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入院5日目水曜日。会社はまだ休んでる(本日有給)休みのうちにできる限りのことをしなくては。朝から片付けまくる。無心昨日あと1~2週間と言われた。お葬式は最低限で行うつもりだから、その後少しずつ家に人が来るかも…と予想して。お骨の置き場も作らなきゃだし。とりあえず片付けまくる。捨てるわけではなく、右から左に移動しただけ。納戸はパンパン。午後から役所へ。限度額適用認定証を申請。(健康保険)国民健康保険の人は役所へ。会社勤めの人は会社の健康組合へ申請です。その場で発行して
入院11日目。水曜日。朝5時半前に電話が鳴る「ちょっと状態が悪いので、来てください」子ども達を起こす。土、月、火曜日と会社で仕事をして、だいたい今月分は終わらせた。今日は休みだから、連絡必要ないな…。日祝以外は自由に週1回休みです車で6時過ぎに到着。説明受け、しばらく病室にいたけど、特に変化なし。しばらくすると看護師さんが「落ち着いたようなので、どうします?戻られます?」と。とりあえず帰る。この前もそんな状況だったし。家には7時頃到着。今日は外せない授業あるとい
本日4回目の病院。家にいたのは30分位でトンボ返り。電話したり、ちょっとご飯食べたり。亡くなってしまえば…病院としては早く送り出したいよね。看護師さんが、お見送りしてくださいました。ありがとうございました。1時半過ぎ、葬儀社の方の待つ出口へ。送り出した後、私も車で葬儀場へ向かう。他県から義母と義姉2と姪が向かっている。到着後は怒涛の打ち合わせ。お葬式は焼き場の関係で(友引が入ったり、混んでいたりで)最短4日後。水曜に亡くなり、日曜。葬式の予想人数から始まり案内文の確
おはようございます。5月3日本日お誕生日の方おめでとうございます納棺の仕事を離れて今実感していること、時間が、自由だ!!!人と会うのもいつもドキドキ。電話がいつなるか、これから急に来いとか言われるのか何もかもが落ち着かないのが当たり前だった日々。今とても静かな気持ちと言うか何をするにも自分中心で動ける、スケジュールも思うように組める。これってすんばらし~いつ仕事が入るかわからないというのは実は結構ストレスだったんだなと。そういう部分ではフリ
今日は宮崎市四季通りにある食堂COVOさんをご紹介します店内はL字形のカウンターに囲まれたオープンキッチンハウスワインが充実しているのも特長ですTOP|食堂COVO【公式】(shokudo-covo.com)内装、盛り付け、器…どれをとってもアートしてますカリフォルニアの赤ワインが出てきました
撮りだめしたランチの写真を見ながら半年前を振り返ります月曜日●お客様訪問17件●アルテ大淀の葬儀立ち合い●JOYFITでトレーニング●ランチは朝昼兼用で自宅でとりました残り物系メニュー庭の花を模様替えしましたようやく宮崎にも秋が訪れたようです火曜日●アルテ大淀の葬儀立ち合い●夜は友人の誕生日会を開きました●宮崎ロータリークラブのランチ/宮観この日は久し
この記事は、令和4年10月14日に、お久しぶりね、あなたに会えなくて、あれから何年経ったのかしら〜。お茶だけのつもりが、時の経つのも忘れさせ、あなたのせいで、40日間もブログを、ほったらかしにしていたわ。一体どうしてくれるのよ、ったく。何のこっちゃ🤣と、独り言を言いながら投稿されました。つかえのブログ、わたくし中村は、30年ほどの葬祭業にたずさわる、現職の厚生労働省認定の、天下りのオッサンたち等が、取ってつけた、一切何~の効力もない、🤞一級
