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4/18(木)9時少し笑って「どうせ寝てるだけで終わるんだから〜」と言って手術室へ入っていった旦那主治医からは早くて夕方だけど2〜3時間のびることもあるので自宅が近いなら自宅で待っていていいとなので家で待っていた17時頃には今にも病院から電話がくるかもとソワソワ19時過ぎ病院から電話がきた「すみません。まだ終わってません。もうしばらくかかります。」不安で落ち着かない外は雨が降ってる21時40分病院からもうすぐ終わりますと電話ダッシュで病院に向かう真っ暗で雨
くも膜下出血でICUに入院して一番尊く怖い存在だったのがドレーン点滴も常に3つ4つは入れられていたし、輸血も3パックくらいされてたし、尿ですら尿道からバルーンを入れられて常に状態を管理されていたし、ICUにいる間私の体にはあらゆる場所にドレーン(管)が入れられて、それによって生かされていた。でも、一番インパクトがあったのは頭に刺さっていたドレーン。この管からは刺さってた2日間、常に血が出ていたし、なんせ頭に管が刺さったままの状態でいることが自分でも怖かった。手術の2日後
こんにちは今日はお休みです♪昭和の日であり、母の92歳の誕生日。2年前の今日、みなで集まって90歳のお祝いしました🥂その、9日後帰らぬ人となってしまった。95歳までも、100歳までも生きます‼️なんて、母言ってたのよね。まさか、あの9日後に死んじゃうなんて、、、と。5月8日、私は兄からの知らせで、職場から、都内の病院に向かったけど、途中の事はほとんど覚えてなくて…病院へ向かう電車の中で、息を引き取ったと、兄から知らされた。それでも、また信じられなくて。でも、初めて行った病院で
キャットタワーの透明ボールに恐る恐る初めて入った時のモキチ手術の時の事思い出しながら…続きを書いておこうと思います5/29手術から11日目着信音でスマホを見るとなんとっ旦那からの着信慌てて出ます久しぶりに聞く旦那の声咳をたくさんしててかすれるような小さな声で、会話が噛み合わないとこもあったけど言ってることは分かりました何か、病院のグチを言っていましたここはおかしな病院だ早くここから出ないとヤバい的な事を私に一生懸命伝えてくれて何故か私の事もすごく心配していて不
更新遅くて心配かけちゃってごめんなさい!コメントいっぱいありがとうございます!3日の夜に飽和度70台まで下がって超苦しくなっちゃって、気管挿管(人工呼吸器ってやつ)してICU行ってました。先生も看護師さんもいっぱいきて緊急事態ってかんじでまじ怖かった日曜日の夜ICU入って、5日後の金曜日HCU移って、今週の火曜日管抜いてようやく一般病棟の個室これた。家族と面会できたけど、皆んなめっちゃ泣いてた。普段冷静な兄ちゃんも泣いてた。心配かけてごめんね。ICUもHCUもまじで地獄だった。ICU
昨日はコロナもう治ったなとか思ってたら夜中はまた熱38度に朝にはすっかり平熱。隔離生活による暇の為手術の事を引き続き思い出しながら書こう手術の翌日病院からは特に連絡もなくコロナ禍真っ只中のこの時期、会いに行くこともできずひたすら祈りながら自宅待機とは言っても、手術は成功したんだという安心感がありました手術から2日後主治医から電話がありました。安心していた私はのんきに明るい声で手術のお礼を言いました。反して先生の神妙な声のトーンに一気にイヤな予感がしました旦那の体調が
友達と会った。病気治療している事、ICUに入っていた事は知ってる、でもなんの病気かは知らない。伝えなければ...会った瞬間に、駆け寄ってきて泣きながら抱きつかれた。ICUから生還したのが、不安で、嬉しかったらしい。本当にあの時は、死んでもおかしくなかった。ただ、その原因から話さなくては。抗がん剤治療の薬剤による副作用...ほとんどの人に起こらない、でも私はそれを引き当て、その間に、さらに癌は私の体に散らばり始めた。少しオブラートに包みながら話す。もうどうしようもない。誰も悪く
