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西国三十三所札所の醍醐寺の続きです下醍醐の諸堂を一通り詣で、御朱印拝受もしたので、いよいよ上醍醐へ〜しかし、上醍醐の入口である女人堂への道が見つからない😱😱😱なんでぇ〜弁天堂の裏道行ったり、日月門まで戻ったり…20分くらい右往左往😭でも、やっぱりここしかない!封鎖されてる門の横っちょに入口っぽい所がある回転ドアになってて、ドアの向こう側へ一旦上醍醐の地に足を踏み入れたら、下醍醐には戻れない…😱なんか、凄い事になって来たぞ!今一度、上醍醐まで行きたいのか自問する…よし、行く
醍醐寺下醍醐の諸堂巡礼の続きです醍醐寺の縁起をこの辺りでちょっと紹介…真言宗醍醐派総本山寺院の醍醐寺は、深雪山醍醐寺と号します平安時代初期、貞観16年(874年)弘法大師空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音と如意輪観音を笠取山山頂上に迎えて開山し、同山頂付近を醍醐山と命名しました貞観18年(876年)聖宝により、准胝堂と如意輪堂が建立されました醍醐寺は、醍醐山一帯(上醍醐)を中心に修験道の霊場として発展後に醍醐天皇が自ら祈願所とすると共に手厚い庇護を与え、延喜7年(907年
豊国廟の中にひっそりと五輪塔が建っています。豊臣秀吉の墓所へとつながる長い石段の入口の左側奥に本当にひっそりと。気づく人がほとんどいないためか、参拝する人は少ないようです右側の大きな五輪塔は松の丸殿こと京極竜子。その左側に建つ小さな五輪塔は豊臣国松のものです。松の丸殿は京極高吉の娘として産まれ、秀吉の側室となります。もともと京極家は近江源氏の流れを汲む佐々木氏を祖とする家系です。鎌倉時代末期には北条得宗家の御相伴衆として仕えた佐々木道誉(京極高氏)が