葬儀社の説明では、福祉葬(葬祭扶助)に「遺影」「お花」「宗教的な儀式(僧侶など)」はありません。妻を亡くしたばかりの配偶者に「死に化粧」の項目は触れなかったようです。自分で妻の死に化粧を施しました。昔は近親の女性がやっていた。死に水もとりました。御棺の妻には、毛糸のセーターとジーパンを着せた。肌着と靴下、帽子と手袋、巾着にはお経と数珠、好きだったリンゴジュースとお菓子、幸福だった頃の家族の写真を持たせた。葬祭扶助は火葬までが範囲であり、納骨は適用外です。それでも充分感謝しています
こんにちは義母が亡くなったブログにいいねたくさんのコメントありがとうございます本当に励みになり心から感謝の気持ちでいっぱいです。あの怒濤の2日間通夜告別式…主人が喪主でした。義姉の家で義母が亡くなり義姉が訪看さんをすぐに呼びました。しばらくしたら来てくれて義母の死を確認してくれました。そして訪看さんが訪医に連絡をあいにく日曜日当直のお医者さんしかいません。それがもうすでに看取りの依頼が2件も入っていて時間がかなりかかるとのこと医師の死亡診断書がないと
早朝、メイクさんが最後のメイクを整えに来てくれた。前日,担当者の方に棺の中に入れてあげたい物を揃えて欲しいと言われていた。渡せなかった沖縄土産のシャネルの口紅・・・棺の中に入れる事を担当者に伝えたところそれを聞きつけてくれたメイクさんが「渡せなかったと。おしゃったと担当者の者から聞きました。最後にシャネルの口紅をお嬢様に付けさせて頂きました。」お願いした訳じゃなかったのに、一度も付ける事の出来なかった口紅を娘に付けてくれた。
毒母を見送って、看護師さんや医師が来た。死亡診断書も書いてもらった。翌朝、まず最初に葬儀社に電話をした。毒母が指定していた葬儀社があったので、そこへ連絡。諸々の打ち合わせのあと、従兄ふたりに連絡した。葬儀等一式が終わるまで、3日間くらいだったか。別に必要なかったのだが、仏壇の前に仮壇が置かれた上これでもかってくらい花を盛られた。まぁ全部パッケージに入ってるから仕方ないんだが。「イベントに花とか要らないから現金でくれないかな」と言っていた毒母には、
こんばんは。黄斑上膜と白内障の術後、視力もだいぶ出てきました。運転もOKとなりました🎵で、仕事復帰はいつからか、ですが「納棺師」という職業世の中で、だいぶ知られてきましたがまだまだ実際の仕事と世間の認識には差があるということを実感。先生の認識「力仕事ではないですよね?」え?いやいや、力仕事です。てか、力がない人はこの仕事できないデス。ひとりで棺取りもありますし故人様の着替えもありますし霊安室でお休みの故人様をストレッチャーに移したりご納棺の際に手伝った
はじめまして。ヤマモトホノカと申します。ブログタイトルにもある通り、私は元看護師です。現在は葬儀社に勤務しています。せっかく苦労して資格をとったのに、なぜ?と、よく聞かれます。動機は色々あったのですが、ひとつは、「死にたいと思わない場所にいたい」と思ったからです。今日はそう思った経緯をお話しします。(お付き合いいただけたら嬉しいです!)看護師になって10年目、離婚を経験しています。シングルマザーになってしばらく経った頃、眠れなくなり、それからしばらくして
今日からアメブロデビューします藤元一生と申します。1961(昭和36)年生まれの62歳です。宮崎県宮崎市でふじもと美誠堂と言う葬儀社の三代目をしています。創業者・祖父甚市二代目・父寛市妻とチワワの三人暮らしですがそのほかに母、長男夫婦、二男、妹がいます
『義弟の不可解行動』『死亡確認は嫁じゃないらしい』『デパートに寄り道で臨終に間に合わない嫁』『お義母様に触る触る』『涙声の夫』『細胞が癌になるまで10-15年』ht…ameblo.jp『買い回りオススメ千円シリーズ』『胸騒ぎ』『死亡確認は嫁じゃないらしい』『デパートに寄り道で臨終に間に合わない嫁』『お義母様に触る触る』『涙声の夫』『細胞が癌になるまで10-…ameblo.jpお義母様の葬儀なんやかんやと喪主の夫と私と葬儀社で決めていったようやく夫が
