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https://youtu.be/QhOFg_3RV5Q?si=G-K5J-6Sh_-DpAagXJAPAN『ENDLESSRAIN』(HD)XJAPAN-"ENDLESSRAIN"istakenfromthealbum,'BLUEBLOOD'(SonyMusic-1989)「EMDLESSRAIN」のダウンロード&ストリーミングはこちらhttps://xjapan.lnk.to/endlessrainAYXJAPAN...youtu.be過
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母誤嚥性肺炎で3ヶ月間の入院治療の結果肺炎は完治したものの身体がすっかり衰弱し、寝たきりに。認知度も高度認知症と判定され老衰として特養での看取り期に入りました。今回は誤嚥性肺炎の治療中に投与されていた中心静脈栄養について記録していきたいと思います。現状を客観視するためのほぼ思考整理のための記事になってしまいました。重複事項などありますがご容赦下さい。中心静脈栄養=延命ではない
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母誤嚥性肺炎で3ヶ月間の入院治療の結果肺炎は完治したものの身体がすっかり衰弱し、寝たきりに。認知度も高度認知症と判定され老衰として特養での看取り期に入りました。中心静脈栄養を外した後の母ですが・・一番驚いているのが目やにがなくなったことなのです。カテーテルを付けている1週間は目やにが固まって目を開けることもなく母の意思表示であるまばたきすら出来なくなっていました
仕事終わりに義母の施設から電話が来ていた。仕事中に何度も何度も。これはいよいよか?と思い折り返すと、昨日までは普通に食事をとれていたのに今日は朝ほとんど食べられず、お昼前に一旦呼吸が停止。直ぐ戻ったけれど、昼食も食べられず一時過ぎに静かに呼吸停止して亡くなられましたとのこと。今月末に実際の、来月半ばに戸籍上のお誕生日がきて90歳になるはずだったから、お誕生日までは頑張ってねって言ってあったのに。母の日に亡くなるなんて、最後まで自己主張の強いお方だったわ。認知症になってから10年以上
父は、母が元気なものと信じていました。それが、周りの人にとっては、困った種となりました。父は、いつまでも母は、元気。何をしてもいても母が寝たままというのがおかしいと感じていたかはわかりませんが、起きろとよく言っていたようです。部屋も隣同士、だから、母の所にすぐに行けてしまうんです。老衰となっていくと食べられなくなるということは、この時、よくわかりました。これまで老衰によって亡くなるという話は、よく聞いていたのですが、こういうことなのかということがよくわかりました。父にとって母が亡
母が老衰ということで、老衰の話は、周りからもよく聞いていたのですが、どんな状態なのかということは、母を目の前にして初めて知りました。人間、食べなくても生きていけるというのは、とても不思議でした。少しでも食べないと人間は生きてはいけないと感じていたのでこちらの方が驚きもありました。会話は普通にできるし、認知症は、ありましたが、声は、昔のままでしたので。特にどこかが悪いというわけではなかったんです。だから、もうすぐ、亡くなるかもしれないとは、まったく感じなかった母でした。物は、食べら
今日も夕方までフルパワーで仕事をして、特養の母に面会に行きました。母は食堂でテーブルに突っ伏して寝ていました授業中寝落ちしてしまった学生さんのスタイルといえばお分かりいただけますでしょうか…スタッフさんが笑いながら「カメコさ~ん!娘さんが来てくれましたよ~!あ~あ~!鼻が真っ赤になってしまってますよ~!笑」と母を起こしてくれて車椅子を押してきてくださいました。母は、わたしを見つけると笑顔になりました。でも眠そう…すごく眠そう…母は食事も水分ほとんど摂らず、寝てばかりいるそう
