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45歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をしてから現在、約1年2ヶ月目。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりです。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこども>
ごきげんよう母の様子ですが、、未だに傾眠傾向が強く起きている時間がほぼありません。。このまま老衰期に入っていくのでしょうかとても不安でそして淋しく・・・ですがそれも人の生きる道無理なく少しずつ受け入れて行こうと思います■昨日からエンシュアを朝昼晩と一日に3缶摂取しています椅子に座らせてグラスを口につけると、、ほぼ眠っているように見えてもグビっグビっと小気味よい音を立て飲んでくれるのが不思議ですグラスはうがいなどによく
夫が食べず、話さなくなってから、16日目。2023年2月28日夫は朝からよく眠っている。いつもより深く眠っている気がする。声をかけると頷くが、目は開けない。昨日の薬を処方された時「翌日まで少し眠気が残るかも」と言われたのでそのせいだと思った。息子の幼稚園のサッカー大会を見に行く予定だったので、1階へ降りてテレビでも見ていてもらおうと思っていたが無理だった。階段までなんとか連れて行ったが、歩幅がかなり狭く、支えないと歩けない。けど、、、結
私は自分のオヤジがずっと短命だと子供の頃から思っていたので(笑)失礼ながらこんなに長くストレスフリーで生きるとは思いもしませんでした(笑)厄年の時に危うく命を落としかけこの8年前?くらいも家族で忘年会という名の外食をしていたときたわいもないことから妹とオヤジの小競り合いが始まり妹の『ほんなら、死んだらええねん💢‼️』と爆弾を放った瞬間嘘のように目の前で意識を失い119番通報。駆けつけた新人さんのモタモタしてる救急隊員にイラッとした妹は酸素をオヤジに付けて
ごきげんよう母は昨日、一週間ぶりにデイに行き今日はまた在宅介護をしています。。母の今の状態を、、傾眠傾向と書いてきましたが調べていくうちに意識障害の方が近いと感じました意識障害のレベルは、、はっきりしている清明からやや朦朧としている傾眠深く朦朧としている昏迷意識がほぼない半昏睡意識が全くない昏睡と四段階に分かれています今の母は、、深く朦朧としている昏迷が多く時に半昏睡状態の時もあり。。ですが、、きちんと呼吸しており朦朧としながら
脳幹出血【18日目】今日も面会へ行った時には目をつぶっていた主人声をかけていたら、ぱっちり開いた👀今までで一番はっきり開いたやはり、私の声がわかる?いつものように手をマッサージしようとお気に入りのブランケット(持ち込み)をめくったら寒がりの主人がまるで「さむーい」と言うようにはっきりと身体が動いた「すごい動くー」と驚いていたら奥さんが来るから、と身体の向きを面会しやすいように変えてくださった時にもよく動いたらしい午前のリハビリでも「動いた!」と驚かれていたらしい自発呼
なんやかんやでもう5月も中旬恐ろしく時間が経つことに恐怖しかあらへん(笑)介護と闘病の伴走の隙間隙間であるときは息抜きの一呼吸あるときはネットでサクッと調べまくる。ここ最近のお題で1番頭を悩ますのがザ☆障害年金の手続きです。これが調べれば調べるほどハードルが高く私の中では刑務所の塀のように聳え立ってるように思えます。まずがん患者さんの症状固定が難しいこと。抗がん剤の副作用には波があるし病状進行による障害年金のタイミングが本当に難しそうがん患者さんで障害年金
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>夫だけに見えている、3人目のこど
お嬢さまを6時40分にトイレに誘ってみると、スンナリと起き上がったので???と思いつつトイレに誘導。すぐに排尿と排便(少〜普通量、軟便)がありました。終わると微妙な時間になっていたので、そのまま朝の身支度をして食事を召し上がって頂いました↑いつもの食事にプラスしてファミマで買った焼き芋を並べました。めっちゃ美味しそうに召し上がってました。良かったです😊で、満足そうに食事も完食!時間があるので仮眠をとってもらいました。30分ほどしてから出発前のトイレ(空振り)パッド交換のみしました
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日明け方5時10分に電話がなる。(4時50分にも一度電話があったみたいだが気づかなかった)病院からだった。「容態が急変しました。今すぐ病院へ来られますか?」と。まず夫の両親に電話をして、子どもたちを起こして急いで病院に向かった。昨日の医師からの話では、今日明日でどうこうなることはないけど予断は許さない、というお話だった。まだ、逝かない
