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抗がん剤を3コース終わった頃の腫瘍マーカーCA125は13でした。上限値は35なのでかなり効いていることが判明。しかし手術は予定通り。手術の2日前に入院しました。入院当日は血液検査、おへその掃除、血圧測定ICUの説明、20時に下剤最初の食事はランチ低残渣食だそうです。手術前日は婦人科と麻酔科の診察、恥骨あたりの除毛、ICUの持ち物チェック、20時下剤とガス出す薬服用。食事が注腸食というメニューに変わり、朝はお粥と味噌汁。昼、夕、昼と夕の間にカロリーメイトみたいなバ
手術日以降の様子を書こうと思います。まず、手術当日のICUでの状況です。ICUには、1日だけいる予定だったのですが、めちゃくちゃ大変でした。手術は、午前9時入室で、午後3時過ぎ頃終わったようなのですが、基本、ICU内では独りぼっちです。(当たり前か…。)「何かあったら、ナースコールで呼んでください。」といって、看護師がICUから出て行ってしまうと、一人で苦痛と戦わないといけません。僕の場合、まず、排便に困りました。術前に、下剤を飲んである程度排便は済ませていのたですが
こんな事ってあるんでしょうか。医療現場や介護の場では普通なんでしょうか。手術日の翌日です。息苦しさと痰の絡みと格闘しながら、長ーい時間であるかのような感覚の中で何とか、ようやく私は朝を迎えてホッとしていました。それでもその間も体の倦怠感や疲労感、麻酔とか痛み止めの作用なのか、ずっとボーッとした感覚でした。ですが突如、このボーッと感からギャー‼️ッッッッッッうっそーーーー!!!という出来事に直面するのです。まだまだ自分の身体は自力で動かせない状態でしたし、夜中に何度も発熱を繰
振り返って写真を見るだけで、医療費に切なくなりますが、健康一番✨さて、前回のマムシ騒動の1週間後の狂騒曲を綴ります。『4月に犬がマムシに咬まれた☆★あなどるなかれすぐに病院で処置を!(;´Д`)ハァ大惨事勃発』なぜ、あの公園のどこで、いつ、、、新入り長老の福寿草がマムシに咬まれました鳴き声ひとつ上げず、10cmもない草をにおい、落ち葉の上を歩いたくらい。5匹い…ameblo.jp散歩で桜を見て集合写真を撮って満足した土曜の夜さてお茶でも飲もうかと座って福寿草を見ると、
術後ICUに入って間もなく、真っ先に口の恐ろしいやつが抜去された。夜中から朝にかけて、看護師さんが来るたびに、鼻のを抜いて、鼻のを抜いて、と懇願するが、朝まで我慢して、とのこと。7時半頃、ベッド脇に主治医と担当医師がやってこられ、担当医に伝えると、「後で抜きますよ」と言ってもらえた。今抜いてほしいのに…。8時にICUの朝礼と引継ぎ。外科の医師さん、ICU看護師さんが揃ってミーティングされている。朝礼後、8:20頃、担当医が来てくれた。「しばしゃんさん、抜きましょう。はい、息を止めて!」
忘れたくないので記憶が鮮明なうちに夫の最期の日の事を書いておこうと思います11月13日月曜日夜11時前私のスマホが鳴りましたその時は丁度私がお風呂から上がり、母と2人で息子の夜最後の注入を準備している所でしたスマホの画面を見た瞬間、嫌な予感がしました病院からでした電話に出ると循環器の先生からで、「血圧が下がって来ています。これから病院に来られますか?」「奥様が病院に向かわれている途中に亡くなる事も考えられる状況です」全身の血の気が引いていくのを感じました「今からいきます」
術後ものすごく長く感じたICUでの一晩を過ごし,食事も完食し,自立歩行も出来そうということで病棟の看護師さんに迎えに来てもらうこととなりました.『肺がんの記録(入院&手術編)⑤ICUにて』2021年11月29日~30日覚醒後のICUにてICUで一晩過ごさせていただきました.8床ある大部屋で,夜間はベッドの周りのカーテンは閉じられて…ameblo.jp2021年11月30日術後のレントゲン撮影にて食事も完食し,歯磨きも終え,裸にされ体も丁寧に拭い