今年2月の上野リポートが続きます開山堂を出ますと次なる目的地へ上野恩賜公園にある東京都美術館到着この頃はウスター美術館所蔵の印象派展が開かれていたのですこの美術館は初見です美術館や劇場での音声ガイドは有料ですがレンタルすることをお勧めします作品の理解度が格段に違ってきますよ近年は有名な俳優や声優の声が説明してくれるんです作品は撮影NGなので撮影スポットが
年が明けて1月に緊急入院した父(83歳)。入院転院手術退院再入院転院転院老健入所と駆け抜け、8月22日、父は静かに息を引き取りました。ガン手術を経て要介護2の父の介護にまつわる話です。実家の人物紹介や背景はこちら↓↓↓実家の諸事情を語る私自身のプロフィールはこちら今のポンコツぶりを晒しただけの自己紹介アメンバー申請についてはこちらアメンバー申請について
●死装束。死装束(しにしょうぞく)とは、亡くなった方に最後に着せてあげる洋服です。基本、宗教によって死装束も違ってきます。例えば、■仏教の方は、仏衣や経帷子。■新道の方は、神衣。■キリスト教の方は、洋服やドレス。■無宗教の方は、葬儀社にお任かせか、故人が愛用していた服。■もしくは、最近はエンディングドレス(死装束)を扱うネット店もあります。まぁ、普通は葬儀社との相談で決まり、お任せとなるでしょう。では、私達は死装束については、他に何もする事は無いでしょうか?実は、1つだ
私の周囲の友人知人には、シングルが殆ど居ない。1人だけ居るのは離婚によるシングルマザー。死別はまず居ない。まして結婚・妊娠中にこの地方に越してきたのでこの20年あまりでできた友達は全てママ友。夫が亡くなったあと「あーあ私はこれから絶対的マイナー組少数民族になっちゃうんだな」って思った。醜いアヒルの子のポジション。あの物語は最後は美しい白鳥になるからいいけどね。やっぱりメジャーは強いよ多数派はそれだけで力があるよ。平均寿命よりも何十年も早くに伴侶を喪うようなこんな恐ろし
夫の身体を綺麗にし終わると看護師さんから、葬儀社への連絡をお願いされる。霊安室までは病院提携の葬儀社が院内搬送するのだが、その後は自分で手配した葬儀社へ引き渡すのだそう。葬儀社へ連絡して、お迎えの時間を看護師さんに告げると、病院の提携葬儀社がくるので病室で待つように言われる。娘は留守番の犬達のご飯をあげるため一旦家に帰っていった。義父と義母が病院で亡くなった後悲しむまもなく、病室からすぐ出ていって欲しいとせかされた事を思い出し夫も、すぐに霊安室へ運ばれてしまうのだろうと思いながら、
今年2月の出来事です上野恩賜公園を通り抜けると目の前に国立博物館が見えてきたそこを右折してさらに歩きますこの通りをまっすぐ進むと…第1の目的地寛永寺開山堂に着きました桜の名所のようです山門を潜りますこの頃は梅の季節でした本堂をお参りこの慈眼大師が上野の山
2023.02.12(日)お祖母ちゃん伯母ちゃん中高の友人達店長さん最後のお別れをした翌日家族だけの納棺式最期を看取った家族とケイ君のご両親とボク皆んなが見守る中、さーちゃんは棺に移された。ベッドでは普段使っていた布団をかけていたから、まだ眠っているような気がしていた。棺の中で専用の布団に寝かされた娘を見ていると、改めて娘が亡くなった事に切なくなった。リビングはフローリングだったから、25kのドライアイスの冷気が棺から出て床を湿らせてしまう。介護ベッドを一番低くして棺を
10月25日20時15分母が永眠致しました。慢性心不全でした。心筋梗塞を初めて発症してからそのボロボロの心臓で20年も母は頑張って生きてくれました。その半分の10年間は認知症との闘いでもありました。どの医師からももう打つ手はないと言われていて最後まで自宅で看取ることになっていました。24日未明に胸が苦しくなってからも本人は最初受診を拒否していましたが苦しさのあまり病院に行くことを承諾しました。搬送された病院でモルヒネで傾眠させ苦痛を緩和させる治療を受けました。搬送
