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~ちぴの紹介~現在特別支援学校の小学部4年生重度知的障害・自閉症・睡眠障害・発語少々の強度行動障害認定を受けた男の子です。……………………………………………………重度知的障害児「ちぴ」との暮らし・対策に追われる日常・2021年に新築したマイホームのことなどをブログにしていますおはようございますまさかまさかの事態が次々に起こる新年度まずこちら夫が転勤して通勤時間が以前は90分かかっていたのが20分になって喜んでいたのですが…まさかまさかの通勤手当が0円20分はかかってる
私の父、75歳の父。3週間前、肺炎を起こし入院しました。最初に入院の手続きは私がしました父の辛そうな息遣いに泣きそうになりました。次の日、母から別の呼吸器科のベテランの先生のいる病院に転院になると聞いて正直、もう会えなくなるんじゃ無いかって悲しくて悲しくて辛くて集中治療室にまで入って1週間。個室に入るよ。と連絡がありましたもう嬉しくて嬉しくて嬉し涙出ました。。初めての入院。携帯に以前spotifyを入れていてあげていたので音楽聴けるよ!と教えてあ
2024/4/28(日)父の命日父は平成8年(1996年)4月28日に満88歳で逝った。だから今年で28年になる。私は55歳の働き盛りだった。でも前日は夜を徹して病院の集中治療室で見守っていた。その日の早朝4時過ぎだった。心拍数のモニターがピーという一定音とともに横一線の表示になった。その時の医師はまだ年若き神野君夫先生であった。母は父から10年後に逝った。その時も神野先生にお世話になった。父の時はR病院で母の時はT病
これは脳梗塞だ。瞬時に頭をよぎった。脳梗塞・・・「だめだよ。パパ。それ脳梗塞だ・・・どうしよう。救急車呼ばなきゃ」冷静にいたつもりでもそうではなく119番に電話しながら上にある駐車場へ。119番で色々聞かれたが当時のことを全く覚えていない。夫は目がうつろになっている。「どうしようどうしよう。パパ死んだらどうしよう」と抱きついて泣いてしまった。夫「ももちゃん残して死なないから」「ももちゃん大好きー」私は夫に名前は?誕生日は?と聞くと正常に答えてくれた。救急車が10分後
コロナワクチンの接種回数が多ければ多いほど、集中治療室に入る可能性も高くなる-ニコニココロナワクチンの接種回数が多ければ多いほど、集中治療室に入る可能性も高くなる[社会・政治・時事]チャールズ・ハフ博士は、新型コロナワクチンを災難に等しい大失敗と断じています。医療従事者を対象と...sp.nicovideo.jpコロワクを4回、5回、6回、7回などのどれかの回数まで人体実験チャレンジした人は回数が多いほど集中治療室行きになりやすくなるスクショ▼コロナワク珍は(それに仕掛けて
私も一緒に連れて行って夫が倒れ1ヶ月以上目を覚まさずずっとICU(集中治療室)に入院しています。もう元気な夫と会えない、あの頃に戻れない。悲しい寂しいを通り越し絶望の毎日です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・普通と思っていた毎日、何の変化も無い毎日。いつも行くスーパーの帰りふと思った事がある。幸せすぎて怖い・・・。失いたくないなぁ。(夫の様な優しい人に出会えて良かった)(この幸せがずっと続い
「オヤジの熱が40度まで上がり、熱が下がらず集中治療室に…」と、長男からラインがきたオヤジも一生懸命に闘っているのかな祈る事しか出来ないけど頑張れオヤジ
気が付けば日が変わり1月3日になっていたお兄さん夫婦お姉さんいとこ達私の両親は一度家へ帰宅私たちは2畳ぐらいの長椅子だけがある部屋で仮眠するように案内されたこの状態で寝れるはずはないが一度腰を下ろしたパパが倒れて初めて3人だけになった私たちは小さい円陣を組むように肩を組みあって大泣きした本当に泣いた・・叫ぶように泣いた周りの目を気にせず泣けることが出来た泣く事でやっと今の自分達の悲しい気持ちを吐き出せている・・そんな3人
