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「母の棺(ひつぎ)に入れてあげよう」少し前からそう思っていたものがありました。それは、母がとても大切にしていた人形でひな祭りには箱から出して毎年飾っていた人形です。母が母のお母さんからもらったものらしく手作りの着物を着せていました。実家を片付けた後も、施設の部屋で大切に葬儀社との朝の打ち合わせでそのことを伝えると(葬儀屋さん)「火葬場に中に入れたものをすべて申請しなくてはいけないので、お人形はちょっと難しいです。全体
母が退院して六週目の水曜日その日は兄の三回目の面会予定日でした。旦那は仕事の繁忙期がひと段落して今日から八日間の夏期休暇息子の塾の夏期講習は盆前の金曜まで続き、水・金の夜19時から三者面談の予定が入っていました。夏休み前のテストで頑張って塾のクラスが上がった小四の息子新しいクラスに入った途端難しくなった内容について行けずテストで撃沈ぎみ、、一緒に勉強もしてあげたいけどその日は塾の宿題に付き合うのも算数と理科の先生との面談もすべて
翌月曜日長い間会ってなかったサ責さんが久し振りに出勤されていました。どうやら小さな娘さんに熱が出て家族に発熱者がいると今のご時世出勤停止になるらしいです。その日は、・ケアマネージャー・訪問医・看護師・サービス管理責任者(サ責さん)の全員が顔揃えての担当者会議が開かれました。これは、私がかねてから希望していたもので「一体母は今どういう状態なのか」「今後どのようなことが起こりえるのか」を誰かはっきり説明して
転院してから、ひと月とちょっと2017年がもうすぐ終わろうとしている12月末看取り病院で父を見送りました辛かったことは・・・どんどんと衰弱していく父を真に当たりにしている中会社員だから、仕事の都合もあるのでしょうが弟から父がいつ亡くなるのかと何度も聞かれたことそんな事は、神様しか知らないのです救われたことは・・・わたしが生まれ育ち父母と暮らした大好きな町の病院だったこと幼い頃祖母や両親と共に初詣に出
注、小心者の私は次兄に直接言えないのでこちらで書きます(笑)先週土曜日、夕方次兄が足り無い母の介護支援金持参し、毎度の如くアポ無しで我が家に来ましたが、次兄、私の存命している兄姉の中で一番私やうちの家族優しい人なんですが、次兄、我が家に来る時はだいたい家族5人分(私、旦那うちの子✕3)の手土産持って来てくれるんですが、先週我が家に来た次兄の手土産は我が家のご近所にあるコンビニチーズケーキプリン✕5個でしたが、手土産貰ってて申し訳無いのですが我が家家族5人中、チーズケーキ好きなのは長
この頃の母の体調はまるでジェットコースターのように乱高下していました。呼びかけに全く反応せず一日中眠り続ける日があるかと思うと、何事もなかったかのように穏やかに喋り続ける日があったり血圧が下がり、嘔吐もあった日曜の後二日程は体調の良い日が続き迎えた水曜日は兄との二回目の面会日でした。昨晩見舞いに行くと言っていた旦那休みの日はたいてい10時すぎまで起きてきません。大学生かーーー(-_-メ)私はバタバタとたまった掃除
結局朝まで電話はかかってきませんでした。翌日母の部屋を息子と訪れ(私)「(孫くん)来たよ、わかる?」と顔をのぞき込むと母は静かに目を開けコクコクと首をたてに振りました。よかった、、意識ある、、少しすると、看護師さんが入ってきました。(看護師さん)「少し落ち着かれてますが、時おり痙攣は続いています。昨晩からお食事と水分はお止めしてます。」そう言ってすでに包帯だらけの母の足の甲に点
話しは遡りますが、昨日午後ご近所の地域包括さんの昔からの顔馴染みの職員さんより、来月行われる地域交流サロンのチラシが出来たので配って欲しいとのお電話頂きまして、それぐらいならお易い御用なんで、何十枚かチラシをお預かりしまして、かれこれうちの末っ子が小1の時からの知り合いで地域で顔が広い知り合い方いるのですがその方もにも何枚か配って欲しいと電話でお願いしましたら、そちらもオッケー頂きましたが、その方のお宅、母がお世話になってる特養さんのすぐ近くなんで、今日母の特養さんに母の面会に伺
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。発症時のことを振り返ってみます。←前の話発症から1週間の母の様子脳出血で救急病院へ入院して数日。持ち物や書類など、入院手続きがひと段落。そこでようやく、母の病状にしっかり目を向けられるようになりました。これまでの母の様子はといえば……。1日目/意識が戻る(目を開ける)が話せない2日目/特に変わりなし3日目/話しかけるが、ほとんどの言葉がわかっていないような。「おはよう」「帰るね」は理解できたか?
