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母が退院して六週目の水曜日その日は兄の三回目の面会予定日でした。旦那は仕事の繁忙期がひと段落して今日から八日間の夏期休暇息子の塾の夏期講習は盆前の金曜まで続き、水・金の夜19時から三者面談の予定が入っていました。夏休み前のテストで頑張って塾のクラスが上がった小四の息子新しいクラスに入った途端難しくなった内容について行けずテストで撃沈ぎみ、、一緒に勉強もしてあげたいけどその日は塾の宿題に付き合うのも算数と理科の先生との面談もすべて
昨夕のヘルパーさんからの伝達事項↓家に着くとお花つんでおられ、葉っぱでくるんでくれました。中に入ると焦げ臭く、炒めものあり。味見してもらうと調度よいとこのと。玉ねぎと人参の味噌汁を作ってもらいました。一人でここ泊まるの怖いわ、私も帰ろうかしらなどの発言あり。やはり認知症を実感させる内容ですさて、先日、父の看病中のときの母のメモ書きが出てきました父は急性硬膜下血種で入院1ヶ月後に意識を取り戻したけど、脳血管性認知症で入退院を繰り返し、急性硬膜下血腫から5年後に他界しました母の
このアメブロの受信箱に、謎のメッセージが届いた。「騙されたと」というタイトルだった。内容は怪しいものではなく、有名な認知症研究たちが登壇するキチンとした講演会への誘いだった。ただし講演名や申込先など、詳細が書かれていなかった。単発仕事が延期になったこともあり、日にちと場所だけを手掛かりに何とか申込先を探し出し、先週末、大阪へと赴くことになった。3人の研究者と主催者が登壇したのだが、エーザイでアリセプトを開発した同志社大学生命医科学研究科の杉本八郎客員教授
目の前で震える母を見ながら私は先に旅立った父のことも思い出していました。13年前に胃癌で亡くなった父、76歳でした。病気になる前の父はとても明るくて、お酒とパチンコとお祭りが大好き亡くなる10年程前から老人性のうつ病を発症して、母が実家で老々介護をしていました。父は実家近くの総合病院の精神科に入院中に胃癌が見つかりこれ以上の治療の見込みがないとなった後同じ病院内の緩和病棟に移ります。その緩和病棟は、新設されたばかりで
たくさんの皆様、母と私への温かいコメント下さりありがとうございました✨すみません、頂いたコメントへのご返信今しばらくお待ち下さいませm(__)mうちの母がお世話になった特養さんには自転車で行きましたが、ケアワーカーさんと緊急で呼ばれた看護師さんと三人で一緒にエンゼルケアし、エンゼルメイクをして頂き、私が用意してた埼玉西武ライオンズのレプリカユニフォームを着せて、施設の仏間に母を安置して頂きましたー。看護師さん、母の口周りのヒゲを丁寧に剃って下さり、ラメ入りのアイシャドウや、チークを
翌月曜日長い間会ってなかったサ責さんが久し振りに出勤されていました。どうやら小さな娘さんに熱が出て家族に発熱者がいると今のご時世出勤停止になるらしいです。その日は、・ケアマネージャー・訪問医・看護師・サービス管理責任者(サ責さん)の全員が顔揃えての担当者会議が開かれました。これは、私がかねてから希望していたもので「一体母は今どういう状態なのか」「今後どのようなことが起こりえるのか」を誰かはっきり説明して
担当者会議が終わり母の部屋へ行くと、母はスースー気持ちよさそうに眠っているように見えました。20分ほど過ぎると、目がうっすら開いたので、「お母ちゃん、起きた、、?」と声をかけるも言い終わる前にまた激しい痙攣(ケイレン)が始まりました。私は水色の自由ノートに母の痙攣が起こる度にその様子と時刻を記入しました。口が引っっぱられるように引きつり口をモゴモゴさせる目はカッと見開くも焦点合わず顔は歪み苦しそう
