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建築屋さんに見積りを依頼した訳ですが、月桑庵の床は奥行きがなく、とても小さい床になります。これを有効利用するためにはどうしたらいいか?を考えます。一番良いのは塗回床です。これは、「床のなかの入隅の柱を土壁で塗り回しとした床」のことで、角にRをつけて作るため、空間の間仕切りがなく、奥行きが深く見えることが挙げられます。また、土壁にせず、床の壁に珠光好みのように鳥の子紙を貼るに肖って、雲龍紙を貼るのもありかと思います。さらに龕破床【がんわりどこ】にして手前側
一年で一番暑いころにする大仕事があります。「炭洗い」と「灰作り」茶の湯とはただ湯を沸かし茶をたててのむばかりなる事と知るべしただ湯を沸かし====湯を沸かすには熱源が必要、茶の湯の熱源は炭です。炭と言ってもどんな炭でも良い訳ではなく、茶の湯の炭は道具炭とも言うように決まりの寸法のきちっとした炭が何種類も必要です。(お流での違いはあります)そして炉と風炉では寸法が違いますから合計十数種類の炭を用意しなくちゃいけない。切り口が菊の花みたいなの
木蓮のいとおかし日記白鳥庭園編4月の茶の湯の講習会もう一月も前あーあ桜と旅行記優先したらいそがしくてなかなか記事が書けなくて簡単美味しい記事ばかりほいいよいよ5月の講習会も始まっちゃう投稿投稿尾州有楽流の水野先生尾張藩の茶の湯御殿茶の湯で表裏千家とはまた違いなかなかおもしろいお菓子大黒屋おぼろまんじゅう山椒がいい味だしてますなーハレーションおこしてしまった茶の湯といえば千利休をうーん木蓮的には武
今年のGWは肌寒い日が多かったですね。10日をすぎてから汗ばむ日が続いています。例年は5月になると日ざしが強くなり、気温がグングン上がりますね。5月の暑い日、着物で出かけるときに迷いませんか?「袷(あわせ)」か「単衣(ひとえ)」か。迷ったら両方(笑)。着物は「袷」、襦袢は「単衣」の組み合わせにします。※5月14日侘び寂び茶会の朝に撮影。神戸は日本の平均的な気温ということもあり、5月までは暑いなあと感じる日も「袷」を着ています。フォーマルな場所なら、なお
私のお茶の友人がこのテレビに出るらしい。5月27日の鶴瓶の家族に乾杯です。今からそのテレビが楽しみです。その方は、ヨットで世界一周をしながらお茶を立てていくということを目標にされています。はたしてその目標もどこまで達成できるのか、そういったところも楽しみです。鶴瓶の家族に乾杯再会編【DVD】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
薄茶器としての「棗」は、村田珠光の時代の塗師・羽田五郎が作ったとされています。利休以前の棗形を「昔形」と呼び、その中でも竹の茶桶(さつう)形で、底が丸く、切合わせの下が朱塗りのものを「昔棗珠光好」とか「珠光棗」と呼びます。棗の最初としてとりあげられる昔棗ですが、本歌は伝わっておらず、また、薄茶器として使われていたのではなく花入としても使われていたともいわれ(ちょっと考えられないのですが)、実在を疑う人もいます。これは、先日掲出した「三脚盆」なども同じで、本
テレビを見ていたらフランスの女性シェフがピクニックの達人として紹介されていましたセーヌ川の橋の上のベンチにクロスを敷いておもむろにピクニック!!!一緒の男性はオシャレなスカーフをしていましたそこに登場したのがオゼイユのソースこれだけで何でも美味しくなるのよと言っていました作り方を見せてくれましたオゼイユひとつかみゆで卵一個シェリービネガーオリーブオイル塩をフードプロセッサーで一気に撹拌はい出来上がり!やってみました
9月24日中秋の名月護国寺にて長谷川宗佳先生が観月茶会を催してくださいました現代の作家さんと一緒に茶会をつくりあげていく長谷川先生歴史的な価値のある高価な茶道具でしかお茶はできないという間違った価値観を払拭してくださる活動これから茶の湯を楽しむかたへのヒントがたくさん隠されています護国寺には9つの茶室があり大規模な茶会が開催されていますなぜこんなにも茶室があるのかというと茨城県水戸出身の茶人高橋箒庵さんが護国寺を茶道の総本山にしようと尽力されたからなのです
