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先ずは日本の作品から。「坂の上の雲」ダントツこれです。2020年に松山旅行の際には秋山兄弟生誕地を訪れました。↓『GOTO松山②』松山と言ったら『坂の上の雲』ですが、実を言うと四国に行ったことが無かったので、今回初めて松山の場所を正確に知りました。^^;司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』…ameblo.jpこのオープニングを見ると、当時の日本人の気概が伝わります。【FULL】坂の上の雲オープニング続編(第三部ver.)をアップしました。https://youtu.be/YjsD
✨秋山助六郎✨『あの二〇三高地の頂上へさえ登れば旅順港が見下ろせるんです』『閣下は、歩兵が二〇三高地を占領を確実なものにするため28サンチ砲をもって、一昼夜十五分間隔でぶっとおしに203項地を援護射撃を加えろとおっしゃいましたが…』『陛下の赤子を陛下の砲をもって射つことはできません』『陛下の赤子を無為無能の作戦によっていたずらに死なせたのはたれか?これ以上兵の命を無益にうしなわせぬよう、わしは作戦転換を望んでいるのだ。援護射撃は、なるほど玉石ともに砕くだろう。
むしろ「史実に反するエンタメ狙いのフィクション」ではない、ってところに、ポイントっていうか、問題があるんです。坂の上の雲は、もちろん小説です。松山出身の同世代の二人、正岡子規と秋山真之、それと兄の好古の三人を主人公にして、日露戦争に向かう上り坂の日本の姿を、社会と文化のいろんな側面から多面的に描いていこう、っていう意欲的な小説だったんですが。ところが、司馬遼太郎先生というのは御存知のとおり、徹底的に調べて書く人なんで、だんだん取材成果の発表のほうの比重が増えてきて、特に正岡子規が死んだあとは
✨秋山助六郎✨助六郎ハ余カ長男今茲甲辰征露ノ(すけろくろうはよがちょうなんこんじきのえたつせいろの)役戦死ス行年三十六(えきせんししすきょうねん36)其最後決死ノ際寄する所ノ書左ノ如シ…(そのさいごけっしのさいきするところのしょひだりのごとし)八月三十一日0時後遼陽総攻撃二(8月31日0時ごりょうようそうこうげきに)從事シ同地東方二里ノ敵壘ヲ(じゅうじしどうちひがしかたにりのてきるいを)決死突撃シ名誉ノ戦死ヲ遂く(けっしとつげきしめいよのせんしをとぐ)家門ノ