今日午前中、特養さんにてお世話になってる母と面会して参りましたー。↓昨日、長姉が言ってたように母、眠たそうでしたが、私のスマホで、昭和時代の人気歌手の故坂本九さんと、故美空ひばりさんの歌唱動画見聞きさせたら、母、眠たそうだったのに母、美空ひばりさんの動画の際に目と口が開きまして、うちの母、認知症なんですが、どうやら美空ひばりさんのことは覚えてるようで、母の反応が嬉しかったです今の状態から私的には母、地上での生活は数日しかないような気がしますが娘としてらそれまでどうか、母には少し
昨日、私いつもより早目に17時くらいに子ども達より先にお風呂入ってましたが中学生の娘が児童相談所からの電話が来てるよ〜と私のスマホ持って参りまして、私素っ裸で、シャワー浴びた直後なのに長女からスマホ渡されまして、出てみましたら、先日アポ無しで我が家に来訪された児童相談所の職員さん出して学校行ってない小学生の子どもの件で子どもの安否確認したいのことで、来週火曜日か、金曜日、児童相談所(ちなみに市外です)の職員さんこちらに来られるそうでその際に我が家を訪問したいとのことでしたが、私、仲が
こんばんは。あなたのココロに灯りを。母ロスヒーラーかのんです。このブログを書き始めてから結構な時間も経ち私の現在地も少しずつ変化してきました。そこで2度目の『はじめまして』を書いてみましたのでよかったら読んでみてください。私は2007年に最愛のお父さんをそして2016年に最愛のお母さんを亡くしました。両親が結婚して9年目にようやく授かった私というひとり娘はお父さんにとってそれはそれは可愛くて仕方のない存在だったようです。小さい頃から色んなお店
イイネやコメントありがとうございますヽ(=´▽`=)ノとても嬉しいです♥こちらは、雪が降ってきて寒いです遡ります1月28日金曜日は、父がデイサービスでした。が、写真を1枚も撮っていないのでイマイチな一日だったようです(^o^;)(汗)イマイチな日は写真を摂らないことに決めましたそして、11月29日土曜日は父がデイサービスでした着替えなどに時間がかかりましたが朝食タイムですヨーグルトを出し忘れてしまうことが増えましたが良く食べました父は元気にデイサービスに行きました父は
転院してから、ひと月とちょっと2017年がもうすぐ終わろうとしている12月末看取り病院で父を見送りました辛かったことは・・・どんどんと衰弱していく父を真に当たりにしている中会社員だから、仕事の都合もあるのでしょうが弟から父がいつ亡くなるのかと何度も聞かれたことそんな事は、神様しか知らないのです救われたことは・・・わたしが生まれ育ち父母と暮らした大好きな町の病院だったこと幼い頃祖母や両親と共に初詣に出
「母の棺(ひつぎ)に入れてあげよう」少し前からそう思っていたものがありました。それは、母がとても大切にしていた人形でひな祭りには箱から出して毎年飾っていた人形です。母が母のお母さんからもらったものらしく手作りの着物を着せていました。実家を片付けた後も、施設の部屋で大切に葬儀社との朝の打ち合わせでそのことを伝えると(葬儀屋さん)「火葬場に中に入れたものをすべて申請しなくてはいけないので、お人形はちょっと難しいです。全体
「独りじゃないよ」一昨日、やったかなぁ夕焼けがキレかったよこちらほんっとによく解ります、その状態。普段なら簡単に出来ることなのに「追い詰められている時」はすべてが「億劫」になり、出来なくなってしまうんです。わたしの場合、ちょうど今日ね2022年の3月に一度メールで故障の連絡をしておきながらそのまま手付かずになってしまっていたウォーターサーバーの交換についてようやく電話して、手配することが出来たのでした〜。愛車の定期点検の予約についてもようやくこちらから、
母の法名も決まり急いでお泊りの準備と棺(ひつぎ)に入れるものを用意して母の元へ戻らなくてはなりません。※棺に何を入れたか、、の話はまた後日に母の葬儀のスケジュールは次のように決まりました。<葬儀前日>8:00葬儀打ち合わせ17:00付き添い宿泊の説明を聞く○葬儀会館泊まり<葬儀当日>11:00喪主(私)打合せ12:00親族集合(兄、旦那、息子)12:15告別式13:15出棺14:
