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介護が始まる前、地域のボランティアを掛け持ちしていた。本当は公務員になりたかったのだけれど、運命の悪戯で主人と同じ会社に入社してしまった。根っからのボランティア好きで、娘たちの幼児サークルからずっと何らかの仕事を受けていた。娘たちが成人してしまうと、私に当てがわれたのは老人クラブのスタッフ。セッティングをしたり、レコードを並べたり、歌声喫茶や老人体操のお手伝いをする。その中で綾小路きみまろさんのDVDや、老人川柳を読み上げると物凄く盛り上がった。内心『それ、あなたの事ですから!』と毒
やりたいようにやられているが、不思議と私は義母が嫌いでは無い。根っからあっけらかんとしていて悪意がまるで感じられない、嫌われない人なのだろう。逆に私も発散方法を知っていて、余程の事で無ければ消化してしまう。言わゆる嫁姑問題にはならない、不思議な関係なのだ。昨夜も困った事が起きたと言って電話をして来た。義父が遺した共同名義の煩わしい土地の事だ。共同名義の相手先がこちらの都合も聞かず、明後日に現地に落ち合いましょうと言って来て不動産屋とのアポを押し付けて来たのだ。「どうしたら良い?」と
MCT・大動脈瘤を退縮させる脂質〜近畿大学の研究により明らかに〜特定のMCTオイル「トリカプリン」の効果が目覚ましい。先日、トリカプリン(C10:TG)は「心臓の肥満を減らす」という報告があったばかり。『心臓の肥満を減らすMCT〜中鎖脂肪酸・カプリン酸のパワー〜』心臓の肥満を減らすMCT〜中鎖脂肪酸・カプリン酸のパワー〜心筋に中性脂肪が溜まってしまう病気、「心臓の肥満」とも呼ばれている、中性脂肪蓄積心筋血管症(TGC…ameblo.jp近畿大学の新しい研究による
昨日午前中、母の面会に母の特養さん伺いまして、母との面会が終わり、帰る際に、歩行器をお使いになられた高齢者さんとそちらの方の娘さんか、お嫁さんだと思われる50代くらいの女性が特養さんの事務所前の入口付近のイスにおかけになられてまして私、施設内外問わず職員、利用者、面会者さん問わず目が合った方には挨拶だけはする人なんでお二人にこんにちはとご挨拶しましたら、高齢者さんは笑顔で挨拶返して下さいまして、娘さんだかお嫁さんはお疲れなのか、やや仏頂面で挨拶を返して下さいまして、大人なら
秋から義実家に頻繁に通う用事が増えた。介護と呼んで良いのか分からないけれど、ネットや土地売却の事から整理されていない書類の整理まで。義実家に行くと事務処理をしながら、義母の昔話を聞かされている。何度も聞いた話でも、情報が更新されない義母には、息子たちの昔話をするしか無いのだろう。私も音信途絶えた次女の事は、家を出るまでしか知らない。今、どんな生活をして、何を思っているのかも分からない。今、次女がふらりと帰って来たとしても、私は義母と同じように昔話を聞かせてしまうのだろう。家から独立
中学生の娘の学校の先生に昨年奥様三人目のお子様ご出産の為、育児休暇お取りになられた30代前半の男性教諭がいらっしゃいますが、中学生の娘の30名くらい参加する子どものグループメールによりますと、そちらの個人的な先生、インスタなどをだいぶ前から生徒に教えてるそうで、今後教員を退職し、教育系ユーチューバーに転身するそうで昨日私中学生の娘に、うちの次兄が娘に買い与えたスマホで先生御本人の実名、顔写真入りの動画サイトの一部を見せてもらいましたが、自分のお子さんの為育休取るのは良いのですが
昨日…こんな記事を書きました。↓↓↓⇒【高齢者】不倫相手が2人になった!で…今回も…近所の人の話ですけど…昨日の人とは…全く別の人です…(^^で…今回の人は…88歳のおじいちゃんで…数ヶ月前まで…奥さんを介護されてました。でも…その奥さん…亡くなられたんです。なので…現在…おじいちゃんは…一人暮らしをされてます。ちなみに…娘(60歳前後)さんが…近所に…住んでるんですけどね。で…先日…その娘さんが…おじいちゃんの家に…立ち寄ったらしい
