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今日は曇っていましたがお昼過ぎから雨になりました肌寒く感じる1日でした✴︎わたしはアルコール依存の主人を意志が弱い!家族のことを想ってくれてない!約束したのに直ぐやぶる!嘘をつく!何で?何で?何で?長年主人を責めてきました(頭の声なのですが^^)わたしは間違っていない!そう想ってきました今は主人への想いを知ることができたので前のように責めることはなくなりましたでも「アルコール依存症」のことが知りたくなり少しですが調べました今まで調べてみよう!そう想ったことは
夫の後遺症・・・それは左目の視界が狭いそうだ。それが理由で一生車の運転ができない。目の斜め下部分が見えないらしい。。。それを聞いたとき、ショックだった、、、まだ自分の膵炎も子宮筋腫も見つかる前だったから、とても辛くて、夫の心配ばかりしていた。この先、歳をとるにつれて、もっと見えなくなる可能性だってある。視野が狭いってどんな感じなんだろう。。。と、彼と同じ目の感覚を知りたくて、片目をつぶって自転車に乗ってみたりもした。(実際に夫は片目が全く見えないわけではないが・・)そ
トラウマセラピストの花丘ちぐさです!アルコール依存や、摂食障害、自傷なども、「問題行動」といわれますが、ある意味、とってもいいことなんです。だって、それがあるから、何とか生きていけるんですから。だから、全否定はやめましょうね。賢いからこそ、とにかく命を取り留めるために、問題はあっても、なんとかやり過ごす方法をあみだしたんだから、過食嘔吐だって、英知の塊ですよ。パニック障害だってこれがあったから自分を傷つけてしまったり何か大変な犯罪を犯してしまったりせ
東京のマンスリーマンションで暮らし始めてから、必死で就職活動をした。主に、心残りとなってしまった法律事務の仕事をメインに探し、履歴書送付、面接に行くが、不採用の嵐。1か月という期限の中で就活をすると、焦りからだんだんストレスが溜まっていった。なかなか決まりそうにないのに時間だけが過ぎていく、、、しかも、お金もないから食費にそんなにお金もかけれない、、、1日1000円までと決めていた。なんとも情けない、、、(笑)たまに夜、外を歩くと、私と同じくらいの年齢の男女達が、お洒落なお
一人暮らしの家は、姉が住んでる隣の駅に借りた。初めての一人暮らしなので、治安、セキュリティーは絶対に譲れない条件だったところ、駅から歩いて30秒という好立地のマンションを見つけた。家賃は痛かったが、決まった職場の時給が高いので、大丈夫だろう!と、、、あとは、最悪の姪・甥と会える距離、、、そして姉の家まで歩いて15分でいける距離であることが決め手でもあった。姉とはその後も疎遠であったが、心のどこかで、姉が心を開いてくれて直ぐに仲直りできるだろうという思いもあった。そして人生初の一人暮
お酒に逃げながらも、無職になって1週間ほどで幸いにも仕事が決まった。また派遣で、前回の外資系企業より時給は安かったが、勤務地も便利だったし一流企業だったのでひとまず安心した。お堅い会社で、日本でトップの大学卒業者などが多い職場だったが、社員の方は賢く良い方ばかりで、仕事は順調に進んだ。そうなると次の不安は結婚になる・・・・正直、その職場を選んだのは打算がなかったといえば嘘になる。一流企業で、エリート社員が大勢いる。男性が多い職場だし、出会いを期待してしまったことも事実であった
姉に追い出され、ホテル1泊、ウィークリーマンションに7日間程滞在すると、姉も流石に悪いと思ったのか、帰ってきていいよと。しかし、姉とはどこかギクシャクしたままだった。あまり口も聞かず、昔のような仲良し姉妹はそこにはもういなかった、、、食事の用意もしてもらえず、私はいつもスーパーで買ってきたお惣菜などをお酒と一緒に1人、部屋の床に置いて食べていた。(テーブルが部屋に無かった為)まるで、小公女セーラーのよう(笑)ある日、床をテーブル代わりにして食べてる姿を義兄に見られ、『そんなとこで食べて
『アルコール依存症の夜は長い』『アルコール依存症の朝』朝子どもたちを送り出し、仕事にでるそのルーティンを崩されることがしばしばだった起きれたら二日酔い、何も覚えていない、ぼーっとするそ…ameblo.jp断酒してくれているだんなには感謝夜寝れる家に帰れる自分の時間がもてる穏やかな時間ですお酒を飲んでいるときは、暴言がひどく・・・よく「ラーメン屋に連れていけ」と言われたもんです。お店とのトラブルがなかったころはよかったですが、ラーメン屋さんとトラブり、警察を呼
