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ICUにて3日が経ちました。10時くらいから背中やお腹など1つずつ管が外され残りは尿管と手(腕かも)の点滴のみ。ベッドに寝たままレントゲンを撮りました。看護師さんがカラダを拭いてくれるのですが、その日は若い男性看護師さんでした。恥ずかしいというよりも、おばさんでごめんなさいって感じ。慣れているとはいえ下半身はちょっと、と思っていたら、女性の看護師さんにいつのまにかチェンジ。「さぁ、歩いてみましょうか」きたきた、歩く練習。男性看護師さんです。「帽子被りましょうか」おっ、この気
ついに手術当日ついに、、手術当日です前日夜に飲んだ下剤が効き、朝早くからトイレに数回ダッシュしました笑手術当日の今日は絶飲食。手術は13時前後の予定だったのですがなかなか呼ばれず、、、ドキドキする時間が長くておかしくなりそうでした結局呼ばれたのは14時50分。15時に手術室入室になりました。看護師さんに呼ばれてからは、歯磨きして手術用の服に着替えて、弾性ストッキングを履いて準備。最後に、家族と病棟の看護師さんと手術室のフロアに行ってお別れです手術室がいっぱいある光景に心拍
アレセンサ463日目2022年7月、肺がんと診断され、8月、肺腺癌ステージⅣ、リンパ節、骨、胸膜に転移ありと診断。胸腔ドレナージ手術で胸水を抜き、胸膜癒着術をして、8月末から、アレセンサで治療中です。☺️☺️☺️本日の不調口内炎、肌の乾燥、味覚障害、胸痛、頭痛、手術跡の痛み、腰痛。父ちゃんいなくて寂しい病。私の不調は、もう辛いなんて言えない。ごく軽いものです昨日は、父のお見舞いに行って来ましたICUの父との会話管いっぱい繋がれてねー鼻には転倒した際の大きな傷私の顔見るなり
そして兄に会いに行く母と打ち合わせをし初めての大都市に着く。思い返せば母と会ったのは何十年ぶりだっただろうか…中学3年の頃が最後だった。キヨスクの裏手に、白いジャンパーを着た少し派手な髪色をした女性。2度見しないと分からなかったがそこには母が居た。話はするものの、2人共落ち着かない。なんせ19年振りなのだ。母が、目の前に来ている新幹線に乗り遅れたその瞬間から、遅刻は決定していた。病院の好意で、面会時間を変更させてもらった。直ぐにでも病院の最寄り駅に急ぎたい私をよ
『私の感情とパパの憤り』『救急車の中で辛くなる心』『ICU緊急搬送』『悪化していく中で』『生き地獄』『気持ちの問題…?』『不安な緊急入院』『娘と友達』入院していた娘の大部屋は歳の近い…ameblo.jp前回の記事しばらく待っていると、ICUの扉が開き主治医の先生が来ました。ICUの中に別室があり、そこに案内されました。主治医の先生はこれからの治療方針を説明しました。「娘さんは閉塞性細気管支炎の急性増悪です。ネーザルハイフローで症状が落ち着いたら、ステロイドパルスをします。」ステロイ
ワクチン推進者が、ワクチン後遺症になりイベルメクチンを服用😎https://t.co/1FiR8yP9Y1pic.twitter.com/Fl9NgIXSch—LaughingMan(@jhmdrei)2024年5月9日COVIDクリス・クオモがイベルメクチンの服用を認める。元CNNキャスターのクリス・クオモが、コロナワクチン後遺症となり、その症状を治療するためにイベルメクチンを服用していると語った。一方、イベルメクチンの新しい臨床試験では、コロナ患者のICU
タイトルが仰々しいですが、牽制の意味もこめて。そして誤解のないようにお伝えすると主治医の先生や執刀医の先生、看護師さん達など多くの病院のスタッフさんへは感謝してもしきれないくらい、本当にお世話になっていて信頼もしています。出産に関してもこの病院にお世話になって本当に良かった、と思えるくらい、気持ちに寄り添って頂きました。なので、こういう事が起こってしまうのは残念でなりません。原因は「人」の問題と言うよりも、管理側の問題(体質、職場の雰囲気、チームワーク的な)だと思います。ミス②につい
