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年末にリクエストがあったので、今回は「新日本プロレスの現在・過去・未来」を分断させてしまった、この“事件”に迫ってみたい。当時の背景を探る上で、長州力と前田日明の出自を避けては通れない。つまり「在日韓国人」というキーワードだ。長州は「二世」、前田は「三世」である。私自身は在日の友人もいるせいか、さほど抵抗はないのだが、昭和の時代、プロレスラーに限らず芸能人やスポーツ選手などの“有名人”が出自を明かすことは少なかった。(それは現在でも同様なのかもしれないが)それだけに、特に在日は「同朋意識」
このところ連日、アメブロさんから「あと1日で有効期限が切れるクーポンがあります」なる通知が来ます。うちだけでしょうか?有効期限が切れると使用できなくなるんだそうです。でもハッキリ言って興味がない。マンガそのものが嫌いなのではなく、いまの私がマンガを読む気分ではないということなんですが。したがってこの手のお知らせはスルーなんですけど・・・・・・有効期限が切れると急かすわりに、おんなじようなものが毎日のように来るのはどういうことか?まるで拡声器ごしに「早くしないと行っちゃうよ~」と言いつ
2022年6月9日(木)〈Eテレ〉📺️おじゃる丸(再)▽20ー11:本田きれる【初回2017年4月27日(木)】▽脚本:坂井史世▽絵コンテ・演出:牛草健▽作画監督:渡辺はじめ▽原画:広江克己・吉田光昭▽動画:山田論・小吹唯翔・カズマの小学校の担任(たんにん)である、熱血教師(ねっけつきょうし)の本田先生はこまっていた。道ばたの垣根(かきね)にトレーニングパンツを引っかけて、腰(こし)のゴムが切れてしまったのだ。これはまずい!早く家に帰って妻(つま)の朝ちゃんに直してもらわねば
ここから先は、今私が記憶している出来事の中で、これは言っておきたいと思う事を、思いつくままに、書いて行こう。あくまでも、書きたいことを書くので、読まれる方からすれば、物足りなさを感じたり、不快な気分になるかたもいるのだろう。その辺は私的なblogだと云うことでお許し頂こう。とにかく、戦犯は誰?的な物は書くつもりが無い。それでは何故、内容の大半をあたかも永島勝司氏がWJ崩壊の一番の戦犯だとでも言うかのような書き方をしているのかと思う方も居ると思い、改めて事情を説明しようと思う。彼はプロ
2000年4月7日、新日本プロレスは久々にゴールデンタイムで放送。「橋本真也34歳、小川直也に負けたら即引退スペシャル」と銘打ち、世間的にも盛り上がりを見せていた。私も引退を賭けるということは、おそらく橋本が劇的に勝つのだろうと思って観ていた。ところが、小川の必殺技STO連発で橋本は立ち上がることができない。両目が開いていたので意識はあったと思うが、立てない。無情にもレフェリーのカウントが入る。「立ってくれ橋本!」と辻アナも半泣き状態だ。重労働やスポーツで経験
(藤波名勝負特選108戦より)■最初の数え唄●1982年10月22日最初の対戦。若さあふれる気迫の試合●藤波vs長州両者の感情が先走って、試合にならなかった。なんて誰が言う?「実は、ちゃんとすばらしい試合をしています!」しかも「両者のそれまでの対決より激しい内容の、新しい闘いに」▼1982年(昭和57年)10月22日広島・広島県立体育館60分一本勝負△藤波(20分34秒・無効試合)長州△▼試合について▼10月8日の仲間割れ以来、待望久しい初対決
俺達のプロレスラーDX第122回男は黙って飄逸に忠義を往く~日本最高の職人レスラー物語~/保永昇男シリーズ職人レスラー②日本トップクラスの職人レスラー・ヒロ斎藤はあの日のことを忘れない。長年、日陰を歩んでいた"職人"の晴れ舞台。1991年4月30日、新日本プロレス・両国国技館大会。「第二回トップ・オブ・ザ・スーパージュニア決勝&IWGPジュニアヘビー級王座決定戦」"職人"の対戦相手は"ジュニアのエース"獣神サンダー・ライガー。両国国技館というビッグマッチで初めてジュニア戦士が
2000年6月30日、横浜で試合がある日、リングサイドで長州力と佐々木健介と越中詩郎がトレーニングをしていた。7月30日に横浜アリーナで長州力VS大仁田厚のシングルマッチが決定していたが、大仁田はまだ、電流爆破マッチをやるという確かな答えを新日本プロレスからもらっていなかった。大仁田としては、長州と普通のルールで試合をする気はないし、長州が勝つに決まっている試合では興行的にもマイナスだ。電流爆破マッチという大仁田の土俵なら、まだどうなるかわからないと興行的にもプラスといえる。
