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室生犀星・明治22年(1889年)8月1日生~昭和37年(1962年)3月26日没(享年72歳)老いたるえびのうたけふはえびのように悲しい角やらひげやらとげやら一杯生やしてゐるがどれが悲しがつてゐるのか判らない。ひげにたづねて見ればおれではないといふ。尖つたどれに聞いて見たらわしでもないといふ。それでは一体誰が悲しがつてゐるのか誰に聞いてみてもさつぱり判らない。生きてたたみを這うてゐるえせえび一疋。からだじうが悲しいのだ。(「婦人の友」昭和37年=1962年4月
午前0時に目が覚めた。今日が終わり今日が始まる。最近忙しくしていて、食べられる時間がある時に食べて、寝る時間がある時に寝る、という生活。新しい事を始める、という喜びは若い頃に比べて格段質が落ちていて、どうしてこんな事を始めようと思ってしまったんだろう、とふと思わなくもなく、とにかく老いというものは躍動感に欠ける。弾けるとかなんてもうなくて、弾けるパワーが少しでも残っているならそれはそれで良かったと思うが、もう弾けなくてもそれはそれで良い。なのに、何か良い事がないかしら?何か心踊る事がな
朝の歌こどものやうな美しい氣がしてけさは朝はやく起きて出た日はうらうらと若い木々のあたまにすばらしい光をみなぎらしてゐたこどもらは喜ばしい朝のうたをうたつてゐたこの澄んだこゑはおれの静かな心にしみ込んで來た何といふ美しい朝であらう何といふ幸福(しやはせ)を豫感せられる朝であらう僕が子供の頃には、学校から帰る子等の元気な声が溢れていた。あまりはしゃぎ過ぎて大きな声になると、雷親父に叱られたりした。しばらく静かになるが、また大きな声で喋りだす。子供たちの声が騒音だなんて大
ここ数日の気候の為かはたまた梅と河津桜の花見に出かけた為か、気分がまさしく春そのものとなっている今日この頃です。久方ぶりの更新は、そんな春を題材とした詩を集めた記事となります。個人的に春になると読みたくなる詩、思いつく詩を徒然と紹介しましょう。因みに先程、母上様に「春になると詩を読みたくならない?」と言った際には、「ならないよ(笑)今までなったことないよ(笑)」と軽く鼻で笑われました(笑)という訳で、今回も私にしか需要のない記事となります。先にNew車椅子で見てきたご近所の梅と桜を載