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この暖冬で、今年は既に札幌で滿開のよーどす。そやけど九州から關東では、開花に必要な眞冬の冷込、所謂『休眠打破』が弱ぁて、東京で四月開花は7年振りとの事。昭和の頃は普通やったけどこの近年には珍しい“櫻花の下の入學式”、が實現したよーで。そ云や十年前『昭和の日』の半月ちょい前の建禮門、京の御所で見ました滿開の染井吉野や枝垂櫻、あの年も暖冬やったんどすやろか。櫻の時季になりますと毎年思ひ出しますのんは、“俳聖”とも稱せらるる『松
この場所は以前エビネを見た場所ですが、ここ数年姿を消していたところです数年ぶりに新芽を出したようでいくつか集まって咲いていました。数年で葉を枯らしてしまうようで、今年は新たに新芽を出したようです背萼片側花弁はやや緑色があり、薄茶色唇弁は白い個体群です。個体により花の色や濃淡に変異が多いですもう見られないのかと思って諦めかけていたところでしたので、感激葉っぱは緑色が薄く小さく新しい株であるのが分かります。ちょっと森が開けて来て、太陽光が当たると埋土種子が発芽するようで、雑木林の手入れも
◯円山公園から「ねねの道」を少し行ったところで、道はぶつかり、そこにあるのが芭蕉堂と西行庵である。芭蕉堂の案内板には、次のようにあった。芭蕉堂この堂は、江戸時代中期、俳聖松尾芭蕉をしのぶため、芭蕉にゆかりの深いこの地に、加賀の俳人、高桑䦨更が営んだことに始まる。鎌倉時代の初め、諸国を旅して自然を友とした西行が、この地に阿弥陀坊を訪ね、柴の戸と聞くはくやしき名なれどもよにこのもしき住居なりけり(山家集)と詠んでいる。芭蕉
芭蕉は「ほととぎす」の句を24句も詠んでいます。14句選び二回に分けてアップしますが、今回はその2回目。紹介しなかった句は10句ですが、そのうちの7句は古池や以前の句です。いたします。最後に私が選んだベスト5を載せてあります。8.曙はまだむらさきにほとゝぎす(真蹟)(あけぼのはまだむらさきにほととぎす)元禄3年(1690)。芭蕉47歳。前書きに、「勢田に泊まりて、暁、石山寺に詣。かの源氏の間を見て」とある。紫式部ゆかりの地で、清少納言の枕草子冒頭の部分を下敷きにした句。(
不明社(附芭蕉句碑三昧田藤の棚)大和国山邊郡奈良県天理市福知堂町(「福知堂町163」の東隣)(P無し、軽なら北方100~200mに停め置きできそうですが)■祭神(不明)大和神社の北方1km足らず、豊かな田園地帯の中の小さな集落内に鎮座する社。◎当社に関する資料は見当たらず詳細は不明。すぐ北にGooglemapには「八坂権現鎮座跡」なるものが標記されていますが、それらしきものは見当たらず、それが当社なのかもしれません。◎祠の背後には芭蕉の句碑が設けられています。在原寺(廃寺
芭蕉は「ほととぎす」の句を24句も詠んでいます。これは「時雨」の句よりも多く、芭蕉も首を長くしてほととぎすの初音を待っていたものと思われます。その中から14句選んで二回に分けてアップいたします。2回目の最後に私が選んだベスト5を載せました。この記事をお読みのみなさまにも好きな句が見つかるとよいのですが。卯の花1.清く聞ン耳に香焼て郭公(虚栗)(きよくきかんみみにこうたいてほととぎす)天和3年(
新緑風深川のぞく水芭蕉新緑風俳句会(四季を着る)新緑風東京二十三句グリーンビズ新緑風の旅となり奥入瀬離宮
芭蕉は切れ字が無くても『切れ』があればいいと考え、連歌の発句が季語と切字を要求することとの差異を説きました。朝露に書付消ゆる別れかな脱亜入欧志向の子規も、旧態たる俳諧を攻撃する過程では切字にも切れにも興味を示しませんでしたが、最終的には切字を俳句の要素としたようです。獺祭は苦手糸瓜に頼る子規子規の下戸を知識として根っこに置いたりして、子規の嫌った月並俳句。獺祭は苦手と糸瓜に頼る子規ならばと、しかし川柳のレベルに達せず?今日的には俳句の切字は必要ないとも思えま