今週の半ばに旦那さんの特養に面会に行って来ました。そろそろ暑くなるので、夏用のシャツをと思い、いつも購入してるネットで購入しました。施設入所に伴い下着からパジャマ、ズボン、上着、靴下など揃えたのですが、ポロシャツ、下着はNGでした。下着や上着は全て前開きでボタンは駄目。固縮があるので大きめの物。探したけど見つからず。前にも投稿したと思いますが、ネットで介護専門のオンラインショップを見つけて今はそこで購入してます。正直お高いです💦入所時に揃えた物は結局処分😭新たに揃えたので倍以上
今日は長姉が恐らく2ヶ月くらい振りに母がお世話になってる特養さんに母に会いに伺う予定なんですが、前にメールで長姉に私も母の面会行くか訊かれまして、私も今日母の面会に伺うつもりでしたが、そう言えば、先日、なぜかうちのご近所の地域包括さんより、地域交流イベント私も参加しないかお誘い頂いてましたので、昨日私母に会いましたし、今日は母の面会行かずに、次女連れて地域交流イベントに参加するので昨日長姉にその旨をメールで伝えましたら、長姉から了解しました。じゃ私が勝手に次の母の面会予約入れても
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月>歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々>要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目>2023年9月9〜28日
45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々もうやるしかない。在宅介護の準備202
夫が食べず、話さなくなってから、17日目。手術前日までのお話は→こちらのカテゴリ2023年3月1日午前7時過ぎ、手術が始まった。本当は2日後に、他の大学病院からも医師が集まり最新技術のもとなるべく脳の大事な部分を傷つけないように手術が行われるはずだった。昨日の今日で、こんなに急激に腫瘍が大きくなるとは。。。「何かありましたらすぐお呼びしますので」と言われていたので待合のロビーで医師や他の患者が自動ドアで出たり入ったりするた
午前中、母がお世話になってる特養さんに母に逢いに伺いましたが、母、今日も起きてテレビを眺めてまして耳元で母に声掛けたら、1回だけチラッと私の顔を見てくれまして、残念ながら母看取り期に入っちゃいましたが母、私の声にも反応するので良かったですで、前にも書きましたが、今の母の居室、利用者さんのおトイレの前にあるのですが、母の面会中、何気無くおトイレの方に目をやるとなぜかおトイレのドアが全開でおじいちゃんが、紙パンツを下げて用を足してました勿論、視線をすぐ母に戻しましたが私としては用
夫が食べず、話さなくなってから、15日目。2023年2月27日近所のメンタルクリニックの初診が翌週末に取れましたが、そこまで待てず少し遠いところにある精神科のある病院へ連れて行くことになった。夫の両親が来てくれてなんとか着替えさせる。以前、便失禁があった時(こちらのブログ→ベッド脇に便失禁)以来、リハパンを履かせていることを、ご両親に伝えた。夫の手を引いて玄関まで連れて行く。私は自分のカバンと上着をとりに一旦部屋へ戻る。夫は玄関で私が来るま
今日のお花シルバープリペットこんにちは!医師事務作業補助者マノアです認知症要介護5だった義母の思い出は亡くなった今となっては大変だったことより笑い話ばかりある日テレビを見ていて犯人はシルバーの車で逃走のニュースに反応してシルバーにも悪い人がいるんだなとぽつり義母は元気な頃シルバー人材センターに登録していて結構なペースで活躍していたのでシルバーと聞けばシルバー人材の仲間たち・・という発想宅急便のことをヤマネコクロトと言ったりご近所の英字の表札のお宅は
なんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送。ここまでの経緯病気発覚、緊急手術までのお話は→こちらのカテゴリ脳腫瘍が見つかった。嘘でしょ?病名発覚。平均余命は14ヶ月手術後、家族の写真を見てもわからない夫ついに夫が喋った!!1ヶ月ぶり!!2023年4月12日手術から42日後あたりこの日は、13年前に死産した双子の赤ちゃんの命日です。夫にも動画でそのことを伝えると、伝わっているかどうかはわからない
脳幹出血【16日目】今日は父も面会についてきてくれたお風呂に入れないけれど今日はシャンプーをしてもらったそうでサラサラでした気管切開してから初めてのカニューレ交換をしたそう次は2週間後だと聞きました午前中に色々お疲れさま!今日も血圧は上が90台でした昇圧剤を入れているけれど昨日よりも量が少なくなったらしい元々、介護ベッドで過ごすことが多くて寝ていると100〜110くらいしかなかった血圧は低い主人脳幹出血って高血圧の方が多いらしいけれど放射線治療や今まで脳梗塞を繰り返し