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癌は怖くない?いいえ、癌はまだまだ怖い病気でした。癌闘病の始まり2023.05.19札幌で一人暮らしをしている母が体調があんまりと聞き、忙しいGW期間中の仕事も一段落したので、顔見に行くがてら東京から札幌へ🛫その日に駅前内科で内視鏡の検査があったので、病院で母と待ち合わせ。3年前に甲状腺腫瘍の手術をしているので、きっとホルモンバランスとかが良くないんだろうなーと家族みんなが思っていました。内視鏡が終わり、診断結果が出るまで「今日はデパ地下で美味しい鰻でも買って一緒に食べよ」など呑気
ご覧いただきありがとうございます。今は深夜の3時、私の部屋は談話室の隣、ナースステーションの斜め前という比較的煩いほうの場所にあります。ちょうど談話室で看護師さんと話している方の声が聞こえます。患者さんの声は震え、看護師さんが励ましているようです。この病棟の患者はすべてがん患者さんの終末期と聞いてから、余計に他の方の様子が気になりだしたのですが、入院して約2週間他の患者さんの姿すら見ていませんwがん患者は孤独になりがち、私の限ってはその孤独を楽しめる性格でしたので、家でもひきこもり状態。
8月頃(亡くなる2か月前)この頃になるとちょこちょこと胃に不調が出てきました。今まで胃痛とか胸焼けとか無縁だっただんなさんだったのですがだんだんと胃もたれや噴門部の痛みなどの症状が出るようになってきましたさらに、夏の暑さもありかなりバテ気味でした週末の休みはほぼ寝ていて毎週一緒に行っていた買い物も行けなくなってきました食事の方もだんだんと詰まりが頻繁になり吐くことが多くなりましたもともと朝食は食べ
おはようございます。余命。がんになり気になったことは、あとどの位生きられるのか・・・初めからかなり気になっていました。結果から言えばまだ分かっていない、決着はついていませんが、多くのがん患者を看取ってきた、医師なら余命宣告はそうそう外しはしないのかな~と、言うのが今の感触です。患者の受け止め方や、現状把握の状況により、医師が意図的に短めに言ったり、長めにぼやかしたりすることはあっても、医師の本音が聞ける信頼関係があるのなら、主治医はおおよその見当は外さないのだろうな~というのが、私の感想で
「癌になってかなり気になった事」ご覧いただきありがとうございます。最近一番の後悔は、2024年3月3日に好きなバンド「bohemianvoodoo(ボヘミアンブードゥー」のライブ(大手町読売ホール)に行けなかったことですかね(笑)行きたかったな~bohemianvoodoo【Mystic】(officialmusicvideo)OfficialMusicVideofor"CROSSING"-availableeverywherenow:https://playw
85歳ですが病気になるまでは一人暮らし毎日近所へ出掛けて買い物や友達とのおしゃべりを楽しんでいた方ですリンパ腫が頭蓋内に広がりふらつきがひどくなり歩けなくなりました退院はご本人の強い希望です離れたところから手伝っていたご家族が同居してお世話をすることになりました初めて訪問診療に行った時患者さんは大変喜ばれ家で過ごすこと使い慣れた布団で眠れることをニコニコしながら話してくださいました病院の主治医は退院をしぶり「動けないんだから入院してていいよ」と言い続けたそう
妻の容体は、一旦安定した。チューブを入れてもらい、アイスや味噌汁、飲み物を飲んでいた。飲み込む力が弱くなったと思ったが、今日はむせておらず、落ち着いたようだ。眠る時間は長いが、今は休む時だと思う。それと並行してお義父さんが限界を迎えた。色んな人から色んな形で連絡が来たが、要約すると、妻の弱っていく姿に耐えられず、弱る責任を私やその周りと思い込み、20日でもう一家まとめて撤退すると宣言したらしい。私のところには、一言も連絡がなかったが別に恨まないし、仕方ないと思う。長い闘病生活