葬儀社のワンボックスに乗って、夫の実家近くのセレモニーホールへ。片隅にある、小さな部屋に夫の遺体は安置された。何度も、何度も夫の事を見にいく。死後硬直も始まり、腕や脚の所には、大きな氷と、ドライアイス。鼻の穴や耳の穴、頬にも綿が入っている。寒くないのかな?苦しくないのかな?そんな事を考えた。実母と実兄が到着した。この時、実父は施設に入っていた。到着してすぐに私は、実母と実兄に、顔を見てあげてと白い布を取った。実母と実兄は「D君、可哀想に、可哀想」と泣きながら夫の頬を撫でた。
我が家の菩提寺で有る真言宗智山派の『光雲寺』の事ですが、江別市に有る『老舗』の北野葬儀社『北野華苑』との問題が生じまして、総代の僕らが本日含め3日程解決策を練り、又は出向いてのお話を致しましたが埒が開きませんでした。結論は既に出て居りましたから、先程、『引導』を渡して参りました。当市には以前、大手の葬儀社も無く『殿様商売』てきな存在でしたが、今はベルコをはじめにして大手も2軒、更には家族葬などの中規模、小規模が6軒ほどございます。その様に競争が厳しー中、この様なお話で檀家含め多数の方々
父のお葬式。両親は年金が少なく貯金もないので葬儀は必要最低限でやりたいと思っていて。両親二人で月85,000円(涙)母一人になったら・・・(恐怖)けれど、そんなこんなでオプションで追加して、湯灌の儀を執り行いました。湯灌の「そんなこんな」はこちら↓↓↓『【父のお葬式】湯灌(ゆかん)ってなあに?からの~』父のお葬式の打ち合わせ。両親、義理両親のうちで、私の父がトップバッターになってしまい、わが家が仕
こんばんは。*本件は、エールさんの奥様の同意を得て掲載しています。本日9月19日(火)、エールさんのお別れ会に参列いたしました。入院先病院とご自宅が遠方だったため、ご遺体は、病院近くの葬儀社へご安置され、同市で火葬されました。奥様、お母様のご配慮で私たちの参列が可能となり、九州から来られた近親者の方とともにお別れをさせていただきました。一般で参列させていただいたのは、松竹さんのお友達のまこっちゃん、あほあほマンことさとちゃん、ブロ友のりょうさん、zuzuyoの4人。移動
「遠くの親戚より近くの他人」という諺がありますが、それを地で行くのがコチラのご夫婦わが家の斜め前にお住まいで、かれこれ25年のお付き合いです昨日は久しぶりにウチにお招きして、わいわい…がやがや…いろんなことを話しましたこういう方が近所にいるって幸せなことですね料理は妻・シュー様が張り切って作り、ワインは私が準備しました長いこと寝かせてたシャンパーニュエチケットはボロボロでしたがコクがあって味わい深いも
同じ思いを誰にもしてほしくないお話です。お通夜・葬儀、、この2日間遺影をみては何だかモヤモヤんーなんか違う...悲しみの中、準備などに追われ皆さんへのご挨拶などもしながら遺影をみては、、「わたし、この写真選んだっけ?」ずーっとモヤモヤ。葬儀を終えて一緒に自宅に帰り今日は夫の元で寝ようと布団を敷いて横たわり、遺影を眺める.....写真が違う!!わたし、この写真お願いしていない!!!わたしがお願いしたのはラグビーが大好きな夫がチャリティーマッチのときにみせた喜びに満
昨晩はアルテ大淀の地元で開催された「まつり大淀」決起会に行きました南宮崎駅の手前で車を降りました会場はお通夜のオードブルでもお世話になっている「寿し勝」さん寿し勝本店|宮崎を味わうお寿司屋|宮崎名物|チキン南蛮|レタス巻|歴史と伝統を受け継ぐ寿司屋|宮崎県宮崎市|(sushi-katsu.com)今年の「まつり大淀」はこのような概要で開催されることになりました実行委員長のご