天目には、建窯で作られた耀変天目、油滴天目、禾目天目などと、吉州窯で作られた吉安天目、木葉天目、文字天目、鸞天目など、磁州窯で作られた緑天目、その他に茶洋窯でつくられ侘数寄で注目された灰被天目と、灰被に似て珠光が好んだという黄天目、河南省を中心とした窯で作られた黒釉銹斑の河南天目、これらを真似て作られた高麗天目、そして日本で生まれた瀬戸天目や美濃小名田窯で作られた白天目などがあります。天目は元々宋時代に流行した抹茶が白を至上とされていたため、黒釉の茶垸が好まれ建窯にて大量生産されました。
先日の初釜にいらしてくださった方から後礼が届きました。後礼と言うのは茶事へのお礼状のことです。茶事にお招きする際亭主はお客様に巻紙でご案内状を差し上げます。お客様はご案内を受けて必ず参上する旨を巻紙にて返信します。正式には前日にお宅にお伺いして御挨拶するのですが、現在は返信のお手紙を前礼とすることが多くなりました。かくいう私も子どもが生まれる前は主客共に毎月のように機会があったので常に巻紙に想いをしたためて暮らしていた頃も。昨年から茶事を再開し久しぶりにお客様から
やっとこの記事が書けます(笑)と、いいますのは表具を依頼したのを鬼佛庵さんに内緒にしていたからなんですね(笑)10月の台東区茶会の帰りに寄ったのが春鳳堂さんでした。春鳳堂さんの若さんである師岡恒平さんと知り合ったのは板橋区の文化祭でした。二度ほどお目にかかり、頂いた名刺を後生大事に取っておいたのです(名刺はもらったら大事に保管してあります)。宗靜先生(母)と相談し、先ずは電話してみると、折り悪く師岡さんは出られず、半ば緊張しながら家電の方に掛けてみますと、お母様がお出になり、お
茶碗などの道具には正面があります。そのお道具の「顔」となる大事なところです。木の器で綴じ目があるものはどこが正面かご存知ですか?お盆や建水など丸いものは、綴じ目が有る方が「正面」四角いものは、綴じ目を向こう側にし、すなわち綴じ目がない方が「正面」です。この黒い器は「縁高」というお菓子器濃茶の際に使う、正式な菓子器です。綴じ目があるの見えるでしょうか。この綴じ目を向こう側にしてお菓子を盛りつけますよ。覚え方は「丸前、角向こう」です!(まるまえ、かくむこう
茶室について書きたいことは山ほどありますが、一寸方向転換した話題を。東京の茶の湯が京都に比べて、どうもかなわないという感じは、茶室だけでなく、他にもあります。その一つが家元の存在です。何しろ京都には、三千家と藪内流という最も古い伝統を誇る家元が鎮座しています。どうしても京都はお膝元で、東京は出先、出張所という感じです。勿論、東京にも家元は存在しています。でも、三千家や藪内家が、四百年近い昔から、一度も動かず、今の場所に居を構え、長い伝統を誇っているのに対し、東京の家元は流祖から
この春、弟子のみなさまに新たな許状を取り次ぎました各々にとっての“大切な節目”は御相伝の茶事の形式でお招きしました思えば最初の取り次ぎは2012年あれから12年(干支一周)が経ちましたたくさんの経験(機会)をいただき環境や自分自身の考え茶の湯に向かう姿勢も大きく変化しました今も根本にあるのは“お茶の楽しみ(ときめき)を共有したい”という思いです未熟な私のもとで、私以上のキャリアのみなさまが茶の湯に励まれているご縁の不思議果てしないお茶の海原後悔のない航海をこれ
この度の御相伝茶事の懐石もお料理得意な弟子が心を込めて作ってくれました飯汁道明寺麩、桜麩、水辛子替:蓬麩、桜麩向付鱸菜種合え芽ねぎ、山葵、加減酢煮物焼鯛桜道明寺蒸白舞茸、桜花焼物鰤ポン酢焼預鉢蛤、針生姜、あさつき小吸大徳寺納豆、菜の花八寸燻製鮭とモッツァレラチーズ菜花辛子和え香物沢庵、赤蕪人に恵まれ、こうしてあたたかいお席が共につくれることに感謝します
