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✨洞雲寺✨(真言宗御室派松陽山洞雲寺)松陽山洞雲寺開山の由来徳川譜代の定府大名安部摂津守信盛公は(あんべせっつかみのぶのり)家康、秀忠、家光と三代の将軍に仕えた功績によって当地方の領主として寛永十三年(一六三六年)四千石、後に七千石を拝領、領内十二ヶ村を治め、人心の安定文化の推進繁昌を祈念して、相応の寺院を大檀家として建立する事を発願卍卍半原村、堀切村、大原村の衆力助成を得、淨流寺を建立卍卍正保二年(一六四五年)盆十四日家光公の御小姓組頭で将来を嘱
❖食事は一日二回千日回峰行のうち、七百日までは自利行という自分が不動明王に近づくための修行をする。そのうち百日につき一日だけは、利他行といい、人のために祈る修行をする。七十五日目のこの日、『京都切廻り』をする。この日は比叡山を下り、京都市中四十五キロを行をしながら歩く。多くの人々が沿道にひざまづき、首(こうべ)を垂れて阿闍梨さんのご加持を待つ。不思議にこの日には便意をもよおさないと阿闍梨さんはいう。千日回峰行中でも最高に体調がよいときは何日も便意がない。便そのものが体中にないのだとい
脳天大神龍王院からの階段を、月美結貴さんと共に上がって、蔵王堂までたどり着いた時には、二人ともすっかり息が上がってしまい、ゼイゼイしていました。大峯千日回峰行の阿闍梨(あじゃり)になるには、まだまだ程遠いようです。いや、絶対になれないから(笑)これから向かう予定の吉野神宮は、ここからかなり離れた所にあるのですが、バスは土日だけで、平日は通っていません。月美さんがタクシー会社に電話して調べてくれたのですが、どのタクシーも満席で出払っていて、送迎をするの
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそ管理人Rinkoです。今日は私が大好きな場所、過去世からのご縁を感じている場所、比叡山延暦寺の記事です。比叡山へは16年程前からお詣りに行っています。最近は、根本中堂、阿弥陀堂等がある東塔の方ではなく、いつも無動寺谷へ。毎年八千枚護摩供の法要のときにお詣りに行ってましたが、今年はそのときに行けなかったので、10月に行ってきました。今日は、その2です。(八千枚護摩供のことは、その1に書いています。)
ご覧頂きありがとうございます実は本日、とても貴重な体験を致しました....タイトルにも書いちゃってますが...(笑)光永圓道大阿闍梨様の護摩祈祷を見学し、お加持も受ける事が出来ました!!!!【光永圓道】2003年より千日回峰行と十二年籠山行に入る。2007年10月13日午後1時すぎ、無動寺谷明王堂において行の最難関である「堂入り」に入り、10月21日午前3時頃に満行。堂入りを達成した行者としては、2001年の藤波源信師以来6年ぶり
ご無沙汰しておりますちょっと色々と大変なことも起こり、立て込んだ日々が続いていました。あっという間に秋になりましたね修行日記の方はまったく進んでいなかったのですが、得度→受戒→そのあと遂に伝法灌頂に入壇しました。伝法灌頂の前月には高野山に5日間ほど泊まり込みで教師試験の勉強会があり、各科目において錚々たる先生方から素晴らしく内容の濃い授業を受けました。これは私自身の視野を大きく広げ、また人生を変えるほどの勉強会でした。最後の日に、教師試験とはこれまた別の
