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明和5年(1768年)頃、江戸の出版界に突如として町娘ブームが起きた。それまでの美人画のモデルといえば、遊女や太夫など玄人の女性たちだったが、市井の美女を描き、その生涯、評判などが語られるようになりました江戸の中心部はとても狭く、人々はよく歩いたのでどこそこに美人がいる、となればその噂は一気に広まった。ブームの口火を切ったのは鈴木春信の筆による、水茶屋の看板娘だった笠森お仙の錦絵だった。水茶屋とは神社の境内などで茶を出す簡易なオープンカフェのよ
ー美しき征服者コーラ・パールよ、永遠に。コーラ・パールは19世紀フランスでイギリス人ながら密かに一時代を築いた女性です。フランス宮廷の要人達の愛人となり、豪奢な生活を送った女性で、エミール・ゾラの小説『ナナ』のモデルの一人とされていますコーラ・パールはイギリスの良家の出身でした本名は、イライザ・エマ・クラウチ。1835年生まれでロンドンで祖母と一緒に住んでいました(コーラの父親、ウィリアム・クラウチ)コーラ派13歳の時に小児性愛者の中年男性に薬を盛られ、強姦されたと言われています。
ー私は化粧する女が好きです。そこには虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。(マルト・ド・フロリアン1864〜1939)マルト・ド・フロリアンはベルエポック期のクルティザンヌです彼女の部屋はベル・エポック期のクルティザンヌの部屋がそっくりそのまま保存されてタイムカプセルのようになってしまったようですマルトの恋人たちは後の72代目フランス首相になるジョルジュ・クレマンソー、68代目フランス首相ピエール・ヴァルデック=ルソーなどで大物たちを虜にした一流のクルティザン
[紀伊国名草郡]玉津島神社■表記紀…衣通郎姫(ソトオシノイラツヒメ)、弟姫(オトヒメ)記…衣通郎女、衣通王軽大郎女、軽大娘皇女(カルノオオイラツメ)の別名■概要絶世の美女とされ、その艶色が衣を通して光り輝くということから付けられた神名。「本朝三美人」の一。また「和歌三神」の一柱ともされています。*「本朝三美人」衣通姫・藤原道綱の母・光明皇后*「和歌三神」住吉明神・衣通姫(玉津島明神)・柿本人麻呂◎「和歌三神」と称されますが、実際に詠んだ和歌は二首のみ。取り立てて素
中国の春秋時代のこと、夏姫は鄭(てい)の穆公(ぼくこう)と少妃姚子のあいだの娘として生まれた。15年後、夏姫は笄年を迎えた。笄年とは女子が15歳になり成人になった証としてはじめて笄で髪を結い上げることをいう夏姫は〝天女の生まれ変わり〟と言われるほどの絶世の美女だった。姿かたちはこの上なく美しかったが15歳にして男性を籠絡する手管を持っていた。3人の兄たちは美しい妹を偏愛し、しだいに奪い合うようになった。夏姫は兄たちと通じていたとも言われている。夏姫の兄、子蛮は毎夜のごとく夏姫の寝室
ーハートをあげる。だからダイヤを頂戴。(シャトーブリアン伯爵夫人フランソワーズ・ド・フォワ。1495〜1537)フランソワーズ・ド・フォワはフランス国王フランソワ1世の愛妾。別名シャトーブリアン伯爵夫人としても知られています(恋多き王でオペラ、リゴレットのモデルにもなったフランス国王フランソワ1世)フランソワーズ・ド・フォワはロートレック子爵ジャン・ド・フォワとジャンヌ・デディーの娘として1495年に誕生しましたいつからからはわかりませんがフランソワーズは10歳の時にすでに又
ー眸を回らせて一笑すれば百媚生じ、六宮の粉黛顔色なし。世界三大美女のひとりに数えられるほどの美貌を誇ったといわれる楊貴妃。楊貴妃は玉環という名前で719年に現四川省に生まれました。父親は楊玄琰という男で司戸参軍の職にありました。玉環という名前は生まれながら玉環を持っていたのでその名がつけられたというものや、また、広西省の庶民の出身であり、生まれた時に室内に芳香が充満しあまりに美しかったので楊玄琰に売られたという説もあります玉環は〝資質豊艶〟つまりぽっちゃりした美人で歌舞音曲に