休薬期間中ですと、副作用も軽く闘病生活とはかけ離れた感じです。平日は趣味に時間を割けますが、週末はアマゾンプライムで映画を見るのがメイン。こうして、記事を書いている間も海外ドラマが流れています。ちなみに今流れているのは「THISISUS・ディスイズアス」なかなか面白いですよ。初期の闘病生活を思い出してみますと、初めての手術は、ストーマの造設です。クリニックの方に「救急車をよびますか?」と言って頂ましたが断り、書いてもらった紹介状を持ち、救急病院の夜間受付に駆け込みました。着
「パンツは?」「はいてなかったです」ふと聴こえてきた会話。どうせ脱がされるのだからと手術室にノーパンで来ました。新しいパンツはバッグに入ってます。ごめんなさい🙏余計なプレーでした…再び記憶をなくしガラガラガラガラ気づいたときにはものすごい速さで運ばれているストレッチャーの上の私。手術、終わったんだ。痛みはありません。手術室が10くらい並ぶ中を一気に駆け抜けICUへ。「ベッドの硬さはどう?」硬さを調整できるらしいです。うーん…このままでいいです。酸素マスクは
こんばんは。えずくような咳が止まらず腹部の傷が破裂しないかとドキドキしております。一応、咳止めもらってますが効かない(笑)えっとオペ日ですが2時間くらいの腹腔鏡だときいてましたが蓋を開ければ6時間(笑)HCUにはいるのはわかってたけど腸の癒着があまりにもひどく時間がかかり左の肺がやられちゃって自己呼吸できずにICUへ。蘇生の管だらけで私は暴れたらしく喉に傷ができたのも咳悪化の要因。一般病棟に戻れたけど酸素などの管だらけで朦朧としながらブログ更新(笑)今はご飯も食べ
忘れたくないので記憶が鮮明なうちに夫の最期の日の事を書いておこうと思います11月13日月曜日夜11時前私のスマホが鳴りましたその時は丁度私がお風呂から上がり、母と2人で息子の夜最後の注入を準備している所でしたスマホの画面を見た瞬間、嫌な予感がしました病院からでした電話に出ると循環器の先生からで、「血圧が下がって来ています。これから病院に来られますか?」「奥様が病院に向かわれている途中に亡くなる事も考えられる状況です」全身の血の気が引いていくのを感じました「今からいきます」
いつもほんとにありがとうございますやっとやっとステロイドの効果出てきて体調上向きになってきました!首あげたりちょっと体勢変えるのはできるようになった。声の掠れも良くなってきた。まだ自力で座れないけど、やっと前に進めそうな気がする。長かった…。まじで辛かった。緊急入院からのICUとHCUで気持ちが追いつかなかったのとかステロイドの副作用が大きいけど、ほんとにメンタル壊れてた。急に寂しくなったり生きるの辛くなって大泣きしたり散々だった。頑張っても頑張っても良くならなくて、全部怖く
2回目の面会に行けました。1度目は挿管、呼吸器付けていて意識もなく、輸液でパンパン、透析、鼻から口からいろんな管に繋がれていて両腕はもちろん、両方の首にもと、インスリンなどたくさんの薬を大量に使っていて目を覚ますのかと心配だったけど数日後に目を開けました。少し話も出来るくらいになったと聞いて早めに会っておきたかったので目覚めて2日後に妹と面会に。息子としては起きたらICUで全く動けない、絶食絶飲で手にもグローブで拘束されてまだ全身痛くて辛くて不安定でした。どうやって病院行ったのか聞いたら
風が強い中、孫と娘が作ってあった塩パンを取りにやってきました。ラブは大興奮ですよ。そんなラブを置いて、買い物に出たり忙しい午後でした。孫は社会の授業が始まったとかで、社会の問題を出され続けテストされましたよ。楽しく学校が始まり良かったね、と嬉しかったですね。ラブは娘にベッタリで、帰るときにはついて行きたそうな様子でした。敬宮様の、園遊会出席が決まりましたね。楽しみです。孫のこうした成長を喜べない赤坂のご隠居夫婦の、なんと寂しい