また風邪をひいてしまったパパ→まりねぇ→ママの順で移されたっぽい。。ゴールデンウィーク前に発熱外来行ったのにまた発熱ふう免疫力がないそれと、ママの実母の一番上のお姉さんが昨日亡くなったと連絡がきました。93歳だから大往生なんだけど自宅で転んで腕だか肩だかを骨折して病院に入院したんだけど高齢ということで手術は断念痛みでさらに弱って施設に入所そして意識がなくなってまた病院へそして昨日実母ら女姉妹だけ最後の面会に行って昨日の夜亡くなったようです。
こんにちはいつもご覧いただきましてありがとうございます父が亡くなりました。昨日、お葬式でした。当日は晴天で、晴れ男だったので彼らしい最期だなと思いました。71歳でした。もう脳自体は90代を超えておりスッカスカ。老衰に近いとのことでした。苦しまなくてヨカッタな悲しいし、思うところはもちろん色々ありますが。肉体がないだけなのも理解していて、その辺にいるのもたまにわかるので。そして何より、死はあっちの世界での誕生なんで…、人間的にはかなり不謹慎&薄情に見えると
母が亡くなってから、もうすぐ百箇日です毎日が過ぎるのは本当に早くてあの暑かった夏の日からもうそんなにもたったものかと、、やり残した手続きがないか再確認しながら書類の整理をしています。今日は秋桜(コスモス)を母に^^身近な人が亡くなると、悲しみに打ちひしがれる間もなくたくさんの届け出や手続きが必要となります昨日までにSTEP1~STEP2までのことを書いてきました。<亡くなってからの手続きの流れ>※(★)をクリックす
往年の吉本興業のトップタレント、「アホの坂田」で名をはせた坂田利夫さんが一昨日(29日)、「老衰」で亡くなったと、所属する吉本興業が昨日、発表しました。82歳でした。「老衰」はこの10年あまりで、この国で最も多い「死因」に一気に上りつめた死因です。2022年の速報値では、17万9500人と、ほぼ18万人が「老衰」で死去。ちなみに10年前の2012年は6万700人で、なんと3倍に膨れ上がっています。特定の疾患によるものではなく、加齢による「体の衰え」による死因とされる「老衰」です
母がどのように亡くなったかは、この間書きましたが、その時、父にどのように話すかを亡くなった後、特養の職員さん、ケアマネさんとで話し合いが行われました。もし、父がパニックになってしまったら、どうなるのか誰もわからなかったんです。なにしろパニックを起こすとなだめるというのか、どのようにしても時と場合によっては周りの人達に迷惑がかかることになるからです。また、特養には、沢山の他の入居者の方もいます。しかし、亡くなったことを話さないわけにもいかないので話し合って少ししてから父に伝えました。亡く
こんにちはいつもblog訪問ありがとうございます。今日は愛犬の日今やペットブームもあり犬や猫など飼うような場合も多くなりました。コロナ禍の時に動物を飼うケースも増加したりして社会問題化してるのがただこれから日常へ戻れば忙しいくなりペットの世話が出来ず挙句「「飼育放棄」したりと言う問題が浮上してきます。生き物は可愛いだけでは飼えません。5年ほど前我が家にはチワワんのメスでももがいましたが老衰で👼亡くなりました。以前の飼い主さんが高齢で散歩
8月22日午後12時50分サクラさんが天国へ旅立ちましたお友達のみんな沢山の思い出ありがとうございました亡くなる前日はももちんがサクラの側に‥当日の朝はシリンジでお水を飲ませてももう飲み込む力がありませんでした亡くなる1時間くらい前、それまで大きく聞こえていた呼吸音が急に穏やかな音になって‥肉球を触ると冷たくなっていて‥でも息を引き取る1分くらい前までは本当に穏やかでした最期は手を握り、頭や身体をナデナデしてあげてもう逝っていいよ‥カンちゃんが待ってるよ‥って