他流さんの台目の道具の置き方を見ていて、なるほどねぇ~と感心しました。台子の分だけ小さい台目畳で点前をするにあたって、水指などが畳四分の一ほど前に出てきます。当流だと、こんな感じで位置をずらすんですが千家系さんだと、台子と同じ位置に棗と茶筅などを置くようです。これ京間だからこれでできるんですが、江戸間だとどうにも後ろがつっかえるんですよねwというのも、当流の点前する人の位置が大分後ろなんです。これを江戸間でやると、壁に当たりますwwwwそりゃ「狭い」と感
和心美茶道教室のブログにお越しくださいましてありがとうございます。主催の渡辺ちえです。和心美茶道教室は初心者の方を対象とした茶道教室です。何も知らなくても大丈夫!点前作法をはじめ、お茶の心やお茶の楽しさをしっかりとお伝えしています。茶道を始めるにあたって少し不安に思う方もいらっしゃることでしょう。でも、敷居が高いと敬遠していてはもったいない!茶道は総合芸術と言われ和文化の魅力が集まっています。沢山の方に茶道の良さを知っていただきたいと思っています!【茶道
皆さん、こんにちは!シュミネ茶道教室です。猛暑ですねー今週7/18(火)、19(水)のお稽古日記。京都の祇園祭も前半が終わり、来週はいよいよ大阪の天神祭です。今週のお菓子は「夏神楽」(なつかぐら)そしてお干菓子は、友人からお中元で頂戴した、京都・亀末廣の「京のよすが」。創業200年以上の歴史を誇る干菓子の老舗で、ここの名物として有名な「京のよすが」は、四畳半の茶室に見立てて区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子が彩り良く詰め合わされたもの。季節に応じて
織部の先鋭化した侘び茶を理解するには、師である利休を共に淀の渡しで見送った細川忠興と対比するとわかりやすい。ふたりは、利休七哲のうちに数えられ、なかでもその教えを最も忠実に受け継いだ弟子たちとされる。それは、蟄居を命じられた師を見送った無茶ともいうべき行動に端的に表れている。このとき、かれらは向こうみずだった。利休を見送る自分たちの背後に、どのようなリスクが迫っているか考えない勇気をもっていた。それほど、利休の侘び茶に心酔していたし、師と秀吉との確執を間近にみて、侘び茶とはそもそもそのよ
月桑茶道教室では、随時お弟子さんを募集しております。■月桑庵の特徴①点前偏重はしない月桑庵のモットーは「主客を大事にする」です。主客というのは「亭主=点前をする人」と「正客=連客の中で一番上座に座る人」のことです。点前偏重というのは、お茶を点てることばかり教えて、お客さんとしての振る舞いとか、道具の由来や掛軸の意味、お菓子の種類と食べ方などを教えないということです。慣れてくれば正客の稽古もできますし、さらには御詰め(末席のお客さん)の稽古もできます♪月桑
七夕の茶の湯茶の湯とは、出会いを楽しむ伝統文化。出会いとは、人であり、時候であり、その場で味わうもてなしの趣向です。青葉輝く季節を迎えた歓びを皆さまと味わい、真夏の気配いよいよ感じられる七夕の頃、ささやかなお茶事をさせていただきたくご案内申し上げます。茶の湯専用の庭・露地を通り、まずは日常を離れた特別な空間である茶室にご案内します。小間のひとときの後、立礼座敷にて鱧弁当を使ってのやや軽いお食事をお出しし、小間にて濃茶、立礼座敷にて薄茶を飲んでいただきます。茶事とは正式なもてなし
リモート稽古をしていただきましたなんとイヤーマイクが接続できないというアクシデントが!着物の着付けに時間がかかって準備不足でした先生ごめんなさい明後日の安南茶菓の道具で薄茶のお稽古を見ていただきました気をつけること1・敷居を踏まない当たり前のことなんですが・・・我が家は和室をリフォームしてお茶に使えるようにしているので敷居部分が広いんですでも踏まないように!!!そして踵は上がらないように!!!2・向きを変えるときの足は軸足から離れない