■2024/4/28(日)天気も良く爽やかな日でした。夫と大学病院の屋上庭園に行きましたので、投稿しようと思います。逆光ですかね💦屋上庭園までは車椅子で来ましたが、庭園内は夫は歩いて移動してました。撮り直し(笑)筆記具マニア■数日前に体調の悪い日が有って、『この筆記具が欲しい』と夫が言うのです。(以前も書きましたが、収集癖が有り、自宅には、たくさんの筆記具が有って…)■入院中なので通販で買えるか探しましたが、売り切れでした。■そういえば、大学病院の近くに、学生時代たま
今日の昼頃愛ちゃんが亡くなった。バタバタすぎて、今は葬儀場で愛ちゃんのそばで弁当を食べている。今日の忘れたくない言葉だけ、とりあえず書いておく。唯ちゃんママ、一緒にクッキー作るって約束したでしょママ、死んじゃやだよママと、一緒にお料理するの楽しみだったの私愛愛ちゃん好き大好き愛してる世界で一番大事だよありがとうずっと一緒だからねずっとずっと、一緒だから愛ちゃんおにぎり最期にアイスピアノをひきたい外が見たい抱っこしてきれい大好き
今日の体調は良いとは感じませんが、今日は2回目の介護付きの入浴。その後に洗濯。あとは何にもありません(笑)お風呂はすっっきり、非常に楽しみで、洗濯も暇つぶしにはいい感じ。昨日の昼ご飯には、食パンが1枚付いて、嬉しくて食べたら、おなかは痛むは、吐き気はするはで、大変でしたが、今日はその心配はなくほっとしています。微熱、吐き気、眩暈に、寒気、倦怠感。不調を上げたらキリがありませんが、ちょっと体調が安定すると、部屋に閉じこもっていることに不満を感じるようになる。贅沢といえば贅沢なのですが、引
朝起きたら、愛ちゃんが胸が痛いという。痛くて、髪をかきむしる。足を暴れさせる。痛み止めをもらっているうちに意識がなくなり、看護師さんが危篤と判断妻の両親と子どもたちを呼び出す。脈拍、呼吸正常だが、意識なし。みんなでずっと呼びかける。主治医が来て、あと30分から1時間保たない。もし、心停止したら、その段階で死亡確認をすると言われる。1時間後意識ないが、脈拍、呼吸正常主治医にまた呼ばれる。どれだけ生きるかわからないが、とりあえずいつ亡くなってもおかしくない。全身状態が悪いので
食道がんの治療について母のこれまでの食道ガン治療についてはこれからも何回にも分けて書いたりはしないのでこのページと次のページだけに書きますこのブログはあくまで闘病記録ではなくこれからの未来、食道がん自体がもっと認知され早期発見・早期治療が当たり前の病気になるために何か私にも出来ることがないかと始めたブログですいつか必ず国が推奨する5大ガン検診に食道がんも組み込まれるまで頑張ります国が推奨する規定も読んでいるので5+1ぐらいの推奨イメージでも嬉しいな5大検診+食道がんも率先し
夕方、妻の付き添いに行く。昨日よりも安定していた。味噌汁を少しずつ飲んでいた。夜になると、抱っこして欲しいと言うので、またお姫様抱っこをして、外の景色を見た。結婚式場は、ライトアップされていた。ただ暗くて、そんなに景色は見えなかった。朝ほど大騒ぎはしなかったが、嬉しそうだった。そしてまたキスをしてくれた。その後一度だけ、呼吸が変になったが、すぐに落ち着いていた。夜は、30分寝て、身体を起こしてと言って、身体を起こし、水分をとっていた。一緒に食事がしたいと言って、アイスを一
昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いて
旦那の病室で私、長男、主治医(2人)、看護師6人で話しをした話は治療と言うより今後今の癌病棟かホスピスか自宅かどうするかと、言う話だった自宅は今の状態だと危険だと判断旦那はホスピスを希望した私は今の癌病棟を希望した旦那は、今の主治医、緩和のドクターに絶大な信頼を置いているホスピスに移れば担当医が変わる今これほどの不安な時期にそれは旦那にとって本望ではないはず「ここにいてもいいんだよここでも、私ずっと一緒に居られるから夜もずっと一緒だよ」私がそう言
