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本年もありがたい事に、稚児行列の付き添いのお母さま方のお支度を承りました。ご依頼誠に有難う御座いました。kdm着付士さんも3名お越しくださいましてお着付けをしてくださいました。ヘアセットも合わせて承り、皆さんご満足いただき御礼申し上げます☺️卒園式や入学式、七五三にもお気軽にお声がけくださいませ💕お庭で撮影♪甍からよく歩きました!お稚児ちゃん、頑張ったねぇ。在家得度の皆さまと僧兵の方々本山や末寺の僧侶の皆さま赤いお傘、重たそう管長さまはお輿にお乗り遊ばされます南
こんにちは!きもの美人道柴田紀子です。稚児行列に参列のため着付けさせていただいたM様よりお写真を送ってくださいましたので、ご紹介させていただきますね。奈良東大寺の聖武天皇祭のお稚児さん達の様子です。とても気持ちの良い秋晴れで、お写真も映えますね。装束姿のお姉ちゃんは、年長さん。七五三との時のお着物に、袴を合わせておられます。私は、一緒に参列されるお母さまの着付けをさせていただきました。その時の様子はこちら>>>ご友人に「綺麗に着付けしてもらっているね。」と言ってもらい嬉しか
今日は、こちらのニュースからネタを引っ張ります。奈良時代の斎王宮殿、初確認井上内親王の正殿か三重・明和(外部リンク)https://yomotto.jp/2023/10/13/1436056/斎王というのは、皇室の祖神であるアマテラスを祀る伊勢神宮に仕える未婚の皇女さまのこと。飛鳥時代の40代・天武天皇の時代に整備されて、建武親政時代に消滅するまで(何度かの危機に晒されながらも)続いた制度でした。斎宮跡は1989(平成元)年から発掘が始まり、平安時代の方格街区や内院
聖武天皇祭13時からお練り南大門鏡池の舞台お練りは中門を通って稚児昔のお姉さん現代のお姉さん僧兵僧東大寺別当舞楽奉納一休み15時より慶讃能
(数立神社)南宮大社その他境内社美濃国不破郡岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1(南宮大社P利用)◎数立神社■祭神/猿田彦神境内の北東端に鎮座する猿田彦神を祀る社。鬼門の守護神ということでしょうか。一説には美濃国総社とも。◎金敷金床神社(かなしきかなとこじんじゃ)■祭神/豊玉姫命・蛭子神南門を出て境内社が居並ぶ参道の最初に現れる社。豊玉姫命は豊玉彦命の娘であり、彦火火出見尊の妻神。後述するように南宮大社の地では、かつて彦火火出見尊が祀られていたのではないかと考えています。
東京国立博物館の本館、常設展にある国宝室毎月、作品の陳列替えがあるのですが現在は、奈良時代の聖武天皇の筆と伝えられている名品が展示中●《愚賢経残巻(大聖武)》仏教の賢人と愚人の、善悪の行いに対しての報いを説く寓話集この筆者は聖武天皇と伝えられていてそのため、通称を「大聖武」と呼ばれていますおおらかな、太く重厚な文字キャプションによると、顔真卿に代表される、中国の
『天平グレートジャーニー』上野誠講談社2012年初版この本の著者上野先生は長らく奈良大学で万葉集を研究・講義されてきた学者です。歴史学・考古学・民俗学もふくめて、まるごと万葉の世界を研究されているので、従来の歌の解釈にとどまらない視点をお持ちです。1960年生まれですからまだ60代、この本を著した頃はまだ現役の教授でした(現在は奈良大学名誉教授で、母校国学院大学の特別専任教授)。頭の中には万葉集の索引を備えているのではないかと思われる先生が小説の題材に選んだのは、天平5年(73
聖武天皇(しょうむてんのう)の御忌法要が、天皇をお奉りする天皇殿で、令和6年5月2日(木)に行われます。この法要中に限り、日頃は非公開の天皇殿を参拝することができます(※天皇殿内には入れません)。奈良県新公会堂を出発した僧侶や稚児などによる練り行列が大仏殿に入り、法要が営まれます。これにあわせて、鏡池舞台で13時頃から舞楽が奉納され、続いて15時頃から能が奉納されます(※雨天の場合は金鐘ホール)。天皇殿を、目にする機会は少ないと思うので、この機会に訪れてみるのはどうでしょう!