治療の経過についてのブログが一区切りついてたので、今回は、入院に関係する出来事やあるある?などについて。入院経験がある方なら当然知っていることもあると思われるが、私自身がビギナーということもあり、初めて知ることも多かったので、何かの参考になれば。【入院前】●入院部屋最初から4人部屋を希望していたのだが、入院前手続きに行くと、係の方から「部屋の空き状況によっては、個室などもご検討いただくことはできます?」と聞かれたので、「検討は・・・でき・・・ません!すみません。」とお断りした。保険
更新遅くて心配かけちゃってごめんなさい!コメントいっぱいありがとうございます!3日の夜に飽和度70台まで下がって超苦しくなっちゃって、気管挿管(人工呼吸器ってやつ)してICU行ってました。先生も看護師さんもいっぱいきて緊急事態ってかんじでまじ怖かった日曜日の夜ICU入って、5日後の金曜日HCU移って、今週の火曜日管抜いてようやく一般病棟の個室これた。家族と面会できたけど、皆んなめっちゃ泣いてた。普段冷静な兄ちゃんも泣いてた。心配かけてごめんね。ICUもHCUもまじで地獄だった。ICU
最近の私の謎は時々出会う「長生きしたくない」という人たち。難病でICU帰りの人はもう、いつ死んでもいいと言っていた。悔いはない、と。私も九死に一生を得たが悔いはないから、もういつ死んでもいいなんて気分にはなれなかった。むしろやっとのことで助かったのだから、まだまだ生きたいと思った。まだ親より先に死ぬつもりもない。生きようと一生懸命奮闘しているのに、すぐ死にそうになってしまう。けれど若い超絶美形の理学療法士さんが「私は長生きしたいと思わない」と言った時
皆さんこんにちは。青天の霹靂Part2舌がんの記録②です。舌がん宣告を昨年末に受けて1/29に手術を受けました。病院には宣告から手術まで1か月強という早さで対応していただき大感謝です。手術内容は「舌切除+遊離皮弁による再建術(移植)+頸部右リンパ廓清」。簡単に言うと舌のがん周囲1cmくらいを切除して、切除した跡に太ももから筋肉を移植。プラス転移の認められた頸部リンパ組織も摘出、というものです。事前の説明では舌は半分弱位切除とのこと。再発率が高いこのがん種なので
今日は、私の母の話をしようと思います。題名の通り、成人T細胞白血病リンパ腫で約1年と半年の闘病生活でした56歳という若さで亡くなりました。今から約8年前。。その時はいきなりだった。母(時子なのでとっきー)がいきなりバターーんと凄い勢いでリビングに入ってきた。※2世帯で上下階の同居ここ触って!!と、母は慌てた様子で首の耳の下らへんをやたら触れと言ってきた。あ。凄く大きなしこり。やばいかも。。母はすぐ東京にあるT病院へ。実は私の妹が大学生の頃、病院実習の血液検査でわかった事が
続き手術前、母には麻酔から覚めたら・現在時刻を教えてほしい。と。姉には・ICUから戻る時はスタッフステーション前の部屋には戻りたくない。空いてなかったら差額払うからと。懇願しといた。この理由は、またの機会に1番最初に聞こえたのは、「きのこさん、左手動きますかー?」力は入ったし、動かせたことに一安心直後、ガタガタネットで調べた情報によると、いわゆる、シバリングとやらが…そんな中、すぐに、5階→2階へ確か、CTとレントゲン撮る為運ばれていく。
まだまだまだまだ2023.08.25ひと通り説明が終わったあと、ICUにいる旦那に、お義母さんと面会。何となく返事をしてくれるが、辛そう。この時、時間は15時くらい。面会時間は16時半まで。家に帰って入院準備をし、また病院に16時半では無理かでも、早く入院準備を、買い物もしなくちゃだし…。オムツ買わなきゃだし…。結局、使わなかったけど、オムツと尿とりパットが入院準備品の中に入っていた。旦那の面会もそこそこに、お義母さんの運転で、病院を後にした。用意しなきゃいけないもの
気になるお隣の建築シリーズ4月中旬くらいから外壁をやり始めた感じで、外壁の裁断。これ、うちのキッチンの窓のすぐ脇・・・このブルーシートの下にあるもの全部裁断するんだよね。少しずつ外壁が張られてった・・・が、次の荷物の団体が到着やっぱり・・・また裁断を始めた・・・今度は、ちょっと甲高い音でかなり響くさすがに1ヶ月間裁断の音と付き合うと、ちょっとストレスがで、夜勤前の仮眠や夜勤後の睡眠もあまり取れなくなり今仕事がハードなので、眠れ
