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【実生活にマイナスになるなら盆暮正月帰るとか真面目に考えなくて良いと思う】この写真(息子2歳)は実家で撮ったのだが、この写真から8年半私は子供を連れて実家に帰省する事無く時は過ぎました。2歳の次に実家に帰ったのが10歳実家と仲悪いとかで無く、転勤で遠方に居て帰省するお金と手間が、日常生活に支障しかないとプラスマイナスマイナス。という計算でシンプルに8年くらい帰らなかっただけです。意図せず8年も実家に帰らず、そして健常児ばかりの地元女子の集まりにも行かず思
わんの脳性麻痺がわかるまで、つづきです。①はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで①再診までの1ヶ月間、私は意識的に左手を使わせるように、右手を抑えたり、時には手袋をさせ使えないようにしたり…。それがよかったのか、はたまた単なる成長なのか、わんの左手の動きは少なからず上達していました。それで安心する反面、やはり右手ほどとはいかないので心配も消えていませんでした。そして再診日。この日は主人も一緒に病院へ。やはり、以前診ていただいた先生はいなくなっていて、新しい先生。今度の先生も若い男の先
ご覧頂きありがとうございます♥️ご縁に感謝致しますはじめましての方へこのブログは脳性麻痺をもって生れた娘と私の成長記録です身体障害手帳1級療育手帳Aを持っています2022年3月現在娘の発達障害がわかって4年半9歳男児・6歳男児・5歳の娘の3児の子育て奮闘中楽しかった事もつらかった事もお兄ちゃんの事も時々日々感じたことなどを書いてます前回からの続きで過去の投稿の整理中です前回までのお話はこちら妊娠〜のまとめ妊娠そして出産黄疸治療生後1月頃生後2〜
つづきです。②はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで②一歳になるまでの3ヶ月は、S先生の診察で安心していたのもあり、以前より左手の訓練を意識的に行ってはいませんでした。それでも、少しは上達していたと思います。その他にも、言葉の真似っこや、バイバイ等の身振りなど、できることが増えていた事もあり、順調だと思っていました。しかし運動発達では段々と成長の遅れがみえはじめていました。移動は相変わらずズリバイ。右手を主に使いながらずりずりと動きます。普通のハイハイする傾向は一向にみられず、心配
久しぶりの投稿です🙆姫ちゃん元気に過ごしてます😆支援学校に行きだして…劇的に…写真が減りました2024.1月6歳。小学校1年です。姫ちゃん。2年前の3月。幹細胞治療を受けました。幹細胞治療のまとめはこちら。で…。今回久しぶりに幹細胞治療について書こうかと思ったのは…最近幹細胞治療を受ける人が増えたのでしょうね。ちらほら…幹細胞治療の投稿を見かけるようになりました。イイネ(≧∇≦)bと押してくださる方が増えた…のもありますが。ASD...自閉
寝かしつけブログを休憩して普通のブログです。しかもかなり内輪ネタです。今日、福祉施設での保育で「そろそろ見直しの時期だから、がじゅまるくんは4月いっぱいくらいまでかなー?」と、突然言われ。え?4月って、来月のこと??見直しって、目標とかの見直しじゃなくて??施設での保育(療育)、来月終了!?衝撃が走りました。長期と短期の目標、先週立て直したばっかりやん。その時に言うてなかったよ。。通う前提で目標設定してるよ。あまりの衝撃に、しばらく呆然。施設での保育は、保育士さんのレベル
当初、申請は全く考えていなかった。娘が3歳ころまでは障害を受け入れること自体に必死で(2人目の出産&新生児育児も同時進行)、制度のことまで考えが及ばなかった。申請を勧められたこともなかったし、脳性麻痺でも歩ける子は対象外というイメージがあった。それでも「申請は5歳の誕生日まで」というのが頭の片隅に残っていて4歳になる頃、ふと機構のウェブサイトを覗いてみた。どんな制度かはこちら↓みなさま妊娠中に同意書にサインしているはず。産科医療補償制度ウェブサイト以下、申請を迷われて
