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二度の山場を乗り越えて何とか三途の川を渡らずに引き返し、ドクターの呼びかけに気がつくとそこはICU(集中治療室)でした。大きな手術を終えたばかりの方や重篤な症状の方が文字通り集中して治療を受ける部屋で各部屋ごとに減圧や酸素濃度、心電図や薬剤投与の為の設備などが管理された特別な病室です。面会も厳重な管理のもとコロナ対策もバッチリ。家族も親族のみ。一組15分。大きな手術の後は感染症のリスクも高まるのでその対策をという事です。目を開けて最初に飛び込んで来たのは身体に繋がれたチューブ。数えると1
術後、声を掛けられストレッチャーで意識朦朧としながらもすぐに「今何時ですか!?手術できたんですか!?」と聞いた私。看護師さんがびっくりして「先生!患者さんが!」と言ったのを覚えてます(この時点で皆さんまだまだぼんやりしてるそうな…)。先生が「腫瘍が思ったよりちゃんと取れたよ!手術して良かったよ!」と答えてくれたのもはっきり覚えています。午前中でしたが、この日はそのまま集中治療室へ。スマホも本も何もなかったので、看護師さんが用意してくれたラジオに救われました。クリスマス前だったので延々クリ
麻酔科医の先生と相談で太い血管に入れて貰うことが出来たのは救急搬送から6時間以上経っていた。集中治療室へ入院になったので面会時間が限られており、一旦帰宅しお昼の面会時間に合わせて再び戻るつもりでした。帰宅してから三時間が経つかどうかのタイミングで病院から容態が変わったので来ていただけますか?との連絡が…。集中治療室へ入ると先生方が代わる代わる心臓マッサージと強心剤投与を交互にして下さってるところでした。そこで主治医から何本も強心剤を試していますが全く反応してくれないんですと言われる。もう楽にさ
2023/11/22集中治療室から病室へ集中治療室にいる時38.3度に発熱した氷枕をもらって冷やしたそんな中理学療法士の偉い人?が白い巨塔の総回診のように白衣で何人かの部下を連れて挨拶に来たよろしくお願いしますと言われても何をお願いされたのか?しばらくして理学療法士さんがリハビリの為に来られたそこで繋がったがわざわざ私ごときに挨拶なんて…リハビリは思うように体は動かず立ってもフラフラして息苦しくなる立つことがてきてしんどくなければ車椅子で病室まで上がろう
ご訪問ありがとうございます救急搬送されて集中治療室に入った母ですが、翌日、不安な思いいっぱいで病院へ行くと、そこには笑顔の母が。前回の話はこちらです⬇️『集中治療室の母に奇跡?!』ご訪問ありがとうございます毎日、暑いですねー🥵皆さん、そしてご家族にご高齢者がいる方は熱中症にくれぐれも気をつけて下さいね!さて、母が救急搬送された同じ日に叔…ameblo.jp母が奇跡のように元気になっていて、ホッとした。脳梗塞だったのに、麻痺もないなんて!本当に良かった。その日の夜は試験が終わった息子にも祖
術後1日目には集中治療室を出れる!!・・・と勝手に思っていました。なぜなら、前回の子宮全摘の時がそうだったから。。。午前中、集中治療室の患者さん達が次々と病室に移動していきました。私は、何故か何も言われないんですけど・・?カーテンの向こうのおばあちゃんは、病室への移動は明日って言われていました。もしや、わたしも???もう、歩いてトイレにも行けるのに・・?そして、看護士さんに私のお部屋移動も明日って言われて、超ガッカリですあと1日、集中治療室に居る事に。。。集中治療室って術後
2018年5月定年退職しました。親友に誘われて始めたハンドメイドも少しづつイベント出店したり試行錯誤しながらの楽しい日々です。やっぱり物作りは楽しい‼︎と改めて思いました。7月の定期診察でも咳も痰もなく落ち着いていましたが、8月初旬から咳が出る様になりなんとなく嫌な予感がしていました。8月末には中学からの友人たちとのホテルお泊まり会の予定があるのでそれまでに悪化しない様にと祈る様な気持ちです。8月22日の夜夕飯の支度をしていたらゴホッと嫌な咳洗面所にダッシュ💨あぁ〜また洗面