新しい職場のクセ者派遣女性、、、、初日から何故か私に敵対心むき出しで、「ビシバシ行くから!」と言われ・・・・教え方もキツイ。そして一度しか言ってくれない。聞き返すと、「さっき言ったよね!メモってないの!?」など・・・そして、私を面接して採用してくれたお偉い方が私の席に来てくださり「今日からよろしくね。頼りにしてるよ!君の笑顔は明るくて本当にいいねぇ!」なんて褒めてくださった時には、もう私のことが許せないかのような鬼の形相で睨んでくるおそらく、自分より後から入ってきてチヤホヤ
その日は金曜日で、会社の男性社員2と私の3人で飲み会だった。私と同じ部署に、ちょうど産休に入ったばかりの仲が良かった女性社員がおり、その子が、他部署にいるお酒好きの旦那さん達と是非飲みに行ってあげて!とのことで、夫と会う前から約束してあったし、断ることもできず・・・夫には正直に話し、21時までには夫の家に行くからと伝えていた。飲み会・・・1軒目のお店でビール中ジョッキを6杯飲んだ。2軒目は3人でワインボトルを2本開けたところまでは覚えている・・・・気づいたらタクシーの中で、
日曜日、今まで飲酒していた日常だったからそのルーティーンは体に染み付いていて夕方までゴロゴロしてしまいました。昔、飲み会を企画している幹事が『飲み会でソフトドリンクだけ飲んでお酒飲まない人って嫌じゃない?シラフで観察されている様で』と言っていて私は『そうですよね』と共感し答えていました。昨日はそのシラフのまま友人と飲み屋に行ってきました、友人は酒豪で酒が強いんですが、酔うと立ち小便をしたり、歩きタバコをしてしまいます。私は飲んでいた頃は、形は違えど同じ様だったから目を瞑っていました
それからがまた苦痛と苦悩の日々だった・・・・会社に事情を話し、仕事は一旦、1週間のお休みをもらった。ただ、状況次第では、更にお休みの延長になる旨は伝えたが、快諾してくれた。まず、左目が全く開かない、、、というよりも、開けるのが怖かった、、、、視力を失っていたらどうしようという恐怖、、、そして、目、鼻、おでこ、頬、顔中が痛い。とりあえず、翌日、近くの眼科に行って事情を話し、診てもらった。恐る恐る目を開けると、、、色が黄緑色というか、見え方にちゃんとした色が無いそして、
義兄の事務所を去った私は、関西の実家に戻るしかなかった、、、東京で住む場所もないうえに、仕事もない、お金もないとなると、実家に戻るしかない。しかし、東京に引っ越しが決まった時、沢山の友人が送別会を開いてくれて別れを淋しがってくれた、、、にも関わらず、1年弱で関西に出戻るなんて、恥ずかしくて誰にも言えない。実家に戻るも、法律事務の仕事が楽しくてやりがいを感じていた矢先に道半ばでの帰阪だったので、自分の中でどうしても心残りなことであり、悶々としていた。両親には自分の気持ちを話し、『も
病院の救急処置室に到着すると、顔のレントゲンを撮った。私はハードコンタクトレンズを装着していたのだが、顔面を打った衝撃で目から飛んだのだろう。左目のコンタクトレンズが目から無くなっていた。左目の打撲が特に酷く、目は閉じたままだった。大きな腫れで目が開かない。病院で、医師や看護師さんが色々と対応して下さり、名前と年齢を聞かれた。年齢を言った瞬間、もう情けなさの余りに涙が溢れて止まらない。私はただただ、「情けない。情けない。本当に情けなくて、、、」と。警察官や婦人警官とは真逆な優し
甘ちゃんで、本気で怒ることがなかった人生ひとりっこの私は、父に溺愛され、ほんわかに育ったそんな私が、だんなにひどい目に遭っても立っているのは子どものおかげだ孤独ではない子どもがそばにいる子どもが一番の味方私も子どもの味方傷ついた子どもたちがこれからどうなるかだんなよりも子どもが気になる私には自分よりも大切な子ども三人がいるそれが私が立っている理由立てる理由かな「家族」が幸せを取り戻すとっておきの方法(アルコール依存症〈回復ノート〉(3)
