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記事について書く事が出来なかったの、追記です。この記事を読んでいて気が付かれた方も多いでしょうが、最初に和泉雅子さんが出演出来なかった事を謝っておられます。当初、この大阪新歌舞伎座の公演には、「絶唱」で共演した雅子ちゃんの出演が予定れれていました。ところが、雅子ちゃんの主演映画が決まっていた事もあり、どうしても日活は、雅子ちゃんを公演には出しませんでした。怒った舟木さんは、「もい日活には出ない」と発言した事から、日活も慌ててしまい、西河克己監督が新歌舞伎座に向かう事になります。西河監督
【リクエスト企画】松田巡査殉職事件1966年今回は、以前にリクエストをいただいた「松田巡査殉職事件」を取り上げます🤗前回のブログでは、現職警官が勤務中に女子大生を殺害・姦淫する事件を取り上げましたが、もちろんそのようなとんでもない人間はほんの一握りで、大多数の警察官は職務に忠実で、命懸けで市民の安全を守ろうとしています。その一人として、殉職した松田勇造巡査の事件を紹介します。『1978年現職警官による女子大生殺害事件』現職警官による女子大生殺害事件1978年前回のブログで
おいおい、観客さんよ、「ユダ公」のヤジを何で「やせっぽちのバラード」の前に入れるんだよ。オリジナルの音源を聴いていないのかよ、トホホ。手縄毛で、キャット・パワーって女性音楽家によるボブ・ディランの1966年のロイヤル・アルバート・ホールと称する実は別会場でのライヴのカヴァー・アルバムをゲットしたよ。キャット・パワーって女性音楽家はワタチはまったく知らなかったよ。ライナーによるとそりなりにキャリアのある人のようで、秀逸なカヴァー・アーティストでもあるようなのね。ワタチ的に女性ヴォーカ
週刊明星1966年9月18日号映画「絶唱」の撮影に入り、まだ断髪式が行われていない頃の話だ。テレビドラマ「雨の中に消えて」が撮影継続中であり、次回作の映画「その人は昔」が決まっている。そして大阪新歌舞伎座での舞台へと、忙しいスケジュールが紹介される。マコちゃんとの大阪新歌舞伎座での共演はならなかったし、「絶唱」のレコード大賞とは成らなかった。記事の内容とは違うが、最後の求人広告の欄も、見ていて面白い。賃金の比較は難しいが、この週刊明星が50円の時代。給料2万円弱。現在
まいどでおいどです。さっき、真横に齋藤和義さんがいましてね。し、し、渋っ!ってなって。案の定、急にそわそわしてしまいましてね。こころの中では「めちゃくちゃすきです」と言いたかった。いや「ずっと好きだったんだぜ」が脳内をよぎった。ちょまてお。ここは移動中のプライベートタイムだ。声はかけてはならない。と脳が即断。ちょっと前ならおそらくイキって声をかけていたパターンだ。しかし、そこから脈が拡がった記憶はほとんどない。ぜひまたお会いさせていただきたい、今空港にてその一存に駆られているのでこの
以前もアップしましたが・・・(ユソッ校長ソンセンニンのツイッターより)手塚治虫1966年4月16日朝鮮時報より「在日朝鮮人の民族教育を日本人の手で守ろう」こういった日本の方々が昔は多かった
1966年4月16日、手塚治虫在日朝鮮人の民族教育を日本人の手で守ろう(手塚治虫さんの記事)手塚治虫が描いた「在日」http://gaagle.jp/gagazine/print.php?kiji_id=4805↑こちらもご覧ください。
また今朝もバンダイソフビ(笑)これは以前のバンダイ(旧)ウルトラ怪獣シリーズでリリースされてたソフビナメゴンこのソフビの初版は1983年(昭和58年)からリリースされて、ソフビの成形色とか塗装を変更したりして1990年代まで販売されてたこれは、1986年~1988年・1989年~1990年辺りのラインナップでリリースされた塗装のものなぜハッキリと断定しないかというと、タグカードも無いし、当時に買ったのではなく、後に古玩具ショップで状態が綺麗なのを見つけて購入したものだから(笑)い
週刊平凡1966年8月4日号週刊誌と言うのは、月刊誌や新聞記事などと違って、昔からゴシップ記事的な取り上げ方をして載せる事が多い。この記事では、本間さんが守屋浩さんと結婚報道が出た時の記事だ。如何にも、本間さんが、舟木さんに未練があるような書き方である事が見て取れる。この二人の仲を、それまでも何度も記事にしていたのだろう。そんな中、二人の共演が決まり、面白可笑しく書いている。まぁ昔も今も、週刊誌は変わらない。月刊誌などの記事は、手に入れる事は出来易いが、当時の週刊