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続き>>>>大荷物を抱えて病院に再び戻り、付き添いの為個室へ。ここの病院では、付き添い希望だと個室のみの利用になります。ゼコゼコと多呼吸が苦しそうなので、チューブ型の酸素を付けられました。これは今日撮った写真です。こんな感じのチューブ酸素を最初は付けていました。医師や看護師さんが何度も出入りし、何度も娘の様子を診て下さいます。その結果、、、チューブ酸素を付けても多呼吸が治まらず苦しそうなので、(呼吸回数60回)ICU(集中治療室)へ移動しましょう。となってしまい
*初めましての方*部屋に入って待っていると、先生が来た。主治医の先生と今の担当の先生。熱が出ていること、痙攣が続いているために集中治療室に入ったことを簡単に説明された。また少し待っててくださいと言われ、少し待ってから、虹翔のところへ行った。病棟とは違う、分厚い扉。この向こうに虹翔がいる。虹翔に早く会いたくて会いたくて、たまらなかった。入室すると、いくつも部屋がある病棟とは違って、そこは広々とした1つの部屋だった。真ん中にナースステーションがあって、1列にベットか並んでいる。カーテ
ICUの階に運ばれたパパは何重もの重い扉の中に入って行ったどういう状態かわからない中で警察の事情聴取が私にも始まったさっき娘が話したにもかかわらず中身が一致するかの確認なのだろうその時私の両親が病院までタクシーで駆けつけてくれた両親の話によると第一発見者である妹が事情聴取現場の写真撮影車のドライブレコーダーの再生確認などで長引いて病院に駆け付けたいが当分無理な様子・・ごめんね妹・・パパを一番に見に行ってくれたのに
救命センターの灯りがちょっと暗くなった。夜になったらしい。時計も見れないし時間は分からない。うぉーーーーーー💦寝れない。身体は動かない。ベッドの頭の方が斜めになっていて身体がずり落ちて気持ち悪く登りたいのだが手すりを掴む力もない。自分の身体だけど自分の意志ではどうしようもできない。物質だ・・・・ときどき虫ぐらいにはモゾモゾできるけど・・・・。寝たきりって想像以上だな・・・・。
10月17日(火)今日の手術予定は15時30分から朝から水も何も取れないけど、時間だけはあるのよねー昨日の説明では浣腸するって聞いてたけど、朝の看護師さんがお尻使ってないから浣腸いらないよねーって免除になった部屋に付いてるシャワー室でシャワーを浴び、髪を乾かしたら、10時過ぎから点滴が始まる。これからがまた長い本を読んだりテレビ見たり。午後1時過ぎに父と母と娘が来て、病院の中の食堂にご飯を食べに行った。あー、暇だし〜とベッドに横になってたら、寝ていたなんとも緊張感なしそ
今日はコロナの患者さんが運ばれるとの事で私たちの面会は午後2時から3人だけと限定された朝起きると父が家から近い葬儀場をいくつか知らべて資料を印刷してくれていた本当に父はすごい人だ私の父は一人っ子・・父の親である私の祖父祖母が亡くなった時は涙ひとつ見せず1人で葬儀の手配をしたでも最後の火葬場で棺桶が中に入り扉が閉まる瞬間父が聞いたことのない大声を出しながら大泣きをしたのを今でも覚えているそういう父は無知の私
歯ブラシとの格闘が終わって暫くすると、また看護師さんが来てくれた。「○○さん、消灯すぎて本当はいけないんですけどね、、まだちょっと大丈夫です。今、一番何がしたいですか?できることならなんでもします。言ってください。」私は、その看護師さんをまじまじと見つめた。聖母マリアなのか・・・?自分だって疲れているだろうに、患者を寝かせて違う仕事だってやりたいはずだ。。(んーーーー
2023/11/22集中治療室から病室へ集中治療室にいる時38.3度に発熱した氷枕をもらって冷やしたそんな中理学療法士の偉い人?が白い巨塔の総回診のように白衣で何人かの部下を連れて挨拶に来たよろしくお願いしますと言われても何をお願いされたのか?しばらくして理学療法士さんがリハビリの為に来られたそこで繋がったがわざわざ私ごときに挨拶なんて…リハビリは思うように体は動かず立ってもフラフラして息苦しくなる立つことがてきてしんどくなければ車椅子で病室まで上がろう
