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皆様、いかがお過ごしでしょうか?jimmy隼人です。いや~またまた台風がね~そんな影響もちらほら悪天候の中、日付変わりましたが、本日のウォーキング&昭和探し(またかい)自宅の前の歩道に洗濯竿!?「パパと呼ばないで」第1話で、右京さんがあんパン食べるシーンでも外に洗濯竿映ってたよぁ(笑)今じゃ外に干すなんて見掛けないですよね。そして、このお洒落な椅子は?日向ぼっこでもされるのか?でもなんかいいよね(笑)そして、こんな細い道!?これは軽自動車も通れないですわ~本年度の健康診断で、ちょいと貧血気味
2座席オープンのレーシングカーであるシェブロンは1972年に田中弘氏がGCレースに初めてB19を導入して以来、後継モデルを含め国内では10年間にわたり延べ300台余りが出走したロングライフな車両です。当時の写真がありましたので数回に分けてご紹介いたします。国内最古のシャーシは74年第1戦の北野車71-05!?海外のサイトにB19についての参戦記録がありましたChevronB19-AllResults(page5)-RacingSportsCarsSport
先週の木曜日は友人のお母さんの告別式に出席のため、久し振りに休みを取った。昨年、浅草巡礼に付き合ってくれた友人と2人で、石岡まで。暫くぶりに会うのが、喪服というのは切ないなあ。さて先日、五郎さんが出演された「うたコン」は、1974年特集。いわゆる「四畳半フォーク」が流行していた頃で、歌謡曲もそんな感じの路線に押されていた感がある。五郎さんはこの年からしばらく、山上路夫先生の作詞で大人のせつない恋愛ソングを歌うようになった。前年の「君が美しすぎて」の恋を怖がる内気な少年像か
本日受け取った、メディコムトイの東映レトロソフビコレクション合体ウデスパー受注期間は昨年8月末から9月いっぱいで、昨年12月末の発送予定だったものが、遅れてこの時期になったメディコムトイの東映レトロソフビコレクションで個人的に楽しみにしてるのは、仮面ライダーシリーズ以外の作品の怪人であるこの合体ウデスパーも本当にソフビ化を待ってた大好きな怪人合体ウデスパーとは、1974年(昭和49年)作品「イナズマンF」第10・11・13・14話(「イナズマン」第35・36・38・39話)に登場した
不倫相手の子殺害事件1974(昭和49)年朝日新聞(1974年10月19日)1974(昭和49)年10月17日の夕方、東京都葛飾区立白鳥小学校2年生の岩本美弥子さん(当時8歳)が、学校から帰ったあと遊びに出たまま帰らず、夜になって心配した両親が所轄の亀有署に届け出ました。岩本美弥子さん警察は事件と事故の両面から捜索をしていましたが、24日の午後になって自宅に一千万円の身代金を要求する脅迫状が届きます。そこで脅迫状の指示どおり、25日午前10時に身代金の一部2百万円を持
QUEENQueenperformOgreBattle,liveattheRainbowTheatreinLondon,1974.Queen-OgreBattle(LiveattheRainbow1974)
●1974年日本列島を席巻した北海道のUFOによる拉致事件、当事者の藤原由浩氏が体験後活動していた宇宙科学開発推進機構のパンフレットを掲示しておきます。藤原氏のUFO拉致体験が真実か否かはここでは述べませんが、当時現地で調査されたUFOの著書が豊富な平野威馬雄氏によれば・・・・・という事です。真相は彼の家庭内の事情もあった訳ですが、個人へのコメントは控えます。週刊プレイボーイ誌週刊読売藤原氏の体験を著した平野威馬雄氏
2座席オープンのレーシングカーであるシェブロンは1972年に田中弘氏がGCレースに初めてB19を導入して以来、後継モデルを含め国内では10年間にわたり延べ300台余りが出走したロングライフな車両です。当時の写真がありましたので数回に分けてご紹介いたします。換装したエンジンは9種類!?フォードFVCエンジンの搭載を前提に設計されたシェブロンですが、BMWと提携したマーチ勢が常勝となり、複数のフォード系チューナーのエンジンを主体に、国産のマツダ12A・13B,日産L18改のほかコスワース
1974年最後の観戦は富士ツーリストトロフィーレースでした。オイルショックの影響で燃料節約のためレース距離を30%削減して4.3キロコース×135周のレースとなりました。前年はフォードワークスのカプリが出場して話題になりましたが、参加台数はこの年の方が多く、各クラス共に車両規定変更後のツーリングカーが一堂に揃う「ハコ」のレースを楽しく観戦いたしました。(ドライバーの敬称略)【右端】No.21いすずベレット1600GTR山本英輔/粕谷純一郎No.16ルーキー
長崎の端島、通称『軍艦島』が炭鉱を閉鎖し、長嶋茂雄が「我が巨人軍は永久に不滅です。」とグラウンドを去り、『昭和枯れすすき』がヒットした、1974年。ひとつの時代が終焉を迎えるような寂寞が漂うなか、過激派による連続企業爆破事件や日本赤軍によるテロ行為が国内外で起こり、人々は身近な恐怖を感じるとともに、まだ見ぬ未来への不安を抱きました。そのような世相が背中を押したかのように巻き起こった、第一次オカルトブーム。そのブームの火付け役となったのが、五島勉さんの著書『ノス
くら寿司もスシローもガラガラでスーパーは激混み外食自粛みたいな風潮なんだけどスーパーの行列に長時間並ぶほうが感染リスク高いんじゃないと思うそういえばトイレットペーパー騒ぎ確か50年近く前にもありましたね確か老いるショックのとき1973年ですね東京オリンピック大阪万博札幌オリンピックと続いた国際的ビッグイベントが終わって反動的に不景気な時代になった1970年代モーレツからビューティフルへなんてキャッチフレーズもできて馬車馬みたいに働くのでなく自分の趣味を
ある土曜の夕方に師匠から「シグマが大磯に来ているので観に行こう」とお声がけをいただきました。訪れたマツダディラーの工場内に保管されていたのは翌日の展示に備えて持ち込まれたルマン出場車のシグマMC74。サルテサーキットを走ったあの車両が整備工場の中にポロリとおいてある姿はとても不思議な感じがしました。ストレートスピードを重視した低くてロングテール・ウイングレスのボディに夜間走行用の4灯型のライトと内照タイプのゼッケンベースの装備がルマン仕様の大きな特徴でした。赤/白のナショナルカ
昭和49年生まれは五黄の寅ではないのですが何故か49年生まれの女性はごうの寅で気が強いだの男を食い殺すだの言われて来ました。何故なんだ!?ごうの寅シリーズついに第弾調べてみました、新たな謎1.昭和49年生まれは甲寅(きのえとら)または(こういん)の年。甲寅を「こうの寅」→「ごうの寅」と読み間違えたのではないか説。2.寅年に命を授かり、寅年生まれはごうの寅説。(寅年の10月から12月頃生まれ)が多く言われている説ですね。虎は強いイメージから、ごうの寅って「強の寅」「豪の