まだ乾き切っていなかったので部屋に干したままにしておいたお洗濯物は帰って来てから、わたしが畳むからと言っておいたものの、”案の定”すでに片付けられていて、置き場がバラバラになった衣類を、あらためて、整理整頓する仕事が増えた、今朝でした。今朝も瞑想入浴へとバスルームに来てはじめに洗剤を少しだけお湯に溶かして浸けておいた母さまの下着を手洗いしたんやけど今までで一番汚れた部分が、少なかったかな。𓂃𓈒𓏸𑁍𓏸𓈒𓂃𓂂ꕤ*.゚𓂃𓈒𓏸𑁍𓏸𓈒𓂃
目の前で震える母を見ながら私は先に旅立った父のことも思い出していました。13年前に胃癌で亡くなった父、76歳でした。病気になる前の父はとても明るくて、お酒とパチンコとお祭りが大好き亡くなる10年程前から老人性のうつ病を発症して、母が実家で老々介護をしていました。父は実家近くの総合病院の精神科に入院中に胃癌が見つかりこれ以上の治療の見込みがないとなった後同じ病院内の緩和病棟に移ります。その緩和病棟は、新設されたばかりで
先程プリント整理してましたら、一昨年旦那が体調不良の為我が家のご近所にあるクリニック受診し、診察待ち中更に体調悪化し、その後そちらのクリニック併設の病院の方に入院となった時の病院の入院費支払いの領収書が出て参りましたー。↓体調不良で、受診した診察待ち中の旦那の顔色の悪さをみ幸いに近くにいらした看護師さんが旦那の血圧と血中酸素濃度を測定して下さったそうで当時の旦那の血圧上80下40血中酸素濃度48%だった為、ありがたいことに優先して診察して頂けまして、診察の結果、点滴などの処置を頂い
昨日、本来うちの母がお世話になってる特養さんの相談員さんから、なぜか母が入院中の病院さんからじゃなく一昨日母が入院している病院さんに次姉と叔母が訪れたとのご報告頂きまして、事実確認の為、母が入院中の病院の医療相談室の母の担当MSW(メディカルソーシャルワーカー)さんに、電話で詳細をお訊きしましたら、母が入院している病院さんは2週間に一度午後の2時間だけ予約の上、入院患者に面会出来るのですが先日、長姉か次姉のどちらかが病棟の方に電話を入れ、母と面会予約してたそうで、一昨日母の面会の際は
私が親戚へ連絡を取る傍らで主人は葬儀社へ電話を入れてくれていました母が亡くなったことの知らせと遺体搬送の依頼です。10日程前にネットで二つの葬儀社へ資料請求していた私2~3日後に届いたそのパンフレットは封を開けることもせず、家のソファの上にしばらく置きっぱなしになっていました。医師から「あと2・3日です」と言われた日に初めて中をパラパラと見たもののやはり読む気にはなれず、おおまかな費用と概要だけ主人に問い合わせをし
以外な話と言っても、私は熟知していた事。義母は6年前にくも膜下出血を起こし、後遺症に脳血管性認知症の診断を受けている。当初は呂律が悪くなり手足に若干の麻痺が出たが、現在はほぼ回復し一見元気な高齢者に見える。長く話さなければ、対等に会話は出来るし社交辞令も使えているのだけれど。それは義母が認知症を悟られない為に、テンプレートなセリフを誰にでも言っているだけの事。固有名詞はすっ飛び、100万回聞いた話を私に何度も繰り返しているが、あまり連絡をしない息子たちは分からないよう。雛人形を斎場に
担当者会議が終わり母の部屋へ行くと、母はスースー気持ちよさそうに眠っているように見えました。20分ほど過ぎると、目がうっすら開いたので、「お母ちゃん、起きた、、?」と声をかけるも言い終わる前にまた激しい痙攣(ケイレン)が始まりました。私は水色の自由ノートに母の痙攣が起こる度にその様子と時刻を記入しました。口が引っっぱられるように引きつり口をモゴモゴさせる目はカッと見開くも焦点合わず顔は歪み苦しそう
