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今日は、5回目のパイプオルガン体験こどもの日のイベント、こいのぼり🎏体験で弾く曲、何しようかな~と、いろいろ考えてて、ふと、テレビでみたユーミン特集のあるシーンを思い出す教会でユーミンがこの曲をオルガンで弾いていたなぁと『翳りゆく部屋』荒井由実楽譜は、ピアノ譜だけど、ぷりんと楽譜にいくつかある中から、特にイントロだけでも原曲に近いものを選んでみたこちら、川田千春さんアレンジの中級バージョンこの体験、ひとり15分なのだけど、今回初めて事前に曲目
荒井由実ヒストリー拡大版(2/5)ひこうき雲難産の末に生みだされた名作から続くマネージャー村井には決めなければならないことがあった。荒井由実をマネジメントする芸能プロダクションである。アルファは音楽出版社であり、マネジメント業務はアウトソーシングしていた。ガロは田辺エージェンシーに頼んでうまくいっていた。荒井由実も同じラインでいこうとしたが、村井は彼女は楽曲や性格の点で、田辺エージェンシーに限らず、芸能界の気質には馴染めないのではないかと感じていた。そ
空地や土手、何処にでもはえている花ハルジオン普段雑草としか見られないけれど、集めればとても可愛らしい花♡絵の教室のモチーフにしようと摘み飾りました。ずーっと昔大好きだった荒井由実のハルジオン、ヒメジオンの曲が、頭の中で交差し、見ていてちょっぴり、うら悲しい気持ちにもなります。そんな時にラインが入りました。元お嫁さんからの連絡で、孫の写真を送って下さいました。大きくなってる姿、黄色いボーシをかぶり写っています。一年生になったんだね…眉と目元が長男に似て賢そう。
荒井由実ヒストリー拡大版(3/5)散々な初ステージからブレイクまでの苦闘から続く『COBALTHOUR』ジャンジャン72年のシングルデビューから2年、アルバムデビューからでも約1年が過ぎても、荒井由実の人気は低迷していた。それでも、世間とは異なる様相を見せ始めた場所があった。74年9月から翌年1月にかけてのこと、由実は毎月、渋谷ジャン・ジャンでライブをおこなった。ブレッド&バターとのジョイント・ライブである。兄弟デュオであるブレッド&バターは、由実の才
三年前、「松任谷由実前史荒井由実ヒストリー」という一文をアップしました。ユーミンこと松任谷由実が誕生してから、デビューアルバム『ひこうき雲』制作にいたる経緯です。そのあとにも、「荒井由実ヒストリーⅡ」として、ブレイクから結婚までの軌跡をアップしています。これらの記事は、多くの資料を参考にして書きました。一介のサラリーマンとして生きてきた者が、スーパースターの伝記めいたものを簡単に書けるわけはありません。資料の引用文をつなぎ合わせただけの代物です。とりわけ、雑誌『文藝春秋』の記事と『
みなさま、ごきげんようこのブログにお立ち寄り下さり、ありがとうございますサカナクションのボーカル山口一郎さんの新刊「ことば2僕自身の訓練のためのノート」が発売されました。この本は山口一郎さんが訓練のために書き綴った“ことば”の数々をまとめたもので、第2弾となる今回は2001年から2006年までの内容で構成されています。(サカナクション公式から引用)(サカナクション公式から引用)そして、今回の出版にあたり、衝撃的なニュースが発表されました。なんと、帯の推薦文を松任谷由実
ユーミンさんはご自身のアルバム「Surf&Snow」にちなんで、夏は逗子マリーナ冬は苗場プリンスホテルリゾート感あふれるコンサートを長年継続していらっしゃいます逗子マリーナの方は残念ながら、施設の設備替えがありそれに伴い2004年の公演を最後に終了、苗場プリンスの方は今も継続されてますよね私が参加できたのは最後の方の逗子マリーナLIVEでした。東京からスタッフが車4,5台に別れて便乗し、逗子に向かいました。なんかみんなで社員旅行に行くみたいで楽しかっ
