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まだ先のことですが、もう悩んでいかないといけないのかなあ何を基準に考えたらいいのかわかんないなあ今の感じだと支援学校の方がいいんじゃないかなあと思うんだけど、療育の先生はそう思っていないみたいで。。よくわかんないなあどれだけ言葉が伸びるかにかかってるのかな怖いよう
がんばってもがんばってもどうにもならないことってあるんだな。。むなしい。。
2020/09/01に書いた記事です。毎年思い出します。3年前の9月1日に診断を受けた日のことを。9月1日は、たっくんが自閉症と診断された日。この日を、節目とし私は今までブログを書いていました。診断されてから、丸3年が経ち障害児育児と意識してから4年目突入です。*******************妹が「赤ちゃんの時の写真が見たい!」とお父さんに言って、画像や動画をテレビに映し出してもらっていた。そーいえば、昔の画像や動画を見ることってあんまりなかったなー。そん
まだ4歳児ですが、不育症で何度も流産その度に一年妊娠を待つを繰り返し、高齢出産。。。8050問題でなく、うちは9050問題、いや、8040かぁ。。と思うと親なき後まで苦しんで考えてしまう😔夜心臓がバクバクして眠れず、世田谷区の親の会に電話した。副会長様がとっても親身に聞いてくださいます。🙏🙏🙏感謝しかも、色々相談や調べごともしてくださり、お金が続けばこのまま親の会に入り、私もいつか誰かを助けたい。。😊それから、親なき後の話もこの会で色々伺いたい、今はとりあえず就学。。😅障
娘の障害で何がつらいかようやくわかってきた「人の目」「世間の目」4歳になって娘は身体が大きくなってきて、行動も目立つようになってきた言葉は出ておらず、動き回って、奇声や喃語で話す姿で、あきらかに同年代の子供たちより特異な存在感を出している。コンビニ、100均一のレジの前で寝転がる、靴をぬぐ売り物でないものをレジに持っていき、ダッシュで消える。同じものをいくつもレジにもっていき、走り回る。おしっこが気持ち悪くなったのは良いが、ところかまわず、おむつを下げる公園、児
発達障害児であるあっちゃんを育てる中で、頻繁に「誰だって得意なこと苦手なことがある。あっちゃんだって診断受けなくても良かったんじゃないか?普通なんじゃないか?」と未だに思うことがあります。あっちゃんは人より苦手なことがあるけれど、人より得意なこともあります。でもそれは定型とされるお友達を見ていても、同じです。正直私は未だに障害受容が出来ていないのかもしれません。(でも診断名がついたからこそ放課後デイに行けて、あっちゃんの苦手なことを理解してくれる先生にみてもらえるので、診断がついたことは
ご訪問ありがとうございます。自閉症スペクトラム&境界知能と告知された6歳6ヶ月の娘との日常を綴っています。(ほぼリアルタイムです)ひとり歩き(1y2m)発達障害グレーゾーンと告知(1y10m)発語(2y1m)二語文(3y0m)三語文(3y3m)自閉症スペクトラムと診断(5y3m)境界知能と告知(5y10m)児童発達支援教室CPLP週1小集団+週1個別LTLC週1小集団幼稚園で卒園に向けた写真撮影があり、この日は特別にかわいい髪飾りを付けて登園しても良いということで
◆2019/09/01に書いた記事私にとって【9月1日】は、忘れられない大事な日。9月1日は、私にとってスタートライン。たっくんが自閉症と診断された日です。二年前のこの日から、私の障害児育児が始まった。育児から、障害児育児へ…二年前は、この子は、自閉症なのか、そうでないのかそればかり気にして…とにかく自閉症という文字に怯えていた。実際生活は、困ることばかりで…私は、この子をいつか虐待してしまうのではないか…ちゃんと育てられるのか…ずっと一人で悩んでいました。二年前