現在、自宅で暮らしている要介護3の母。発症時のことを振り返ってみました。←前の話リハビリが始まったころ、母はほとんど話さない状態でした。ときおり発熱もあったので、だるい日も多かったでしょうが、それにしても。話しかけても反応も薄い……。投薬の回数も減ってきてはいましたが、まだ酸素マスクが外せない状態。時々、装着がずれてしまうので、あごのあたりが赤くなってしまっていました。ふつうなら、マスクがずれたら自分で直すのでしょうが……母の場合は、意識
四週間前に退院して以来母はベットにほぼ寝たきりでもちろん一歩も外へ出ていません。車いすに乗って姿勢を保つことも自分で体位を変えることすらとうにできなくなっていました。7月下旬その日も外は35℃越えの暑さでしたが母の部屋はエアコンが効いて年中快適です。いつものように母の部屋にいると、施設で朝の体操を担当している理学療法士さんが入ってこられました。まだ若くて、いつも元気いっぱいのキリリとした女性です^^この理学療法士さん,、退院時に
お蔭様で、昨日午前中入院中の病院さんより退院しましたが、私家で用事があったので母の退院には付き添え無いので母の入院先の病院さんの医事課さんの方に入院している母は午前中退院するが、入院費の支払いは午後でも大丈夫か電話でお訊きしましたら、それでも大丈夫だそうで、ご親切なことに電話対応頂いた医事課の事務員さんが入院費の概算をお教え頂けましたが、入院時に病院さんの方には母の入院保証金を支払ってるので、お金を持参しなくて良いとのことで、3月に2回入院した母の入院費はこんな感じになりましたー。
義父の持っていた山林に、義母が佐々木さんと行って来た。この土地は義父が40年以上前に、会社の知り合いだった佐々木さんと購入したもの。一時はバブルで価格が跳ね上がったが、義父が欲を出して売りはぐってしまった。今では道路は手入れもされず土が流れ出し、誰も踏み入れられない程の荒れた雑木林になっている。共同名義で購入した佐々木さんも80代になり、煩わしいだけになったこの土地の始末を焦るようになったのだ。うちも義父が亡くなったあと、三兄弟で相続した為に4人の権利者がいるややこしい物件だ。いつか
今病院さんに入院中の母のことで、連絡と相談事項がございまして一昨日、長姉に電話しましたが長姉、忙しいのか電話に出ず、今のところ折り返しの電話も無いのですが、注、私実は留守番電話入れるの苦手でして余程のことが無い限り留守番電話にメッセージは入れません💦何ヶ月前にも、長姉に用事で電話しても長姉電話に出ず、三日くらいしてまた長姉の携帯に電話してみましたら、ごめん、電話気づかなったとのことでしたが、私の場合子どもが在籍する学校やら、母が入院中の病院さんやら、はたまた本来母が暮らす特養
私、旦那、息子の三人は前日から付き添い宿泊をしたので後葬儀に来るのは私の兄貴だけでした。兄は会場から車で10分程の場所にある障害者グループホームに住んでいましたが、一人では来ることができないので、葬儀当日の11時頃移動支援を依頼していました。ところが前日の夕方、先に葬儀会館にいた私に兄から電話がかかってきます。(兄)「ぼくどうしたらいいの?」(私)「お葬式は明日の12時からだから、11時頃世話人さんが会場まで送って
母の看取り期~亡くなるまでのことを一気に書いてきたら少ししんみりしちゃいました。今日は、ちょっと一息ついて母が最後にきた服のこぼれ話を^^母が亡くなる前日に用意した・ピンクのカーディガン・赤い花柄のブラウス・母の日にあげたベージュのズボンのセットこの他に、密かに用意していたものがありました。それは何を隠そう母の肌着です。入院後は寝たきりの生活になったので母の下着は、上に着る「前開きのシャツ」だけで「パン
