ブログ記事341件
昨日の池江璃花子さんのインタビュー、素敵でしたね。強い想いを感じました。ほんとにありがとうという気持ちでした。「生きている事が奇跡」忘れてはいけない事実です。さて、マーカーの数値が教えてくれて、定期よりも早めに行ったPET検査のおかげで、右骨盤側の骨に転移が見つかりました。マーカー上昇の記事結果を聞きオーマイガー😭と呟いてしまいましたが、、、マーカー、教えてくれてありがとうです。幸い再発の際に転移していた肝臓は特に目立つものはありませんでした。自覚症状としては、思い出すと、2ヶ
vol.120自分への投資と葛藤がん宣告から丸6年。最初からステージ4で転移しまくりで、なすすべの無い俺は、医者の宣告通り、「何もしなければ、半年ももたないです」の言葉を信じ切って、でも心の中で(どーせ、何かしてもせいぜい1年。もって2年以内にはこの世ともおさらばだな)と、高をくくって早6年。。。6年も経っちまった。。。嬉しいのは嬉しいのだが、その言葉のせいで無駄に人生を過ごしてきた感もイナメナイ。もし、最初から5年ぐらいは生きますよーって言われたら、俺の人生設計
ふと気になり大動脈解離の予後を調べました。よくいわれる5年生存率と10年生存率というアレです。ググると最初にヒットしたのがMSDマニュアル家庭版ここではスタンフォードA型B型にかかわらず解離して治療を受け最初の2週間を乗り越えた人の5年生存率は60パーセント10年生存率は40パーセントとなっていました。低い……。癌の場合と比べてみました。(国立がん研究センター調べ)5年生存率全部位……67.9パーセント90%以上前立腺(100%)、乳(9
告知された翌日。誰にも癌のことは告げないままいつも通り働いて、痛めていた腰と背中の治療のために通院していた所へ行き、最後の治療を施してもらいました。しこりが痛み、うつ伏せに寝るのがちょっと大変でしたので、こちらの先生方には乳がんの話を正直にしました。それはそれは皆さん驚いて、私の身体の心配をしてくださったのですが、それ以上に私の内面を気にかけてくださり、「野水さん、ちゃんと職場の人に話しましたか?一人で抱え込まないで、こういう時こそ甘えて良いんですよ!今まで誰よりも頑張っ
10年前の今日、隆起性皮膚繊維肉腫の手術をしました。あれから10年も経ったんだ。あまりにも突然の事で自分に起きた事とはなかなか思えなかった。息子がせめて20歳になるまでは元気で生きていたいと、そればかり思ってたな。最近ではもうすっかり転移や再発の心配もしてないけど、ワイヤー入りのブラは付けられないし、温泉に入るときには傷痕を隠す。まだ子供達や弟には話していないけど、最近はもう友達にも話せるようになりました。当時は本当に自分は死んじゃうかもしれないって思っていたな。
ステージIVになると5年生存率は38.7%、10年生存率は19.4%に低下😱😱😱😱😱😱😱衝撃的な数字(・・;死んでまうのかあ俺は😲死ぬことが怖いわけではないけど痛いのが怖いw苦しいのが怖い(´;ω;`)親より先に死んでしまうのは本当に申し訳ない😞でも、期限がわかってる人生だからこそ、悔いのないように生きれるチャンスは大きいかもしれない物事は良い方に考えるさて、ところで、どうやったら悔いなく生きる人生になるのか…それがよくわからん(笑)困ったなあ
3月18日、東京に桜の開花宣言が発表されました。10年生存率80%の話をされたとき、私の解釈は「少なくともあと10年は生きられる」母の解釈は「10年しか生きられないかもしれない」この差って大きいと思うんですよね。高齢の母にとって、10年なんてあっという間で、短いと感じていることでしょう。私も年々月日の経つのが早く感じられ、10年なんてあっという間だと思います。そこで仮に10年生きられるとしたら、その間に何をすべきか、何がしたいか真面目に考えてみようと思ったのです。母と二人で桜の