はじめましての方へこのブログは脳性麻痺をもって生れた娘と私の成長記録です娘の姫ちゃんは2017年産まれ身体障害手帳1級療育手帳Aを持っています重度障害児認定2023年2月現在娘の発達障害がわかって5年半10歳男児・8歳男児・6歳の娘の3児の子育て奮闘中楽しかった事もつらかった事もお兄ちゃんの事も時々日々感じたことなどを書いてます姫ちゃんの出産から成長記録を中心にあれやこれやをまとめ中です『まとめのまとめ』はじめましての方へこのブログは脳性麻痺をも
息子、わんの脳性麻痺がわかるまでの事です。長いですが、よければ読んでくださいm(__)m今思えば、物に手を伸ばしはじめた頃から右手ばかり使う子でした。最初は気にもとめてなかったのですが、6ヶ月をすぎた頃、相変わらず右手ばかり使う事、歩行器も右足でしか蹴らない事、動きにも左右差が出てきた事で少し気になりはじめ…でも、わんは右手を抑えればしょうがなく左手を使ってはいたので、個人差の範囲かなと思うようにしていました7ヶ月健診の時、かかりつけの小児科で一応相談。ティッシュを顔にかけて片手ず
切迫早産入院(26週〜)から前期破水(32週0日)を経て、32週6日の早産で産まれた娘。2週間ほどNICUでお世話になり、その後GCUへ移って生後1ヶ月ちょっとで退院した。その後、生後10ヶ月経っても腰が座らない、ということで1歳1ヶ月にMRI検査を受けPVL(脳室周囲白質軟化症)による脳性麻痺と診断された。それまでは、助産師さんや保健師さんからごく普通のアドバイスを受けながら育ててきたわけだけど、そんな中で感じた違和感がいくつかあった。今振り返ると、どれもこれもP
こんにちはポンコツ母ちゃんです❣️妊娠期〜書き直してます私達の経験が誰かの情報となり元気に繋がりますように…前回のお話はこちら↓『いよいよボトックス治療』こんにちはポンコツ母ちゃんです❣️妊娠期〜書き直してます私達の経験が誰かの情報となり元気に繋がりますように…前回のお話はこちら↓『就学前教育の壁…どこにも入れ…ameblo.jpそれでは【3歳編】続きをどぞ↓昨日は以前ブログにも書いたSDR手術を受けたママさんに連絡とり、お会いする事ができました!なんの面識もないのに突然の私
@assist_official_株式会社アシストさんの①シュクレバギー②シュクレハイブリッドキッズフェスタでお試ししてきましたまず肢体不自由児育児界隈に於いて【家の座位保持作れるようになるまで小さい月齢のとき椅子難民】をシュクレのサブスクに救われたご家庭が多くある事は、社会貢献度凄く高い事だとずっと思ってました。子供が小さい時は座位が取れず座れる椅子が無いので2、3歳になっても仰向けしか取れず真面目な親ほど「少しでも身体起こさなきゃ」「仰向けだけしか出来てな
脳室周囲白質軟化症(PVL)の脳性麻痺娘の発達の記録。32週6日で産まれたので2ヶ月弱の早産ですが、下の記録は修正ではなく実際の月齢です。身長は0歳のあいだにぐんぐん伸びて平均より上に、体重は平均より軽めだけど安定して増えました。頭囲は、成長曲線内だけど一番下のほうを推移。運動発達の遅れから、MRIを撮って脳性麻痺の診断を受けたのは1歳1ヶ月。つかまり立ちやハイハイなど、不安定でぎこちない動きなので一般的なイメージとすこし違います。運動発達0歳4ヶ月〜5ヶ月首す
キッズフェスタで名前を忘れてしまったのですがイタリア🇮🇹のメーカーのウォーカーを試させて頂きました!岐阜こども福祉機器展にもいらっしゃるそうです使ってきた歴代歩行器少し上手くなったら座面取ったり勝手に角度直立歩行に近づけたりとにかく【サポートを減らして勝手に練習する母親】でした!それゆえ今乗ってるプロスターよりもっと本人にとって難しいのを1度やってみたかった!!歩行器ってPTさんによるが使ってる歩行器で十分過ぎるほど上手く歩けるようになって「もっと難しい
はじめましての方へこのブログは脳性麻痺をもって生れた娘と私の成長記録です身体障害手帳1級療育手帳Aを持っています重度障害児認定2022年5月現在娘の発達障害がわかって4年半を過ぎ9歳男児・7歳男児・5歳の娘の3児の子育て奮闘中楽しかった事もつらかった事もお兄ちゃんの事も時々日々感じたことなどを書いてます姫ちゃんが産まれてから過去の投稿を時系列にまとめ直し中です🍀姫ちゃんの妊娠(2017年)〜のまとめ妊娠そして出産黄疸治療生後1月頃生後2〜3ヶ月