こんにちは、はぐれ鰯です。いつもブログを見て下さりありがとうございます(^^)※自閉症スペクトラムの男児を育てています。ブログ趣旨については→「はじめに」や「ブログについて」をご参照下さい。《まだ意志疎通できない頃の、ちぃと私のお話》時々、孤独と虚無感に襲われることがありました。障害受容できたあとも、葛藤がないわけではありません。うんともすんとも言わないちぃに対して、自分のしている事が果たして意味があるのか・・・わからなくなったのです。《月日は流れて・・・》(BGM・小田和正)
ご訪問ありがとうございます。支援級に通う自閉症スペクトラム&ADHDの小2男子を育てています。今日、付き添い登校の帰りにちょっと厄介な保護者に会ってつかまってしまいました。基本的に私は誰とでも仲良くしたいタイプなんですが、この人だけはちょっと…という方。『子供の特性を受容出来ない親』ご訪問ありがとうございます。自閉症スペクトラム&ADHDの小1男子を育てています。こんなつたない文章を読んでくださる方がたくさんいて、とても励みになります。さ…ameblo.jp『子供の特性を受容出来な
最近のイライラの原因、、、それはプロテインを飲んでくれないこと諦めましたこれでわたしがイライラしてたら意味がない!卵食べれているしいっかと思いますぼちぼちやってきます
苛立った園の先生から、「家でできていないと、園でもできない」と言われた一言主人のおばあさんから「みっともない」と何度も言われたこと平気なふりをしていたけど、私は相当凹んでいたみたいで、月曜日、療育に娘を連れていく元気がどうしてもでなかった。電話で、「欠席します」と伝えると、担当の先生が「○○ちゃん(娘)体調が悪いの?」と聞き返して下さって「いえ、家で服を着ないので、今日の療育は水遊びなので、、、迷惑に、、、」と話すと嗚咽でそれ以上、話せなくなってしまった。先
こちらの記事で書いたように、1000Hzで95dBがでたため更新できなかった障害児福祉手当。結果に納得がいかず、県内のこども病院にて再度診断書を取りに行きました。初めての病院なので、新しい先生ともSTさんとも一言も話さず無言を貫くハッチちゃん以前だったら無理にでも話させようとしていましたが、今はもう彼女の性格を受け入れているので見守っています。相変わらず裸耳の検査ではボタン押しまくり…結果は…T大で95dBだった右の1000Hzは115dBでした。平均聴力レベルの数字がすごいことになって
息子、昨日も学校を欠席。今日はランドセルを背負ったまま玄関で石のように固まる私は、「もういいよ。カバン、車のトランクに積んで家に入り」というと息子はタオルで目を押さえ、嗚咽しながら、肩を震わせながら泣く30分くらい泣き続けただろうか。時折、「もう泣かんでいいから。」と背中をさする。向き合ってやりたいけど、私には娘の保育園の支度も自分の支度もある娘の進まない朝ごはんを食べさせ、おむつを替えて、着替えさせ、靴下をはかせる。息子の嗚咽が響き渡る家で、娘はにやにやしながらタブレ
障害児のママってシングルが多いな〜って思っていたのですが、自分の子どもが障害児と分かった時に納得しました初めて自分の子が何かあるのかも?と疑った時に旦那さんに相談しましたそしたら旦那さんはそんなわけないって思ってるから不機嫌になってそれ以降その話題を出すと険悪な雰囲気に、、こっちだって疑いたくないけど何とかしなきゃって!だんだん特性が出てきて、旦那さんもそうかもってなってきた時には共感してくれるようになりましたが誰にも理解を得られなくて検索魔になっていたあの頃は辛かったなあわたしは二
療育から帰ってきてから、水遊びそれからエアコンを付けずに蒸し暑い家にいた我が家のリビングの窓は大きい。天井が空に続くように、青空が見える。5時頃に偏食の娘にご飯を食べさせようとする作る元気がないから、魚肉ソーセージとのりたまご飯リビングに簡易テーブルを持ってきて、食事に誘うも、無視して遊んでるあぐらをかきながら私が代わりに食べる魚肉ソーセージの味が口に広がる。見上げる空は青い。娘は素っ裸で走り回る。なんか東南アジアの国にきたみたいだなと思う。大家族で
