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こんにちは昨日は築地本願寺へ行き無事に6名分のお墓の申し込みを終えてきました。とても厳かなお寺で安心して眠ることが出来そうですよかった~ひと安心……時間があったので築地市場へ探索に行きました。まあ~なんと外国人の方の多いこと……日本人を探す方が難しいかもね~笑市場が豊洲に移転してしばらくは静かな様子でしたが今は活気にあふれていて平日ですが相当の人出でしたね。ランチは「つきぢ神楽寿司」で頂きました。姉は海鮮丼……私はお好みにぎり……お寿司は赤酢飯でした。
こんばんは♪くりたまです。山寺立石寺の納経堂『山寺立石寺の納経堂』こんばんは♪くりたまです。山寺日枝神社と根本中堂『山寺日枝神社と根本中堂』こんばんは♪くりたまです。山菜天ざる蕎麦『山菜天ざる蕎麦』こんばんは♪くりたまです。…ameblo.jpからの続きです。奥之院へ向かう参道にあるお茶屋さん冷え冷えの「つったいタオル」を買いました冷え冷えでめちゃ気持ちいい〜後ろを振り向くと、そこには絶景山寺奥之院1015段の石段を登った先にあります。奥之院の燈籠大佛殿金色の阿弥陀如来
法金剛院(ほうこんごういん)は、平安初期の天長の頃(830年)に右大臣・清原夏野が山荘を建て、死後に寺として双丘寺(ならびがおかでら)と称し、嵯峨、淳和、仁明天皇の行幸を仰いだ。次いで、文徳天皇が天安二年(858年)に伽藍を建て、定額寺に列し天安寺とされた。その後、平安末期の、大治五年(1130年)に鳥羽天皇の中宮・待賢門院(たいけんもんいん)が天安寺を復興し、法金剛院と改めた。そして、弘安二年(1279年)に円覚により再興され、律宗に改められた。当初は、池の西に西御堂、南に南御堂、東に女院の
秋田の山奥からこんにちは!僧侶を目指す3児の母日本海蓮照です🙏自然豊かな自宅で色んな催しをしています🍙おうちコミュニティスペースむすび舎*サロン山神※ただ今、サロン無料開放中です!!こちらから『僧侶への道シリーズ〜得度講習会編②〜』秋田の山奥からこんにちは!塩生活を実践しながら僧侶を目指す“しぉーりょ”(塩侶)日本海蓮照です🙏自然豊かな自宅で色んな催しをしています🍙コミュニティスペ…ameblo.jp進んでいなかったんですけど😂↑講習会の2日目、の一週間後に「得度考査
こんばんは。発行者の月読です。今日か明日中にでも政府から緊急事態宣言が出されそうな雰囲気ですね。何だか今さら感がぬぐえないのですが、政治家という職業は才能が有る者が選ばれてやっているワケでは無く、たまたま選挙で当選した人間の集団がやっているだけですので、過度な期待はするだけ無駄なんでしょうね。これを読んでいるあなたは政治家の言葉よりも自分自身の考えと直感を信じて行動するコトを強くオススメいたします。さて、世間では疫病(えきびょう)から守ってくれるという『アマビエ』さんが流行っております
本堂に上がり、二尊(阿弥陀如来、釈迦如来)と二十五菩薩来迎図を拝観しました・・・・・・写真1(↓):二尊院二十五菩薩来迎図のパンフレット室町時代の宮廷絵所の絵師、土佐行広が描いた二尊院の寺宝「二十五菩薩来迎図」全十七幅の掛け軸が、約370年ぶりに修復・調査が行われ、ついにこの秋に御開帳となりました。多くの来迎図では阿弥陀如来を中心に二十五菩薩が一幅の中に描かれますが、二尊院では阿弥陀如来以外の二十五菩薩と地蔵菩薩、竜樹菩薩を加えた二十七菩薩が十七幅の掛け軸に描かれ、西
皆さんこんにちは。皆さんも一度はやったことがあるのではないでしょうか。あみだくじです。私達が知っているあみだくじは上から下に縦線を平行に人数分だけ引き、それぞれの縦線の間に任意で横線を足していくという形が一般的ですが、実は現在のあみだくじの形式は後から登場したというのをご存知でしょうか。あみだくじが人々の間に広まったのは、室町時代になります。あみだくじが生まれた室町時代の頃は現在のあみだくじとはまったく違う形式でした。こちらが室町時代のあみだくじです。現在のように上から下になぞって