昨日は確か母の日だったはずですが、中1息子に昨日は何の日か知ってるか訊きましたら、日曜日との答えが息子から返って来ましたが去年、息子から貰った造花のカーネーションを見せながら母の日ですと、言ったら一瞬バツが悪そうな顔をし、うん、それ知ってたよ、ははいつもありがとうとのことで、それに対して私は母の日をスッカリ忘れてた息子にちと思うこともございましたがどういたしましてその言葉大事だよ君たち3人元気でいることがははにとって母の日の一番のプレゼントだよと、だけ返しておきました(
母の四回目の月命日を迎えました。母が亡くなってもう五カ月あっという間のようで、あの暑かった夏の日はもう随分前のことのような気がします。花よりダンゴ^^母の好きだったみたらし団子(醤油味)を飛騨の友達が送ってくれました当ブログ『それでも実家は売れました』は<シーズン1>2022年9月~2022年3月まで(実際は2019年3月~2022年3月までの振り返りを書いています)・2019年4月に母を富山の実家から私の住む関西へ呼び寄
今日午前中、特養さんにてお世話になってる母と面会して参りましたが、私が行った時には母寝てまして、母の耳元で母ちゃん、面会来たんで起きて下さ〜いと、言ったら、母ちゃんと❓起きましたが、母余程眠いのか、いくら私が母に話しかけても3分くらいでまたうとうとしちゃいまして、母起きそうになかったので、母との面会は10分くらいで終了し、施設を後にしました😅帰る際に施設の理学療法士さんが、ちょうどエレベーター前で車椅子ご使用されてる入居者さんリハビリをされてましたので、ご挨拶しましたら、
なんか今日ポスト見たら子ども家庭支援センターの人からうちの旦那に手紙が届いてまして、なんだろう❓と気になり、帰ってきた旦那に手紙が届いたことを伝えたらこの前さ、お昼休みに会社にその人から電話掛かってきて、今昼休みの時間だからかけ直せって言ったの13時過ぎに悠里さんにお知らせしたいことがあるんで、電話していいですか❓旦那が今後一切私に連絡するなと子ども家庭支援センターの人に言ったのになぜか、旦那に私に電話する許可を求める子ども家庭支援センターの担当さん私的に意味がわかりません
『ごはんを食べるということ』それは「生きる源」であり、暮らしの上での「楽しみ」のひとつでもあります。母は元々「食べること」も「作ること」も大好き家ではテーブルいっぱいの手作り料理を並べていつも家族の帰りを待っていてくれたし、お寿司お餅おまんじゅう、、もつい最近までパクパク食べていました。(今考えるとちょっと恐ろしい、、笑)去年の11月に一緒に食べに行ったおすしもペロリ施設に入ってからも、「私、テーブルの中で一番最初に食べ終わるからヒマ
何とか母の四十九日法要までにやった手続きは、昨日までにお話したSTEP3の➀~➄まででした。■STEP3届け出➀母の生まれてから死ぬまでの戸籍の取寄せ…(★)↓②「法定相続一覧図」の作成…(★)↓③市役所での手続き(14日以内)…(★)↓④携帯電話、NHKの受信料の解約…(★)↓➄遺言書の確認↓⑥銀行・証券会社などの口座の凍結、相続手続き↓⑦生命保険の解約・受取手続き➄
だと私は思うのです😐たまに親を在宅で暮らさせるのは最高の親孝行だと仰る方もいらっしゃるようですがうちの母、お蔭様で特養さんにてお世話になれてますが、先日、私が母の面会に施設に足を運んだ際に、私が何度かお見掛けしたことある恐らく私より年上の穏やかそうな50代くらいの女性とエレベーターに乗り合わせまして、お訊きしましたら、そちらの女性も親御さんの面会に来られたそうで注、母の特養さんは面会は基本的に事前予約制ですエレベーターの行き先ボタンを押すのにそちらの女性に何階かお訊きしましたら母
お蔭様で、昨日午前中入院中の病院さんより退院しましたが、私家で用事があったので母の退院には付き添え無いので母の入院先の病院さんの医事課さんの方に入院している母は午前中退院するが、入院費の支払いは午後でも大丈夫か電話でお訊きしましたら、それでも大丈夫だそうで、ご親切なことに電話対応頂いた医事課の事務員さんが入院費の概算をお教え頂けましたが、入院時に病院さんの方には母の入院保証金を支払ってるので、お金を持参しなくて良いとのことで、3月に2回入院した母の入院費はこんな感じになりましたー。