(絶世の美女だったとされる江良加代)江良加代は、文久2年3月、華頂宮家に仕える江良千尋の娘として生まれた。江良加代の人生はとにかくモテモテの連続で、とにかく男性が寄ってくる、助けてくれる、なんだか一昔前の少女漫画の主人公のような人生です生家は京都・祇園社の近くで、花街に近いこともあり、加代は祇園・井筒屋から舞妓としてデビューすることになりました。幼少期より歌舞に優れ、〝牡丹や百合の花の姸を奪ってしまう″ほど美しく美少女でした加代の美貌の噂は日増しに京中に広まっていきます。噂
アメリカの超高級デパート、ブルーミングデールズをご存知でしょうかアメリカの高級デパートではハロッズなんかも有名ですね(ニューヨークにあるブルーミングデールズ)その超高級デパート、ブルーミングデールズを経営していた、アルフレッド・ブルーミングデールズの愛人のお話です。(ヴィッキー・モーガン1952~1983)名前はビッキー・モーガン、1952年アメリカのコロラド州生まれで、貧しいが金髪の美しい女性に成長したビッキーは、16歳で女優を目指し、ハリウッドへいきました。1970年代、レ
明治・大正期はたくさんの有名な芸妓さんが登場しましたこの女性は江良加代祇園の芸妓さん。1862年生まれのお加代は、父親は道場主で母親は華頂宮に仕えていた女性だったらしく出自も良かったので、お座敷に出ると瞬く間に売れっ子になりました。彼女は当時めずらしいあさり目の西洋的な美人でなんと12歳?で西園寺公望にどうしても、と請われて西園寺家の妻になります(◎_◎;)しかし妻といっても西園寺家は代々正妻を娶らないらしく、数ヶ月で家族の反対を受け、江良加代は祇園井筒屋に高価な着物とともに返されます
(香妃の肖像画確かに美人)18世紀半ば中国・清王朝が最も栄え華やかだった、乾隆帝の御代。この時代清朝は全盛期で最大の領域を誇っていました。。その頃シルクロードのウイグル族に体からもかぐわしい芳香を放つという絶世の美女がいました。(香妃の肖像画。イタリアの画家カスティリオーネに描かせたもの)香妃は中国西部のウイグル族・ホージャ氏の娘で1734年頃誕生し、成長したのちウイグル族の長ホージ・ハーンのもとに嫁いだとされていますがその美しさは遠く離れた清王朝にも鳴り響くほどでした香妃はその名の
学生時代、歴史の成績だけ良かった私当時高校生だった私は、膨大な年表の中に、当時の人々の人間ドラマが凝縮されていて、昔の人は長生きできないし、こんなおもしろい人生あったんだなぁーと思っていました。(ハリエット・ハワード(1823–1865))ナポレオン三世が王座に着く前の愛人、ハリエット・ハワード。ハリエットはイギリスに生まれ、15歳の時に家出。愛人とロンドンに住み、女優となります。やがてとあるパーティーで亡命中のナポレオン三世と出会います。ナポレオン三世はハリエットの財産のおか
(フォンタンジュ嬢ことマリー・アンジェリク)太陽王ルイ14世が老齢にさしかかった頃、ヴェルサイユの宮廷にオーヴェルニュ地方からオルレアン公爵の2番目の妻ラ・パラティーヌの侍女として1人の女性が選ばれヴェルサイユにやってきました名前は、マリー・アンジェリク・ド・スコレイユ・ド・リシュ。花のような愛らしい地方の名門貴族の伯爵令嬢でした。この女性は、宮廷でフォンタンジュ嬢と呼ばれることになります。ブルーとグレーが混ざったような絶妙な色合いの瞳をもつフォンタンジュ嬢の美
ロココ、あまりのみだらさのため美術史に名を残せなかった華麗で官能的な時代。1720年代~1760年代の終わりまでが40年間が、真のロココと呼ばれる「贅沢、優雅、快楽」を最高とする時代の最盛期。〝1789年以前に生きたものにしか、人生の甘美さはわかるまい″〝あの頃は老人なんていませんでした。老いも若きも皆人生を楽しんでいた″とジョルジュ・サンドの祖母は語ったといいます。(ジョルジュのサンドの祖母で若い頃らヴェルサイユで暮らしていた)フランス王はルイ15世。王妃はポーランド王女マリー
