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(上羽秀おそめさん1923〜2012)1957年(昭和32年)作家の川口松太郎は夜の銀座に生きる女性たちをモデルにした小説、『夜の蝶』が大ヒットし、映画化された。この映画『夜の蝶』もまた大ヒット。京マチ子や山本富士子が夜の銀座のマダムを演じた。この映画をきっかけに水商売の仕事をする女性・ホステスやキャバクラ嬢を〝夜の蝶〟と呼ぶようになった(黒革の手帳の武井咲ちゃん主人公、原口元子を演じます)この小説のモデルは実在する人物で、白洲
2020年9月智積院から撮影スタート桔梗の花と彼岸花が咲いていました祇園甲部の舞妓さんの時は、まめ藤さんは誰にでも礼儀正しく愛嬌もあり好感が持てましたしかも容姿端麗で人気舞妓さんでした一度、熊本へ帰られましたが、芸妓で復帰されました大歓迎ですこの日は、芸妓になられて2回目の撮影会に誘って頂きましたその後、円山公園へまめ藤さんとタクシーで移動くまモンの花名刺も頂きました感激です
芸妓へ襟替をされた祇園甲部の豆紗弥さんが挨拶まわりの翌日、挨拶まわりへ訪れたお茶屋へお礼まわりをされた。お礼まわりまわりへ行く前の豆紗弥さん男衆さんとお礼まわりへ行く豆紗弥さんアップで撮影お茶屋富美代で撮影白川で撮影偶然出会った舞妓の小桜ちゃんと小絹ちゃんがおめでとうございますと挨拶。花見小路で撮影お茶屋の女将さんに挨拶路地で撮影大和橋で撮影。お礼まわりを終えて置屋へ戻って来た豆紗弥さん。
祇園甲部の菜乃葉さんが舞妓から芸妓へ襟替えをされ、各お茶屋へ挨拶まわりをされた。芸妓へ襟替えをされた菜乃葉さん。男衆さんと挨拶まわりへ一力で撮影置屋の前で撮影花見小路で撮影した後ろ姿四条通で撮影巽橋で撮影巽神社を参拝京舞の井上八千代さん宅前お茶屋の主人と挨拶を交わす菜の葉さんお茶屋富美代で撮影置屋西村で撮影置屋にんべんで撮影先輩の芸妓さんとの出会い舞妓のときの菜乃葉さんは幼い感じだったが芸妓になられて大人の雰囲気になった。
祇園祭後祭の見学後、昼食は美濃吉本店の“竹茂楼”で頂きました。かな~りかな~り前になりますが、結婚前のデートで、主人と初めて京都に行った際、ここでお料理を頂きました。主人の両親がこのお店が好きなことも有って、結婚後も主人の家族と、京都日帰り旅時に何回か来たことが有るのですが、主人の両親が高齢になってからは行かなくなり、私も行っていないので、もう、10年以上、ご無沙汰です。主人は、会合などで、その後も何回か行っているみたいなんですけどね。
京都の花街の風物詩「お化け」節分は鬼を追っ払う日。で鬼は案外目が悪いそうで扮装して鬼をだまして厄を払いましょ…みたいな(^^)この日祇園では芸妓さんが扮装して宴席を回って楽しましてくれはります。それはもーびっくりするぐらいぎょ~さん!私も祇園東の「まん」さんにお呼ばれしました(^^)ここに構えて回ってこられる芸妓ペアを待ちます。まずお越しになったのは地元祇園東の富津愈さんと叶和佳さん。おめでたい”越後獅子”です。最後は私も獅子頭に「がぶっ」されました(
都をどり#行ってきました#都をどり2024#第150回記念公演都をどり#源氏物語今年は150回記念公演という事で源氏物語なので観てきました♪都をどりは、よーいやさ一』で始まり華やかな舞を観せて頂きましたパンフレットはめちゃ分厚く豪華なのにチケットと一緒に買ったら500円めちゃお得🉐観光バスで来るからすごいわまあ一外国人観光客が多いいや、いかにも紳士な金持ちそうカップルとかはマナーも良い私の隣り4人組、喋る喋る左のブロックで着物の外国人が身を乗り出して観てたら係
さて、なぜ昨夜のようなことを今さらまた書いたのかというと……桐貴清羽さんのお話を聞いたから。清羽さん、ご存知だろうか?少し前に花街を訴えた元舞妓さんと言えば思い当たる人はいるかもしれない。彼女の訴えはもっともと言えばもっともではある。けれど舞妓なんてそんなものだよと言えばそんなものだ。伝統だなんだと言っても花街の女性なのだから。水商売なのだから。そもそも舞妓というのは芸妓になるための修行中の身。半人前かそれ以下なのだ。地方出身で着物もろくに来たこ