息子の哺乳瓶拒否により完全母乳が始まっても、色んなトラブルありました。まず、息子の体重の増加不良。減りはしないけど、なかなか増えない。それの一番の原因は、反り返り。飲んでる途中に反り返って飲み続けられず、イライラして泣いてしまい、授乳中断。立って抱っこして揺らして泣き止ませて、授乳再開を繰り返すから、授乳時間めっちゃかかる。そして基本的におっぱいって、吸い始めてしばらくしてから分泌が増えるのだけど、そこまで吸い続けられない。かなり頑張ってるのに、体重が増えない。母乳量が不足してるんだと
今となっては自分でも信じられないけれど、、、娘が修正1歳のころようやく腰が座り、発達の遅れからMRI検査をしてPVLと告げられたあと。なかなか、その事実が受け入れられず、「PVLと診断されたけど問題なかった、普通に発達できた」という情報がどこかに無いか、必死に探していた。診断を受けたけど、多分きっとそれはうちには関係ないことだと思いたかった。今は、PVLのお子さんを持つママさんや当事者さんのブログが一番貴重な情報源で、心の支えと言ってもいいほどなのに、
2歳半の時まだ歩くことができないと書いていた次女ちゃん。4歳になりました。やっぱりまだ歩けません。MRIを前に取って特に問題はありませんという話だったのですが、なかなか原因がわからない中、柳原可奈子さんの娘さんが脳性麻痺であるということを公表したインスタの写真を見て娘と似てるなぁと感じ、病院の先生に脳性麻痺の可能性はないのですか?と聞いてみました。すると脳性麻痺ではないという返事。そして、前のMRIの写真を出して、脳にPVL(脳室周囲白質軟化症)があるということ、出産の時などに酸素が行きにく
わんの脳性麻痺がわかるまで⑤です。これでやーっと最後の投稿です!お時間のある時にぜひ読んでください。④はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで④そして、療育センターに着いたのですが、まず、S先生にお願いして、もう一度わんの症状の説明を受けました。わんは、右の側脳室がイビツで、少し拡大している為、白質が少なくなっているそうです。運動の神経は交差するので、右脳では左半身を動かしている為、左手足の動きが鈍いのにもこれで納得がいきました。PVLについても質問しましたが、やはり、PVLの所見とは
お久しぶりです皆さんお元気ですか田舎なので最初はイマイチ他人事だったコロナさんでしたが、あっという間に近づいてきて田舎とはいえ、むやみやたらに出かけられない毎日です私達の最近はというと、仲良くしていたお友達のお引越しが決まったり、外来で通っているPOTの担当さんが共に退職されるそうで…別れの季節ですね。子供のリハさんは基本的に人員が足りていないので進級進学のタイミングしか辞めることができないらしく、2人同時期のお別れとなりましたPTの先生は前リハの乙葉先生が
ご覧頂きありがとうございます♥️ご縁に感謝です姫の成長記録・私の備忘録として。妊娠からブログ書き出しの1歳11ヶ月に至るまでを思い出しながら書いてます。また、姫の発達だけでなく、姫を取り巻く家族の事も含め、色んな事に焦点をあてて、書いて行こうかと思います。最近の姫はこんな感じです。(2歳の誕生日)成長記録・第11話は気になる頭の形についてです⭐寝て…寝て…寝て…ひたすら寝てうつ伏せは大嫌いで…同じ方向ばかり向いて寝る姫の頭は絶壁を越え、顔が伸び、斜めに傾いていました。
先日、初めてのリハビリに行ってきました!主人もたまたま休みだったので一緒に担当の理学療法士さんは、若くて綺麗な先生でした乙葉に似ていたので、ブログ内では、乙葉先生と呼ぶ事にします。笑リハビリと聞くと運動やマッサージなど、みっちりやっていくイメージで、家でのリハビリ法なども教え込まれるのかな?と思っていたのですが、まだ小さいので、遊びながらするようです。その日は初めてという事もあり、リハビリというより、先生がわんの左手足の動きなどを観察しているようでした。最近、座ったまま移動するように