大人家族で福井旅行②最初は永平寺永平寺といえば、高校時代、剣道部の友人がよく「永平寺で坐禅したい❣️」と言っていて、「そんなに⁉『永平寺』って一体どんなお寺なんだろう⁉️」とずっと思っていました。それから◯十年。遂にその永平寺に行くことになりました〜😍💓こちらが入り口です。わぁ!木が高~い‼️◯十年前ならもう少し木が低かったかも🤔門の脇に永平寺全景図。この時は「ふぅ〜ん。『永平寺』って随分な山の中に沢山の建物が点在しているんだなぁ
買い物に出かけたついでに久しぶりに関の善光寺に寄ってみました。参道の青もみじも鮮やかで小さなピンクの花も付いていました。手水を使ったあといつもはスルーする大日堂にお参りしました。なんで今まであまりお参りしてこなかったのか記憶が定かではないのですが「五郎丸ポーズ」で有名になったときにいつも人が多くてスルーしていたのがクセになったのかしらん。大日如来さまと同じ手印でお参りしてみたらなんだか連帯感が生まれてうれしくなりました。夜になってもふと思い出すぐらい大日如来さまと繋
四年以上かかって、ようやく満願した新西国巡礼でしたが、最後のお寺で満願証をいただくことができず、改めてお参りに出かけることになりました。京都市内のお寺に電話して、満願証を書いていただけるか確認しました。満願証のないお寺もあるので、ご注意ください。姪っ子の大学合格が叶ったので、天満宮にお礼参りしました。御朱印は直書きを希望しました。いよいよ満願証ですが、新京極の中なので歩いて向かいます。その手前で、以前からずっとお参りしたかった本能寺に寄りました。右手奥に信長公廟があります。天気は雨で
こんにちは。ジャスミンです。今日は図書館記念日だそうです。図書館で最後に借りた本は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう最近図書館に行ってないです!今日はじゅん散歩を観ていたら、SixTONESのジェシーさんが出ていました!ちょうどジュリエットさん、emiriさんとLINEで打ち合わせをしていた時でした。高田純次さんとジェシーくんの掛け合いが、面白くて、歳が離れているのに仲良しな雰囲気でした!ちょうど芝公園、増上寺を紹介していました。三解脱門の中を見せて
東京国立博物館で開催中の「特別展「法然と極楽浄土」」へ行って来ました。平安時代末期、繰り返される内乱や災害・疫病の頻発によって世は乱れ、人々は疲弊していました。こうした状況にあって、浄土教を大成した中国唐代の善導の教えに接した法然は、1175年、阿弥陀仏の名号を称えることによって誰もが等しく阿弥陀仏に救われ、極楽浄土に往生することを説き、浄土宗を開きました。その教えは貴族から庶民に至るまで多くの人々に支持され、現代に至るまで連綿と受け継がれています。本展は、法然による浄土宗の立教開宗
十三仏の衣の模様を入れました。菩薩様は、丸紋様。如来さまは、細かい模様を。まるまるまる…。結構根気が…そして中央の阿弥陀如来さまは、麻の葉模様を。目がチカチカ。1度にはどうしても書けず、何回かに分けて書きました。そして裏彩。中央を藤黄色。外側は美藍。所々に紺色を。今回は私の中のイメージが割とハッキリしているのだけれど…迷わず描きたいものです。
近隣の「あじさい寺」情報を見ていたら、我が町「池田市内」にもあることが判明したので、早速昨日訪問してきました。そこは「久安寺」(大阪府池田市伏尾町)というお寺で、お寺の正面には、室町時代初期(応永年間1392~1428年)に建築された「楼門」があり重要文化財に指定されていましたので、もう随分前に訪れたことがあったのですが、寺院内に入るのは初めてでした。重文「楼門」重文「楼門」重文「楼門」(唐様建築が採り入れられている)「久安寺」は「花のお寺」を標榜されていて四季折々の花が
悠人さんのブログ句会悠々自適に参加しました。4月の【漢字席題】の部「作・発・輪・来・根・線」では、輪と来がパッと目に入って、脳みそは仏教系一色になった。千年をまどろむ阿弥陀如来、春阿弥陀様は三昧定にお入りになっているので眠気と戦っているワケじゃないんだけど、煩悩まみれの我らに南無阿弥陀仏を十念すれば良いと言ってくださっているので、その大きな心の十八願におすがりする思いを込めて、親しく「まどろむ」とした。【課題】の部季語を離して使う、ストップ・モーション兼題:当期雑詠