意地悪女性に我慢の限界に達した私は、自席でその女性にキレてしまった周りに数名社員がいたが、そんなの関係ない。それよりも、理不尽な彼女の態度に我慢ならず、自己主張せずにはいれなかった。理路整然というも、彼女は一向に聞く耳持たず、非常識な反論ばかり。悔しさから涙が溢れ、泣きながら主張したが、常識が異なる彼女とは話し合いにはならない。私は離席し、給湯室から派遣会社の担当者に連絡をし、これ以上続けることは不可能だと伝え、その日も仕事を継続することはできず、お昼前に退社した。それがその会社
今日、買い物してる時『1本ぐらい飲んじゃってもいいか〜』と考えちゃいました。今回は成功させたいから、すぐに我に帰りました。そして、なぜ1本ですまないのかと頭をよぎりましたが、それが酒乱の傾向だからと割り切りました。欲求が抑えられないだらしない奴ではないんです、これは酒乱と言う病なんです。酒乱に有効なのは断酒と言われていますが、最近は寝つきが悪かったり、すっきり起きれなかったりして、逆に断酒しているストレスが出てきていると思っている。またはストレスを感じると飲酒したくなる生活を送ってきた
無職になり、振り出しに戻った私だったが、いつまでも途方にくれてるわけにもいかない。とにかく仕事を探さなくては、、、ただ、本当にお金がなかったので、とりあえずのお金が欲しくて、日払いをしてくれる求人サイトに登録をし、3回ほど1日限定バイトみたいなのをしに行った。日雇い労働者が来るような工場みたいなところで、今まで出会ったことのないような人々と一緒に袋詰め作業や、封入作業をした。なんだか凄く惨めだった、、、、中学校から私立に行かせてもらい、仕事も華やかな広告代理店や、CA、法律事務所の
態度を一変した警察官、、、どこの病院がいいか希望があるか聞いてきた。救急車を呼んでくれるとのこと。しかし、お財布、携帯が入ったカバンを紛失してしまったことが絶望すぎて、放心状態に近かった。鍵がないと家にも入れない、、、覚えている電話番号は、実家の番号と姉の携帯番号のみ。携帯がないことには、1番事情を知っているであろう一緒にいた同期に連絡をとることすらできない。もう絶望に打ちひしがれていたところ、警察官から朗報が、、、なんと、一緒にいた同期からその警察署に電話がかか
問題のカバン、、、、結局、女性社員の旦那さんが持って帰ってくれていたのだ。前回と同様、私はお手洗いに行ったまま戻ってこなかったようだ・・・・そして、またまた携帯にロック設定をしていなかったことが吉と出て、女性社員の方が夫の携帯にLINEをしてきたのだ。私の携帯のLINEを見て、これが彼氏だなと思って連絡をしてきてくれたのだ。勝手にLINEを見てしまい申し訳ないけど、これしか連絡を取る手段が無いからと。翌日、夫婦が住む埼玉まで荷物を取りに行くと伝えると、ちょうど産婦人科の診察日
警察署で目を覚ました私、、、服はちゃんと着ているが、近くにはダウンもカバンも靴もない、、、その日は寒い真冬の2月だった。目を覚まし、身の回り品が一切なく焦る私に、一人の中年男性警察官が話しかけてきた。「君、名前も年齢も何もわからないわ。カバンも何も無いし。ここ、どこだか分かる?警察だよ。君ね、酔って道端で倒れてたの。それで通りがかりの人が警察を呼んだんだよ!」とぶっきらぼうに、まるでクズ人間に話すかのような冷たい吐き捨てるような話し方で、、、椅子から起き上がろうとするも、気分が
ブログを初めてまだ間もないハーレークィーンです!私は39歳。両親は自営業。何不自由なく生活させてもらいました。ごく普通の家庭。私には今、三人の子供がいます。私には補導歴1回逮捕歴が4回。執行猶予1回。刑務所1回(2年10ヶ月)ほとんど覚せい剤。初めは周りが覚せい剤やってる人ばかりで覚せい剤に興味はなく、覚せい剤やってた女友達と一緒に居ると振り回されるから眠剤中毒になった。フリスクの様にハルシオンをかじり、、、起きたらハルシオンの空袋だらけ笑笑援助やピンサロ、デリヘルで働き
目が見えるようになった私は、もう大丈夫!という思いから、親に事後報告した。母親は勿論、大心配。『どうして言ってくれなかったの!すぐに飛んでいったのに!』と。『1人で不安で辛かったでしょう。1人でよく乗り越えたね。強くなったね。』と。目が回復したと思ったら、次は鼻、、、(笑)1ヶ月経過しても、鼻根部、眉間の痛みが続いていたので、救急車で運ばれた病院に再度行って診てもらった。その時撮影したレントゲンを見た医師が、「あぁ、、、これ鼻折れてるね。鼻の骨が折れてます。」と、、、えっ!