連日、沢山のコメントありがとうございます。まだ病院にいて、今日は大蔵省の病室からの更新です。昨夜は安心してぐっすり眠れました。が…、術後の集中治療室での大蔵省の姿が目に焼き付いちゃって、病院で完全看護で心配しても仕方ないんだけど、大丈夫かなぁー?と5時前から目がパカパカ。何というか、やはり消化器系の手術だからなのか、私の時とは比にならない程の管と機械の数に圧倒されちゃって、そこに身を置く大蔵省の姿が非現実的でね。想定外のシチュエーションに交感神経系のスイッチが故障気味(ノ゚∀゚)ノさ
頸動脈に刺さった管、鼻から胃までの管、それにおしっこの管が抜けた。胸に刺さったドレーンと左右両手に作られたポートはまだ残っている。胸に刺さったドレーンは痛い。胸に刺さったドレーンは手術で生じた胸の中の水や血液を体外に放出するためのものだが、身体(上半身)を動かすと激痛である。そんな中、午後になって作業療法士が来て、リハビリのため立ち、少し歩きましょうと私の元にやってきた。手術して24時間後である。案の定、胸に刺さったドレーンが痛くて私は歩けなかったが、何とか立
今から、約2カ月前に無事手術を、終えました。開胸/開腹手術です。多分。一番メスが、必要な、手術。画像乗せたいが、悩んでる。手術は、当たり前ですが、全く覚えてないが、目覚めた時、もう、ハンパないパニックと、痛み。これは、ホントすごかった。ホントに。今思えば、生きて無事手術終わった証拠なのに、信じられない位もう、痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて、なのに、呼吸器に、パニックに、なり、これ、説明出来ないんですが、いわゆる、マスクみたいな呼吸器でなくて
『ええ!!入院ですか??』びっくりしすぎて、だるさの嫌悪感が和らいだ。『肝機能の数値が異常に高くなってるからね。原因が分からないからしばらく管理入院。』入院準備してまた夕方に行けばいいと思っていた矢先……『このまま入院ね。』『ええ!!なんにも持ってきてないんですが……』外来で帰るつもりだったので何も準備していない。しかも、入院した部屋がNFICUという、母体胎児集中治療室で安静という形になった。個室の入院室では、部屋から出る事を一切許さ
7月19日無事?手術が終了しました。手術開始が9時30分。そして麻酔から覚めて時間を聞くと22時30分位ですと。なんと13時間近くの大手術だったみたい。で、麻酔から目が覚めてからが大変。まず最初に来たのが超寒い。死ぬほど寒い。体がガタガタ勝手に震える。家族はこのまま死ぬんじゃないかと思ったそうだw布団乾燥機みたいなので強引に温めて貰ってなんとか落ち着いたと思ったら今度は痛みが痛み止めは遠慮なく言ってと言われてたので、遠慮なくお願い
10月18日(水)集中治療室一泊した朝。ベッドを起こして何も食べてないけど歯磨き。ちょっと気持ち悪い例のごとく、ベッドに寝たままレントゲン。ベッドに寝たまま体重測定。そして、勝手にお尻から何か出てくる〜看護士さんがすぐに何回でも替えてくれるでも、オムツ足りない〜〜💦そして11時頃、自分の部屋に戻る事に。リハビリ担当が来て、ベッドでゆっくり体を動かして立ってみる。おえっ、おえーっ何も口にしてないから、何も出ない。でも、縫ったお腹痛いし、きっつーしばらく吐き気が落ち着くの
初めての全身麻酔手術の時は、両肩をバシバシ叩かれて起こされました。手や足の指動かして~!と言われるがまま、その指示に従ったことを覚えてます。今回は手術室での記憶がまったくありません。覚醒したんだろうけど記憶は皆無。次に気づいた時は既に集中治療室にいました。起きたのか起こされたのかも不明。一番壁側のベッドだったから時計が見えて確か17時くらいだった気がします。13時過ぎに手術が始まったから、4時間ほどで終わったっぽいことが分かった。両親は手術が終わるまで病院に居たけ
待合室に着いて少しすると汗をかいた先生がやって来ました。先生「手術は無事終わりました。」「大腸見られますか?」わたし「はい。」血が苦手な旦那は後ろを向いて…。17年息子の体で頑張ってくれたんだなぁと。先生「想定していたよりもひどくもう少し時間が経っていたらやぶけてしまうところだったと思います。悪い場所も8割切除ではなく9割ほど摘出しました。」先生にお礼を言って待合室をあとにした。あとは息子の麻酔が覚めるのを待つ。1時間ほどたっただろうか。麻酔から覚めたと連