港区女子っていう言葉もまだなかったような2000年代、プチITバブルの頃女子大生でした。あの頃は女子大生ブームで?めちゃくちゃ楽しかったわ。一緒に遊んでもらってた子達は皆優秀で美人ばっかりだったけど、その中でも特に絶世の美女だった子がいます。たぶん生まれてきたときから、人生で苦労したことがないと思う。超絶美女な上に、スタイル抜群でエキゾチックビューティーで頭だっていい。どんな美人も頭が悪かったら素敵な人生は歩めない。学歴も大事だけど、コミュ力も同じぐらい大事。
ただいま視聴折り返しにきてる『永遠の桃花〜三生三世〜』(原題:三生三世十里桃花)めちゃめちゃ面白いです〜✨私の苦手なワイヤーもCGも超満載だけど😂『陳情令』と同時並行視聴だからそこはもうスルーで楽しんじゃってマス♡その記事はまた別に書くとして、今日pickしたいのはディリラバ様‼️ウイグル自治区出身の女優『新疆4大美女』と呼ばれているうちの一人。ウイグル自治区出身の彼女はとにかく絶世の美女✨こんな美人、日本で見たことある⁉️いや、ハーフとかではゴロゴロいてるだろうけど…👱♀️
(モナコ公妃グレース・パトリシア・ケリー1929〜1982)グレース・ケリーは同時代の女優の明るさとセクシーさを前面に出したマリリン・モンローの美貌とは対照的な、気品に満ちた貴族的な容姿が「クール・ビューティー」と賛美されました人気絶頂の最中、26歳でヨーロッパの君主と結婚し女優業から引退し、モナコ公妃となった女性です。グレース・ケリーは1929年11月12日フィラデルフィアの裕福な家庭に生まれました。(グレースが育った家)ケリー家についてグレースの従兄弟チャールズ・ケリー
つれなき美女がお前たちを虜にするーキーツ(ジュリエット・ベルナール。ジェラール画)フランス、ナポレオンの第一執政時代、パリ社交界の華として一世を風靡したジュリエット・ベルナール。さらにフランス美人の代表的存在とされ、世界の歴史の中でも最も美しい女性そのジュリエットの清楚で慎ましやかな美しさは多くの男性を魅了しました。スウェーデン国王ベルナドットはレカミエ夫人の美しさを“その美しさと優雅さはヴィーナス神にも比すべきもので、あたかもオリンポスの山上から下界
(クレオ・ド・メロード1875年9月27日-1966年10月17日)クレオ・ド・メロードは世紀末を代表する絶世の美女でバレエダンサーです。本名をクレオパトラ=ディアーヌ・ド・メロードといいます(本当に美人)クレオについては、その美貌が幼いころから注目を集めていました。大変な美少女がオペラ座にいるという噂が広まりました。クレオはさらに美しく成長し、バレエダンサーとしての技量よりも彼女自身の持つ魅力で広く知られるようになりました1896年、ルドヴィック・バシェという人物が「
大正期の絵はがきのモデルとなった芸妓さん。この女性はさかえという下谷の三州家の売れっ子芸者。大評判になったのもうなずける美貌(髪型は銀杏返し。えり白粉をつけるさかえ。手まで綺麗)当時18歳で絵葉書を売り出しました。18歳にはとても見えない大人の雰囲気ですさかえは仕草、歩き方が特別優雅で、ある女形俳優はさかえの歩き方を真似していたとか!一度は結婚し芸妓をやめたさかえでしたが、出産後再び芸妓にもどりました。髪を束髪にしております(^^)/大正の方なのに目が大きい&二重まぶた∑(
お知らせヽ(♡´∀`♡)ノこの度生まれて初めて自分のお誕生日会とゆうものをさせて頂きます☆来週10月13日木曜日に32歳になります(*´˘`*)♡12日13日14日のどこでも良いので数時間を佐藤ゆかりにくださいヽ(♡´∀`♡)ノ演歌歌手のディナーショーと間違われる立派なポスターが出来ました(笑)ファーストシングルBirthdayParty是非是非聴きに来て頂けたら幸いです(笑)(*´˘`*)♡宜しくお願い致します★来て頂ける方は何日の何時ごろか教えて頂けますと大変喜び