【蝉の声】藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…《やがて死ぬけしきは見えず蝉(せみ)の声》という芭蕉の句がある。蝉の寿命は一週間といわれる。しかし、そんなそぶりも見せず、蝉は与えられた夏の一瞬の生を天地いっぱいに、鳴いている。「いま」「ここ」に完全燃焼している姿を芭蕉は感動をもって、とらえている。人生には「いま」という時間と、「ここ」という空間以外には存在しない。生きるとは、「いま」「ここ」を間断なく生きる、ということである。禅者のいう「生也全機現(しょうやぜんきげん)」とは、い
映画『②獄門島』🔻重たい吊り鐘の中に押し込められた雪枝。吊り鐘の側に穴があり、穴の近くに石地蔵の台座がある。その直線上に松の木の根があるので長い棒があれば『テコの原理』で吊り鐘を持ち上げられると金田一は説明。🔻棒で吊り鐘を徐々に持ち上げる。不気味な音楽とともに、段々と死体が見えてきましたよぉ(σ´Д`)σ💦🔻パタッ💓ちょっと久本雅美に似てますね。🔻突如強い風が吹き松の木の根がミシミシ!🔻ボキッ!!……………と、いうことは……………💧🔻棒が吹っ飛び、重たい吊り鐘が雪枝の死体の首
芭蕉段織半幅帯カラフルシリーズ!今年のnewcolorが入荷いたしました張り感があって、ふんわり綺麗に形が作れます半巾帯結びlessonも始まりました~今年の夏は、ご自慢の浴衣にカラフル帯で気分揚げてお楽しみくださいね半幅帯結び方lesson&TeaParty5月3日(祝)4日(土)「羽根つき割太鼓」会費1,000円(要予約)半幅帯-きものおがわ屋kimono-ogaw
山門を抜けて雲巌寺の境内を歩いています緑立つ大迫力鐘楼も緑に囲まれ芭蕉も訪ねて句を読んでいますね年輪にいつの時代か目印がついているのでおもしろかったです境内は広くて
日本自然保護協会青柳昌宏①詩的に自然を見る芳賀徹氏(『自然の思想』研究社1974)の表現を借りると、日本人は少し小さい枠だが度の強い眼鏡をかけて自然を見ているという。そのフィルターというのは、千何百年かにわたって、日本の詩人たちがつくってきたさまざまなイメージ、ボキャブラリーだというのである。つまり、『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』芭蕉、せいぜい「もののあはれ」の本居宣長まででプラトン、トンアトといった哲学者を生まなかった日本の風土は、これらの詩人をと
ლ(2022年お盆に旅行に行ッた山形県の山寺)ლ写メッをみながらupしマス日本の霊場山寺駐車場に停めてღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღパシャリﻌﻌﻌﻌﻌﻌ\(✿╹罒╹)/ﻌﻌﻌﻌﻌﻌッッღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღლ(幸せの♥︎鐘)ლღ.:*♥*:.ღ.:*♥*:.ღ.:*♥ღ.:*♥ღ山寺立石寺案内マップღ.:*♥*:
(136)ののはなやさしやわらいだ光のなかで、緑あざやかな草木が春の訪れを告げてくれます。旧暦七十二候では『草木萌え動く(そうもくもえうごく)』と呼ばれる季節も柔らかな風となって通り過ぎていきました。ののはな谷川俊太郎はなののののはなはなのななあになずななのはななもないのばな漢字交じりで書きますと、花野の野の花花の名なあになずな菜の花名もない野花
(神奈川県横須賀市長沢)この三日間、「海光」の執筆や編集作業をしていた。いつも通り…、と言えばそれまでだが予定の半分ちょっとしかできていない。昨日は辛かった。パソコンを眺め過ぎたのか、明け方までこめかみが痛かった。この痛みは時々起こる。だいたいストレスが溜まった時か、パソコン作業に集中し過ぎると起こる。さて、話は変わるが、松尾芭蕉は自分の事を、はせをと書いている。句碑などを見ると、いつもそのように書いている。が、「芭蕉」は正確(歴史的仮名遣い(旧仮名))には