✨洞雲寺✨(真言宗御室派松陽山洞雲寺)松陽山洞雲寺開山の由来徳川譜代の定府大名安部摂津守信盛公は(あんべせっつかみのぶのり)家康、秀忠、家光と三代の将軍に仕えた功績によって当地方の領主として寛永十三年(一六三六年)四千石、後に七千石を拝領領内十二ヶ村を治め、人心の安定文化の推進繁昌を祈念して相応の寺院を大檀家として建立する事を発願卍卍半原村、堀切村、大原村の衆力助成を得、淨流寺を建立卍卍正保二年(一六四五年)盆十四日家光公の御小姓組頭で将来を嘱望し
◇人生こそ無始無終の行、、(酒井雄哉大阿闍梨)二千日回峰を満行した、酒井阿闍梨は今、深い感慨の中で、「天台宗に偶然拾われて出家し、行というものにめぐり逢えたからこそ、わしのような『落ちこぼれ人間』もここまでこれたんや」と仏縁に感謝し、「人生こそ無始無終の行」という。「行には、始めもなければ終わりもない。死ぬまで行をやるだけだ。回峰行は人生の旅と同じで、谷もあれば山もある。雪や雨の日もあれば、爽やかな日もある。人生と同じや。そのときそのとき精一杯生きていれば、その人の人生にとってマイナス
☆【外伝】三千日の回峰行を目指した行者正井観順大阿闍梨②あどけないトシ、テイ、リウの三人の童女は、父親との永遠の別れのことを露知らず無心の寝顔をみせていた。一八九四(明治二十七)年四月、猿賀の神宮寺と仙台の仙岳寺の紹介状をたずさえて、覚蔵は黒石を出た。首には、父母と一昨年亡くなった姉のお骨を下げていた。菩提寺の大本山東本願寺に納めるためだった。この行事を終えて、いよいよ比叡山に入った。比叡山では、のちに大僧正として天台宗全体を指導した山岡観澄師の弟子となり、観順と改名、無動寺谷明王堂で修行
茶室の茅葺きかなり進捗してまいりました。仕事でありながら、娑婆の喧噪から離れられありがたや。それにしても、娑婆はどうよ?天台宗尼僧の叡敦(えいちょう)さんが、2009年から去年1月まで、四国にある天台宗の寺の60代の住職から「逆らうと地獄に落ちる」などとどう喝され、繰り返し性暴力などを受けたと訴え会見を行った。(NHKニュース)叡敦さんにその住職を紹介した北嶺大行満大阿闍梨(比叡山で千日回峰を満行)に彼女は助けを求めたが何もしてもらえなかったという。ゆえに、叡敦さんは加害者の住職
人気ブログランキング(再掲)今空海と呼ばれる大阿闍梨その2『密教を生きる』中村公隆(独鈷山鏑射寺)春秋社より抜粋。「今、空海」と云われるほどに、凄まじい修行をされました。水業は50年、しかも冷体温で脈が少なくなるまで。山岳修行は長野県より西の山はほとんど行った。結果、とぶ鳥が落ちた、癌が治った、ダウン症が直った、目が見えるようになった、等と云われたらしい。それと仏門で修行するにもアイデアがいるんだなあと思った。職人にせよサラリーマンにせよ家庭の主婦にせよ、これがあればス
伝法灌頂に入壇を許されるまでは、グイグイグイギュイーンとモーレツな、見えない後押しに流され流されるがままに定位置に導かれた。スポン!思い返せばそのような感じでした。師資相承それは真言密教における絶対的なルールです。お大師さんから、この約1200年有縁の師僧から代々お次第と口伝により脈々と法が伝えられてきました。この世界での師僧は、実に巡り合わせ。お大師さんに繋いで貰わないと最適な師に出会えないと思います。以前、天台宗のお坊さんとの話で『僕は大学
千日回峰行の祖相応和尚像(無動寺明王堂)❖【継報】天台宗「天台宗僧侶の性加害」告発被害女性を動かした「伊藤詩織さんの会見」「安倍晋三元首相銃撃事件」との接点天台宗の寺の住職が足掛け14年にわたって女性を心理的監禁状態に置き、陵辱し続けていた──香川県の小さな過疎の町での驚愕の事態を告発した女性は、2度にわたり、寺からの離脱を試みていた。一度目は寺に引き戻される展開をたどったものの、二度目は脱出。いずれもきっかけは、日本を震撼させた大ニュースにあった。「伊藤詩織さんの性被害告発」と「