「燕燕、来たわよ!」今夜も賑わう梅翠楼、隣の金花姐さんから耳打ちされる。「…ホントに?!」見れば滅多に訪れる事のないあの人がお役人様の面々と席に着いた。燕燕は頬を染めた。ちょっと前に街で見た彼は…都に流れてきた海賊の残党を追跡捕縛していた。あたしに執心の腹の弛んだヘタレ貴族なんか目じゃない。獲物を狙う目が鋭くてなんて凛々しい男。ゾクッとしたわ。そして…男盛りのあの締まった身体つき。あたしの心臓はきゅっと締め付けられた。あたしの一目惚れ。燕燕は白粉を塗ったうなじの乱れ髪を
書き忘れたことを書いておきます。少し前のことになります。芸妓を引退した母の後輩が家に来たときのことです。仏壇にお線香をあげてくださり・・その日のことです。しまってある母の着物を見ていただいていたら・・それを見ていたAちゃん、Kちゃんに、「着せてあげましょう」みたいな話になりました。手際よく、Aちゃん、Kちゃんの順で着物を着せると…部屋のなかが、パッと、華やいで~🌸今度は、母の形見の三味を手に取って、弾いてくださったのですが、
靖遠侯爵家から多くの逮捕者が出たことでその後大きな展開があった。靖遠侯と結託していた海賊の自白により、政敵であった故胡進侯爵の再審が決まり審議を経て胡家の名誉回復が計られたのである。首を取られて亡くなった当主の無念は永遠に消えないが散り散りになった一族の屋敷や財産は遺族へと引き継がれる事となった。一人娘・蓮頌は奴婢に身分を落とされ天香楼に芸妓として売られていた。胡進の親友衛国公らが手を回すことで辛うじて身を売る事なく芸を披露する舞姫として籍を置いていた。当時は蓮頌は犯罪人と連座であり、
北陸の中核都市で芸妓の佳代は、近眼のため普段はメガネを掛けているが、宴席に出る時はメガネを外さなければならない。それが佳代の悩みだった。佳代は裸眼では、3m先の人が誰だか分からないくらい目が悪いので、お客様を凝視する。そのため、客からは「自分に気があるのではないか」と思われて、人気がある。或る時、非番の日に、馴染みの客とデートすることになった。待ち合わせ場所に行くと、相手の顔がよく見えず、右往左往していると、「佳代ちゃん、ここだよ」と言う声の方へ行って、それが相手の人だと気づいた。
お茶屋の文化を見る、聞くお座敷をいろどる文化は、さまざまに人が集い、遊ぶ中から育まれ、洗練されてきました。そうしたお座敷の魅力を初めての方にも気軽にわかりやすく、親しんでいただきます。お茶屋や芸妓についての解説、芸妓の衣装・櫛かんざしの展示、芸妓の裾引きの衣裳の着装体験など、講座形式でご紹介いたします。「お茶屋サロン」日時:ご希望の日時(夕方以降は除く。2時間程度所用)会場:お茶屋「島之内たに川」料金:お一人5,000円(お茶お菓子の接待あり)定員:12名まで(最少催行人員2名。芸
祇園甲部の芸妓茉利佳さんが引退されることになり、挨拶まわりが行われた。男衆さんと挨拶まわりに行く茉利佳さんお茶屋の女将さんと最後の挨拶挨拶に来たお茶屋の前で撮影近所の人と挨拶を交わす。財団事務所の前で撮影花見小路を歩くのもこの日が最後同期の芸妓さんと挨拶を交わす。新橋通で撮影挨拶まわりや稽古に行くときに必ず、渡った巽橋を渡るのもこの日が最後。挨拶まわり終了引退後は実家に帰省され、一般人として生活される。
1月末に祇園甲部のまめ樹さんが舞妓から芸妓へ襟替をされ、お茶屋とご贔屓のお店に挨拶まわりをされた。芸妓へ襟替をされたまめ樹さん男衆さんと挨拶まわりへ挨拶に来た一力に入るまめ樹さんお茶屋の女将さんと挨拶を交わす挨拶に来たお茶屋に入るまめ樹さんお茶屋の前で撮影お茶屋の飼い犬と撮影挨拶まわりの途中で雪が降って来た。挨拶まわりを終えたまめ樹さんお祝いの目録