詳しく書くと辛くなるので色々省略します結果、息子はこの数日後、集中治療室で数日過ごします右半身麻痺と言語障害が残りました退院当初、右半身は全く動かず、あることすら、忘れているような感じでした話すことも忘れてしまったかのように全く話しません言葉の概念がなくなってしまった感じ〜をするために使うものとはわかるものの名詞が出てこないっていう感じでしょうか私のことも呼びませんすべて私のせいごめんね、息子だけど、頑張るからあなたのためなら何でも頑張れる絶対に諦めない必要とされる
手術から数日後まで(前日に続く内容です)2019年2月の上旬に入院しました。50歳後半になって人生初の入院でした。入院3日後の午前9時頃から手術が始まりました。オペ室に入って、ストレッチャーから手術台に身体を移され、上を向いたまま身体を軽く固定され、これから麻酔を注射しますよと告げられ、針が刺さって、ちょっと痛いと思ったところから記憶が全くありません。喉の奥まで関わる手術なので、手術中の呼吸を確保するために、首の前がわに穴をあける気管切開を行います。
結局、11時間ほどの大手術を経て、夫は生還しました。集中治療室に5分ほど通してもらいましたが、そこには衝撃すぎる姿が。。。頭のこめかみからおでこを通ってこめかみまでメスで切り開かれて頭蓋骨を出されていたらしく、その切った部分がホチキスで何十カ所も止められていたんです。フランケンも真っ青。。。こんな感じで切ってた。グロ過ぎた医者ってすごいしかも、そのホチキスの間からは何本も管が出ている。透明な管は真っ赤に染まり、管の先は床に置かれたバケツに向かっていて、血が
こんにちはあしかりあずさです息子は生後7ヶ月の頃に大きな病気をしたことで、重度の障害児になりましたある日突然息子が重症心身障害児に!息子からおそわったこと、学んだこと、息子の頑張りなどなど、障害児との暮らしをブログにしていますある日突然、急性脳症という病気になり…息子の場合は何万人かに1人の割合でしかみられない、かなり重篤な症例でした。急性脳症だけでなく、急性心筋炎に腎不全。他の臓器もギリギリ機能している状態。つまり、多臓器不全寸前…。手足には血が通わず、自力で呼吸もできない
お腹の痛みが落ち着き、手術回避。保存治療となったワシは一晩集中治療室に入れられておりました。これからの記憶はわりとある(笑)痛みがモヤモヤ程度になったワシでしたが、今度は膨隆疹のために、ボリボリ全身を掻きまくっておりました。いやあもう痒いのなんのって!ベッドの上でのたうちまわっておりました。痛いのも地獄ですが、全身痒いのも地獄でござる。掻きすぎてあちこち血だらけで。それはもう看護師さんも不憫がって、皮膚科の先生に談判してくださいました。「明日でいい?」という先生に、「ダメです
こちらの続きです↓↓『【過去】癌との闘いが始まった』前回からの続きです↓↓『【過去】夫がステージ4の肺がんと診断された日』1年前の記憶や病院の書類を見ながらゆっくり振り返っております前回の続きです。『【過去…ameblo.jp看護師さんからの電話のあと、ベビーカーをおして早足で病院へ無事でいてほしい、、、何があったんだろう、、、病院へ着き、案内されたフロアへ。後ほど、主治医から説明があるからと言われ、小部屋で待つことに。夫の両親はまだ到着していなかったので、ひとまず私だけ概要
17時前に大学病院へ到着救急車を降りると先生や看護師さんたちがわらわらと現れ長男のストレッチャーを押していくドラマで見たことのある光景だ・・・長男に付いていきながらストレッチャーを押す女医さんの質問に答える「症状はいつからですか?」いつから?いつから・・・・・「昨日腹痛を訴えて、今週あざを見つけて、先週は幼稚園バスの中で一回吐いたこともあって・・・2~3週間前に酷い下痢をしたあとからなんだか体調がすっきりしなくて顔色が悪かったり・・・」