最寄りの市立病院へ、小児科や耳鼻科の診察を受けに行った時のこと。診察が終わっても、「せんせい会う!」「せんせいとこいく!」という娘。さっき、小児科も耳鼻科も先生に会ったよ。また会いたいの?「....。」別の棟の方へ行きたがる娘。変だなと思っていて、しばらくしてハッと気づいた。この市立病院では、1歳のPVL診断直後から月2回ペースで1年ほどPT(リハビリ訓練)に通っていた。何度行っても娘が男性のPT先生(理学療法士さん)に懐かず、逃げて号泣、
こういう記事があってほしかった、というのを敢えて書こうと思う。必要な人に見つけてもらいたいのでちょっとキツめのタイトルで。ぜんぜん当てはまらない方はスルーしてください!新学期で担任がハズレと思ったら、夏休みまでにSOSを出し、必要なら逃げ先を考える。こんな情報、役立たないほうがいいんだけども(笑地域の他校でも散々な思いをして泣いている発達障害ASD児ママさんたちと出会い、私だけじゃないと確信。以下、発達障害の専門家のレクチャーや相談した方々から得たアドバイス、私の気
わんの脳性麻痺がわかるまでの話。いやー、長い。笑もう少し短く終わらせたかったんですがよければ見てくださいm(__)m③はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで③予定の時刻を大幅にすぎて、やっと診察に呼ばれました。その時、呼びに来た看護婦さんの顔を見て結果が良くない事にうっすらと気付いたんですよね。。私、昔から悪い予感は当たるんです。S先生「お待たせしました。画像が届くのに時間がかかってしまってね。ごめんなさいね。」次に出る先生の言葉を聞くのがすごく怖かった、、でも、現実は残酷です
私は息子を笑わせたかった。脳性麻痺の赤ちゃんは笑わない、と聞いてた、生後3ヶ月まで、くすぐろうとも、クスリとも笑わない。笑いかけようが、真顔。むしろ基本的に泣いてる子だった。笑って欲しいから、笑い方を教えるために、真顔の息子の前で毎日大笑いをする私。この時期は私自身が精神的に病むのを必死で止めてたので、笑いヨガ的に笑って気持ちを切り替えてたのもある。けど、ハタから見たら違う意味で精神的にヤバく見えたと思う。あははははははは!って意味なく笑うわけですから。毎日。こわっ(笑)そ
久しぶりの投稿です🍀年明けから選挙のお手伝いを始め子どもたちは春休みに入り。3月末に自分が市議会議員に立候補してみようなんて思ってしまい選挙活動していたら春休みが終わりました🍀結果は敗退だったのですが。色々な決断をした4月でした。またそのお話もブログにしようかなぁとも思うのですが。考え中です🍀そして気付けば…なんだかバタバタの4月が終わろうとしております。幹細胞治療を姫ちゃんが受けたいのが昨年の3月。姫ちゃん。術後1ヶ月のお話はこちら👇👇👇半年
前回、4歳脳性麻痺の娘の発達検査結果について書いてから、もうじき1ヶ月。思いの外、この結果が私の心にモヤモヤと暗い雲のように浮かんでいて、しばらく気持ちが落ち込んだ。実際は、11月末まで落ち込む暇などないくらい仕事が忙しく、昼も夜も鬼の形相でPCに向かっていたり、東へ西へ走り回ったりして、毎日シュルシュルと過ぎ去っていくのに。立ち止まった瞬間、ふと悲しくなってしまう。原因は娘のことなのか、睡眠を削って仕事をしているせいか、原因はよくわからないけど(多分両方)。
娘が通う英語教室でのこと。クラスメイトの男の子が「お母さんのお腹にいるとき、僕寝てたんだ!」と。その子いわく、普通の赤ちゃんは寝ないのに、僕だけお母さんのお腹で寝てた!という自慢。よく分からないけど、かわいい(笑)。小さな子は胎内記憶が残ってるとか言うけど、うちは聞いたことなかったな〜なんて、ちょっと気になってきた。夜、娘とお風呂に入っているときに、「○○ちゃん、ママのお腹にいるとき何してたか覚えてる?」「うん」(おお!?期待高まる)
息子がまだ出産直後の入院から退院してなかった頃のこと。血中酸素濃度は早めに落ち着いてきて、病院に行くと、かなり普通に一緒に過ごさせてもらえた。授乳時間には、授乳部屋で飲ませるわけなんだけど、数口飲んでは反り返る、また飲む、と言うのを繰り返してた。当時の私は反り返るのが脳性まひのせいだと知らず、飲みたいの?飲みたくないの??と、思いながら授乳してた。それでも飲むと安心してゲップの姿勢ですぐ寝てしまう息子が可愛くて、抱いて毎日過ごしてたこの頃は毎日2、3回の面会中の授乳以外は哺乳瓶で飲ませ