(前回からの続きです)興福寺をあとにして向かった先は「東大寺」👩「鹿は何を食べて生きているの?」👨「鹿せんべいでしょ」⬅割と真面目に👩「流石にみんなには行き渡らないでしょう?ちゃんと餌をもらっているんじゃないのかなぁ?」👨「いんや、そんな事していないと思うよ。」👩「本当?草を食んでいるの?」★調べましたら、奈良公園の鹿
「ブレない思いは諸刃(もろは)の剣後醍醐天皇」Amazon(アマゾン)NHKでやってました。先人たちの底力知恵泉「ブレない思いは諸刃(もろは)の剣後醍醐天皇」https://www.nhk.jp/p/chieizu/ts/R6Z2J4WP1Z/後醍醐天皇…日本史上、最もアクティブな天皇であった。だからといって、上の画像手に持っているのは、ダンベルではない😅右手には“五鈷杵”左手に“金剛鈴”…という密教法具だ。私は、勝手に“三鈷杵”だと思い込んでいた
大西洋中央海嶺の熱水噴出孔:地球生命の誕生地として有力視されている。ahydrothermal-ventin2,980metersofwaterontheMid-AtlanticRidge©MARUM/WikimediaCommons力と交換様式『資本論』を引き継ぎ、生産様式から交換様式への移行を告げた『世界史の構造』から一〇年余、交換様式から生まれる「力」を軸に人類史の歩みを再考し、柄谷行人の全思想体系の核心を示す。戦争と恐慌の危機を絶えず生み出す資
平安京に先立ち、奈良に都が置かれたのは7世紀後半から8世紀。その時の聖武天皇の時代には僅か在位25年〔724~749年〕の間に、平城京から恭仁宮(くにのみや)~難波宮(なにわのみや)~紫香楽宮(しがらきのみや)~平城宮と都が転々と遷された。この時期に兵乱や災害が頻発したため、聖武天皇はこれらの厄災から逃れようと遷都したとされる。これらの遷都先の中から、今回は恭仁宮跡を探訪した。□平安時代までに宮・京が置かれたところ飛鳥時代の近江大津宮に始まり平安京までに至る130年近くの間に、9ヵ所に
皆さま、ご無沙汰しています体調不良や連休の影響で、間が空いてしまいました8月31日(月)、バスに乗って市内の神社を訪れました武野神社(たけしのじんじゃ)です石段の左右に社号碑。西武池袋線・ひばりヶ丘駅北口より【西武バス】志木駅南口行、朝霞台駅行、新座営業所行「火の見下」下車徒歩5分。我が家はこのバス路線の途中にあるため、バスだけで行けます。暑くなければ自転車で行けるところです石段上に鳥居が見えます。緑が美しいここは、新座市野寺というところ。「武野神社」は、八幡山と呼ばれる
あなたに見せたい景色がある。関西の花と苔好き登山ガイド水野由香です。......................................................................奈良町に住んで8日目の水野のところに、自治会のおばちゃんから電話がかかってきた件の続き「聖武さん」って何じゃろ???✨【ブログ】実家から家に戻り、もらってきた券↓東大寺聖武講!!!講員証!!!!!!