警察官に、こんなにも大怪我をしているのに、何故救急車を呼んで病院に運んでくれなかったのか!!と訴えるも、警察官は「身元不明だったから」や「単なる酔っ払いだと思った」や「そこまでの重症性は感じなかった」と主張。いやいや待って!こんなに顔面大怪我しているのに、重症じゃない!??憤った。結局ただの酔っ払いで、そこらへんの野良犬と同じ扱い。悔しかった。。その後、警察官に色々と私の身元等を聞かれ、誰か近くに身内がいないのか。と聞かれた。本当は一人いてる。東京にいる唯一の肉親である姉が
同期の顔を見て、ホッとした。同期は私の酷い顔を見て、心配して涙する。お互いにごめんね、、、ばかり言い合う。同期は病院に来る前に、一度私が保護されていた警察署に行ったそうだ。警察官にそう指示されたよう。そこで同期は小部屋で警察官から取り調べを受けたらしい。そして「君が友達を殴ったんか?君がやったんやろ?正直に言いなさい」と言われたそうだ。同期は全否定したが、しつこかったそうだ。もう、それを同期から聞いたとき、大憤慨した。私のせいで、同期が疑われて暴行者扱い。酷すぎる
ここまで書き記してきたお酒にまつわる出来事。前回のブログで『この数日後くらいから、お腹と背中の激痛が始まった、、、』と記したが、この後、膵炎が見つかるまでの道のりが、一番最初のブログ「始まりは・・・」に繋がる。『始まりは、、、』今から約1年半前、寝ている最中に突然、お腹と背中の激痛が始まり、のたうちまわる激痛が数時間続いた。最初は単なる腹痛だと思い、市販薬を飲んで様子を見たが、それか…ameblo.jpつまり、夫と出会うまでは、あれだけ深酒してもお腹と背中の激痛が続くことなんてなかった
モモココです。地震で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。そして、被災された方々が少しでも早く精神的、肉体的、物理的に落ち着けますように。皆様本年もよろしくお願いします。大晦日に父が昼間からお酒を飲んだ後私に出掛けるから車を出してと…ハナからあてにしてる。何度かあったので一度、ガツンと怒りました。Oさんの影響で(?)イベントじゃないのにお昼からお酒を飲む姿は心がザワザワします。モラハラのOさんはアルコール依存だと私は思ってます。※専
2021年6月16日、初めて娘が嘔吐してるのを見つけ、摂食障害とわかったあれから…3ヵ月、最近はびっくりするくらいの過食の多さとアルコールの量がすごく増えてきてる…もう毎日毎日心配で心配で胸が痛いけどヘタレ母で言い出すきっかけが見つからない言う自信がない病院も見つけられない(昨日、市がやってるアルコール依存の相談をみつけ予約ができた!)とにかく見守るしかなく不必要に「大丈夫?」とか「タバコはやめた方がいい!」とか「お酒は体に悪い」とかはもちろん嘔吐に
断酒をして、アルコール依存状態を長い間続けて来て影響が出ている事の一つに記憶力の低下があります。ただの老化かもしれませんが、飲酒時は記憶する事自体を放棄していた。したがいまして断酒している今だからこそ気がついた事なのかもしれません。近年している仕事は、軽作業の様な体で覚える仕事だから影響はないです。帰宅してから炭酸などを飲みながら読書したり映画鑑賞したりしているのですが、内容が頭に入って来ません。映画鑑賞中に登場人物の役割や内容がわからなくなります。作品の優劣にもよると思いますが、2日
3年前まで、ほぼ毎日お酒を飲んでいた。夫もお酒は強くて飲む人だったので、家で咎める人がいないことは、飲兵衛に拍車をかけてしまってた。因みに私は前日にお酒を飲んでも、γGTPはずっとA。他の消化器も異常なしだ。コレステロールは20代から高いが、アルコールとは関係ないと思う。そんな私だが、50歳の声を聞いた時このまま飲み続けてたらいつか病気になるかもしれないと思うようになった。母は若くして50代で亡くなったけどお酒は殆ど飲まなかった。飲める体質だったのでお祝い事とかでは飲んでたけど父が下戸