今晩は。今日は雨晴れの休みでした。明日からは一週間の勤務で私のゴールデンウィークは何処へ……。今日まで本堂が御開帳されている堺市美原区の黄檗宗(禅宗)法雲禅寺にお参りさせて頂きました。緣起黄檗三傑の一人、慧極道明禅師によって一六七二年に開山されました。前身は弘法大師開基の神福山長安寺と称する真言宗の大寺院でしたが、元和年間に西除川の氾濫で流失。その後、一六七一年に曹洞宗の僧、宗月が霊夢によって地中より観音像を掘り出して草庵に安置し、翌年慧極禅師に来住を請い、寺を委ね
おはようございます✨今日もこのブログにお立ち寄り下さり本当にありがとうございます✨年末に頂いていた切り絵等が完成して今月末には発送出来るはこびとなりました✨ありがたい✨🙏🙏🙏前回のブログにもいいねやコメント、フォローと本当に心から感謝です✨🙏🙏🙏『水瓶座新月のランチ会と私のこれからの人生の野望(笑)の巻(*´˘`*)♡』おはようございます✨今日もこのブログにお立ち寄り下さり本当にありがとうございます✨前回のお誕生日のミラクルいっぱい✨のお話にも『”***HAPPY***…am
今週末の横浜旅行で、鎌倉の大仏を拝観させていただく予定だが、近くにも、布袋の大仏(愛知県江南市)が鎮座していた。ちょっと調べてみたら、大きさは、鎌倉の大仏約13m奈良の大仏約15m布袋の大仏約18m有名な、鎌倉の大仏や、奈良の大仏より大きい。近くの立て札によると、43歳のときに夢のお告げがあり、一個人で建立したそうだ。全て手作りのコンクリート製で、日本一の大きさと書いてある。愛知県東海市にも聚楽園の大仏があるが、大きさは約18.8
ブログでもご紹介した九品仏浄真寺の4年に一度のおめんかぶりと若かりし頃住み、息子慎太郎を授かった等々力の町。ここにある等々力不動尊をご案内いたします。お時間によっては等々力不動尊の後、玉川神社もご案内いたします。第3回大人の遠足九品仏浄真寺おめんかぶりと等々力不動尊を訪ねて2024年5月5日日曜日10時30分〜15時大井町線九品仏駅改札口集合自由が丘から1駅です。おめんかぶりは11時からです。とても美しいお寺です。お参りして、九品仏駅付近で昼食後等々力不動尊
こんにちは♪開運サポーターの葵優佳里です♪先日大好きなお寺、九品仏の浄真寺にお参りしました。参道を進むと、なんか自分についている色々なものが1枚1枚剥がれ落ちていくような氣分になります。なんだか、氣持ちいいなぁとついつい言葉に出てしまうような感覚。総門をくぐり山門(仁王門)へ。力強い仁王様が迎えてくれます。躍動感ある仁王像です。本堂前のシロサギさんの前に着くころには、いらないものが全部落ちてスッキリとした自分になっているような氣がします。氣のせいかもしれませんが…で
こんばんは✨初めての夜投稿かもしれませんいつもご訪問下さりありがとうございます(。-人-。)長い間更新していなかった五劫さままとめ記事ですが何度かコメント欄から情報を頂いたり新たな五劫さま情報もありますので今回改めて更新させて頂きます^^R6年4月16日㉓大光寺を追記いたしました。情報ありがとうございます✨五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)その始まりは金戒光明寺さん全てが衝撃的でした。。。まず仏
今日の東京は温かな晴れの気候です。絶好の行楽日和。いえ、今日も絶好のお寺日和です昨日から、お彼岸の真っ最中ですからねさあ、法話に参りましょう看板の裏面に回ってみると・・・。う~ん。形あるものは必ず壊れる。諸行無常の掟です今日の御講師は、昨日に引き続き、愛媛県今治市称名寺の龍田智教(たつたちきょう)師です。※青字が龍田師の言葉の要約です。<倶会一処>お釈迦様がお説きになった阿弥陀経というお経に、倶会一処(
九品仏浄真寺くほんぶつじょうしんじ九品仏浄真寺令和6年初詣九品仏駅前から続く参道テクテク👣テクテク👣あ、可愛らしいお迎えがいつもの黒白ハチワレちゃん横を向いてしまってこっち見てくれないシッポが可愛いキジトラちゃんは眠そうです正門を通ります閻魔堂先日薮入終わりましたねお賽銭を入れて閻魔大王にお言葉をいただきます自分は無力でも人のために何かできる…的なお言葉でしたそして観音堂へ初観音です合掌今年はいつか観音堂の中にも入ろうと思います本堂・龍護殿
