの冒頭でも歌われました。40代の舟木さんの気持ちが込められている作詞です。「さすらい」と言う曲は、実は舟木さんは3曲歌われています。最初は遠藤実先生の作曲した「流離(さすらい)」で1972年10月に発売されています。耳
阿久悠が書いた、八代亜紀初の男歌。寡黙な船乗り男の価値観提示と、ダンチョネ節引用に技アリ!「私はデビューの頃から辛い人や悲しい人、苦しい人の代弁者のつもりで歌ってきました。」2021年、デビュー50周年のインタビューで、八代亜紀は自分の歌手人生をそう振り返っている。その言葉通り、八代はデビュー以来、道ならぬ恋に苦しむ女心を歌い、「なみだ恋」「おんな港町」などのヒット曲を連発して来た。そんな八代が、初めて「男歌」に挑戦したのが、79年の「舟唄」。長らく候補止まりだったレコード大賞
週刊文春に「小林旭告白90分恩人との2億円紛争と妻のいない2年」という記事が載りました。文春の記者が世田谷にある小林旭さんの家に行って取材されてます。小林さんは一昨年の11月に82歳になられて、その時に2年かけて全国100か所を回るコンサートツアーを計画されていたのですが、コロナ禍で延期になっております。その小林さんが所属している事務所が夢グループだそうです。あのBSのサスペンス番組なんかのCMによく出てくる夢グループ。芸能事務所もやってたんだ。通販になるのかな?社長ともう
大滝詠一NOVELTYSONGBOOK解説その1第1章それは、とんねるずから始まった1-1急遽収録されたとんねるず版1-2きっかけは『みなさんのおかげでした』第2章作曲の秘密2-1メロディ分析2-2興味深い楽譜2-3銀幕の小林旭第3章作詞について解析第4章つながる縁第1章それは、とんねるずから始まった1-1急遽収録されたとんねるず版「大滝詠一NOVELTYSONGBOOK」の「NIAGARAONDOBOOK
私が子供の頃、学校から歩いて行ける距離に商店街と映画館があり、私が通ったのは商店街の子供たちが通う小中学校で、映画館は同級生のおじさんが経営者。それでなのか、学校で定期的に映画の割引券が配られ、封切館ではない2番館の安い料金の割引なので毎回見に行けた。映画館では小林旭さんの「渡り鳥シリーズ」や「流れ者シリーズ」が上映され、私はギターを持った小林旭さんに憧れて同級生の親の質店で質流れのギターを安価で手に入れた。これが私の楽器との出会いで、後の私に影響を与えた。
「NIAGARATRIANGLEVol.2」解説©2018オータヂロウ最終回に続いて、今回は積み残した話、いえ、とっておきのお話をお届けします。第1章ROCK'N'ROLL退屈男第2章「EACHTRIANGLE2」第3章いつも心にオレンジを第1章ROCK'N'ROLL退屈男1980年5月21日、CBSソニーから山口百恵の30枚目のシングルが発売されました。宇崎竜童の作曲、萩田光雄の編曲による「ロックンロール・ウィドウ」はオリ
当局がリスペクトする俳優を語るシリーズ!今回は、俳優としてのみならず歌手としても一時代を築いた大物でしょうね。俳優としては、日活を代表するスターとして映画「渡り鳥シリーズ」('59~'62年)、「銀座旋風児シリーズ」('59~'63年)、「流れ者シリーズ」('60~'61年)等に出演し、石原裕次郎さんらと共に日活黄金時代を築きました。日活はその後、ロマンポルノ路線に鞍替えしたことからテレビ界に進出。自ら立ち上げたアロー・エンタープライズも制作に関与したハードアクションドラマ「ターゲットメン
今月は、誕生日月間なので、やりたいことや氣になってることは全部やっちゃう!😜って、決めていた😁この髪型は、ウイッグなのです🤩凄いでしょ!あの藤原紀◯様と同じウイッグ🎊自然でしょ!😁今月は、カタカムナ使命診断をほぼ毎日しています!毎日予約入っています!本氣で、あなたのお名前の氏名から、カタカムナの法則で使命を読み解いちゃう!【使命】って、命を使うって書くんですよね!すごくないですか?命(エネルギー)をどこに使うか!人それぞれ違います!自分のエネルギーを、どこに
↑上をクリックして見てください。私にポイントが入るようです(笑)石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治のダイヤモンドライン。それに笹森礼子、吉永小百合、清水まゆみの女優陣。赤木圭一郎さんが亡くなってから61年が経ちます。2月14日に日活撮影所内でゴーカートに乗り、スタジオの大きなドアに激突して亡くなられたのは一週間後の事でした。さすらいはまだ小学生で、たまたま亡くなった日に風邪をひき寝込んでラジオを聞いていて訃報を知ったのを覚えています。名まえだけは知っていましたが、映画を見る
『仁義なき戦い頂上作戦』映画101分カラー昭和四十九年(1974年)一月十五日公開製作国日本製作東映京都企画日下部五朗手記美能幸三原作飯干晃一脚本笠原和夫撮影吉田貞次照明中山治雄録音溝口正義美術井川徳道音楽津島利章編集宮本信太郎助監督土橋亨記録田中美佐江装置近藤幸一装飾松浪邦四郎美粧結髪東和美粧スチール中山健司演技事務
『仁義なき戦い代理戦争』映画102分トーキーフジカラー・白黒静止画像有り昭和四十八年(1973年)九月二十五日公開製作国日本制作東映京都企画日下部五朗原作飯干晃一脚本笠原和夫撮影吉田貞次照明中山治雄録音野津裕男美術雨森義允音楽津島利章編集堀池幸三助監督土橋亨記録田中美佐江装置稲田源兵衛装飾清水悦夫美粧結髪東和美粧スチール藤本武演技事務森村英次衣装