夜11時前に母の特養さんより母の脈絡が低くなってるとのご連絡とのお電話頂き、慌てて特養さんに駆けつけて20分くらい前に施設に到着しましたが、私が到着した時には母、呼吸は止まってましたが、母の眠ってるようなとても穏やか顔をしてます私、ここ1週間、母に面会しててもの母の口が空いてるの見たこと無いのですが最期の母は口空いてまして、私久し振りに母が口を空いてるの見ましたー。特養さんの職員さんの皆さんのお蔭で母、安らかに最期を迎えることが出来まして家族として特養さんには感謝しても感謝しきれま
母の四回目の月命日を迎えました。母が亡くなってもう五カ月あっという間のようで、あの暑かった夏の日はもう随分前のことのような気がします。花よりダンゴ^^母の好きだったみたらし団子(醤油味)を飛騨の友達が送ってくれました当ブログ『それでも実家は売れました』は<シーズン1>2022年9月~2022年3月まで(実際は2019年3月~2022年3月までの振り返りを書いています)・2019年4月に母を富山の実家から私の住む関西へ呼び寄
母の部屋で眠れぬ夜を過ごす間少しづつ荷物を片付けている自分がいました。「今使わないものはまとめておこう」そう思って片付け始めると施設の部屋の中にあるものはもう使わないものばかりでした。母は退院してからずっとパジャマしか着ていなかったので洋服も全て「使わないもの」でしたが、夏服にはまだ手をつけず冬服はすべて畳んで、大きな紙袋につめていきました。私は洋服を一枚ずつ畳みながら母の最期に着る服を選んでいました。母が好きだった
今日、午後、わが子が在籍する小中学校で災害時を想定した避難訓練と、引き渡し訓練がございまして、先程、中学生の娘を学校に引き取りに行きましたがその際、歩きやすいのでサンダルで行きましたら、娘を引き取る前に、校庭を足元をよく見ずに歩いてましたら私の進路にあった大きな石に躓きそうになりまして、幸いに踏ん張って、転倒せずケガは無かったですが、万が一、地震や災害の際は自分のケガ防止の為履き物は出来る限りサンダルはやめた方が良いと私的には思いました😮💨で、話しは前後しますが、特養さんにて母
兄・私・旦那・息子たった四人だけの母の葬儀・告別式誰に気をつかうわけでも誰に見栄をはる必要もありませんでした。ただ、お坊さんにお経をよんでもらって母と最後のお別れをしてきちんと送り出してあげるやるべきことはそれだけです。11時からの司会者と喪主の打ち合わせ喪主は私でしたが、その場にいる4人が全員話を聞いていました。一般的な葬儀の流れとしては➀受付↓②着席・僧侶入場・開式↓③読経(お坊さんがお経を
見ず知らずのうちの母の逝去に伴い、たくさんのコメント頂き誠にありがとうございました🙇皆様お一人お一人にお返事したいところですが、バタバタしてまして、コメント頂いた皆様、こちらにてお礼を申し上げますことをどうぞお許しくださいませ🙇母の逝去に伴いコメント頂いた方の中に悪意がある方いらっしゃいますが、余計なお世話です。私と違った考えをお持ちで、意見したいことがございましたらすみませんわざわざコメントなさらずにどうか、ご自分のブログでお書き頂きますようよろしくお願いしいたします🙇
母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふれてきて声を出すこともできず時計の時刻を確認することもできませんでした。しばらくしてふと顔をあげると少し離れた場所で静かに泣いてくれているサ責さんと目が合いました。私がうなずくと、隣にいた看護師さんが近くまできて母の「脈」を確認します。「医師に連絡してきます」そう