奈良・紀寺璉珹寺のご本尊阿弥陀如来立像のご開扉が始まりました。光明皇后をモデルとして制作されたという裸形の女身の仏様です。以前は50年に1度の袴のお召し替えのときにご開扉されていましたが,今は毎年に行われます。今年の5月1日は去年と違って小雨ふる肌寒い日,阿弥陀さまもびっくりされたのではないでしょうか。あわせて作品展が行われ,拙作も展示していただいています。皆さまの作品を拝見した後,庫裏でお茶をいただきました。4つのメニューから選んだのは「甘木茶」,オランダのお茶,根っこから出すの
今日の東京は夏日です。まだまだ、日中に限っては、半袖で十分です11月のお寺の参拝カードです。カードの裏面ですお参り後は聴聞です。今日の御講師は、広島県福山市崇興寺の枝廣大智(えだひろだいち)師です。※青字が枝廣師の言葉の要約です。<手の中に><今日のご讃題:テーマ>つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには、往相(おうそう)、二つには、還相(げんそう)なり。親鸞聖人は著書の「教行信証
おはようございます☆寒い日が続いておりますが、今日は気温が上がるようです(^_^;)今日は仏像のお話し☆仏さまの手を間近でご覧になられたことがありますでしょうか?仏さまにもよりますが、よく見ていただくと、私たちの手とは違う特長がある場合があります。阿弥陀如来座像・清瀧寺蔵写真は阿弥陀如来ですが、手をよく見ていただくと、じつは水かきのように指と指の間に膜があるのです。これは『手足指縵網相』(しゅそくしまんもうそう)という仏さまのお姿の特長のひとつで、もらさず衆生を救いとるという願
法然院(ほうねんいん)は、左京区鹿ヶ谷にある浄土宗系単立の寺院で、山号は善気山、本尊は阿弥陀如来です。元は浄土宗であったが独立し、現在は単立宗教法人でです。正式名は「善気山法然院萬無教寺」、別称には「本山獅子谷法然院」があります。寺の起こりは鎌倉時代に法然が弟子たちと共に六時礼讃行を修した草庵に由来するそうです。江戸時代の1680年に、知恩院の38世である萬無が法然ゆかりの地に念仏道場を建てることを発願し、門弟の忍澂と共に再興したといわれています。本堂は1681年5月に客殿として建立されまし
安楽寿院(あんらくじゅいん)は保延三年(1137年)に鳥羽離宮の東殿に鳥羽上皇が、仏殿を建立し、覺法法親王(かくほうほっしんのう)を導師に落慶したことにはじまる。保延五年(1139年)に、本御塔(ほんみとう)と呼ばれる三重塔が建立され、続いて九体阿弥陀堂、焔魔堂、不動堂、等が建てられた。その後、保元元年(1156年)に、鳥羽法皇(上皇)が安楽寿院御所崩御され、本御塔(三重塔)に葬られた。また、境内に隣接して、鳥羽天皇安楽寿院陵および近衛天皇安楽寿院南陵の天皇御陵ある。*鳥羽離宮は、白河天皇
さてさてなぜ、毘沙門天と不動明王はセットなんでしょう?調べてみました!《この姿勢はコシニヨクナイからだめ~www》まず、仏像についてです上層界から、如来・菩薩・明王・天となり・如来=悟りを開いたもの「如来」釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来など・菩薩=悟りを得るために修行するもの「菩薩」聖観音、十一面観音、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩など・明王=修行するものを煩悩から護るもの「明王」不動明王、降三世明王、軍荼利明
こんにちははじめましてなむなむHappyChurchまりこです。お寺に嫁いで30年、自然が豊かな地域で暮らしています。*自己紹介の続きです。私は3人姉弟➕両親という核家族で、仏教やお寺とは接点がなく育ちました。付き合っていた当初、夫を知る人から「あの人お寺の跡継ぎやよ」と言われたことがあります。でもその時の私はピンと来なかったのです。はて?さて?、、、という感じでした。。。。今なら分かります。お寺は大変だよ、結婚するのは考えた方がいいよ、大丈