世の中には、多くのプロレスファンがいるもので「藤波と言えばさ、長州との対戦、すごかったよね~」につづいて、で、どっちが勝ってるの?う~ん、ある意味、いまさらなんですが、藤波と長州の対戦は、どっちが勝っていたの?とよく聞かれます。それだけ、インパクトが強く、藤波と長州の対戦は、どっちが勝っていたの?多くの方は、やっぱり長州でしょう?と言います。むむむ。で、ここで、改めまして、藤波・長州全対戦から●シングルマッチ全記録をお届けします。なお
待ち合わせの時間まで少し時間があったので寄ってみた。スレンダーと普通体型の間位のスタイル良い小綺麗な感じの女性が2人。姉妹かな?って思うくらい顔が似てる。日本語も上手い。と全く喋らない長州力が1人。オイルは要予約と書いてあったのでタイマッサージを選択した。隣で施術中のお姉さんのおしり柔らかそうだなって思いながらマッサージ受けて、自分をマッサージしてくれてるお姉さんのしりも足に触れて柔らかくて気持ちいいなと思った。マッサージもしっかりやってくれて気持ちよかった。当たり前だけ
2004年2月29日、両国国技館でWJプロレスの長州力とZERO-ONEの橋本真也がシングルマッチで激突した。この前年、2003年11月18日、橋本がゼロワンの道場で記者会見を開いているところへ、私服姿の長州が現れたので、一瞬にして緊張した空気に変わった。橋本も立ち上がり、長州と向かい合う。そして、あの「またぐな事件」と並ぶプロレスサイドストーリーの傑作「タコこら問答」が勃発。長州が怖い顔でいきなり怒鳴りまくった。「何がやりたいんだこらあ、紙面飾ってこらあ!何がや
長州が酔ってほんとうのことを話だした貴重な証言。カールゴッチと坂口征二が戦ったら坂口が勝ってたと断言してますね(もちろんガチで)。側で坂口の強さを見ているものだけが分かる本音でしょう。玄人(アマチュアで格闘技実績あり)のレスラーは坂口の強さを強調します。反対に素人のレスラーは坂口の強さを中々認めない。自分たちがやってる極めっこが全てと思っている為そんなスパーリングをあまりやらなかった坂口を認めるわけにはいかない。猪木はどう思ってたか分からないですが、山本小鉄、前田、佐山、藤原などは坂口が強か
[挑戦表明とマッチメイク]2005年10月22日、タッグの試合で勝利を収めた蝶野正洋と天山広吉がリング上で、棚橋弘至と中邑真輔が保持しているIWGPタッグベルトへの挑戦を表明。この様子を裏で聞いていた長州力が、控室へ戻る途中のバックステージで二人に直撃。そこに居合わせていた平田淳嗣をも巻き込んだ問答が繰り広げられました。背景としては、マッチメイク権すなわち対戦カードを決定する権利を有する現場監督というポジションに復帰していた長州が、マイクアピールという手段を以って強引にカードを取り
新日本プロレスの試合で忘れられない光景がある。1994年8月5日、両国国技館。G1クライマックスの公式戦で長州力VS武藤敬司という好カードが組まれた。長州力がサソリ固めを掛けようとした時、武藤敬司は脚を掛けて長州力を倒し、グルリと回転して足4の字固めに切り返した。すると、長州力が「バカテメー!」というような顔面蒼白の怒り顔で武藤敬司の膝のサポーターをつかみ、死にそうな苦悶の表情。ロープまで距離がある。武藤敬司は天井を向いて「あああああ!あああああ!」と絶叫しながら首を左
VS魂でLINEの友達の人数のランキングをやってたんだけど、芸能人だから多いの??!あまりにビックリしすぎて感覚がバグりました笑前回放送したとき第3位バイきんぐ小峠さん1370人第2位武井壮さん1676人第1位NONSTYLE井上裕介4046人お友達ってそんなになれるんだ~井上さ
2001年5.5福岡ドームのメインは、長州力、中西学VS小川直也、村上和成。ついに禁断の交わりが実現した。先に入場したのは小川と村上だが、何と謎の白覆面が一緒に入場して来た。身長と体形からいってアントニオ猪木ではない。そして、劇的なパワーホールで堂々と花道を歩いて来る長州と中西。二人は並んで歩いて来た。睨み合う4人。小川の目が危ない。長州を鋭い眼光というか、殺意の目で睨みつけている。あの99年1.4の時に、長州に顔面を殴られたことを小川は忘れていない。タ
大昔から、さまざまな伝説、言い伝えの多い大手町の将門の首塚(将門塚)が現在、工事中と聞いて、東京駅に降り立ったついでに見物しに行ったら本当に工事中だった。今年は「新皇」こと平将門が没した940年から1081年後。1961(昭和36)年の第1次工事から数えて、第6次の工事にあたるのだそうな。工事中の将門塚は白いフェンスで囲われており、中に入ることものぞくこともできない代わりに、史蹟将門塚保存会によって、フェンス横に参詣する祠と賽銭箱が設置されていた。26年前(1995年)の4月