看護師達は治療が終わった後数分おきに「○○さん、右手を握ってー。そっちは左手だよー」と色々声をかけていた。誕生日や名前を聞いたり。それに答えていたのに。夫は疲れて眠ったのではない。新たな脳梗塞が起こってしまっていた。それも大きく。看護師は「○○さ-ん、○○さん!?あーこれは・・・」看護師の呼びかけに起きる様子は無かった。すぐに私はICUから待合に行く様に促され不安な気持ちで待つことに。程なくして医師から面談室にて状況の説明が。最初のアルテプラーゼ静注療法では綺麗に血管が通っ
朝イチの手術でした手術室へ行く前に、なんか麻酔の慣らし的な?忘れたけど注射をしてベッドごと移動しますね~ってもう、そこからは記憶ないんです尿道カテーテルは知らない間に入ってたよパンツは脱いだのか覚えてないT字帯ってのを用意してたのですがそれを着けたんだか、どうかも覚えてないT字帯ってほっそいヒモだけど何のために着けるんだろうね?なんか無くても差し支えないような…?あ、子宮筋腫のときは、ティージィーパンツってやつをはかされてましたね↓これ【在庫】白十字ティージーパン
*初めての方*どのくらいかだろうか、部屋で待っていると、先生が戻って来た。虹翔くん、やっぱり呼吸が弱かったので、今人工呼吸器をつけました。虹翔のところへ案内された。ちょっと前に会った時は目を閉じで口をつむって静かに寝ているようだった虹翔。今目の前にいる虹翔は、つむっていた口に太い管が入っていて、管の先は、人工呼吸器に繋がっていた。尿の管、CV、NG、、何本もの点滴。昨日までNGチューブが1つ入っているだけだった虹翔の身体には、たくさんの管がつながれていた。鎮静剤で眠ったまま。さ
*初めましての方*初めて会う先生から、今の虹翔の状態について説明された。紙を渡された。悪いことばかりが書かれている。免疫不全症の疑いで入院中の虹翔くん。数日前より胃腸炎になり、嘔吐下痢の悪化から、脱水症状となりました。そして今日、午前中に一度、午後からまた痙攣がありました。パソコンを開いて、採血データを見ながら説明を聞いた。その画面を見ると、先生が話す前に、明らかに異常値だらけなのがすぐに分かった。ここへ来て、血液検査、頭部のCT、骨髄液の検査、脳波検査をしました。虹翔くんは現在
「分かりますか?今日で6日目です。」主治医と思しき医師に声をかけられて気がついた時、私は口をバカッと開け、身体は何かにくくりつけられ固定された状態だった。口の中に何かメチャ太いものが入っている。喉の奥まで刺さっているっぽい。手はベッドに縛りつけられている。時々、看護師さんが「ちょっと苦しいけど頑張ってください」とゴゴゴーーーーっと吸引器みたいなもので喉の奥を吸ってくれる。あとから聞くと、この口の中に入っていたものが人工呼吸器。
その手術をしなければ死んでしまう。外減圧術(開頭術後、骨を戻さずに閉頭する術式)選択肢が他に無ければそれをするしか無い。色々説明されて何とか頭で理解したがこれからの色々な不安が沢山よぎっていった。夫はこの先仕事が出来るのか。趣味に没頭し人生を謳歌していたがその生活はどうなるのか。定年してもその趣味を続けながら私と楽しく生きていきたいとそう言っていたのに。その疑問を聞いてみた。医師は「元の様な生活をするのは難しいと思います。ただ断言は出来ませんが右片麻痺、言語障害、意識障
バス停から病院は近かった父には、後遺症がいくつも残りました・・・・・。現実を受け入れられず、見舞いに行くのが嫌だった。どう見ても、元の通りになんて戻らない父の体。しかし、私はこの病院で、私の運命を変える方と出逢います。きっとその出来事がなかったら、今の私はなかったと思います。続く⭐︎これまでのおはなし⭐︎↓↓↓『昔話〜第1話〜』ところが・・・。家に電話をしても、母は出なかった。あの時、そうやって自分に言い聞かせたことを覚えています。続くa