【外伝】正井観順大阿闍梨①比叡山の荒行『千日回峰行』、二千日を満行した行者は三人。その中に三千日に挑んだ行者がいた。正井観順大阿闍梨その人である。前回の投稿で、小林隆彰師の書籍から正井阿闍梨の足跡を紹介させて頂いたが、阿闍梨についての文献は少ない。その中で、正井阿闍梨の故郷、青森県黒石市が地元の中学生に向けて「伝記」をつくっているのでご紹介させていただきます。(正井観順大阿闍梨)「大廻りのあじゃりさんがいらはったよお母さん、早うおいで」「はいはい、カンジザイボーサーツ、ハンニャハー
◇不動明王朝の会、、(酒井雄哉大阿闍梨)二回目の堂入りから出堂した、酒井阿闍梨の姿を見て、思わず土の上野に座り込んで礼拝する中年の女性もいた。「昭和の生き仏」の姿に、真言はますます高まるばかりだ。阿闍梨の顔は憔悴して頬がこけ、眼窩は落ちくぼんでいたが、瞳は澄み、表情には人間の顔を超越したような不思議な輝きと静謐さがあった。酒井阿闍梨は、堂入りがすんだ翌昭和六十年三月二十八日から赤山苦行に入った。今度は足の怪我もなく、雲母坂を一気に駆け下り、駆け上り、七月五日に千八百日を満行した。そして六十
火渡り皆様のご参加を心よりお待ちしております。この機会にぜひ一緒に経験し、共に学び、楽しい時間を過ごしましょう。皆様の積極的なご参加をお待ちしています!開運伝道総師◆伝法阿闍梨道庭成心MichiniwaJoshin高野山で真言密教を学び、大日如来様から空海を経て、第51代修験密教血脈伝授者に至る。全国各地の霊場や霊峰において修行を行いながら、弥勒の世の世界安寧のため、伝法阿闍梨として、
皆様も参加しませんか~開運伝道総師◆伝法阿闍梨道庭成心MichiniwaJoshin高野山で真言密教を学び、大日如来様から空海を経て、第51代修験密教血脈伝授者に至る。全国各地の霊場や霊峰において修行を行いながら、弥勒の世の世界安寧のため、伝法阿闍梨として、般若心経を全国、世界各地に普及する活動を行い、また加持祈祷や密教等、修験総本庁にて人々を導く導師も多数育成している。願祈護符開運の窓口阿闍梨道庭成心kaiun21.c
☆【外伝】高倉健と二人の阿闍梨京都に、西村泰治(敬称略)という実業家がいる。酒井雄哉大阿闍梨が二千日回峰行をする時に『京都大廻り』の際に、先導を勤めた人である。その破天荒な人生は、前の記述で紹介したが、酒井阿闍梨に心酔した一人である。通称「ヤッさん」、昭和のスーパースター、「高倉健」の付き人を四十年以上つとめてきた男でもあり、芸能界の裏側を知り尽くした男でもある。令和二年、高倉健七回忌にあたり、ベストセラー・フリーライターである山平重樹が著した、『高倉健からアホーと呼ばれた男西村泰
山藤も満開開運伝道総師◆伝法阿闍梨道庭成心MichiniwaJoshin高野山で真言密教を学び、大日如来様から空海を経て、第51代修験密教血脈伝授者に至る。全国各地の霊場や霊峰において修行を行いながら、弥勒の世の世界安寧のため、伝法阿闍梨として、般若心経を全国、世界各地に普及する活動を行い、また加持祈祷や密教等、修験総本庁にて人々を導く導師も多数育成している。阿闍梨成心さんのプロフィールページhttps://pro