(息子が痙攣重積型《二相性》脳症と診断されたときの備忘録です)●2/1(金)もともと予約していた時間に病院へ行く。診察の前に採尿があったので、いつものようにコップをもらいトイレへ行く。これまではトイレに行き、「オシッコして」と言えば上手にできた息子。この日は「できない」と言った。お水を飲ませ、しばらく待ってもう一度トイレへ。3,4回繰り返したが採尿はできなかった。ただオシッコが出ないのではない。出せないんだ。そう思った。結局採尿は後回しにし、診察へ行くことになった。「さぁ
3月1日、職場でイスから落ちてしまいました。起き上がりできず、その様子から会社の人が救急車を呼び、病院へ搬送されました。病院へ着いたのまでは覚えているのですが、そこからの記憶はなく(手術をしたりしたらしい)目が覚めたらベッドの上でした。病名は脳梗塞目が覚めたら点滴2本、酸素マスクをつけてました。集中治療室に3週間近くいて、その後一般病棟へ。今はリハビリ病棟へ移り、リハビリの最中です。思うようになかなかできないけど、少しずつでもできるようになれば…と頑張ってます。
ご訪問ありがとうございます救急搬送されて集中治療室に入った母ですが、翌日、不安な思いいっぱいで病院へ行くと、そこには笑顔の母が。前回の話はこちらです⬇️『集中治療室の母に奇跡?!』ご訪問ありがとうございます毎日、暑いですねー🥵皆さん、そしてご家族にご高齢者がいる方は熱中症にくれぐれも気をつけて下さいね!さて、母が救急搬送された同じ日に叔…ameblo.jp母が奇跡のように元気になっていて、ホッとした。脳梗塞だったのに、麻痺もないなんて!本当に良かった。その日の夜は試験が終わった息子にも祖
*初めましての方*次の日。夕方になって看護師さんに今日の様子を聞いた。朝1回吐いちゃったみたいだけど、その後は順調にNGからミルクを入れられたらしい。1回自分でNGを抜いちゃって入れ直しをしたと聞いて、抜ける元気があってよかった!と思った。でも、全然笑わないって言ってた。寂しいよね、辛いよね。辛い時にそばにいてあげられなくてごめんね。早く治していくから、待っててね。ベッドに横になっていることしかできない自分が本当に本当に情けなかった。一緒に倒れてどうする、自分の健康管理もできないな
2023/11/21集中治療室手術後目が覚めた時には集中治療室にいた一人の看護師さんがずっと付きっきりでいてくださった女優さんかモデルさんかというくらい綺麗な看護師さんそんな事を考えながらなかなか眠れず…電気消してもらっても眠れず麻酔がまだ効いていてほとんど痛みを感じなかったので寝返りもへっちゃらな感じで何時間おきかに右向いたり、左向いたりしてクッションを挟んでくれたりした無性に喉が渇いて水が飲みたかった目覚めた時に主人がいて「喉渇いた」と言ったけど手術
麻酔科医の先生と相談で太い血管に入れて貰うことが出来たのは救急搬送から6時間以上経っていた。集中治療室へ入院になったので面会時間が限られており、一旦帰宅しお昼の面会時間に合わせて再び戻るつもりでした。帰宅してから三時間が経つかどうかのタイミングで病院から容態が変わったので来ていただけますか?との連絡が…。集中治療室へ入ると先生方が代わる代わる心臓マッサージと強心剤投与を交互にして下さってるところでした。そこで主治医から何本も強心剤を試していますが全く反応してくれないんですと言われる。もう楽にさ
暇すぎて、連日ブログかいてますね、私みなさんのブログにもお邪魔させていただいてますこれからも宜しくお願いしますm(__)m入院生活5日目夜中3、4回目覚めるものの、入院してから一番ぐっすり眠れた気がする朝のモニターをすると、赤ちゃんの心拍145〜165、ベースは150台と落ち着いていました30分のモニター中、強いはりが2回、その間に弱いはりが数回ありました。看護師さんに「これって、前駆陣痛ですかね?」と聞いてみると…看護師さん「前駆陣痛…かもしれないけど……子宮の収縮…まだ30週あた