2024年4月24日胸腔鏡手術当日です。前日夜から絶食し11:00くらいに妻に見送られつつ歩いて手術室へ。手術室入口で確認後、入室し手術台に寝っ転がる。いろいろ刺されたり呼吸器付けたりして眠くなりますよ~と言われて気づいたら集中治療室でした。まあ胸は痛いっちゃ痛いけど思ったほどでもなかったです。気管支鏡検査の方が辛かったくらい。呼吸器装着酸素40%胸腔ドレーン点滴尿道カテーテル等々とりあえず次の日まで集中治療室で安静にして尿道カテーテル外してもらってから
いよいよ心臓僧坊弁の手術当日となった。私の手術は午後から開始予定に変更。朝から絶飲食です。臆病な小心者なのに何故か腹がすいています。ビビっていても人間はお腹が空くのかも知れません。(意外に大物かも?)朝、私の病室に執刀医の渡邊院長が来てくれました。握手をいただき、よろしくお願いいたしますと頼みました。まだ手術開始まで五時間あまりありますが、精神が落ち着きません。(そして空腹で辛い)37年前、最初の大学入試が人生で一番緊張しましたが、今回はそんなレベルではあり
翌日、妻からのメールが届く「じゅうでんき」こんなメールでも心が少し落ち着く…少し元気になった証拠であるまた頬を涙がつたうそうか…意識が少し他に向けられるようになり、もしもの時にと看護師さんの計らいで置いてもらった携帯に、私が勇気づけられた早速、午後に充電器を届けに向かう看護師さんが「集中治療室から出られました」と教えてくれる良かった…本当良かった元気になって帰って来れる…なんて思いが湧いてくる少しウキウキ?しながら、家に帰ると「水と焙茶なら飲んでいいと云われたから欲しい
人工呼吸器を外した後は喉が傷付いてる為話せない。喋れない。声が出ない。軽く、うなずく事はできる。。。あとは、管!!凄い本数が身体中に。まず首。10本も細い管が。多分点滴?2年前の記憶で曖昧wで、両腕に点滴!両腕だよー!!そして胸から〜ぶっとい管!!(確か肺に溜まった水を抜くため)後は、オシッコの管。ドレーンこれまた残尿感あり気持ち悪いんだわw多分その他にも付いていた様な気がする…なんせ2年前の記憶で記憶が曖昧ですとにかく目覚めた時、身体に色々挿さりまくってて身
主人が集中治療室へ運ばれる。「これから、しばらく会うことができません。」そういわれた。コロナの関係で面会ができないとのこと。「しっかり休んでね」息子と一緒にそう言って別れた。入院についての書類を何枚も書いた。パニックになっているときに字を書く、書面を読む、判断する。これを行わなきゃならないのがつらい。看護師さんを信じるしかない。さて、お店の電気を消しにいかなきゃ。戸締りしなくちゃ。診察券探さなくちゃ。息子を帰し
2月前半のNHKは14本。再放送が少なくハートネットTVもETV特集もほとんど新作だったため、本数も内容も充実した半月になりました。まずは何と言っても、広島大学病院の集中治療科を映す、ETV特集『命の砦~集中治療室密着40日の記録~』。命の砦(とりで)〜集中治療室密着40日の記録〜-ETV特集新型コロナで、重症患者の「最期の砦(とりで)」となった集中治療室。様々な医療技術を駆使して命をつなぎ、回復への道筋をつける。中国地方の高度医療を担う広島大学病院の集中治療室を40日に渡り密
翌朝集中治療室から一般病棟に移りました。点滴やパルスオキシメーターはついたままなので管がいっぱいの状態です。運ばれて来た朝食にメモが添えられています。鶏肉アレルギー⁈8年前の初心の時の問診票に食べ物やお薬でアレルギー症状が出たことがありますか?はい。10代の頃、フライドチキンを食べて蕁麻疹が出て1年位肉類に反応していましたがそれ以来出ていません。嘘はつけないので記入した記憶はあります。それが生きてたんですね。さすが病院。鶏肉好きなのに2週間の入院中鶏肉の日は全て
目が覚めて、人工呼吸器を抜いて、、数時間のあいだ、言われた通りに深呼吸だけをスーハーしながら私は初体験の「寝たきりになった状態」の自分のカラダを味わっていました。この時点で、完全寝たきりになっていたのは1週間。いろんな機器、チューブ、点滴のラインに繋がれながら手もベッドに固定され、人工呼吸器を咥えながら天井を見ているのみ・・でいるとどうなるか・・・・。おそらく・・・体験したことのない方には想像がつかないほど、身体は動か