5月10日、この日は朝から絶食。水は2時間前迄との事。朝、主治医の顔出し🩺体調を確認。その後、手術室看護師より説明をうける。妙に話が弾み、色々と🧑⚕️そりゃ看護師さんも色々思う所あるよねって(笑)10時点滴開始12時半着替え弾性ストッキング(血栓予防)T字帯(オムツカバーぽいやつ)手術着寒かったのでガウン1時手術室入室手術室が騒がしい?いや準備の確認中です。こんなにガヤガヤしてるとは
7月の3連休があけて、めいちゃんはICUからNICUへ移れることになりました。私の希望を聞いてくださって本当に感謝です数日前は哺乳力が弱くて、ミルクがあまり飲めないと聞いていたのですが、今日はあごを支えると飲めたと聞きました。NICUへ早速通いたかったのですが、先週末のおねえちゃんの発熱もあり、すぐには行けないという状況で、翌週の週明けにPCRを予約してもらいました。PCR陰性が確認できたら、NICUの面会時間内であれば会いに行けるようです。PCRの有効期間は1週間
はじめましてあずさです過去にいろいろと模索し、迷走した時期もありましたが…恥ずかしいけど、それも私なので、そのままこのアカウントで書き綴っていこうと思いますついに、今スグできることから行動していこう!と、ヤル気スイッチが入りました以前からやりたいことが明確にはなっていたものの…動いていなかったヤル気スイッチがカチッと入るまで、約2年かかってしまいました(笑)私がやりたいこと。それは…息子から学び、息子と経験したことを、多くの方に伝えること!私の息子はある日突然、本当になんの前触
当時のことを思い出すと苦しくて涙がでますでも息子と過ごした最後の瞬間まで忘れないように記しておくべきだと思いました辛い気持ちになる方はどうぞスルーしてくださいねICUに入る前に主治医から「家を出た時の息子さんとは変わってしまっていますから、ショックを受けるかもしれません」と言われました息子に会った瞬間夫と二人息を呑み膝から崩れ落ちました口にはそう管の管沢山の点滴のチューブ色んな機械に囲まれた息子涙が次から次へと溢れ出て「◯ちゃん、頑張って」って言ってしまい
2021・1・23目が復活したから、もう1ネタ昨日の22日で、ALS確定診断からちょうど1年半。その、昨日・・・あっちゃんに初めて聞いた・・・2020年3月1日の話しを・・・。翌日の2日に、気管切開&喉頭分離の予定で2月28日から入院していた。その前日にバイパップの限界を迎え呼吸が出来なくなった。鼻マスクだったから、通常なら喋れていたが・・・。苦しくなって看護師さんを呼んだときは、まだなんとか『く・・る・・し・・・い』って言えてたけど・・・先生呼びますねで、
実際は昨夜からICUにいるので今日は二日目の夜になるわけだが、昨夜は意識がないので今夜が初めての夜を過ごす気分なわけです頻繁に吸痰してもらっていると、来る看護師さんによって痛いくらい奥まで吸ってくれる看護師さんと、入り口付近しか吸ってくれない看護師さんと別れる事に気づきましたどうやら、年齢からみるとキャリアの差の様に思えました吸痰すると相変わらず身体中が暑くなるので、頭と背中にアイスノンを入れてもらっていましたが、それでも暑いので浴衣はまたしてもパーパーにしていました扉は開いてるけど個室
最近、医師の働き方改革のニュースが多いのですが、ふと思い出した話があります。以前、仲の良かった看護師から聞いた話です。その看護師は、「とある大きな病院」の、「とある外科系」の病棟に勤めていました。(注:今じゃないです。昔の話です。)具体的な病院名と具体的な科名については、言えません・・・。ある若い男性研修医が、とある外科系の病棟にローテートで来たそうです。そして(私が聞いた記憶では)2週間、ずーっと病院に泊まりこみだったそうです。朝から、外来や様々
閲覧注意こんにちは。ゆずdeぽんです。脳ドックで『未破裂脳動脈瘤』が見つかり、手術をすることになりました。その記録として2023.2.21にこのブログを開設しました。まな板の上の鯉から帰って参りました!3/22手術が終わってから遠くから名前を何人もの人に呼ばれて…「あー、終わったんだな」って手術が終わったことを知りました。この後で、待っててくれた旦那と再会して、手を繋いだかな?この後、「ベッド動きますよ。3階のICUに