抗がん剤を3コース終わった頃の腫瘍マーカーCA125は13でした。上限値は35なのでかなり効いていることが判明。しかし手術は予定通り。手術の2日前に入院しました。入院当日は血液検査、おへその掃除、血圧測定ICUの説明、20時に下剤最初の食事はランチ低残渣食だそうです。手術前日は婦人科と麻酔科の診察、恥骨あたりの除毛、ICUの持ち物チェック、20時下剤とガス出す薬服用。食事が注腸食というメニューに変わり、朝はお粥と味噌汁。昼、夕、昼と夕の間にカロリーメイトみたいなバ
手術日以降の様子を書こうと思います。まず、手術当日のICUでの状況です。ICUには、1日だけいる予定だったのですが、めちゃくちゃ大変でした。手術は、午前9時入室で、午後3時過ぎ頃終わったようなのですが、基本、ICU内では独りぼっちです。(当たり前か…。)「何かあったら、ナースコールで呼んでください。」といって、看護師がICUから出て行ってしまうと、一人で苦痛と戦わないといけません。僕の場合、まず、排便に困りました。術前に、下剤を飲んである程度排便は済ませていのたですが
こんな事ってあるんでしょうか。医療現場や介護の場では普通なんでしょうか。手術日の翌日です。息苦しさと痰の絡みと格闘しながら、長ーい時間であるかのような感覚の中で何とか、ようやく私は朝を迎えてホッとしていました。それでもその間も体の倦怠感や疲労感、麻酔とか痛み止めの作用なのか、ずっとボーッとした感覚でした。ですが突如、このボーッと感からギャー‼️ッッッッッッうっそーーーー!!!という出来事に直面するのです。まだまだ自分の身体は自力で動かせない状態でしたし、夜中に何度も発熱を繰
振り返って写真を見るだけで、医療費に切なくなりますが、健康一番✨さて、前回のマムシ騒動の1週間後の狂騒曲を綴ります。『4月に犬がマムシに咬まれた☆★あなどるなかれすぐに病院で処置を!(;´Д`)ハァ大惨事勃発』なぜ、あの公園のどこで、いつ、、、新入り長老の福寿草がマムシに咬まれました鳴き声ひとつ上げず、10cmもない草をにおい、落ち葉の上を歩いたくらい。5匹い…ameblo.jp散歩で桜を見て集合写真を撮って満足した土曜の夜さてお茶でも飲もうかと座って福寿草を見ると、
術後ICUに入って間もなく、真っ先に口の恐ろしいやつが抜去された。夜中から朝にかけて、看護師さんが来るたびに、鼻のを抜いて、鼻のを抜いて、と懇願するが、朝まで我慢して、とのこと。7時半頃、ベッド脇に主治医と担当医師がやってこられ、担当医に伝えると、「後で抜きますよ」と言ってもらえた。今抜いてほしいのに…。8時にICUの朝礼と引継ぎ。外科の医師さん、ICU看護師さんが揃ってミーティングされている。朝礼後、8:20頃、担当医が来てくれた。「しばしゃんさん、抜きましょう。はい、息を止めて!」
忘れたくないので記憶が鮮明なうちに夫の最期の日の事を書いておこうと思います11月13日月曜日夜11時前私のスマホが鳴りましたその時は丁度私がお風呂から上がり、母と2人で息子の夜最後の注入を準備している所でしたスマホの画面を見た瞬間、嫌な予感がしました病院からでした電話に出ると循環器の先生からで、「血圧が下がって来ています。これから病院に来られますか?」「奥様が病院に向かわれている途中に亡くなる事も考えられる状況です」全身の血の気が引いていくのを感じました「今からいきます」
術後ものすごく長く感じたICUでの一晩を過ごし,食事も完食し,自立歩行も出来そうということで病棟の看護師さんに迎えに来てもらうこととなりました.『肺がんの記録(入院&手術編)⑤ICUにて』2021年11月29日~30日覚醒後のICUにてICUで一晩過ごさせていただきました.8床ある大部屋で,夜間はベッドの周りのカーテンは閉じられて…ameblo.jp2021年11月30日術後のレントゲン撮影にて食事も完食し,歯磨きも終え,裸にされ体も丁寧に拭い