おはようございます術後3週間目に入りました手術後の傷の痛みは、もう痛み止めなしでも普通に元気に歩ける程に回復だが、しかぁし膵炎膵液漏膿瘍縫合不全と、術後合併症のフルコースみたいなことになっちゃってます全部軽症なんですけどね退院は…。先生曰く『…ん退院ねぇ…。うーん一か月半……二か月後かなぁ』『…』そんな訳で、術後の傷とは違ういろんな痛みと闘っていますが、でも、あの、ICUの夜に比べたら、こんな痛みは乗り越えられるさっ※たくさんの方々の実体験ブログを読ませていただいてい
クロム「うちの大学の後輩が武蔵野市議会宛にとんでもない条例案を提案して右翼が騒いでいる」「包括的性教育の充実」不採択市議会への陳情で大学生が感じたこと[東京都]:朝日新聞デジタル(asahi.com)ベル「ICU、完全にネトウヨのターゲットになっちゃいましたよね」クロム「ICUの卒業生が1人武蔵野市議会議員になったのだが、結構な左翼の活動家らしい。そして冬の市議補選では子分を立候補させて当選させようとしていた。まぁ俺が落としたのだが」ベル「じいさん、そんなところで実力行使かよ」ク
記録を残そうと思い始めたブログも、更新せず約1ヶ月が経ちそう。。この1ヶ月ほんとに色々ありすぎました。私自身大量出血とさらに合併症を引き起こしICUに運ばれ、一般病棟に移ってもまともに歩けなかったり1人でトイレやお風呂も行けなかったり、、今はやっと退院(先生に退院したいとすがりついた)して心身ともに回復に向けて頑張っています。実は最後の記事を書いた次の日に、32週に受けたDNAテストの結果が返って来て、私たちの赤ちゃんがかなり珍しい型の染色体異常を持ってることが判明しました。その時点で34
ご訪問くださりありがとうございます昨日は大急ぎでブログ更新してしまったので注意喚起出来ませんでした。痺れが出たらすぐに病院!!痺れは異常事態です。(正座等原因がわかるものは除く)速やかに病院に行ってください。行ってみて何ともなかったなら安心出来てよかったと思ってください。痺れはあっという間に広がってしまいます。動けなくなる前に、気付いたらすぐに病院に行ってください。昨日と今日の出来事を忘れないうちにですね。前回のブログ投稿後すぐに手術室に向かいました。手
はじめましてあずさです過去にいろいろと模索し、迷走した時期もありましたが…恥ずかしいけど、それも私なので、そのままこのアカウントで書き綴っていこうと思いますついに、今スグできることから行動していこう!と、ヤル気スイッチが入りました以前からやりたいことが明確にはなっていたものの…動いていなかったヤル気スイッチがカチッと入るまで、約2年かかってしまいました(笑)私がやりたいこと。それは…息子から学び、息子と経験したことを、多くの方に伝えること!私の息子はある日突然、本当になんの前触
子宮全摘卵巣及び卵管切除手術は無事終わった麻酔科の先生もよかったねと声を掛けてくれた先生が旦那さんが凄く心配していたよと言っていた3時間45分大手術じゃん!!これは次の日旦那に電話できいたのだが、、輸血3リットル取り出したもの6キロ手術後旦那は私に会いたいと言ったがダメと言われ恐ろしい画像を見せられ、、長い時間一人で待たされ、、失意の中ショックすぎて家まで1時間以上よろよろ歩いて帰ったそうコロナ禍だから?先生あんまりじゃありませんか私は何も
今日は、一人でドライブしてみた。お弁当を作って。連休中だからか、観光客の車もあったけど、思ったより混んでもなく、まぁ近場でぼんやりしていた。海沿いを走り、途中で車を停めて、お弁当をモグモグ食べて。一応、減塩食お弁当。ふと、こんなに普通にしているのに、実はわりと死が近いかもしれない存在...なんだか不思議、と、考えていた。それに、ほんの2ヶ月前、ICUに入り、生死の境を彷徨ったのも夢の中の出来事かと思う。普通の生活ができるとはとても思えなかった。その後に、癌が転移しまくり...なか
う〜ん柔らかいエネルギーの4月末です。こんなエネルギーの中で生きていける。やっと人類にとって「心地いい」が具現化しやすい世界線になって来たのではないでしょうか。そんな中一昨日の午後、とある若者がこの世から去ろうとしていました。「息子が死ぬかもしれない」と物凄い勢いでその方のお母様より連絡が入りました。その連絡を受けて彼にリンクしてみると、ほぼ身体の中から意識はなくもう本当にギリギリのラインにいらっしゃいました。救急搬送された病院ではICUで電気ショックを2回もするくらいこ