昨日、筆者のX(旧Twitter)に下に添付したポスト(Tweet)をアップした。これは、昨夜WOWOWにて独占放送された松任谷由実50thAnniversaryコンサートツアー「TheJourney」の1曲目及び2002年に開催された逗子マリーナでのライブの1曲目の楽曲だった♪心のままに対してのオマージュであった。金森千榮子氏(以下金森氏)は、元北陸放送のプロデューサーだった方で、ユーミンが、荒井由実だったまだ新人時代からその才能を見抜きユーミンに寄り
松任谷由実前史荒井由実ヒストリー拡大版(1/5)誕生から立教女学院早熟な天才不良少女から続くシングル・デビュー荒井由実の歌手としてのデビューは、多摩美術大学に入学した、72年の夏と決まった。そのシングル盤は、村井の旧知のかまやつひろし(当時33歳)のプロデュースで制作されることになった。由実はかまやつのいたスパイダースの追っかけをしていて、すでに顔見知りだった。当然、かまやつはロックにくわしく新しいことに敏感である一方、経験豊かで懐も深い。音
もう十年近くも前のことですが、荒井由実のデビューアルバムである『ひこうき雲』がいかにしてつくられたか、その当時を振りかえる番組がありました。松任谷由実本人も出演していて、レコーディング時の秘話が数多く語られていました。一方、雑誌や本、あるいはネットなどにより、彼女のくわしい半生もあきらかになっています。四十年以上前、荒井由実をよく聴いていた自分にとって、これらの情報はとても興味深いことです。そこで単なる自己満足なのですが、あちこちに散らばる彼女の話をひとつにまとめて、「荒井由実ヒストリー」
・過去曲を希望されるかたは事前に連絡をお願いします。・お客様も歌っていただけます★tetsu企画第弾バンドライブvol.15日時:5月12日(日)リハ14:00~15:45時間OP16:00/st16:30-20:00場所B-flat東梅田料金1000円+2Dお客さまも歌えます。打上お客さまも参加できます1000+1D(アーティストに予約してください。)【タイムスケジュール】実質は8分程度のタイムスケジュールになります(リクエストコー
ユーミンは伝説のバンド、ザ・フィンガーズ(1962-1969年)の「追っかけ」として有名。このバンドが活躍していた時期はユーミンの中学時代である。そしてその頃、東京・港区麻布台にあるイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしているというから、相当自由奔放な少女時代を送っていたようだ。まずは、ザ・フィンガーズの演奏を聴いてみよう。ザ・フィンガーズ/Confusion彼女が活動を始めた時期は、自作自演を行う人の中からアメリカやイギリスの1960年代の音楽に深く影響
1978年秋のリサイタルで、第1部後半に2曲続けて演奏された曲である。前者がハイ・ファイ・セット、後者がサーカスという、いずれも混声コーラスグループのヒット曲という共通点もあり、本日まとめて取り上げさせていただきたい。「冷たい雨」(1975)は、ご存知荒井由実時代のユーミンが作詞・作曲。オリジナルの録音はバンバンで、あの大ヒット曲「『いちご白書』をもう一度」のB面に収められていたとのこと。翌76年にハイ・ファイ・セットがカバーしてヒット。ハイ・ファイ・セットは、解散したフォークグループ
皆さん!こんにちは!岡山県津山市の陰陽師安倍晴明こと道広義博です!この度、CDを購入しました。椎名林檎、相川七瀬、荒井由実、久保田利伸等のCDです!皆さんは、様々な音源で音楽を聴くと思いますが、私はCDが大好きな音源です。CDは、劣化します。新しいCDが届くのが楽しみです!それでは失礼します!
