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石神井公園では例年4月の最後の日曜日に「照姫まつり」が開催されています今年(2024)は4月21日(日)に開催されました太田道灌に滅ぼされた石神井城主豊島泰経と娘の照姫、奥方が三宝寺池に入水したという照姫伝説を題材としたお祭りです石神井公園の周辺で「時代行列」があります石神井公園の特設舞台で物語がはじまります照姫豊島泰経奥方太田道灌との戦いがはじまります金龍に導かれ豊島安経、奥方、照姫は三宝寺池に入水します石神井公園の周辺を行列しますキャストは一般公募です時
先日のお稽古で茶杓の作者が「藤田寛道(ふじたかんどう)でしたそして何かの話のつづきで「山吹」の話が話題になりました「おおたかんどう」ですね!と知ったかぶりをした私「おおたどうかん」だから!と先生のツッコミ!うろおぼえでしたのでブログに書いてちゃんと覚えようと思いました太田道灌(おおたどうかん)室町時代の武将で上杉定正の家臣最初の江戸城をつくった人だそうです和歌も嗜んだそうです有名な山吹の話とはこちら若き日の太田道灌が蓑を借りようと小屋に入っ
室町時代の武将、太田道灌(おおたどうかん)は埼玉県越生町に出世、江戸城を造った人として有名です。今回、太田道灌ライドをしようと思ったきっかけは、包丁を買うため刃物屋さんを探したところ、川越市にあることが判明。ついでに川越城に行こうと調べたら、川越城も太田道灌が築城したことを知り、越生を経由して川越に行くルートとしました。ちなみに、私は歴史についてほとんど知識がありません。間違った記述があると思もいますので、話し半分でお読みください🤣12月17日(日)相方のとしさ
こんばんは。日本の神様達、源氏と平家、徳川家と松平家が結界修復の為に一生懸命に動かれていて私ももっと祈らなければと思い、皇居外苑に安徳天皇様達と行って来ました。桜が綺麗に咲いていたので少しの間見て祈りに来たのを忘れてしまい、帰ろうと歩いてまた皇居方面を振り返って見たら安徳天皇様が外苑の広場で踊っている様に視えたので嬉しいのかな?と一瞬思ったのですが、右手を上に向けて人差し指で天を差している姿を視た時に思い出しました!「あっ…忘れていた」「祈りに来たんだった!」安徳天皇様は時計回りの
http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12143858848.html写真は二重橋ですが、今日は皇居のざっくりした概略をまとめたいと思います。http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12234914983.html江戸城、皇居は江戸時代徳川将軍家の居城であり幕府を開いた所です☺EdoCastle,ortheImperialPalacewastheplacewheretheTokugawaShogun
今回はこれまで名前が出てこなかったけど、以仁王の乱で頼政や仲綱らとともに命運を共にした子孫たちと、生き残って後世に代を繋いだ子孫たちをまとめて簡単にご紹介します何やら似たような名前が多数登場して混乱してしまうかもしれませんが、おつき合いいただければ幸いです◎源宗綱【みなもと-の-むねつな】〔?~1180年(治承四年)〕源仲綱の嫡男、源頼政の嫡孫です。『尊卑分脉』によれば、位階は従五位下、官職は肥後守を歴任し、宇治平等院の戦いで祖父・父とともに自害したとあります。◎源仲光【みなもと
<2023年3月27日>下総ドライブは香取神宮から佐原の街へ来ました。八坂神社の境内に「山車会館」なる立派な建物があり、この街にも祭りがあることが分かりました。その先へ歩いて行くと、こじゃれた店があります。「くつろぎテラス」という店で、物販と飲食の併設店。店の横は奥までの通路になっています。通路の奥(店の裏側)にも建物があり、これが佐原信金のATMでした。まだ奥があります。ATMブースの奥に小屋があり、そこに人がいて何やら作業をしていました。巨大な「山車」
ヤマブキ(山吹)花言葉【気品】ヤマブキ色のヤマブキです。小学生の頃使っていたクレヨンにあった‥‥‥水彩絵の具の中にあった‥‥‥ヤマブキです。ヤマブキという名前の由来にはいろいろな説があります。しなやかな枝が、かすかな風に吹かれ山中でユラユラ揺れる様子が転じたとする説‥‥山中でフキに似た黄色い花を咲かせていたからとする説があるようです。ヤマブキ(山吹)には…こんなエピソードが……七重八重花は咲けども山吹の蓑(みの・実の)ひとつだに無きぞ悲しき江戸城築城を担当した武将とし