11月末に祇園甲部で舞妓の美羽子さんが芸妓へ襟替をされ、お茶屋へ挨拶まわりをされた。芸妓へ襟替をされた美羽子さん。男衆さんとお茶屋へ挨拶まわりへ京舞師匠井上八千代さん宅前で撮影お茶屋の門の前で撮影新橋通で撮影来年の都をどりのポスターと撮影巽橋で撮影一力で撮影大和橋で撮影挨拶に来たお茶屋の前で撮影建仁寺の紅葉と撮影路地で撮影挨拶まわりを終えて置屋に帰って来た美羽子さん。お祝いの目録美羽子さんは舞妓のときはイベントや撮影会の出演、神事で舞を披露することが多く、見る
おかげさまでいち鶴、おり鶴のお披露目をさせていただくことができました。いち鶴は昨年より見習いに入りました。今年の五月にお披露目をできたらと考えておりましけれど、コロナ禍収束ならず日延べ。見通しの立たない中、お披露目せずとも一人前扱いしていこうと本人とも話しておりました。お客様から、お披露目をしないのは可哀想だ、お祝いしてあげよう、とお声がけいただきまして、この度、お披露目へと至りました。おり鶴は一昨年より見習いに入りました。唄三味線を演奏する地方(じかた)さんです
京都五花街の一つ宮川町でとし七菜さんが舞妓から芸妓に襟替が行われた。襟替当日、芸妓とし七菜さんが置屋から出て来られた。これからお茶屋やご贔屓の店に挨拶まわりへ向かう。挨拶まわりへ行く前に記念撮影が行われた。先輩の芸妓とし夏菜とツ-ショット撮影。記念撮影の後、男衆さんと挨拶まわりへ行かれた。男衆さんと挨拶まわりへ行くとし七菜さん挨拶に来た置屋河よし忘の前で撮影舞妓のときは地毛で日本髪を結っていたが芸妓からは鬘となる。宮川町お茶屋組合の前で撮影お茶屋川久の前で撮影お茶屋本城の前
帰国してしばらくして先斗町の亜弥さんからお電話。白竹堂の山岡さんとエムズエステートの岡本さんお揃い。『京都のおねだん』取材でもお世話になったみなさんに、帰国お祝いしていただきました!なんと、亜弥さんのご好意で、『京都のおねだん』をお持ちの方は、初めてのお客様でも、先斗町の芸妓さん亜弥さんのBAR亜弥に入店できます!ぜひご利用ください。
祇園甲部で豆結さんが舞妓から芸妓へ襟替をされ、その挨拶まわりが行われた。芸妓へ襟替をされた豆結さん芸妓になり大人ぽくなった。挨拶まわりへ行く前に記念撮影男衆さんと挨拶まわりへ行く豆結さん京舞の師匠井上八千代さん宅前で撮影挨拶に来たお茶屋の前で撮影大和橋で撮影一力の前で撮影白川で撮影巽橋で撮影新橋通で撮影挨拶まわりを終えて帰って来た豆結さんを飼い犬がお出迎え。お祝いの目録一力の前は撮影禁止ではないのに警備員が撮影禁止と騒いでいるのが目障りだった。
写真は以前の物です。良い店内の雰囲気です。ここから道を眺めて。良い物置いてますね。ここの珈琲がまた美味しいです。ここにはあまり書いてませんでした。いつもの御店が休みの時は利用してました。本日で閉店です。ご苦労様でした。
襟足の白粉の話……以前、襟足の白粉のお話をさせて頂きます……と、そのままでした失礼致しました襟足の白粉(おしろい)の塗り方には二種類あります二本足、三本足と私どもでは呼んでおりますアルファベットの『M』を逆さまに致しましたような塗り方が『二本足』で常のお化粧になります『三本足』は、晴れ(非日常)のお化粧で『黒紋付き』の衣裳の場合の塗り方ですですのでお正月やお見世出し(デビューのことです)、御祝いのお席等で紋付きのお衣裳の折は三本足になります常の二本足は、麻衣子ほんにんが合わせ鏡
こんばんは。日奈子ですちょっと気合を入れまして南座ですが観劇ではございません。南座前で集合して宮川町のお茶屋、駒屋さんに行って来ました‼️そう、私、初めてのお茶屋さん。お座敷遊びも体験して参りました〜表の入り口細い通りに面した裏口。観光客が多い先斗町に比べ、静かで趣深い感じです。舞妓はんの登場どす❗️とし菜穂さん。可愛いスラッと背も高い。初めてのお茶屋で緊張しますけど、テンションも爆上がりです〜‼️こちらは、とし菜実さん。芸妓はんどす。しっかりと貫禄ある美人さん。