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は天平勝宝元年(749年)、奈良時代に聖武天皇が東大寺大仏殿を造営されたとき、九州豊前国の宇佐八幡宮より東大寺の守護神として、大仏殿の近くの鏡池の東側に鎮座したことに始まる。そして、鎌倉時代の建長二年(1250年)に北条時頼によって現在地に遷座した。御祭神:応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇所在地:奈良市雑司町434鳥居大仏殿・鏡池の東側の鳥居二の鳥居、右は宝庫法華堂(三月堂)前の鳥居楼門
聖武天皇祭の行列です。今年は歩く距離も長くなりました。先頭です。東大寺警備詰所の職員が先導します。弁慶さんを模した、僧坊さん昔のお坊さんの兵隊さんの装束を着てます〜ちなみにミス奈良の二人は既に通り過ぎてます(^_^;)お坊様が続きます。別当橋村公英様ですそして出店です。(^_^;)鏡池では、能楽が奉納されてます。今年は招待客へのお茶席も復活したので、ほぼほぼコロナ前に戻った感じです。楽しかったです〜仕事サボって行きました。
慈眼寺(じげんじ)の創建年代は不詳であるが、聖武天皇の御代に勅願により観音堂に聖観音菩薩を安置したことが始まりとされている。当初は、境内二丁四方、寺領百石余りの南都諸大寺の一つであったが、松永秀久の乱により荒廃し、永禄三年(1560年)に長順上人によって本堂が再建され、不動愛染の二尊躰とともに現在の聖観世音菩薩が安置された。本尊の聖観音菩薩は聖武天皇感得の霊仏を刻んだものと伝えられ、「やくよけ観音」として親しまれている。宗派:西山浄土宗御本尊:聖観世音菩薩
唐招提寺です金堂修学旅行生たちと遭遇したのですが、ガイドさんの説明が聴けるので有難い【薬師如来立像】お立ちになられている薬師如来様は珍しいそうです金堂|伽藍と名宝|唐招提寺(toshodaiji.jp)確かにそうかも、コナンくんの映画に出てきた薬師如来様も座っていた【新宝蔵】こちらは木でつくられた仏様たちが展示されているのですが鼻がないお方や、腕がないお方、頭がないお方…そして腕の木と木を繋ぎ合わせているところなどが見れます。新
毎年5/2、東大寺では本願/聖武天皇の御遠忌法要“聖武祭”が行われます。午前中には南大門東側の“天皇殿”にて論議法要、午後には参道を華やかな練行列が通り、鏡池の浮き舞台にて舞楽奉納・慶讃能などがあります。この日は残念ながら近くで見たり、写真も撮れず残念…でした。この写真は令和5年5/3現在の状況です。聖武祭翌日5/3、東大寺僧侶方が聖武天皇・光明皇后を祀る“佐保山御陵”に参拝される、“山陵祭”があります。8:30に大仏殿を出発、転害門をくぐり、御陵までは歩いて20分ほど。ぼくも御陵の前はよく
東大寺(とうだいじ)は、奈良時代の中頃に聖武天皇の発願により、大和の国分寺として創建された。本尊の大仏さまは、華厳経の教主である盧舎那仏で、天平勝宝四年(752年)に盛大な大仏開眼供養が行われた。その後、講堂・東西両塔・僧坊などの大規模な伽藍が営まれた。治承四年(1180年)に兵火により、大仏殿をはじめ伽藍の大半が焼失し、復興されたが、永禄十年(1567年)の兵火に罹り、現在の建物は江戸時代に建て直された三度目のものである。宗派:華厳宗御本尊:盧舎那仏(るしゃなぶ
大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ)の創建年代は不詳であるが、今から1300年前に天武天皇の勅願により義淵僧正が開基され、その後、天平十六年(744年)に、聖武天皇の勅願により良弁僧正が伽藍を整備された寺であると伝えられている。そして、良弁僧正の高弟で、奈良東大寺二月堂のお水取りを始めた実忠和尚を第一世としている。法相・三論・華厳宗を兼学し、息長山普賢教法寺と称た。御本尊の国宝・十一面観世音菩薩はこの普賢教法寺の本尊で、天平時代独特の木心乾漆の技法で造られており、古記録によると天平十六年(
昨日は自宅に私一人だけという状況になり、それならと滋賀県の竹生島まで突然思い立ち行かせていただくことになりました。下道で行ったため、道中いろんな景色があり、道の駅にも寄りながら、販売されている商品を見ながら、発見があり、勉強になりました。竹生島の宝厳寺は、奈良時代に聖武天皇の夢に、竹生島に尊い弁才天さまがいらっしゃるとお告げがあり、行基に開山させ、今年は1300年の節目の年です。聖武天皇自ら彫られた弁才天さまは秘仏とされ、ご開帳は60年に一度で、次は2037年です。それが、今年は記念とし