いつだってILoveYouMorethanYouYouLoveMe少しだけ片想いMoreThanYou(荒井由実(松任谷由実)「少しだけ片想い」より)
おはようございます、落武者です。さて、本日の朝の一発目は、多分、世の中の多くの人が、その存在すら知らないであろう曲「霧雨の朝突然に・・・」についてです。「いちご白書をもう一度」で有名になった”バンバン”のシングル曲。記憶は定かでありませんが、「いちご白書をもう一度」の次に発売されたんじゃなかったかなあ。もちろん、作詞作曲は荒井由美。2匹目の泥鰌狙いだったのでしょうw画像はお借りしました。1976年2月発売とありますから、落武者高校1年生の時ですね。落武者は、このシングルを
2023年11月29日発売予定だった「ユーミン乾杯!!~松任谷由実50周年記念コラボベストアルバム~」が発売延期となり2023年12月20日に発売日が変更となりました🙇♂️👇詳しい情報はこちらをご覧下さい👇『ユーミン乾杯‼︎。ー松任谷由実・桑田佳祐・小田和正・財津和夫ー今世紀最大のコラボベストアルバム!』この度、2023年11月29日発売を予定しておりました、「ユーミン乾杯!!~松任谷由実50周年記念コラボベストアルバム~」につきまして、急遽、新楽曲の追加…ameblo.jp遂にこ
<初恋はロック♪さん記事リブログ>名曲百選第六章(68)この曲が醸し出す時代の映像は、決して色褪せる事はない…「いちご白書」をもう一度/松任谷由実「『いちご白書』をもう一度」関連記事、以下に再掲__<2022.2.22記事>2022年2月20日放送の「松山千春ONTHERADIO」同日がばんばひろふみさんの誕生日であることから「いちご白書をもう一度」をかけた。その前に以下のとおり語っていた(強調箇所)。歌詞の下にはこの曲について詳しく解説していた
松任谷由実さん(ユーミン)が2020年角川映画の主題歌として作った「散りてなお」という歌があります。まずはこの歌にまつわるストーリーが面白いのでそれを書きますねなんとこの歌角川春樹氏がユーミンにあの名曲「春よ来い」を超える歌を作って欲しいとオファーして出来た歌なのだそうです。本作の主題歌を依頼した理由について「ユーミンしか思い浮かばなかった。最後の作品だったら、絶対引っ張り出さなきゃと思った」(角川監督にとっての最後の
1960年後半から70年代初頭にかけて起こった学生運動その中で就職のために転向し挫折していった者は多いそうした人たちへの「鎮魂歌」「『いちご白書』をもう一度」は1975年に荒井由実さんが、フォークグループ「バンバン」のために書いた曲です。バンバン解散後はばんばひろふみさんによって歌い続けられています。この歌の背景には、1960年代後半から70年代初頭にかけて、各地の大学・高校で起きてきた学園闘争(中心は「全共闘」と呼ばれる人々の運動)があります。これは世界的に同時多発的に起こ
今週の女性セブンに、2日の、ミュージックフェアの記事がでていたようで、記事をもらいましたのでシェアさせてもらいます🤭↓↓↓↑↑↑ユーミンが1978年2月に、ジュリーと共演するために書き下ろしたという「静かなまぼろし」という曲また、「ウィンクでさよなら」のことも🤗そんなことも記事になるのですね~ユーミン松任谷由実さんといえば、デビューが、ジュリーと一緒にデビューしたトッポの曲でした❣️「愛は突然に」という、トッポ作詞ユーミン作曲ユーミン、当時は荒井由実さん、14歳の時の曲だそ
レクダンス50曲が踊れますここをクリックしてくださいみんなのレクダンスチャンネルレクダンス大図鑑たとえばなどなど
このところの当ブログで、『悪魔のようなあいつ』を取り上げています。昨日の当ブログ「『悪魔のようなあいつ』はジュリーのヌードが多かった印象」でも書きましたが、毎回のようにジュリーが上半身、裸になり男の艶っぽい毒気を発散していました。それだけでなく、このドラマでは女優陣もかなり脱いでいて話題になりました。篠ヒロコさんがジュリーとかなり大胆なベッドシーンがあり、お尻近くまで背中を全開していましたし、安田道代(現・大楠道代)さんがバスト・トップまで出していたのをハッキリと覚えています。(←当時、ビデ