11.高部屋地区:見どころ満載!!文化財巡り【LC】伊勢原ゆかりの武将(太田道灌)が開基した「幡龍山洞昌院」や「太田道灌の墓」、太田道灌と伊勢宗瑞(北条早雲)に関わる伝説が伝えられる「五霊神社」、上杉館の鎮守でもあったという「上粕屋神社(山王社)」、総合運動公園の桜、雨岳文庫の...www.city.isehara.kanagawa.jp太田道灌の墓(洞昌院)伊勢原の指定文化財太田道灌の墓(洞昌院)読み、指定、種別、所有者、指定日一覧よみおおたどうかんのはか(とうしょういん
荷田春満と五霊社«ブログ・三ノ宮通信比々多神社のブログ・三ノ宮通信www.hibita.jp⛩五霊神社|神奈川県伊勢原市-八百万の神神奈川県伊勢原市にある⛩五霊神社の情報(投稿写真、催し物、地図と経路、最寄の駅、最寄のバス停)がご覧いただけます。yaokami.jp11.高部屋地区:見どころ満載!!文化財巡り【LC】伊勢原ゆかりの武将(太田道灌)が開基した「幡龍山洞昌院」や「太田道灌の墓」、太田道灌と伊勢宗瑞(北条早雲)に関わる伝説が伝えられる「五霊神社」、上杉館の鎮守で
【伊勢原】江戸城を築いた戦国武将の史跡伊勢原市は戦国武将の一人、太田道灌のゆかりの地で、市内には墓所が残っています。毎...www.odakyu-life.jp太田道灌の墓|(一社)伊勢原市観光協会公式ホームページ洞昌院道灌はこの辺りにあった粕屋館で非業の死を遂げました。洞昌院の境内北側に胴塚と呼ばれる宝篋印塔の墓と自害石と呼ばれる平らな石と、さらに北に殉死した家来を葬った7人の塚がある。住所〒259-1141伊勢原市上粕屋1160電話0463-93-0308ア
森に溢れ輝く黄色い花は…!二俣川駅方面の公園入り口から見て、こども自然公園内を右手に大池を見ながら左側沿いに中ほどにまで進んで行くと、長さ10mほどの赤い太鼓橋があります。その橋の手前を左に行くととりでの森(アスレチック広場)に至る道があります。土日になると、朝から夕方まで子ども達を連れた家族で一杯になります。時々その脇をランニングのために走り抜けることがありますが、人が道に溢れてぶつかりそうになることもあるくらいです。とりでの森は、この公園の目玉と言ってもよいでしょう。また、ゴールデン
4月21日、石神井公園周辺で行われている「第37回照姫まつり」に行ってきました。野外ステージの舞台演技「照姫伝説」の様子です、少し左側の観覧席から撮りました。照姫伝説とは:室町時代中期、太田道灌に攻められて石神井城が落城した際、家宝の「金の乗鞍」を載せて白馬にまたがった城主・豊島泰経とともに、娘の照姫は三宝寺池に入水したと伝えられています。照姫まつりのパンフレットの表紙です・・・三宝寺池側の入り口の広場です・・・野外ステージの舞台演技「
2021.3.27一日一季語山吹(やまぶき)【春―植物―晩春】道灌にゆかりの小江戸濃山吹佐々木新蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えた少女の差し出す濃山吹。この話で山吹は一層有名になった。八重山吹の特に黄色が鮮やかなものを「濃山吹(こやまぶき)」と言うそうです。山吹と太田道灌の逸話を取り合わせた句だが、小江戸濃山吹という言葉に深さを感じました。⇒画像をクリックするとブログ記事が読めます。*2021.3.26新宿御苑にて【傍題季語】面影草(お
山吹やひとへ瞼(まぶた)の木曽女橋本鶏二山吹というと普通黄色ですが、写真のものは白色です。山吹の一重の黄色の花は五弁ですが、白山吹は四弁ですので、山吹と言っても種類が違うのだと思います。太田道灌の物語で有名なのは山吹の八重のものですね。一重のものは実をつけますが、八重のものは実をつけません。「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」。雨が降り出して蓑を農家から借りようとした太田道灌に対して、農家の娘が詠った和歌です。「実の一つだになき」と「蓑ひとつだにな
昨日の記事からの続きです。一ノ井川(用水路)に掛かる橋のひとつ。参集殿側から見た景色。水車もありますよ。なぜ水車があるのかという謎。昔は水車を使って精米していたので、水車は酒造りには欠かせなかったのでは?と推測します。**松尾大社はお酒の神様です。お酒の資料館を見下ろす高台から。車祓所。車を買い替えた時や、交通安全を祈願する時は、車はこちらでお祓いを、運転者とその家族は拝殿でご祈祷を受けます。亀と鯉は松尾大社の神の使いです。光の加減によって黄色だったりオレンジだったり
夜参り令和6年4月25日平河天満宮例大祭地元番町麹町エリア直ぐ近くの平河町に平河天満宮が有ります江戸三大天神さまの一つとして知られています(こちらはお正月の平河天満宮)天神様なので学業成就にご利益があると言われまたペアで梅の実が実る「縁結びの梅」があり恋愛成就にもご利益があると言われています今日4月25日、例大祭でした子供の頃から平河町までちょっと足を運んで楽しんでいた例大祭ルーレット式のソース煎餅の屋台で100枚当てた思い出とても嬉しかったですその頃とは