1987年8月19日、20日に新日本プロレスは両国国技館で興行を行いました。それが、「サマーナイトフィーバーイン国技館」うわぁ〜沢山の日本人レスラーだけの大会だね初日のメインカードは、アントニオ猪木マサ斎藤坂口征二藤原喜明星野勘太郎vs藤波辰巳長州力前田日明木村健悟スーパーストロングマシンこれはイリミネーションマッチで勝ち残り方式でした。(リングアウトはリングの外に両足がついたら負けというルール)ところが…マサ斎藤が出国のトラブルで来日出来ず…代わりに出た
2001年1月4日東京ドームに、橋本真也緊急参戦決定!相手は怨敵、長州力。急転直下とはまさにこの事か。その背景として、全日本プロレスとの対抗戦に難色を示していたオーナー猪木の意向…ドーム大会の前売りが伸び悩んでいる報を受けてのテコ入れのため、橋本投入を起爆剤とする狙いがあった。らしい。だがここまで縺れに縺れた両者の関係を考えれば、名勝負はおろか、まともな試合になるかすらも危ぶまれる危険なマッチメイクに思われた。さらに7月の大仁田戦でみられた長州のコンディション不良も気になる。となると、どち
藤波さん、YouTube「ドラゴンちゃんねる」で「ドラゴン・ストップ」を語りました。■特報■藤波さん、YouTube「ドラゴンちゃんねる」で真相を語りました。あの「ドラゴン・ストップ」を来る12月1日代々木で棚橋選手と一騎打ちで話題騒然の藤波さんですが、突然、藤波さんのチャンネル。「ドラゴンチャンネル」で、「ドラゴン・ストップ!」について真相を告白!?【今だから言える】プロレス史上世紀の珍事件!?ドラゴンストップの真相を本人が明かす!「我々は、◯し合い
[平成維震軍興行(昼興行)]1995年2月12日、後楽館ホールにおける新日本プロレスの平成維震軍興行(昼興行)において反選手会同盟・平成維震軍の越中詩郎に呼ばれる形でカルガリーからの海外武者修行から帰ってきた天山広吉がリングに登場。越中から共闘を持ちかけられるも、NOの答えを突き付けるべくモンゴリアンチョップで呼応。天山は、同じく一匹狼であった蝶野正洋との合体を果たしヒロ斎藤も加えた「狼群団」の結成へと至ります。さらに上記興行のメインイベントは、本来越中詩郎、後藤達俊、ザ・グレ
長州力の定番テーマ曲「パワーホール」。ほかのプロレスラーが、節目でテーマ曲を変える例もたくさんある中、金曜夜8時のワールドプロレスリング大盛況時代から全く変わっていない名曲。変えてないというよりは、長州の性格上、テーマ曲へのこだわりがないのかもしれないが…!この曲は、1980年にキングレコードから発売された初の新日本プロレスのミュージックアルバム『新日本プロレス・スーパー・ファイターのテーマ』に収録された。このアルバムには、テレビ朝日のテーマ曲と13人のレスラー入場テーマ曲が収録されているが
先日ブログにアップしたレイスvsアンドレのNWA世界戦で、レイスがアンドレをボディスラムで投げてますが、こんな動画を発見。アンドレをボディスラムで投げたレスラーたちをまとめたものです。この動画にラインナップされているレスラーは以下のとおり。①ストロング小林②ブッチャー・バション③ハルク・ホーガン④スタン・ハンセン⑤カネック⑥カマラ⑦アントニオ猪木⑧長州力⑨ビッグ・ジョン・スタッド&ケン・パテラ⑩アルティメット・ウォリアー小林とバションはアンドレ・ザ
【新日】スーパー・ストロング・マシン引退「悔いのないプロレス人生送れた」スーパー・ストロング・マシンが引退表明。近年、試合に出場する機会がめっきりなくなりましたが、正式に表明したんですね。若手のころの平田時代も何度か試合見たことありますけど、やっぱりインパクト大だったのはストロング・マシンに変身して凱旋帰国してからです。マシン軍団の登場は、1984年8月開幕のブラディファイトシリーズ。このシリーズのあと、維新軍団+αの大量の選手が離脱しジャパンに移籍するんですよね。あ
1982年10月8日、東京・後楽園ホールで事件は起きた。私は、この日この時、ここにいた。メインはアントニオ猪木、藤波辰巳、長州力VSアブドーラ・ザ・ブッチャー、バッドニュース・アレン、SDジョーンズの6人タッグマッチ。カード的には普通の試合である。だから、まさか日本プロレス史に残る大事件の歴史の証人になれるとは、夢にも思わなかった。安定した馬場・猪木時代から激動の日本マット界へ変貌を遂げる、その扉を開いたのは、革命戦士・長州力だ。タッグマッチでは、一番格上のレスラーが最後
遺恨を清算するはずが、凄惨な試合になってしまった。2001年1.4東京ドームのセミファイナルは、長州力VS橋本真也のシングルマッチ・時間無制限1本勝負。小川直也に敗れた橋本は、宣言通り引退を表明したが、二人の少年から始まった百万羽の折り鶴が橋本の心を動かし、引退を撤回。橋本は新日本プロレスのリングに復帰したが、上層部ともめて、2000年11月、新日本プロレスを解雇された。橋本はZERO-ONEを旗揚げして完全独立を果たす。このタイミングでの長州対橋本の対決はあまりに