1/31、朝起きたらベタが亡くなっていました。数か月前から、徐々に動きが鈍くなり、底に沈んでじっとしてることが増えて、体色が薄く褪せて来て…調べてみると「老衰」の症状とわかりました。ベタの寿命は平均で何年?ギネスは?寿命の症状と伸ばし方ベタの寿命は平均で何年くらい?ギネスは?ベタの寿命の症状とは?ベタの寿命が短い?1年ももたないのはなぜ?ベタの寿命を伸ばす方法はある?こんなベタの寿命に対する疑問についてご紹介いたします。ベnettaigyo.papa77.com体力が落
こんにちは☺️施設ナースakiです今日は点滴はいつまでも出来るのか点滴が入らないってどういうこと?というお話です(静脈内点滴についての話です)老衰が進行して食べれない、飲めない状態となり脱水もすすんでいく、、、という場合に水分を補うために静脈内点滴をすることがよくあります。高齢者に点滴をすると何度ももれては、また入れ替えるこれを繰り返すことがとても多いです。そしていよいよ点滴が入らなくなる時がやってきます点滴ができなくなる原因として
みなさま、こんばんはあいすです。ご無沙汰しておりました。新年度がスタートし、4月3日を迎えた祖母が106歳になりました。3月末にコロナウイルスに感染した私は、気力体力ともになかなか回復せず、毎日のルーティンが狂っておりました。そんな矢先の5月1日。祖母が、祖父と両親の元に旅立ちました。祖父が亡くなってから22年。病気もせず、最後まで私に迷惑を掛けまいと元気に過ごしてくれました。亡くなる二ヶ月前まで私を孫だとしっかり認識し、「5人も子供がいながら孫に世話になるなんて、子供の育て
こんにちは☺️施設ナースakiです今日は口から食事や水分を摂れなくなっている時に口唇(くちびる)をうるおす工夫についてのお話です✨*****例えば・絶食中の方・嚥下障害があり口から食べられず胃ろうや経鼻経管栄養されている方・老衰の進行により食べれなくなっている方など病気の治療中や嚥下障害老衰などで口から食べれなくなった時どうしても口の中や唇が乾燥してしまいますね時には唇があれたり口角がきれてしまうこともあ
今後ますます避けて通れない問題、なにかと困難でつまびらかにできない介護事情に切り込んだあさイチは公共放送だからできる、いやすべき放送であったことは評価できます。でも、あまりに走りすぎではないですか?(NHK+で5/15朝まで再生できる)自宅で看取り。前回もそうだけど、出演の専門家は「一人で抱え込まないでプロに任せる、みんなで介護するから大丈夫」というけど、実態は。プロはどこでも人手不足、訪問医師も24時間対応してくれるなんてかなりレア。そう、万一の際、24時間対応してくれ
家をすっからかーんにして父親、母親を施設に入れてしばらく経ちまして父親が老衰86才でございました施設に入所して3年結局家に帰る事は有りませんでしたおかしいなー義理の母の施設は問題があるたびにしょっちゅう連れて帰ってたけどなーこの時遺産は父親現金800万のみ家は築40年価値はないこの800万と年金にて母親の施設生活が続くキーパーソンは姉である不思議な扉🚪雌の遺産は6000万位あったのかな🤭全て自分の兄弟甥姪に進呈相方の雄には別荘のみへー別荘があったんだー🤭(O
どうも、けんさんちの母です年に数回しか更新しない当ブログをご訪問いただき、誠にありがとうございます春分ですね〜お彼岸のお中日なんぞ切り替わりの時期らしいので、私も区切りの意味を込めて、ブログをアップしときます久しぶりなんで、緊張するな〜先月(2月)前半、実家の私の父(おじいちゃん)が、永き眠りに着きました。永眠“眠るように”とよく聞きますが、本当に『おやすみ』と夜眠って、朝起きなかっただけ。寝顔は、とても安らかでした昨年の7月あたりから、身體の不具合が増
宮島のお土産物屋さんやまむら商店店主の山村ゆう子です姑の看取りを忘備録として書いてきました。これが最後。看取り手続きから2ヶ月、悩みに悩んで、結局10月12日に水分の点滴を外しました。通常だと口からの摂取が無いと保って一週間といわれました。夫は介護休暇をとり母の側にできるだけいることに。亡くなるまでの一週間を書きます耳は聞こえていると、一般的に言われているので