不安定な天候と蒸し暑さのせいか、夕方に家族で行った公園に人出は少なかったターザンのようにロープにぶら下がり高台から滑り降りる遊具があり、娘もお気に入りで飽きるまでやらされるのだけど、今日はふと目をやると娘のあとに初めての家族がいた60歳は過ぎているであろう白髪のおじさんと、おじさんより背が高い青年なのか大人なのか黄色いTシャツの男性娘が先ほど乗っていたターザンの遊具に背の高い青年がのり、白髪のおじさんが何度もロープを高台まで引っ張っていた自分と変わらない体重の青年のロー
『障害に生んだ親を恨む』このワードをブログでたまに見かけます。が、私にはよく理解できません。言いたい事は分かるんです。でも何というか辻褄が合わないというかうーん???となってしまうのです。障害に生んだ親を恨んでいると発信しているあなたは親の遺伝子の影響か隔世遺伝なのか他の要因なのかは分かりませんが障害がネックとなり辛い人生を送っているのだと思います。確かに障害者として生きるということは差別や偏見の対象になったり社会制度の不備から損失や被害を受けることも多いと思
ダイキ/高2支援級を勧められたけど普通級のままコウキ/小3小3から情緒支援級アメンバーについて↓『(修正)アメンバーについて』ダイキ/高2支援級を勧められたけど普通級のままコウキ/小3小3から情緒支援級(国・算)IQと凸凹↓『WISC-Ⅳ知能検査の詳しい結果とアドバイス』小…ameblo.jp前回の記事にうっかり「診断を受け入れ」と書いてしまいましたが↓『児童精神科に通ってみて分かったこと』ダイキ/高2支援級を勧め
コメントを頂いて読んで、いつも新たな発見がある白い目が辛いと書いたけど、もう一つあったことに気づいたそれは自閉症児を育てる上で感じる「引け目」みんなと同じようにできないことみんなと同じようにしてもらうように支援が必要なこと集団生活をする以上、みんなと同じラインに立たないといけない。ルールを守らないといけない。私の言葉にはいつも、みんなに理解して「もらっている」、みんなにサポートして「もらっている」。「申し訳ない」と謝るか、「ごめんなさい」と謝るか二者択一。
娘が4歳になり、チョコを見て、「ちょこー」とたまに言ったり、公園で遊んだあと帰ろう〜と言うと「ダダー!(嫌ー!)」と少しだけでコミュニケーションらしきものや、発語できる機会(15回に1回)くらい増えてきた。クレーン現象も前よりは減って、声を出したり、手のひらをグッパする仕草で呼ぶようになった。成長してる〜、幸せ過ぎるーと思う反面、心のどこかで周りはもっとすごいスピードで成長しているのを知っているこのスピード感の違いが怖いこれから先を考えるのが怖いと思って落ち込んでしまうきっと
てんとう虫の幼虫をYouTubeで見ていた娘いきなり、『これ(てんとう虫の幼虫)ママ似てるね』ええぇ!?どういう感覚なんだ?どこがにてるの?YouTubeのアニメ?風な絵、茶色の体に赤い丸の模様、一体どこがにてるの??わからないので聞いてみた?『これどこがママに似てる?』答えは、『わかんないねぇ』え?分からないけど、ママに似てるのね。。。知的障害の感覚ってどんなんなの?でも、お友達とかに幼虫ににてるとか言ったら、悪気なくても嫌われるorイジメられるんじゃ。
初めましての方は→自己紹介まとめ読みは→各シリーズのダイジェスト版前回のお話はこちらです。『第16話:言語スクリーニング検査の当日(小1)』初めましての方は→自己紹介まとめ読みは→各シリーズのダイジェスト版前回のお話はこちらです。『第15話:主治医と押し問答の末‥(小…ameblo.jp後日私だけ病院に行き、主治医から正式にディスレクシアの診断書をいただきました。