これらの事実は、織部に対する家康のヒステリーがかなりの強度をもっていたことを指し示している。織部と将軍秀忠とは茶会に招待したり茶道指南役を仰せつかったりするほどの仲で、家康自身もわざわざ駿府まで呼び寄せて歓談するほど厚遇していたから、可愛さ余って憎さ百倍というのはよくわかる。あれだけよくしてやったのに裏切りよってこの獅子身中の虫めが。織部内通の報を受けて、額に青筋を立てて怒る家康の姿がまざまざと思い浮かぶ。ただ、戦(いくさ)に裏切りや内通はつきもので、げんに大阪の陣では秀吉恩顧の多くの武
令和2年(2020年)8月24日皆さん、こんにちは!シュミネ茶道教室の西田宗佳です。今日は久しぶりに〈お稽古日記〉を。■灰形稽古の最終日昨年の4月から隔週の木曜日の朝に通っていた、京都・淡交社での「灰形講習会」1年コース。ほんとは今年の3月に終える予定でしたが、コロナの影響で最後の何回か出来なくなっていた分、再開後やっと7-8月でこなし、先日ついに最後の稽古に行ってまいりました。↓)京都鞍馬口にある淡交社。朝7:45に家を出て、この勝手口に着くのが9:40
水屋は半間【はんげん】水屋とすることにして、居場所を作るためには、京間二畳は必要になります。建築屋さんは「10㎡までは無許可で(増築)出せますよ」とのことですから、京間五畳分はいけるって計算ですね。横幅は京間一畳半もないので、京間二畳は居住空間として置けるかな?と思います。その外側に一畳半×四半畳の棚空間がつけられたらかなりありがたいですね。イメージはこんな感じ。水屋は置き水屋を購入して改造して貰う予定。さて、どんな設計図が上がってきますかね?
白鳥庭園芝生広場に設えられた野点茶席「さつきの席」です。(5月3日撮影)新緑の下、鯉のぼりが泳ぐお茶席。この日は表千家席主・水野明水さん門下生の皆さんによるお茶席です。爽やかな風薫る5月の庭園。青もみじを愛でながら茶の湯撮影を楽しみました。
ちょっと我が社中で問題がありました。新しいお弟子さんが姉弟子にお裾分けをしようとしたんですね。姉妹弟子が仲良くするのは良いことなのですが、これ、先生にお伺いを立てずにするとどうなるかわかりますか?友達というのは、何処で出会おうが友達になるときはなるし、ならないときはなりません。人と人の繋がりですから、どう繋がっていても自由……でしょうか?茶道の教室というのは「先生が開いたもの」ですね。この辺りが「カルチャーセンター」や「サークル」、「クラブ活動」と異なる点で
先日から報告しているNHK「日本庭園」DVD版の中に、一般的には拝観できない珍しい庭園が収録れていた。上京区小川通寺之内通上るは茶道の聖地である。表千家は千利休を祖とする茶道の流派「三千家」の一つである。千利休には2人の息子がいたが、このうち嫡男の千道安は先妻との子供で、利休死後の1594年に堺千家と言う流派を創設。しかし道安には後継ぎがなく、1607年に彼が死去した事で堺千家は断絶。もう一人の千少庵は利休の後妻の連れ子で、後に利休の娘と結婚して彼の婿養子となる。この少庵の
茶道を、さまざまな理由で辞めてしまった人、離れてしまった人がいます。経済的な問題。距離的な問題。家庭的な問題。人間関係的な問題。そして【流儀を強制される問題】。正直にいいますと、上の4つについては「どうしようもない」と私は考えます。それは、それぞれが、乗り越えるべき問題だからです。経済的にどうにもならないなら、収入を増やすか、支出を見直すかで、月謝を捻出すべきです。月5~1万円というのは、そんなに高額でしょうか。私にはちょっと分か
お茶をはじめるのを躊躇っている方仕事が忙しいとか、子育てがとか、いろんな理由で先延ばしにしてる方へいや、そんな事言ってたら一生はじめられません。よく聞くのが「先に着付けの教室に行かなくちゃ」なんてお話、え?お茶の稽古で最初からきもの必須のお教室は余程でないとありません。あったとしても逆に着物必須クラスのお教室にまったくの初心者は入れないんじゃ?と思います。ですから着付けは後々で大丈夫ですし、お茶の先生や先輩に教えてもらう手もあります。男性に多い「停年になったらはじ