*初めての方*PICUに入って5日が経った。今日も、パパと虹翔のところへ向かった。パパは1週間仕事を休んでくれた。パパの会社の人たちは本当に良い人たちばかりで、PICUに入った日に、パパが電話すると、一緒に号泣してくれて、仕事なんていいからそばにいてあげなって言ってくれたんだって。私たちの周りには本当に素敵な人がたくさんいる。虹翔の所へ行くと、先生がエコーをしていた。昨晩の様子を聞いた。痙攣は、何度かあったらしい。その度に点滴を入れてくれた。酸素は昨日のままで0.5L流している。
術後、声を掛けられストレッチャーで意識朦朧としながらもすぐに「今何時ですか!?手術できたんですか!?」と聞いた私。看護師さんがびっくりして「先生!患者さんが!」と言ったのを覚えてます(この時点で皆さんまだまだぼんやりしてるそうな…)。先生が「腫瘍が思ったよりちゃんと取れたよ!手術して良かったよ!」と答えてくれたのもはっきり覚えています。午前中でしたが、この日はそのまま集中治療室へ。スマホも本も何もなかったので、看護師さんが用意してくれたラジオに救われました。クリスマス前だったので延々クリ
ご訪問ありがとうございます毎日、暑いですねー🥵皆さん、そしてご家族にご高齢者がいる方は熱中症にくれぐれも気をつけて下さいね!さて、母が救急搬送された同じ日に叔母も救急搬送されてしまいました。前回の話はこちら⬇️『叔母も緊急事態?!まさかの再入院』ご訪問ありがとうございます母が集中治療室に入りました。前回の話はこちら⬇️『母、集中治療室へ』ご訪問ありがとうございます救急搬送された母はやはり脳梗塞を起…ameblo.jp今日は集中治療室に入った母の話のつづきです。集中治療室に入った
救急車の扉が開いた隊員の方からこういう時期なので付き添いは2名まででお願いします・・と言われたこの状況で私と子供2人の中から2名なんて選べない『すみません詰めて乗りますから・・・家族3人乗らせてください』私は必死に頼んだ許可もいただいていないのに私たち3人は大丈夫乗れますって顔でパパの横に既に座っていた隊員の方もそれ以上は言わなかった病院到着までの数分私たちはパパの手を握ったり摩ったり大丈夫大丈夫もうすぐ病院に着く
救命センターのICUで過ごす夜はとても長くて心細くて看護師さんも忙しいのを分かっていながら付き合ってほしくて、なんとなく居て欲しいオーラを出していた。看護師さんが少しでもベッドを離れるときは必死にナースコールのボタンを探して握りしめた。モゾモゾしていると、看護師さんが戻ってきて言った。「○○さん、歯を磨いてみます?」は?歯??「気分がスッキリするかな、と思って。」
初めての全身麻酔手術の時は、両肩をバシバシ叩かれて起こされました。手や足の指動かして~!と言われるがまま、その指示に従ったことを覚えてます。今回は手術室での記憶がまったくありません。覚醒したんだろうけど記憶は皆無。次に気づいた時は既に集中治療室にいました。起きたのか起こされたのかも不明。一番壁側のベッドだったから時計が見えて確か17時くらいだった気がします。13時過ぎに手術が始まったから、4時間ほどで終わったっぽいことが分かった。両親は手術が終わるまで病院に居たけ
1/8体重不明便通なしガス無し鈍痛が治らず明け方にウトウトしたが、心不全の女性が発作を起こして大騒ぎになり結局眠れなかった。口の中がカラカラに乾いており保湿スプレーを荷物から出してもらって口の中へ吹きかけた。痰が絡んでいる感じはしているが小さな咳でも激痛が走るのでゴホンと出来ない。くしゃみが出そうになると慌てて鼻を押さえて我慢する。執刀医の外科部長が切開部を見に来た。「大丈夫ですね。痛みがあったら我慢しないで鎮痛剤を使って下さいね」と言われる。痛みで眠れなかった旨を説明すると