お元気様です♪MIWAです。毎日学校と放課後等デイサービスに行くことに対して不満をもらす息子。理由をきくと7つの理由があるとのこと。1つ目。勉強が嫌。2つ目。プリントが多い。3つ目。教室移動が嫌。4つ目。支援級は人が少ないから嫌。5つ目。色々言われるのが嫌。6つ目。みんなは放課後デイサービス行ってない。7つ目。昼休みがないのが嫌。(懇談があって午前中で学校が終わるため)とのこと。みんなと身体を変わりたい。という息子。息子なりにみんなとの違いを感じて色々と思うところが
二人目問題、、みなさんどうしますか?我が子が生まれる前は何となく二人くらいはほしいかな〜なんて思っていました我が子が生まれ、一人では手に負えず大変な日々を過ごしすっかり4歳ですまだまだ手に負えないのですが、意思疎通が少しずつとれるようになってきたこともありまた考えるように二人目も障害児かもしれない、障害児じゃなくても兄が障害児で将来を背負わせてしまうかもしれない、本音としてはこわいなあでもこの子にとってはすごく良い刺激になることは間違いないなって思う心の余裕があるかと聞かれると
「キャリアウーマンのママ」が発達グレーゾーンの息子くんのありのままと向かい合うことが難しい…とケースがありました。ある日急にご主人のアメリカ転勤が決まり、アメリカの学校文化に入っていく前後のお話です。初めてのこと、慣れないことにパニック状態になってしまう息子くん…。学校関係者はみな心配をしました。案の定、アメリカに行く不安から学校では毎日パニック状態を引き起こす日々。あまりにも苦しい状態なので、お母様にももちろん連絡します。お母様も某大使館勤務のバリキャリです
たまには明るい話を。。。訪問支援サービスを受ける前に療育施設の施設代表の方と話をしたとき『私は障害受容が出来てなくて、最初は言語発達遅滞だけだと思ってて知的障害って分かって比較が止まりませんこの施設に通っている子にさえ嫉妬します』と正直に自分の気持ちを話した因みに自殺未遂をした話もしたが詐欺に遭った話はしなかった←当たり前【精米】秋田県産あきたこまち10kg(5kg×2袋)令和4年産【古代米プレゼント付き】楽天市場3,784円施設代表さんは『娘さんは、
わが子に障害があるその事実を知った時に喜ぶ親など一人もいないと思います。いくら悲しんでも悔やんでも泣いてもどうにも消せないその事実。それを知った5年前の私は、5年後に自分と子どもが笑っている姿を想像することなど到底出来ず、、、毎日毎日元の生活を取り戻すことばかりを考えて思い詰めるあまり、5年頑張って育てたら再び自分の生活を取り戻すために、我が子を犠牲にしてしまおうと恐ろしい計画を企てていたのです。今、こんな物騒なことをいきなり語っている理由は、5年経ってその恐ろしい計画
満開の桜です。(わが家地方の桜シーズンはちょい遅めです)一昨日の朝、通勤途中の次男からLINEで送られてきました。満開の桜の写真に私が最近夢中になっている藤井風くんの「花」の歌詞を付けて送ってくれました🥰次男に勧められて風くんの歌を聞くようになり、すっかりハマりました。ホンマ、恰好いいです。キュンです。次男、通常勤務に戻り1週間が過ぎました。毎日、「ああ、疲れたぁ」と帰ってきます。私が心配しているのは、本人に病識がほとんどないので、オーバ
息子が療育手帳を取ったのは3歳の少し前。ゴリゴリ特性が出てた位の時。理解力がない切り替えが出来ない数字に異様に興味を持ってた頃。場所見知りも人見知りも酷くて児童相談所に入れなくて入口で大泣きして。無理矢理抱っこして入ったものの検査も全然出来ない。検査っていうか親からの聞き取りメイン。でしょうね…って思ってた。この頃は体幹もグニャグニャで自分で靴も履けないし階段も1人では登れない。おしゃぶり依存もあったなぁ。検査結果の数値は教えてもらえなかったけど限りなく重度に近い中度判定。3