心停止を繰り返しながら救急搬送されたあと、私は目が覚めなくなったのか、眠らされたのか、とにかく6日間は意識&記憶がない。その間、私は何をしていたかというと・・・・・そうですお花畑にいたのですよく臨死体験から蘇生した人のお話に出てくるあれ。私も、まさか〜と思いながら聞いてたクチですが自分が見ることになるとは夢にも思っていなかった。でも・・・確かに・・・・見た。よく聞いていたのは「お花畑とその向こうに三途の川」でしたけど私
学校から帰宅して、母と病院へ行った。母は、午前中も病院へ行ったらしい。ただただ血だらけの父をガラス越しに眺めた。こんな状態でいつまでいても仕方がないので、長居せず帰宅しました。午前中に見舞いに行ったら、あまりにも変わり果てていて、母も驚いたそう。私が見たらショックを受けるだろうと、私を連れていくのが心苦しかったと、後から聞かされた。続く(次回3/13更新予定!)⭐︎これまでのおはなし⭐︎↓↓↓『昔話〜第1話〜』ところが・・・。家に電話を
↓↓↓妻の記憶・記録より↓↓↓12/122:30頃病院からの呼び出しがあり、息子と行く。病室は転棟して集中治療室になっていた。・1時頃意識がもうろうとして危険な状況になる。・脳を調べたが影はない。・てんかんと思われるので、てんかんの治療をした。・明日には麻痺がなくなってくるだろう。この時、人工呼吸器(マスク)がつけられていた。同日15:00頃病院に行く。・容体は明らかに悪くなっている。・声が出ない。・呼吸器(マスク)を入れてあるために口の動きもわかりにくい
*はじめましての方*PICUに来て9日目。今日もPICUにいた虹翔。でも、もうすぐ病棟へ戻るんだよ。昨夜も痙攣はなく、3日くらい痙攣がない日が続いている。熱もなく、ミルクの吸収も良い。痙攣が起きると、虹翔もきっと不快だよね。だから痙攣のない日が続いていて、嬉しかった。これからは、痙攣を止める点滴を少し減らして、内服薬を増やしていくことになった。1つ点滴がなくなり、飲み薬に変わる。1つ1つ外れていく点滴。今日の虹翔も、とっても落ち着いていた。末梢に入れていた点滴が詰
皆さんたくさんのメール、コメントありがとうございますまさか自分のブログがこんなにたくさんの方々に見られている事を夢にも思っておりませんでした。体調は安定しておりますが4月は天候が不安定だったせいか気圧の変化にやられておりました。では、前回の続きです緊急手術完了後尿意の方が気になってしょうがなかった手術が無事に終わり病室へ驚いたのが、まさかの、、、集中治療室手術が簡単に感じたせいか「なんで集中治療室???」勝手に判断しました。「(きっとコロナ禍で他の病室が空いていない
自分に降りかからないと深くは考えられないものだ。夫と私の場合もそうだ。この先どうなってしまうのか不安しかない。夫の今現在どうしたいのかという考えを聞くことが出来ないが以下は結婚当初からよく話していた。それなりの年齢の二人きりの再婚夫婦だから。私「私が認知症になってオムツ生活になったらどうするの、パパー」夫「ちゃんと面倒見るから。でも、もしも僕がなったら、ももちゃん他の人探すんじゃないの」こんな軽いやり取りもあったが真面目に話す時もあった。夫は飲酒をしないが私はそれなりに飲む方
そんなこんなで・・・心停止してお花畑見て森に入って行こうとして枝の雨に遮られ、怖いよぅ〜とうずくまってたら「大丈夫!!絶対助けるから!!」の声に連れられて目を覚まし人工呼吸器を、まあまあエグいセレモニーで抜いてもらって今に至る。人工呼吸器の抜管セレモニーで全体力を使い果たしたのだが斜めにしていろ、という指示で傾斜するベッドでぐったり放心状態。どのぐらい時間が経っただろう・・・。1人のドクターがや