ご訪問頂きましてありがとうございますよく時間は前にしか進まないから過去に目を向けるより未来に向かって進んで行こう!といったような言葉を耳にすることが多いのですがたしかに後悔や自分攻めといったことで過去に留まるのは良くないと思いますが自分が歩んできた道を振り返って楽しい思い出に浸ったり過去の自分の経験に光を当てたり乗り越えて来た経験を労ったりその経験を重ねたことで今ある自分の幸せに感謝したりすることも大切なことじゃないかなと思いますそんなことを考えている
電化前の相模線ユーミン(松任谷由実、当時:荒井由実)が1976年に出した「14番目の月」というアルバムがあります当時大学生でユーミンのファンだった私ですが、東芝EMIから出た初盤は高額で買えず、ALFAから廉価盤が出た1980年に購入しました。彼女の4枚目のアルバムになりますが、「14番目の月」、「中央フリーウェイ」、「GoodlluckandGoodbye」などの名曲が含まれ、初期の傑作アルバムのひとつだと思います。当時のことですから、アナログLPレコードです。その中に「天気雨」と
「やさしさに包まれたなら」荒井由実5月5日5時5分投稿♪4月末からYouTubeの音楽動画を記事に挿入することができないままですが、「HTMLタグを使用した動画の埋め込み」で、記事の更新を再開いたします。EmbracedInSoftness/YasashisaNiTsutsumaretaNaraProvidedtoYouTubebyUniversalMusicGroupEmbracedInSoftness/YasashisaNiTsutsu
50年近く生きてきた僕の人生の中で、40年近く、人生を彩ってくれる曲があります。その曲は、ブレッド&バターの『あの頃のまま』。作詞・作曲は呉田軽穂こと松任谷由実(ユーミン)。僕が最初にこの曲に出会ったのは・・・1983〜84年頃にFM大阪でオンエアされていた『大江千里のレモントゥリー』という番組でした当時中学生だった僕は、大江千里とアルフィーとビートルズばっかり聴いていて、毎週学校から帰って来ては、FMステーション(←テレビ番組ガイド本のFMラジオ版)片手に、ステレオでFM
どんな運命が愛を遠ざけたの輝きは戻らないわたしが今死んでもご存知ユーミンの名曲で、エレファントカシマシのアルバム中、唯一のカバー曲であり、オールタイムベストにも選ばれた、ある意味、奇跡の一曲だ。30周年30曲の内に選ぶのは、相当な思い入れがあると考えるべきで、私はその理由が知りたかった。原曲は1976年。荒井由実7枚目のシングル。荒井由実時代のラストシングルでもある。当時はユーミンと中島みゆきがニューミュージック界の2大女王で、世代どんぴしゃの私は両方ともよく聴いてい
以前、「荒井由実ヒストリー」なる、荒井由実が生まれてからファーストアルバム制作までの話をアップしました。今回はその続きということになります。前回は、ユーミンのデビュー直前までの話だったのですが、書くための資料には、デビュー以降の情報も自然と多くあつまりました。舞台裏の興味深いエピソードばかりです。これらの貴重な材料を捨て去るのは惜しい。正直、大変とも思ったのですが、暇にまかせて続きを書くことにしました。アルバム『ひこうき雲』をつくり終えた荒井由実が、デビューからブレイクに至り、結婚するまで
小さい頃は神様がいて不思議に夢をかなえてくれたやさしい気持ちで目覚めた朝は大人になっても奇蹟は起こるよカーテンを開いて静かな木漏れ陽のやさしさに包まれたならきっと目に写る全てのことはメッセージ小さい頃は神様がいて毎日愛を届けてくれた心の奥にしまい忘れた大切な箱開くときは今雨上がりの庭でくちなしの香りのやさしさに包まれたならきっと目に写る全てのことはメッセージカーテンを開いて静かな木漏れ陽のやさしさに包まれたならきっと目に写る全てのこ