術後の3~4日は記憶が曖昧な所があり自分の書いた闘病記と、旦那さんの記憶と兄のブログを参照して記録していきます。2020年の闘病記をもとに綴っています24日(金)※前回からの続きです24日転院してすぐ全身麻酔による開胸手術14時頃開始し、終了したのが20時。約6時間(゚ー゚*)無事に体外設置型両心補助人工心臓を入れる手術は成功ICUに戻った時に旦那さんは面会したけれど、挿管して麻酔で眠らされている私。その時繋がれていたもの↓・両心補助人工心臓(RVAD・LVAD)・胸腔
頭蓋骨頸椎固定術の父の前回の記録はこちらから初めてアメトピに選んでいただきました。びっくりです。ありがとうございました。『手術中の待合室、シビアな命の選択の話』頭蓋骨頸椎固定手術の87歳父の前回の記録はこちら『87歳父、手術直前に気胸見つかる、アスベストが頭をよぎる』87歳入院中の父の前回の記録はこちらから『…ameblo.jp87歳父の手術、予定時間が過ぎても終わらず。頭蓋骨頸椎固定術の父の手術は、
朝9時からの手術でした後方固定術という術式で、10時間に及ぶ大手術だったそうです医師、看護師さん、立ちっぱなし昼食なしで頑張ってくれたかと思うと頭が下がります本当にありがとうございました無事に手術が終わりました。手術室で麻酔科医と話をして、言われるがままにしてたら、目覚めたらICUにいました。勝手に手術は終わったらしいめちゃくちゃ唇が乾燥しており、喉が乾いて、でも酸素マスクなど装着されて目がぼんやり見えるだけでした。何かしゃべりたかったけど声が出ませんでした。喉が乾いたばっかり
新年1月をすっ飛ばして2月が2024年最初のブログになるとは昨年は4月の再発した食道癌のESD(内視鏡切除)が節目だった「今はいいけど傷が塞がってくると狭窄が出てくるから気をつけて」と言われていたで、6月頃から飲み込みが悪くなってきたけど今にして思えばあれは一昨年10月〜12月の咽頭癌放射線治療の後遺症の方が強かった再発食道癌のESDをもう少し遅らせておけば_と今更ながら思えど、ね食べ物が"食道に落ちていかない"という感じだったもんね夏の
大学病院にいるといつもフラッシュバックする機械音、臭い、光景?そりゃそうですけども。救命って普通は入れる期間が決まっているけど(短い)私の場合、転院したくてもなかなかできなくて受け入れ先がなくて‥3ヶ月もいました救命にいる間のほとんどは意識がなかったり痛みにもがいていたのであまり名称などは詳しくありませんが初めは集中治療室?ユニットがいくつかあり一番重症患者がいる部屋です。そこかから、日が経つごとに次の部屋次の部屋と移っていったのですが、救命は救命なので皆さん同じように重症な
だんだんと麻酔が切れてきて意識もはっきりしてきました。私はICUにいました。手は拘束されてたし、口には人口呼吸器入って声は出せないし、両腕に点滴入ってるし、結局うとうとしてまた起きてを繰り返してました。でも、いろいろ記憶はあるし、手も足も動なーなんて思ってました。「痰がすごいなー。タバコだな、これ」と男性の看護師さんが言ってるのが聞こえて、「タバコ吸うよね?」と聞かれました。私は過去にも今も全く吸わないので首を振ったら、「あれ?吸わない?そっかー、、」と言ってる声が聞こえて、痰
手術後ICU病棟での4泊5日ICU2日目だったと思う。便意を催し、(オムツにしたくない…)トイレに行きたい、と訴えたら、看護師の手数の多いお昼頃ならOKですよ、とのことで、お昼頃を見計らって、トイレに行く準備を進めてくれた。が、例によって準備を始めてからが、大変。チューブ、ケーブル類を整理し、酸素マスクを付け替え、ベッドから降りて立ち上がるまで約15分。立ってから、血圧、酸素が安定するのをさらに待つ。やっとOKがでて酸素ボンベや機器を運んでくれる看護師さん4人連れでよちよち歩きでトイレに向