点滴で復活後妹の運転で子供たちは服などの身の回り品を我が家に取りに行ってくれたその間私は実家に帰り父と2人だけでこれからの大切な話をした実家の玄関は私たち4人が帰宅しようとまとめた荷物がそのままの状態で置かれていた昨日のあの時間に戻れば良いのに・・それなら私が車を取ってくるから・・色々な後悔が出てきた父は『残念ながらパパは時間の問題になるだろう。倒れて直ぐに亡くならず今パパが頑張ってくれてるのは私ら
その後先生に呼ばれ両親お兄さん夫婦私たち3人も部屋に入ったCTやMRIの写真を見ながら今の状況今後の事・・の説明を受けた短時間で究極の選択を迫られた先生のお話では今は強い点滴の薬で心臓が動いているがそのうち体が弱ってきて心臓も持たなくなります。その時に延命措置を取りますかとの内容だったただ心臓が止まった時強い心臓マッサージなどで肋骨が折れたりご本人様の体を痛めることになります・・との事突然の選択に皆は返答に困
看護師の方からは『いつ急変するかわからないのでお知らせしたい方に連絡をお願いします』と言われた昼からはパパのお父さんお母さんも来てくれたお二人とも90歳と高齢だが元気にされているタオルを顔に当てて止まらない涙を拭いておられた私はご両親に近寄り『お義父さんお義母さんこうなってしまい本当にすみません』と口から自然とお詫びの言葉が出た私がこの状態を防ぐためにどうすれば良かったのか答えは分からないが今は謝るしかなかった
待合室に着いて少しすると汗をかいた先生がやって来ました。先生「手術は無事終わりました。」「大腸見られますか?」わたし「はい。」血が苦手な旦那は後ろを向いて…。17年息子の体で頑張ってくれたんだなぁと。先生「想定していたよりもひどくもう少し時間が経っていたらやぶけてしまうところだったと思います。悪い場所も8割切除ではなく9割ほど摘出しました。」先生にお礼を言って待合室をあとにした。あとは息子の麻酔が覚めるのを待つ。1時間ほどたっただろうか。麻酔から覚めたと連
娘の彼氏君と連絡先の交換はしていたので娘が一命をとりとめた事、集中治療室に移った事など一応報告はしました。「〇〇が生きてて良かった。全部俺のせいです。最低な事をしてしまった」という返信がありました。楽しそうにパウンドケーキを持って出かけてから、そう長くもない時間で2人の間に何があったのか分からないけど、私にとってそんな事はどうでも良くて。精神的な病を抱えてる娘をちゃんとサポート出来なかった私が悪いんだろうなって思います。とりあえず、一命はとりとめた訳だし「
パパが突然くも膜下出血を起こしたのは1人ぼっちの車の運転席2日のブログでは詳しく書いていなかったが私が駆けつけた時車は駐車場ではなかった『2022.01.02この日が突然やって来た③』実家から数メートル先の駐車場にパパが車を取りに行き実家の玄関先で車を停めてくれるのがいつもの帰宅パターン。数分待っても来ない・・外に出て車がやって来る…ameblo.jpパパの車は駐車場から前進して道に出て私の実家に向けて左折してすぐ綺麗に停まっていただ
続き>>>>大荷物を抱えて病院に再び戻り、付き添いの為個室へ。ここの病院では、付き添い希望だと個室のみの利用になります。ゼコゼコと多呼吸が苦しそうなので、チューブ型の酸素を付けられました。これは今日撮った写真です。こんな感じのチューブ酸素を最初は付けていました。医師や看護師さんが何度も出入りし、何度も娘の様子を診て下さいます。その結果、、、チューブ酸素を付けても多呼吸が治まらず苦しそうなので、(呼吸回数60回)ICU(集中治療室)へ移動しましょう。となってしまい
*初めましての方*部屋に入って待っていると、先生が来た。主治医の先生と今の担当の先生。熱が出ていること、痙攣が続いているために集中治療室に入ったことを簡単に説明された。また少し待っててくださいと言われ、少し待ってから、虹翔のところへ行った。病棟とは違う、分厚い扉。この向こうに虹翔がいる。虹翔に早く会いたくて会いたくて、たまらなかった。入室すると、いくつも部屋がある病棟とは違って、そこは広々とした1つの部屋だった。真ん中にナースステーションがあって、1列にベットか並んでいる。カーテ