5月10日、この日は朝から絶食。水は2時間前迄との事。朝、主治医の顔出し🩺体調を確認。その後、手術室看護師より説明をうける。妙に話が弾み、色々と🧑⚕️そりゃ看護師さんも色々思う所あるよねって(笑)10時点滴開始12時半着替え弾性ストッキング(血栓予防)T字帯(オムツカバーぽいやつ)手術着寒かったのでガウン1時手術室入室手術室が騒がしい?いや準備の確認中です。こんなにガヤガヤしてるとは
7月の3連休があけて、めいちゃんはICUからNICUへ移れることになりました。私の希望を聞いてくださって本当に感謝です数日前は哺乳力が弱くて、ミルクがあまり飲めないと聞いていたのですが、今日はあごを支えると飲めたと聞きました。NICUへ早速通いたかったのですが、先週末のおねえちゃんの発熱もあり、すぐには行けないという状況で、翌週の週明けにPCRを予約してもらいました。PCR陰性が確認できたら、NICUの面会時間内であれば会いに行けるようです。PCRの有効期間は1週間
はじめましてあずさです過去にいろいろと模索し、迷走した時期もありましたが…恥ずかしいけど、それも私なので、そのままこのアカウントで書き綴っていこうと思いますついに、今スグできることから行動していこう!と、ヤル気スイッチが入りました以前からやりたいことが明確にはなっていたものの…動いていなかったヤル気スイッチがカチッと入るまで、約2年かかってしまいました(笑)私がやりたいこと。それは…息子から学び、息子と経験したことを、多くの方に伝えること!私の息子はある日突然、本当になんの前触
当時のことを思い出すと苦しくて涙がでますでも息子と過ごした最後の瞬間まで忘れないように記しておくべきだと思いました辛い気持ちになる方はどうぞスルーしてくださいねICUに入る前に主治医から「家を出た時の息子さんとは変わってしまっていますから、ショックを受けるかもしれません」と言われました息子に会った瞬間夫と二人息を呑み膝から崩れ落ちました口にはそう管の管沢山の点滴のチューブ色んな機械に囲まれた息子涙が次から次へと溢れ出て「◯ちゃん、頑張って」って言ってしまい
2021・1・23目が復活したから、もう1ネタ昨日の22日で、ALS確定診断からちょうど1年半。その、昨日・・・あっちゃんに初めて聞いた・・・2020年3月1日の話しを・・・。翌日の2日に、気管切開&喉頭分離の予定で2月28日から入院していた。その前日にバイパップの限界を迎え呼吸が出来なくなった。鼻マスクだったから、通常なら喋れていたが・・・。苦しくなって看護師さんを呼んだときは、まだなんとか『く・・る・・し・・・い』って言えてたけど・・・先生呼びますねで、
実際は昨夜からICUにいるので今日は二日目の夜になるわけだが、昨夜は意識がないので今夜が初めての夜を過ごす気分なわけです頻繁に吸痰してもらっていると、来る看護師さんによって痛いくらい奥まで吸ってくれる看護師さんと、入り口付近しか吸ってくれない看護師さんと別れる事に気づきましたどうやら、年齢からみるとキャリアの差の様に思えました吸痰すると相変わらず身体中が暑くなるので、頭と背中にアイスノンを入れてもらっていましたが、それでも暑いので浴衣はまたしてもパーパーにしていました扉は開いてるけど個室
最近、医師の働き方改革のニュースが多いのですが、ふと思い出した話があります。以前、仲の良かった看護師から聞いた話です。その看護師は、「とある大きな病院」の、「とある外科系」の病棟に勤めていました。(注:今じゃないです。昔の話です。)具体的な病院名と具体的な科名については、言えません・・・。ある若い男性研修医が、とある外科系の病棟にローテートで来たそうです。そして(私が聞いた記憶では)2週間、ずーっと病院に泊まりこみだったそうです。朝から、外来や様々
閲覧注意こんにちは。ゆずdeぽんです。脳ドックで『未破裂脳動脈瘤』が見つかり、手術をすることになりました。その記録として2023.2.21にこのブログを開設しました。まな板の上の鯉から帰って参りました!3/22手術が終わってから遠くから名前を何人もの人に呼ばれて…「あー、終わったんだな」って手術が終わったことを知りました。この後で、待っててくれた旦那と再会して、手を繋いだかな?この後、「ベッド動きますよ。3階のICUに