特養さんにてお世話になっておりますうちの母、今は寝たきり状態なんですが先日、ネットで元介護職さんが寝たきり状態になっても、読書や新聞が出来るとお書きになられてるのをお見掛けしましたが、うちの母、コロナ罹患後から、体力低下が著しく、この2年ちょっとで入退院を合わせて7回繰り返しておりまして、母今は自分で寝返り打てないのですが昨日、母と面会した際に私の突発的な思いつきで、歌手の松崎しげるさんが、球場で歌われる歌唱動画を母にマイスマホで見せてみましたが、上にも書きましたがうちの母、寝たきり
母が亡くなってから、あっという間に二か月半が経過しました。やっと、一通りの届け出や手続きが終わった感じです。(まだ手続き中のものもあります)これからは、親が亡くなった後に次々訪れる葬儀・法要・届け出・相続などの手続きについて書いていきたいと思います。あくまでも私が行った順番ですが、・こうしたらスムーズに進んだ・もっとこうすればよかった・その時私がどう思ったか、、も含めて引き続き綴っていきたいと思います。親の死後
特養さんにてお世話になっております母が3月2回目、誤嚥性肺炎後に飲食しなくなりましたが母、それでもまだ、頑張って生きてくれてますが、母元気な頃から私母、亡くなったら、お葬式や火葬や納骨どうしたら良いか考えてまして、一ヶ月くらい前に亡くなったうちの父、私の兄、妹が眠る墓地を管理されてる父方の親戚の方に母が亡くなった際に母のお骨を父達のお墓に埋葬させて欲しいとお手紙でご相談させて頂きまして、もし可能ならばメールでお返事をお願いしましたら、先程父達のお墓を管理して頂いてる父方の御親戚からメ
母の看取り期~亡くなるまでのことを一気に書いてきたら少ししんみりしちゃいました。今日は、ちょっと一息ついて母が最後にきた服のこぼれ話を^^母が亡くなる前日に用意した・ピンクのカーディガン・赤い花柄のブラウス・母の日にあげたベージュのズボンのセットこの他に、密かに用意していたものがありました。それは何を隠そう母の肌着です。入院後は寝たきりの生活になったので母の下着は、上に着る「前開きのシャツ」だけで「パン
年を取ると物覚えが悪くなると思われがちだがこの本をたまたま読んでみてビックリ!一生頭がよくなり続けるすごい脳の使い方[加藤俊徳]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}脳のピークは30代から50代その中でも全盛期はまさかの45歳から55歳アラフィフ世代がピークって私の脳内って人生の中で今が一番ピークを迎えているという事に今年一番の衝撃・・・てっきり20代前半ぐらいかと。55歳を過ぎれば下り坂なのか
長いコロナ禍の間、施設にいる母へ『私は毎日絵手紙を書く』というという決意を2月初めに書きました。「面会もできない」「電話をしても、耳が遠くて聞こえない」だったら「手紙を書くしかないやん」そう思って^^そのときの記事はこちら↓『電話じゃなくて母に毎日ハガキを送る理由』コロナ第6波真っ只中「オミクロンって大したことないらしいよ」という当初のウワサ「2月の頭にはピーク過ぎるんじゃない?」という謎の予測全然当たってない…ameblo
『ごはんを食べるということ』それは「生きる源」であり、暮らしの上での「楽しみ」のひとつでもあります。母は元々「食べること」も「作ること」も大好き家ではテーブルいっぱいの手作り料理を並べていつも家族の帰りを待っていてくれたし、お寿司お餅おまんじゅう、、もつい最近までパクパク食べていました。(今考えるとちょっと恐ろしい、、笑)去年の11月に一緒に食べに行ったおすしもペロリ施設に入ってからも、「私、テーブルの中で一番最初に食べ終わるからヒマ
84歳の実母脳梗塞の手術直後から軽い認知症の気配が…母は…約2年前…脳梗塞になって…いきなり…ボケが目立ち始めました…(^^;でも…風呂トイレこれが…自分で出来てるうちは…それで十分じゃないかと…(^^ただ…いつか…『老人ホーム』ここに…お世話になる日が来るかも…(^^なので…『老人ホーム』これについて…多少は…勉強しておこうと思ったんです。で…『老人ホーム』これは…多くの人が…利用する訳です。なのに…