手術前に「身体拘束への同意書」に署名した。また医療ケアの看護師さんから「せん妄」の説明を受けた。初めて聞く言葉だった。ICUなどで身体の自由が効かなかったり、不眠や不安を抱えたり、時間の感覚がなくなると、幻覚や妄想、見当識障害が生じて、暴言を吐いたり、体につながれた接続ライン、チューブを自己抜去したり、時には暴力行為に及ぶことがあるらしい。個人や程度に差はあるとはいえ、1~3割近くのICU患者さんにせん妄の症状が出てくるらしい。手術が終わって、ICUに運ばれて、まず感じたのはすごい騒音
2020年の闘病記をもとに綴っています2/1(土)17時頃から開始された緊急手術が無事に終了し覚醒したのは0時頃。2月1日になってた。また挿管されたまま意識の確認されすぐに抜管してくれると思いきや、、夜勤ドクター『もう30分ぐらい様子見て良さそうなら抜くから』と言っているのが聞こえる……(え?早く抜いてよ~~)挿管されて意識あると異物感ハンパなくて、何度もむせ込むような咳をしたい反射が出てきて辛かった・・・なんとか30分耐え大嫌いな吸引されながらの抜管ほんの数秒
久しぶりのブログ・・・定期的によって更新しようと思っているのに、ママ業の忙しさの余り、また開いてしまった過去を振り返って、、術後目が覚めて、ICUで最初の激痛は右側背中の肋骨の間に入っている胸腔ドレーンの痛みで、常時痛み止めを点滴で流してもらっても、すぐに痛み止めは切れて激痛で、少し身体を動かすだけで、また激痛・・・ナイフが常に刺さってるみたいな痛み、手術で色んな箇所を切ってるのに、(鎖骨の上、お腹とか)そのときは、他の箇所の痛みも分からないくらい、胸腔ドレーンの入ってい
休薬期間中ですと、副作用も軽く闘病生活とはかけ離れた感じです。平日は趣味に時間を割けますが、週末はアマゾンプライムで映画を見るのがメイン。こうして、記事を書いている間も海外ドラマが流れています。ちなみに今流れているのは「THISISUS・ディスイズアス」なかなか面白いですよ。初期の闘病生活を思い出してみますと、初めての手術は、ストーマの造設です。クリニックの方に「救急車をよびますか?」と言って頂ましたが断り、書いてもらった紹介状を持ち、救急病院の夜間受付に駆け込みました。着
2023年の秋、横行結腸に癌が見つかり、その後の精密検査で肝転移が確認された私は、2024年1月、腹腔鏡手術にて大腸の右半分と肝臓の一部を切除するため入院しました。----------------------------------------入院3日目手術直後~翌朝やけに騒がしいなぁ、と思ったら名前を呼ばれていた。「ミンさん、ミンさん、手術終わりましたよ~」目を開ける。ぼんやりとした視界…。どうやら手術が終わったようだ。目覚めた時の気分は「不思議
4月2日の朝。『かぼちゃん、今日からの仕事は断って家にいて。文太、かぼちゃんをちゃんと守って』とらちゃんは突然に玄関で言いました。私は何故だか涙が溢れていました。いつもの様にぎゅっとしてとらちゃんは普通に出勤したのです。とらちゃんの言うことを聞いて文太とテレビを見ていたら『動けない。救急車でどこかに運ばれる。準備しておいて』そんな振り絞る様な声の電話が。それがとらちゃんの声を聞けた最後でした。10時8分。救急車の中で10分ほど心臓が止まったそうで
2023年1月、新型コロナの第8波真っただ中にいよいよ下行結腸のがんを切除する手術を受けるべく、某大学病院へ入院しました。以前のブログでも書きましたが今回私は開腹手術ではなくロボット手術というお腹を大きく切らない手術を予定しているので順調にいけば9日間の入院予定となります。※手術については別でもう少し細かく書く予定ですとはいえ、全身麻酔で大腸を20センチほど切除するという人生初の大きな手術になるわけで、かなり緊張してこの日を迎えました。まずは入院から手術当日までを思い
はじめまして高1と中1の子を育てているRyokoと申します。2023年1月4日に大腸がんと告知されました。このブログは注射が大っ嫌いで痛みに弱い、ヘタレな私の闘病記録です。Ryokoさーん。いやもう、頼むからマジで起こすのやめてもらえませんかね。終わりましたよーと名前を呼ばれて目を覚ますと