84歳の実母脳梗塞の手術直後から軽い認知症の気配が…私の母(84歳)は…10代の頃…当時19歳の兄が…病気で亡くなったそうです。なので…母は…6人兄妹なんですけどね。っていうか…母の兄妹の1人は…昨年亡くなりましたけど…(^^;で…私の父(88歳)は…昭和11年生まれで…ホントは…1月1日生まれらしいんです。でも…それは…げんが悪いってことで…誕生日は…1月3日にしたらしいです…(笑)それより…父が2~3歳の
施設の部屋で母を看取った後、身体をきれいに拭いてもらいお気に入りの洋服に着替えさせ母に化粧をしました。こちらからのつづきです↓『母旅立ちの直後~着替えと化粧~』母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふ…ameblo.jp看護師さんから「医師の到着までに一時間程かかるそうです」と聞いていましたが、訪問医は40分程でやっ
朝4時に施設から連絡があったその日は息子が塾から帰宅する19時過ぎまで母の部屋で過ごしました。夜扉をノックする音がしてたので返事をすると(スタッフさん)「私今日で最後なんです。派遣で二か月の契約で、、最後にお母様にご挨拶させて頂いてよろしいですか?」何度か母の食事介助をしてくれていたスタッフさんです。(私)「あ、、はい」介護の世界にも派遣の人っているんだ、、やっぱり今は人がいないんかなサ責さんもしばらくお休
先日購入したアーモンドチョコやっと届きました~\期間限定★クーポンで1181円OFF!1gあたり2.2円/訳あり無選別チョコレートチョコ選べるアーモンドチョコレート850gハイカカオ/ホワイトハイカカオビターアーモンドチョコナッツスイーツ業務用子供お取り寄せグルメお買い物マラソンSALEセール楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}(急ぎじゃ無い人はスパセの時に買うとお得かも)届いてビックリ!重すぎる~通常のアーモンド
ひとつ前の記事で書いたとおり2017年のクリスマスに父は突然倒れて入院してしまいました2018年、新しい年が明け、春が来て父は老健(介護老人保健施設)に入所することになりました老健は在宅への復帰を目標に心身の回復を目指す施設なのでずっといられるわけではなく3ヵ月ごとに継続の見直しが行われます父の場合、入所してから認知症の症状がどんどんひどくなり3ヵ月して『退所依頼』のようなお手紙が届きましたそうなると、2択になります
84歳の実母脳梗塞の手術直後から軽い認知症の気配が…昨日…母の診察のために…総合病院へ行ってきました。母は…脳梗塞の手術をして…それからは…2ヶ月ごとに…通ってるんですけどね。で…母は…診察のたびに…3つの薬を…処方されてたんです。・胃薬・血圧を下げる薬・血液をサラサラにする薬で…昨日の診察では…次のような会話をしていました。【先生】『いつも通り、薬を出しておきますね』【私】『胃薬は、必要なんですかね?
84歳の実母脳梗塞の手術直後から軽い認知症の気配が…ある介護士さんが…仰ってた介護の話です。『介護施設に入居して、一気にボケた人を、何人も見てきました』入居した時点では…ほとんどのことが…自分で出来てた人でも…1ヶ月も経たないうちに…そんな風に…なってしまうこともあるそうです。というのも…利用者は…食事のときだけ…フロアに出てきて…それ以外は…自分の居室にいるので…誰かと会話することが…少ないらしいんです。しかも