引き入れて、下りたまふ。惟光が兄の阿闍梨、婿の三河守、娘など、渡り集ひたるほどに、かくおはしましたる喜びを、またなきことにかしこまる。ーーーーーーーーーーーーーーー【源氏物語イラスト訳】引き入れて、下りたまふ。訳)車を引き入れて、下りなさる。惟光が兄の阿闍梨、訳)惟光の兄の阿闍梨、婿の三河守、訳)娘婿の三河守、娘など、渡り集ひたるほどに訳)娘などが、来て集まっているあたりにかくおはしましたる喜びを、またなきことにかしこまる。訳)
◇火焔の十万枚大護摩供、、(酒井雄哉大阿闍梨)紅蓮の炎が燃え上がり、酒井阿闍梨が祈禱しながら護摩木を投じると、火焔はさらに天井まで焼きつくすかのように凄まじい火勢でめらめらという音をたてた。「ナーマクサーマンダーバーサラナンセンダンマーカーロシャナソワタヤウンタラターカンマン」信者たちが唱和する真言が、一大合唱となってそれに和する。一つひとつ護摩木に込められた衆生の祈願を声に出して読みあげ、それを火焔の中に投じる阿闍梨の顔は、真っ赤に炎にそまり、さながら生きた不動明王を彷
神様が放つ光の様に輝いて見えます開運伝道総師◆伝法阿闍梨道庭成心MichiniwaJoshin高野山で真言密教を学び、大日如来様から空海を経て、第51代修験密教血脈伝授者に至る。全国各地の霊場や霊峰において修行を行いながら、弥勒の世の世界安寧のため、伝法阿闍梨として、般若心経を全国、世界各地に普及する活動を行い、また加持祈祷や密教等、修験総本庁にて人々を導く導師も多数育成している。天神山龍光院(密教寺院)当院は、加持祈祷
御供え開運伝道総師◆伝法阿闍梨道庭成心MichiniwaJoshin高野山で真言密教を学び、大日如来様から空海を経て、第51代修験密教血脈伝授者に至る。全国各地の霊場や霊峰において修行を行いながら、弥勒の世の世界安寧のため、伝法阿闍梨として、般若心経を全国、世界各地に普及する活動を行い、また加持祈祷や密教等、修験総本庁にて人々を導く導師も多数育成している。開運の窓口阿闍梨道庭成心kaiun21.cart.fc2.com
今から17年前、小林正観さんと京都に旅行に行きました。空海さんにご縁のある場所を旅行するという内容でした。旅行中に正観さんから『空海さんとご縁のある人が今回この旅行に来ました』というお言葉がありました。そして私に正観さんから『ここに来た人は空海さんと縁のある道を進みますよ』と微笑んだのです。当時は、心理カウンセラーの仕事をしていた私です。空海さんと縁のある道と言われても何のことやらわかりませんでした。あれから15年後、まさか真言宗の僧侶、阿闍梨となるとは、、、、まさに空海
◇堂入り①(酒井雄哉大阿闍梨)いよいよ、千日回峰の行のなかでも一番の荒行といわれる「堂入り」である。無動寺回峰では天正年間以来、四十五人がこの「堂入り」を満行してるが、飯室回峰は永く絶えていたばかりでなく、「堂入り」するお堂がなかった。飯室回峰の酒井阿闍梨の堂入りをどうするか、先達会議が開かれた。いくつかの古い書類も持ち出されたが、無動寺のなかに「七百日以降は本流に従うべし」という一項目が記されていた。先達会議の結果「堂入り」八百日目の「赤山苦行」「京都大回り」も無動寺谷で行なうことに決定
こんにちは!4月も終盤ですねいかがお過ごしでしょうか?私は3月末からやけに眠かったり、体がだるくなりやすかったり、、、ブログの更新がすっかり後回しです先日思い立って、神戸市北区にある「鏑射寺」にお参りに行きました獨鈷山鏑射寺(とっこさんかぶらいじ)kaburaiji.or.jp名誉住職が、今空海とも呼ばれる中村公隆大阿闍梨で、真言密教のお寺です。きっかけは、保江邦夫先生が動画や本で中村和尚様のエピソードを紹介されていて知ったのですが、と~~んでもなく凄くて面白い