松尾芭蕉が続いてますが、千住大橋のたもとには、奥の細道矢立初めの地に碑があると聞き行ってきました。矢立初めとは、旅の初めに読んだ句の意味です。ちなみに千住大橋で読んだのは確定していても、足立区側か荒川区側かは分かんないようです。足立区側から千住大橋を見て、右側にこんな感じで案内板と石碑が立っています。案内板をアップで。「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」、「行春や鳥啼魚の目は泪」と読んだそう。訳は写真をご覧ください。石碑にも刻まられ
カエル姫です。賑わう石山寺から次に向かうのは芭蕉が逗留した庵でもその前に腹ごしらえ瀬田川流域の気になる中国茶館「喫茶去」へ古民家風の佇まい、と勝手に想像していたのとは違い、ビルの1階建物にはあまり風情はない頼んだのは蒸し寿司セット飲茶セットやら単品やら、他にもいろいろそしてメインは中国茶土瓶スタイルを頼むと大きな土瓶を沸かして小さな中国茶杯で淹れる中国茶の作法をスタッフが教えてくれる茶の種類は多すぎて選べない、が取り敢えず知っている阿里山の上にあった台湾茶
2019.7.3一日一季語水芭蕉(みずばしょう《みづばせう》)【夏―植物―初夏】神苑の奥へ誘ふ水芭蕉山田怜子戸隠森林植物園の水芭蕉園はその花の大きさ(仏焔胞)と密集度は目を見張る素晴らしさがあるという。戸隠神社の奥社にも近く、水芭蕉の後は戸隠神社奥社への散策が楽しめるようです。神苑は、平安神宮の事かもしれないが、私が実際に見た戸隠の水芭蕉も神が手招きしてくれるように感じたのでした。【季語の説明】サトイモ科の多年草。近畿以北の山間部の
「服部半蔵と松尾芭蕉は同一人物だという話を聞いたんだけど、本当?」どっから、そういう話になるかなあ(笑)。伊賀出身の松尾芭蕉が実は忍者だった、という奇説があるのは事実だけどね。服部半蔵は忍者ではありません、忍者を支配、指揮していた(と言われる)武将です。自分が走ったり跳んだりドロンと消えたりはしません。半蔵というのは服部家の当主が代々名乗る通名ですので、何代もいます。だから必ずしも「時代が違う」と一蹴することはできませんが。猿飛佐助とか霧隠才蔵とかいった怪しげな説話上の存在ではなく、歴
俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」は、次の言葉から始まる。月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也ここでは「過客」と「旅人」という表現が用いられている。「過客」とは、通り過ぎて行く人を意味し、これも「旅人」と解釈される。それなら芭蕉はなぜわざわざ「旅人」を、別の呼び方に変えたのだろうか。個人的には、「月日」と「行きかふ年」を、同じ意味での旅人として扱うべきではないと考える。これを見てゆきたい。日々は過ぎゆき、戻ることはない。現在のいっさいは過ぎてゆき、いまのものではなくなり続け
・竹の皮脱ぎて何処にかぐや姫日本人に古くから親しまれてきた、五七、七五調。流れるような調べには、思わず引き込まれてしまうものがあります。俳句は定型を原則としていますが、どうしても十七音ではおさまりきれない場合が。その場合は、どこまで字余りが許されるのか。字余りについては、芭蕉の時代に、すでに議論されており、基本は十七音を前提としたうえで、次のような意味のことを述べています。「たとえ七字余ったとしても、句の響きがよければ構わないが、たとえ一字の字余りでも、それが口の中
松尾芭蕉の桜の29句!?桜前線が北上中です。福岡では、開花は3月19日。東京、靖国神社の開花は3月25日の予想。満開は4月1日。大雪で枝折れした、桜の樹も少なくありませんでした。影響は大丈夫でしょうか。さて・・・。今年は何度、花見できるでしょうか。芭蕉の桜の句、29句。糸桜こや帰るさの足もつれ命二つの中にいきたる桜かな植うる事子のごとくせよ児桜うかれける人や初瀬の山桜姥桜咲くや老後の思ひ出うらやまし浮世の北の山桜扇にて酒くむかげや散る桜思ひ立つ木曽や四月の桜狩り