個人的には、あくまで超個人的にはなんですが今後枯れた演技を魅せてくれたら昭和の大女優の仲間入りというか、歴代の日本の女優でも大女優の仲間入りするであろうと勝手に考えている女優です。同じ浅野でも浅野ゆう子より女優としては遥かに各上。ワイが知っているのは映画「高校大パニック」で拉致される女子高生役を演じしかもヌード、そして恥ずかしい放尿シーンも見せたってことである意味、その女優魂は原田美枝子に匹敵するってワイの女優基準はなんやねん?やけどね。要は度胸があるってことよ。「さら
上七軒の梅ひなさんが舞妓から芸妓へ襟替をされ、その挨拶まわりが行われた。芸妓に襟替をされた梅ひなさん。舞妓のときは地毛で日本髪を結っていたが、芸妓は日本髪の鬘をかぶる。女衆さんの誘導で挨拶まわりに行く梅ひなさん。挨拶に来た料理屋に入る梅ひなさん。芸妓組合での挨拶を終えた梅ひなさん。歌舞練場の桜の下を歩く梅ひなさん。桜は残念ながら散りかけていた。近所の人と挨拶を交わす梅ひなさん。挨拶まわり終了後、女将さん、先輩芸妓の梅葉さんと記念撮影。上七軒では次々と舞妓さんが引退して行く中
ドキュメンタリー映画『鶴になる』のクラウドファンディングを行なっております。うちの千鶴が芸妓見習いから芸妓になるまでを追った映画です。監督は島田拓空也さん。まだ大学を出たばかりの若い監督さんですけれど、才能ある方で、賞も複数お取りになっています。見せていただいた近作「ボーダーレス霊園』は、びっくりするぐらい優しい、美しい映像で、この人なら、とお願いすることにしました。ただ、とはいえ自主制作です。充分な資金を集めるため先月末よりクラウドファンディングを行なってお
京都・花見小路を歩くといつも見に留まるのが「八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)」の掲示板。ある飲食店の玄関先に掲出されているが、通るたびについつい見てしまう。とくに学園や学校に関係しているわけでもないのに。その掲示板は学園が経営する祇園女子技芸学校の今月の稽古日のお知らせである。関係者以外にはまったく不要な掲示板だけど、なぜか目に付くように花見小路通り沿いに誰にも見えるように掲出されている。祇園女子技芸学校は祇園甲部歌舞練場内にあるこの祇園女子技芸学校は、京都市東山区祇園
山形の本日は気温は35℃になるようです!昨日も暑かったが今日も暑そうです!朝から直産巡り!開いてねぇ!笑さて!昨日は叔母のお弟子さんで酒田の花柳伝承舎を創設した酒田小鈴!の小鈴さんに会って来ました!素敵な門構えのお稽古場!街並みも叔母が現役の時に連れられて来た花柳会!って感じです!芸者をしていた叔母の見番があったりとここだけ違う雰囲気があります!酒田の花柳会を伝承しなければと30年前に舞娘を作った叔母!当時はOL舞娘としてワイドショーを賑わせました!その第一のお弟子さんで藤間流の師範である小
上七軒の勝貴さんが舞妓から芸妓へ襟替をされた。襟替当日、芸妓姿の勝貴さんが黒紋付きの正装で置屋から出て来られた。芸妓へ襟替をされた勝貴さん舞妓のときは地毛で日本髪を結っていたが芸妓は鬘となる男衆さんと挨拶まわりへ行く勝貴さん。上七軒歌舞練場に挨拶に来られた勝貴さん上七軒歌舞練場で撮影北野天満宮にも立ち寄った。北野天満宮の文道会館で撮影参道で撮影参拝本殿で撮影北野天満宮東鳥居で撮影挨拶に来た置屋勝ふみの前で撮影上七軒通で撮影挨拶まわりの途中で撮影にも応じてくれた。挨
先斗町の舞妓秀眞衣さんが芸妓へ襟替をされ、御贔屓の店とお茶屋に挨拶まわりをされた。芸妓へ襟替をされた秀眞衣さん舞妓のときは地毛で日本髪を結っていたが芸妓からは鬘になる。女衆さんと挨拶まわりへ行く秀眞衣さん。御贔屓の店の女将さんと挨拶を交わす後輩の舞妓さんと挨拶を交わす先斗町通で撮影。御贔屓の店の前で撮影先斗町歌舞練場の前で撮影鴨川をどりのポスターを入れて撮影挨拶を終えて出て来た秀眞衣さん挨拶まわりを終えての帰り道舞妓のときは幼い感じで芸妓になると大人の雰囲気になるが秀眞衣