「恐怖症とMRI検査の難しさについて」私がMRI検査を終えて待合室に行ったら、小学校4~5年生くらいの女の子とそのお母さんがいて、その母娘に医師が丁寧に説明していました。「どうしますか?お母さんが付き添いますか?全然痛くはありません。ただ、カプセルみたいな中に入って、うるさいのでヘッドフォンして、また安心出来るように見えないようにはなります。」お母さんは結局付き添っても、話し掛けられるものでもないため、「大丈夫だよね!!」と言ってましたが、初めてのMRI検
母のケアマネージャーさんとは最初に担当していただいたときからのお付き合いわたしも母も、月に一回の面談日が楽しみになるくらい母のケアマネージャーさんが大好きです実は、母のケアマネージャーさんが決まるまで母もわたしもちょっとドキドキしていました過去に父のケアマネージャーさんとトラブルがあったためです(2017年に父は他界しています)父は脳血管性認知症で、脳梗塞と糖尿病の疾患がありデイサービスとショートステイを利用していました
「母の棺(ひつぎ)に入れてあげよう」少し前からそう思っていたものがありました。それは、母がとても大切にしていた人形でひな祭りには箱から出して毎年飾っていた人形です。母が母のお母さんからもらったものらしく手作りの着物を着せていました。実家を片付けた後も、施設の部屋で大切に葬儀社との朝の打ち合わせでそのことを伝えると(葬儀屋さん)「火葬場に中に入れたものをすべて申請しなくてはいけないので、お人形はちょっと難しいです。全体
どうしてワクチン未接種の孫(10歳)にも面会許可が下りたんだろう有難いけどそれって、母がそろそろ危ないから会わせたい人に会わせておいてってことよね、、こちらからの続きです↓『看取り期二週目②孫と兄への面会許可』母が施設に帰ってきてまる2週間が過ぎるころサ責さんから電話がありました。こちらからのつづきです↓『看取り期二週目➀ただ毎日会いにいくだけ』母が施設に帰っ…ameblo.jpその日のスタッフさんの「訪問記録」を見てみるとどうやら母朝突
母の看取り期~亡くなるまでのことを一気に書いてきたら少ししんみりしちゃいました。今日は、ちょっと一息ついて母が最後にきた服のこぼれ話を^^母が亡くなる前日に用意した・ピンクのカーディガン・赤い花柄のブラウス・母の日にあげたベージュのズボンのセットこの他に、密かに用意していたものがありました。それは何を隠そう母の肌着です。入院後は寝たきりの生活になったので母の下着は、上に着る「前開きのシャツ」だけで「パン
私にさよならとのメールを最後に長姉とは1週間くらいから前から連絡が途絶えてましたが、今長姉からメールが長姉から不快だと思うが、母ちゃん(母)に会いに行っても良いか私に確認のメールが入りました😐確かに長姉からのメールは不快なんですが母との面会は施設のご都合上事前連絡が必要なのでいつ母の面会に行くのか訊きましたら、長姉から今のところ返信無しですが私が知る限り長姉、母の件で施設の職員さんから至急折り返し連絡を求めるお電話頂いて、3週間以上施設の方に折り返しの電話してないはずですが、私と
母の部屋で眠れぬ夜を過ごす間少しづつ荷物を片付けている自分がいました。「今使わないものはまとめておこう」そう思って片付け始めると施設の部屋の中にあるものはもう使わないものばかりでした。母は退院してからずっとパジャマしか着ていなかったので洋服も全て「使わないもの」でしたが、夏服にはまだ手をつけず冬服はすべて畳んで、大きな紙袋につめていきました。私は洋服を一枚ずつ畳みながら母の最期に着る服を選んでいました。母が好きだった