鏡に映った自分の顔に衝撃を受けたあと顔についている血の塊や、テープや、糊を取る気力もなくただその顔を見ていた。「はい。どうぞ。持てますか?」看護師さんが、歯ブラシに歯磨き粉をつけて渡してくれた。歯ブラシに手を伸ばす・・・がもう手が小刻みに震える。まじか・・・・やっとの思いでたどり着き、歯ブラシを握る。が、今度は戻ってくるのがまた大変😅口に運べない。ガタガタしながら、
術後1日目には集中治療室を出れる!!・・・と勝手に思っていました。なぜなら、前回の子宮全摘の時がそうだったから。。。午前中、集中治療室の患者さん達が次々と病室に移動していきました。私は、何故か何も言われないんですけど・・?カーテンの向こうのおばあちゃんは、病室への移動は明日って言われていました。もしや、わたしも???もう、歩いてトイレにも行けるのに・・?そして、看護士さんに私のお部屋移動も明日って言われて、超ガッカリですあと1日、集中治療室に居る事に。。。集中治療室って術後
2024年4月18日(木)シャワーだけの一日あとは、外科系集中治療室の看護士さんから説明されたり、副看護師長さんから「手術前の飲食・内服についてのお知らせ」もらったり、薬の確認したり、他の先生から「低カリウム血症に対する・・・」「身体抑制(拘束)」同意書求められたり、手術室看護士さんが来て書類置いていったり(会ってない)。隣ベッドの方が退院されて、そこに新しく検査入院の方とお話したりあまり動かず、しかし色々あった。主治医やリハビリ先生の方々がする手術の話会はどんな話たったかな
「○○さん、大丈夫そうなので8時に人工呼吸器、抜きます。」主治医の声で朦朧と目を開けた。(はい・・・)そもそも状況が半分はわかってないのでとりあえず管の入った口を開けたまま目でうなずく。・・・で、予定時刻。主治医の先生がやって来た。「じゃあ、今から抜きますね。抜くのはいいんですけど、思ってるより苦しいんで頑張りましょう。」(ん???・・・・)と思ってるや否や、先生の手が近づいて来た次の瞬間、口から気管の中に
こんにちは、美耶です今回約半月入院しました。実は生死を彷徨う壮絶な経験でした自宅で意識がなくなり救急車で運ばれたのですが全く記憶がありません。原因は抗がん剤で副腎皮質ホルモン不全になったことによる低ナトリウム血症です。集中治療室では血圧が50を切り人工呼吸器を装着。医師にやれる事は全てやりました。と言われたそう本当あの世に行く所でした約3日間意識なく、人工呼吸器と点滴で生かされました。意識もうろうとしている中、赤ちゃんの狂ったような物凄い鳴き声で意識が戻りました
看護師さんの創意と工夫で、今まさに始まろうとする救命センターICUでのリラックス足湯タイム♪それはとっても良かったのだが、ドボドボとお湯がバケツに注ぎ込まれあったかそうな匂いがフワッと広がって看護師さんがヨイショ!と私の足をお湯バケツに入れようとした時、着ていた術着ガウンがパラリとめくれて足がむき出しになった。んっ?????なんか、足についてるぞ。私は裸眼だと0.1ぐらいのもんなので
救急搬送されてから、目が覚めるまでの6日間、私の記憶は空白だ。あることを除いては。多分、そのあいだ私は、こっち(現世)の世界とあっち(死後)の世界を行ったり来たりしてたんじゃないかと今になると思う。記憶と呼べるものは空白ながら、そのあいだ、私は、「ある声」と「ある風景」を見聞きしていた。そう、死に際に現れるという「お花畑」。それらしきものが確かに現れた。ここからは、そのことについて書いていきますね。続きは
救急車の音に、自分の搬送時の記憶が蘇り恐怖のフラッシュバックにアワワ💦、あたふた💦してうぇーーーん😭と思いながら暫く経つと看護師さんがやってきた。「○○さん、大丈夫ですか。ごめんなさいねー、騒がしくなって。今、○○さんのいるあたりが一番重症の方の場所で新しい救急の患者さんがお隣に入ります。バタバタするので、静かなところに移動しましょうか。今ちょっとスペース空いてるので移動できます。」