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い物を済ませて、子どもたちと大きい公園に行った。もう、ずっと子どもたちと遊んでなかった。だから、とにかく遊ばせてあげたかった。大きいトランポリンやすべり台のある公園で、2人はとにかく
今日の夜の愛ちゃんは、とにかく飲み物を飲んでいた。お茶を飲んで、オーエスワンを飲んで少しむせるが、昨日よりは飲み込む力が戻っている。ただ焦るように飲むので、心配だった。落ち着かせながら、飲ませていると、死が、こわいとつぶやく。そして、また一生懸命水分をとる。今度は、ベッドに座って、身体を動かす。足を揺すったり、立とうとしたり。その時は、家に帰るとつぶやいた。抱きしめて、大丈夫だよ。と声を掛ける。絶対に治して、一緒に帰ろと話す。妻は、頷いて、そして休んだ。夜の間、妻
お越しくださいましてありがとうございますラッキー!ねこさんです2020年1月50歳の時左胸が乳がんなって全摘しました。抗がん剤や,放射線の治療をしてその当時の気持ちや体調のことをつづっています弱音を吐いたりすることが多いですが乳がん患者さんのお役に立てられるよう発信しますフォローしてもらえると嬉しいです乳がんの経過観察で、3ヶ月毎の診察に行ってきました。今回は、CTと採血。そしてその結果を踏まえての診察と緩和ケアでした。採血は、1回
もうすぐ春ですねcvポートの手術をしてからメキメキと体力がなくなり食欲がなくなってしまい特に病院食の匂いが辛かったです味の濃いもの、フルーツ、麺類が食べやすかった中でもビックリしたのがガリガリ君氷が最高小さい時二本の棒がささったアイスキャンディその時は好きだったけど多くのブロガーさんが書いてるようにこんなに美味しいものだったとは、、あとはメイバランスの白桃ヨーグルトいちごヨーグルト味小さく切ったフルーツガリガリ君は一日、一本半便秘対策にもなります積極
コメントを下さる皆さんへコメントありがとうございます。今の体調は全てのコメントに目を通せる良い状態です。本当に嬉しく、感謝しながら読ませていただいています。コメントのお返事が書けないことを心苦しく思っておりますが、お理解くださいませ。申し訳ありません。がんになりもっと早めに意識すれば良かった事といえば食事です。がんを意識するのは早すぎると思えるくらいのタイミングで色々なものを食べておいたほうが良い。食べ放題も行けるうちに行っていたほうが良いと思っています(笑)私は今はとにかく食
今日の早朝妻が鬱かもしれないとコメントをいただいた。鬱と考えたことがなかった。妻はいつも健康的で、鬱とは無縁の人だった。でも、ガンと戦って疲れてしまい、鬱になっているのかもしれない。そうかんがえると、妻の言動や態度を許せた。いっぱい戦っているのだ。疲れて鬱になってもおかしくない。むしろ、妻の心のケアをしたいと思った。妻の心を少しでも穏やかにしてあげたい。そう思えた。午前5時妻を起こして、お灸をしてあげる。その間、妻を優しく撫でる。妻の話を聞く。痛いと、他のことが何も
今日のモキチ家に帰ってきて旦那の部屋を覗いたらいつもの椅子に座って寝ていました私が部屋に入ると寝ぼけ眼で「おかえり~」と言ってくれました旦那が「さっき俺とお父さんと二人だけだったでしょ。だから色々腹割って話したよ」私「え?どんな事を?」旦那「nicoさんとお父さんの事」えっお父さんと話した内容を教えてくれました…僕が居なくなったらもうお父さんの面倒見てくれる人は居ないよnicoさんは僕の奥さんだから僕が死んだ後、お父さんの面倒見るために居るわけじゃないからそ