母が去った施設の玄関先で旦那とケンカしてしまった私泣きながら一人自転車で飛び出しましたが結局家以外に帰る場所はありませんでした。あっという間に夕方近くになり、ご飯を作る時間時間がくればどんなに悲しくてもお腹がすく「生きている」ってそういうことです。旦那と言えば、さっきあったことはすっかり忘れてるかのように(旦那)「ねぇ、ごはんどうする?疲れてるやろうから何か買ってこようか?」といつもと変わらぬ感じ(^-^;
母が亡くなってから、あっという間に二か月半が経過しました。やっと、一通りの届け出や手続きが終わった感じです。(まだ手続き中のものもあります)これからは、親が亡くなった後に次々訪れる葬儀・法要・届け出・相続などの手続きについて書いていきたいと思います。あくまでも私が行った順番ですが、・こうしたらスムーズに進んだ・もっとこうすればよかった・その時私がどう思ったか、、も含めて引き続き綴っていきたいと思います。親の死後
昨日、母の面会に伺いましたが、母が7回入院でお世話になった病院さんでは、病院の方針として、基本的に患者本人以外、病状説明をしない方針で患者本人以外の病状説明は基本的に主治医さんしか出来ないそうで、例外で、私母の入院してた際の病棟看護師さん5名くらいとMSW(メディカルソーシャルワーカー)さんに母の病状についてお教え頂いたことがございますが恐らく病院としては患者側とのトラブル予防の為にそう言ったシステムを構築されてるんでしょうがうちの母、前回の誤嚥性肺炎後に痰の症状が出ちゃいまして、
お昼前に特養さんにてお世話になってる母の面会に伺いましたが、面会した母、起きてましたが母、テレビでニュースを見てまして私が声掛けても無反応でしたが母、なぜかこうなってましたー。↓バスタオルが脇に挟まってました😂うちの母、今は寝たきり状態で殆んど自分から動かないのに一瞬なんで母が丸めたバスタオルを抱えてるのかと思いましたが解りました💡職員さん、お昼間際でバタバタしてたのでお訊きしませんでしたが多分、腕の拘直防止の為だと思うのですがさて、どうでしょうか😶
認知症のないグループホーム。そもそも、グループホームとは認知症の方のための施設です。大学院でこの講義を聞いたときはとても驚きました。認知症にはアルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症など様々ありますが、在宅生活が困難になることの一番の要因は、物忘れ自体にあるのではなく、それに伴う周辺症状にある場合が少なくありません。私の施設にも認知症の方がたくさんいますが、入居当初は激しい帰宅願望でスタッフを捕まえては「家に帰る」を繰り返す人が3
転院してから、ひと月とちょっと2017年がもうすぐ終わろうとしている12月末看取り病院で父を見送りました辛かったことは・・・どんどんと衰弱していく父を真に当たりにしている中会社員だから、仕事の都合もあるのでしょうが弟から父がいつ亡くなるのかと何度も聞かれたことそんな事は、神様しか知らないのです救われたことは・・・わたしが生まれ育ち父母と暮らした大好きな町の病院だったこと幼い頃祖母や両親と共に初詣に出
ひとつ前の記事で書いたとおり2017年のクリスマスに父は突然倒れて入院してしまいました2018年、新しい年が明け、春が来て父は老健(介護老人保健施設)に入所することになりました老健は在宅への復帰を目標に心身の回復を目指す施設なのでずっといられるわけではなく3ヵ月ごとに継続の見直しが行われます父の場合、入所してから認知症の症状がどんどんひどくなり3ヵ月して『退所依頼』のようなお手紙が届きましたそうなると、2択になります
昨日の続きとなります。血管性認知症の母のことを書いています。㊤をまだの方は下をクリックして、お読みいただくと話が理解しやすいです。⇩⇩⇩『在宅医療と最期を迎えたい場所㊤』このブログでは、若年性アルツハイマー型認知症の妻以外に、血管性認知症の母のことも書いてきた。今日はそんな要介護4の母の話をしたい。母が脳出血で倒れ、その後遺…ameblo.jp訪問リハビリは中止し、今月から訪問診療を受けることになった。医師が来るのは月2回、看護師には週に2回来てもらえる。緊急