私は今、病院にいます今日入院したのですと言うことは、、、はい明日、手術ですPET検査の結果、リンパに転移がなく、その他にも転移がないと言う事で、手術にGOサイン手術時間は8〜12時間と曖昧癌が下大静脈にどのくらい浸潤しているかによるみたいで、癌が下大静脈をグルリと一周しているようなら人工血管半分くらいなら、その部分を切り取って、太ももから取り出した血管をその部分に当てて縫うそうこれをパッチグラフトと言うらしい(パッチワークみたい笑)やっぱり背中の麻酔(硬膜外麻酔)はやって
前回記事皇位継承皇室の長い歴史を知るとその続いてきた歴史こそが宝であると知ることができる皇室の歴史の前には学歴など必要ないしかし、国民が望むなら、それに応えようとするのが皇室「天皇家には受験勉強だの学歴自慢だのしてほしくないんだよね」「開かれた皇室はいらない」これにつきます10年ほど前はよくネット情報を見ていました男系支持者は東宮家(当時)を罵倒女系支持者は秋篠宮家を罵倒ひどいものでした私自身は男系男子派ですが、見てい
実際は昨夜からICUにいるので今日は二日目の夜になるわけだが、昨夜は意識がないので今夜が初めての夜を過ごす気分なわけです頻繁に吸痰してもらっていると、来る看護師さんによって痛いくらい奥まで吸ってくれる看護師さんと、入り口付近しか吸ってくれない看護師さんと別れる事に気づきましたどうやら、年齢からみるとキャリアの差の様に思えました吸痰すると相変わらず身体中が暑くなるので、頭と背中にアイスノンを入れてもらっていましたが、それでも暑いので浴衣はまたしてもパーパーにしていました扉は開いてるけど個室
有熱性の痙攣重積発作を起こし、総合病院で気管挿管され、そのままこども病院へと運ばれた息子・・・こども病院では、HCU(ハイケアユニット)で神経内科の当直医が脳波を取りながら点滴薬の調整をしてくれました。当直医からの説明は以下の通り。・脳波ではまだてんかんの様な波が続いている。・今晩はこのまま人工呼吸器につないで呼吸のバックアップをしながら、痙攣の薬を使う。・いつも以上に痙攣が長く続いており、薬への反応も乏しいため、単純な痙攣の後ろに脳症などの脳へのダメージが隠れている可能性
『私の感情とパパの憤り』『救急車の中で辛くなる心』『ICU緊急搬送』『悪化していく中で』『生き地獄』『気持ちの問題…?』『不安な緊急入院』『娘と友達』入院していた娘の大部屋は歳の近い…ameblo.jp前回の記事しばらく待っていると、ICUの扉が開き主治医の先生が来ました。ICUの中に別室があり、そこに案内されました。主治医の先生はこれからの治療方針を説明しました。「娘さんは閉塞性細気管支炎の急性増悪です。ネーザルハイフローで症状が落ち着いたら、ステロイドパルスをします。」ステロイ
頭蓋骨頸椎固定術の父の前回の記録はこちらから初めてアメトピに選んでいただきました。びっくりです。ありがとうございました。『手術中の待合室、シビアな命の選択の話』頭蓋骨頸椎固定手術の87歳父の前回の記録はこちら『87歳父、手術直前に気胸見つかる、アスベストが頭をよぎる』87歳入院中の父の前回の記録はこちらから『…ameblo.jp87歳父の手術、予定時間が過ぎても終わらず。頭蓋骨頸椎固定術の父の手術は、
おこんばんは。熊川です🐻Xで虹視力の仲間のまゆみくんがこんな呟きをしていました。仕事中は秋が強く出てしまう私💦そして忙しくなると、秋ノット全開!オラといっちょやってみっか!状態になってたんですよね😂最近その自分が本当に窮屈で…。変わる時なんだろうな☺️と思って言語化して自分にオーダー中です💕自分の仕事や、やっていることに誇りを持ちたい。—まゆみ@一度で二度美味しい魔法使い🪄︎︎✨(@mayumi_1110)2024年4月15日う〜ん。わかる!わかるぞッ!🥺虹視力