祭壇に父と母の遺影が並びました。まさかこんなに早く父まで逝ってしまうなんて…父は、亡くなる前日まで意識もあり、目も開いていました。まだ大丈夫そうって面会した兄と姉が言っていたのに…その日の夜中にも意識はあって職員さんに握手を求めるかのように手を出していたそうです。今思えば、「ありがとう」の握手だったのかもしれません。明け方には、意識がなくなりました。点滴を外して3日。思ってた以上に早かったです。死因は老衰。この老健には、祖母、母、父とお世話になりました。度
本当に気付いて欲しい‼️高血圧の基準は昔からずっと長い間、年齢+90と言われていた。60歳なら150は普通だった。それが最近どんどん下がり、今では140とか130とかで高血圧という話になる製薬会社はこの基準を10下げると高血圧薬の売上げが3000億増えるだからですよこのDSに洗脳、支配された医療業界は完全に狂っていますから。もうコロワクで明らかになったじゃないですか最近老人になるとみんなボケて要介護になりますよね。昔はピンピンして老衰していたのになんででしょうね🤔騙されていたと気
母の亡くなったお話ばかりだったのですが、この時も父は、特養で隣の部屋に暮らしていました。母が老衰の状態になっても特養でずっと生活していたので前に比べたら特に気に留めていなかったようです。以前だったら、すぐにでも起こして「ご飯を食べろ!」なんて言っていたかもしれません。父もこのころには、記憶が5分も持たなかったんだと思います。若いころのことは覚えていても新しいことは覚えることができなくなっていました。でも、母とは、普通に会話し、日常を特養の中で過ごしていました。私が行ったとき、本来なら
私事で恐縮ですが、今月12日、我が家のなっちゃんの年上のボーイフレンド、ゴールデンレトリバーのライス(14歳)虹の橋へ・・・老衰で、かかりつけの先生に看取られて天国への階段を登って行ったと聞かされました🙏🙏お米屋さんのワンちゃんなので、名前がライス🍚です🙏🙏先月末に、フィラリア検査を終えた、なっちゃんと、ライスが老いらくのお見合いを果たしたばかり・・・💦お互い、老いらくの犬の恋は穏やかで、長年、ライスのファンの私は、、知人宅へ行くと、必ず、ライスを撫で撫でさせて貰って来ま
15才のワンコが下痢をしてすぐに気付いたのが体温の低下です。ワンコは人間よりも体温が高いのでいつも、介護やお世話をしていてあったかいな~、ホッカイロみたいだな~って思っていたので、ちょっとの体温の差にすぐに気付きました。それと同時に気付いたことが、ワンコのニオイが変わったこと。チワワは体臭がほとんどないので臭くはないのですが、老犬で歯周病があって寝たきりで。。なので、その子なりのニオイがありました。私からしたら、その子の
母が食べ物を受け付けなくなってきたとの話を聞き、面会が始まりました。かわりばんこに10分の面会。それも一人、1日に1回。そんな面会が12月後半から続きました。私は、そんな母を見ていて、横に寝ていても話ができるのでこれですぐになくなるなんて全然思わず。たくさんではなかったのですが、話をしては、帰ってきていました。毎日、誰かしら、交代交代に面会に行っていました。半月が過ぎ、お正月となりました。そして、お正月3が日が過ぎました。12月の末には、いつ、亡くなってもおかしくない状態ですと
「ストックホルム症候群の遺恨五十五年目の決着」はじめて公の団体を交えて協議したのは2023年10月・11月のこと。取り乱して嫌がる母を説得してでも私は闘いに決起した。家族にも従姉弟にも意を伝えた。母の年金から毎回3万円ずつピンハネされる。そのことを停める作戦(10月15日、12月15日)は、いづれも敵の悪知恵に対応しきれず失敗に終わる。私が前夜から母の家に泊まり込んで待ち構えてもなかなか現われず、私がウトウト仮眠とってる隙に現われて、CashCardを受け取り、翌朝には口座から引き出し