金曜日から具合が超悪い腹水のせいかドキシルの副作用のせいなのかめまいがする食べれないでもお腹はすくお腹がすいて気持ち悪くなる食べても気持ち悪くなるお腹が苦しい痛い吐くなぜか左足も痛い大変だニャンコの世話をするのがやっとだどうしようつらいから寝る横になってるときが一番ラク先週はこんな感じだったけど今週は横にも伸びてきたような気がするどこまで大きくなるのやら腹水抜いてもすぐにたまるなら抜かないと決めてたけどこれはちょっともう抜かないとだめかも抜く
今日の昼頃、妻のお母さんが病院に行った。先週から、妻のお母さんは、愛ちゃんのことが諦められないから、先生に治す方法がないか聞いてみたいと言っていた。そして、先生と日程調整して、今日の昼頃にその場を設けてもらった。昼過ぎになって、お母さんから、終わりましたと連絡が入る。電話をして、結果を尋ねた。お母さんは、何度もため息をつき、うんとね、うんとね、と、口に出したくないことをまとめようとしていた。結論は、いい治療はなかった。先生には、今の妻の体力では、そもそも治療に耐えられないと言われ
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるにはどうすればいいの?死にたくないのどうすればいい?とにかく休むように伝える。少し寝てくれる。起こしてと騒ぐ。起きる。机に、しがみついて水分をとる。同じ質問をする。朝
入院2日目妻は、いよいよ抗がん剤治療に入った。前回とてもキツかったそうなので、わたしも妻も緊張した。私は、妻のことを心配しながら、給与明細を確認する。今後、私は育児をしながら働かなければいけない。パートをしていた妻の収入はゼロだ。当然収入は著しく下がる。妻の治療費、家賃、子どもたちの保育費等等妻は、保険は殆ど入っていなかった。当然がん保険なんてなかった。だから治療費の補填は、あまり期待できなかった。入っていた保険も、入院費を多少出してくれるものだった。そこで先日、様々な積
日付が前後します24/4/12(金)夜中、2時頃?トイレから戻ると呼吸困難見た感じは過呼吸の様な状態「息が吸えない「空気が入ってこない苦しい」と、激しく浅い呼吸を繰り返す「ゆっくり息をしてゆっくり息を吐いて」と声をかけると徐々に落ち着き呼吸が戻った「死ぬかと思った」と旦那。私も死ぬかと思って怖かった。翌朝またトイレ後に同じ症状になりかけた病院に電話をしたら入院の準備をし救急車で来る様に指示をもらうこの時電話で座薬の痛み止アンペックを使うように言
グルーミング中のもきち笑24/3/28(木)今日は2週間に1度の診察日今日は車から降りてすぐに車イスに乗った旦那採血、検尿の後腎臓内科の診察利尿剤の影響が心配だったけど特に悪いことは言われなかったセーフこの時、旦那が先生に利尿剤はどこの科から処方されるのか聞いた…腎臓内科の先生「消化器外科から出てます」次に、消化器外科の診察数値的には特に変わりない悪くもなってない先生が今後の治療について話し始めた旦那がまだ唯一使っていないお薬「イリノテカン」腹水が溜まっ
在宅介護と在宅看取りの現実本人は望んでいても家族が…癌に限らず病気で入院している家族がいたら、ほとんど言われてるのかな?と思います「家に帰りたい」と…家族にそう言われたら帰してあげたいって思いますよねでも現実の壁は…私の母も入院生活において大体二言目が「家に帰りたい」でした前から常々言っていたので最後は家がいいと私も含め家族みんなが在宅介護を受けながら在宅看取りをしてあげたいと本気で思っていました今年の3月初め頃主治医に聞いてみたことがあって私「在宅看取りは可能
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能していない。昏睡の一歩手前今週1週間が限界数日で意識がなくなり、起きなくなる恐れがある。もし会いたい人がいれば、早めに妻も聞いていた。返事はしないが頷く水分を定期的に与える。